/6 Limited Fireworks.
「は、」
才能。空を飛ぶのに必要な才能。
目指した高みには決して届かない。それでも羽ばたき続けた理由は何だったのだろう。
「ははッ」
――浮かびかけた疑念を置き去りにする。飛行速度に必要なのは軽さだ。必要のない何かを考えながら飛ぶなんて贅沢を許してくれるほど追っ手たちはヌルい相手ではなく、また自分も相棒も潤沢なワケではない。
無窮の青空に筆を走らせるように疾駆する。与えられた挑戦権、自分の技能、見えなどしないが確かにそこ在る『道』の取捨選択。
どうして大人は飛べないのか、を。
「ハイド次、ちょい下降ッ!」
「角度は!?」
「知るか!!」
アバウトすぎるアドバイスに苦笑する。FPボードの先端が僅かに下がるように踏み込む……培い、いまここに活きた経験則。額を撫でて行く風圧に、上がったままの口端がそっと震えた。
――いざ走り始めたら、そこに丁寧なナビなどついては来ない。瞬間瞬間に訪れる判断の連続。ひとつでも間違えば失速し、正解を手繰る度に加速する。見えない盤上に見えない駒を打ち続けるチェスゲームのように、本当は不自由極まりないそれを、どうして見上げる大人たちは忌々しくも自由で奔放だと思ってしまうのか。
ハイドとシーク、ふたりは揃ってボードのエッジを片手で握り、屈むように姿勢を低く保つ。減衰する空気抵抗と下降に喜ぶ重力の誘引。絞られたレンズのように狭まる視界に加速し、由来不明だが不思議と疑う気の起きないカウントが鼓動のリズムに合わせて発生する。
「3」
「2」
「1ッッ!」
後ろに置いた右足の踵を踏み込む。跳ね上がるふたつのボードは、空気を切り裂いてこの日一番の快音を空に響かせた。
「やたっ!」
「今の“パウンド”改心の出来じゃねぇ!?」
――入る、と放つ前に確信したバスケットボールが、その予感の正しさを証明し、ネットと触れ合う乾いた音だけをリングを通過して発するように。
その、得難い悦びを分かち合うように並走する二人は手に手を取って無邪気に笑った。
「アリスの
「一秒だけならあるいは?」
「エルさんたちスピードレコーダー持ってきてねえかな!?」
そして、自分達を脅かす現実を忘れてもいない。ターンの無いランオンリーの走空。顔だけを後方に向けると、九つの流星が最初よりも大きく迫っていた。
――空を飛ぶ才能はわからない。どうして自分達には半端にしかなく、憬れたちにはしっかりと備わっているかだなんて。けれどもわかる。
正解を手繰り寄せるために行い続けたトライアル&エラーの数々。都度都度迫り来る選択を、誰に教わるでもなく自分だけで決め、選び、時に墜ち、時に上がるそれを――見えない道を彩る光の軌跡が、求め続けた自由であることを。
夢想かもしれない。空想かもしれなくて、本当ではないのかもしれない。
多くの大人たちがそれを煩わしく思い、忌々しく見上げ、けれどそこに一抹の憧れがある理由。子どもだけに許された、裏打ちのない確信への特権。
……自分で選び、学び――屈することさえも。自己の裁量で自身の正しさを証明できる自由が、FPとそれを駆る少年少女――
偉大なる
『楽しい気持ち』
――結末は決して覆らないともう知っていても。それまでの瞬間の連続を楽しむことができなければ、やはり大人にはこのFPという存在は荷が重い。
「……やっぱ速ェなぁー! あーもー!」
逃げ
未来には自由がない。<クリムゾンスノウ>が自分達をFPライダーとして認めてくれたのならば甘く見積もって生死問わずだとしても殺されはしまい。けれどこれが最期の飛行であることは明白だった。
檻の中で羽ばたけるほど、世の中は自分達に甘くできてはいないことくらいはやっぱりわかっていて。どうやらその見え透いた未来の展望を棄てきれなかった相方の、繋いだ手から伝わる震えにハイドは唇をきゅっと結んだ。
「シーク」
「なにさ」
「……ダンスの相手をお願いしても?」
時が止まるような間。
「…………似っっっ合わな!!! 誰の真似!? 鏡見て来いハイド! ほら、今なら全自動追尾式『魔法の鏡』が来てくれてるから!!!」
げらげらと笑う。既に薄い空気の中、更に酸欠にさせるつもりか、と涙混じりの目でひとしきり笑った後、シークは大きく息を吸い込んで、それから今度は嘲りなしに、ちゃんと笑って頷いた。
「はい、喜んで。……ねえハイド」
「ぁんだよ!」
「もっかい言って?」
「言わねえに決まってンだろ犯すぞクソヤロウ!」
「同じ房に入れたら存分に!」
恥の甲斐あってか震えは止まった。代わりに掌から伝わる熱に、最後のトリックを決める。
――まったく冴えない。役者が違う。自分達ではドラマティックにいちゃつくこともできない。
「……ま、身の丈も知れたってことでひとつ大人になったってことだろう。いくぜシーク。カウント任せた」
「あーい。……これ考えたのって誰だっけ? 理屈はわかるけどさ」
「ワンダーランドのティー兄弟だろ。わかるけどさ、バカっぽいよな!」
好きだけど! とふたりで一緒に叫んで踏み込む。
――ひどく単純な話だ。速度を出す場合、どうしたら良いか。いくつもある選択肢の中で、全FPライダー中、最も連携に優れた双子が編み出した、幼くも莫迦にできない暴論のようなトリック。
FPの機構がひとつよりもふたつの方がより飛べる。
笑ってしまうほど単純で、笑えないほど二人の動作に正確さが求められて。
だからこそ、成功すればそのランは<最速>に迫るだろう。
――なにより、それを与太にできない未来がいずれ来る。
全てのFPライダーが見上げ続けた『憬れ』が、新たな
一度限りの花火のように。潰える先を知っていながら、『
/
パリは遠く。イタリア西端と分割したフランスの国立公園を北上すると、世界的にも有名な洋菓子の名前の由来となった山があり。そこから西に位置する場所に、山岳地帯に封じ込まれたような、小さな森が存在する。
――小さく、けれど深いその森の中には、世にも
星明かりも樹々の葉に遮られる夜の中、ランプを模した電光の間接照明だけを明かりに、指先が赤い糸を通して紡ぐ。
届いたノックの音。そのリズムが子どもを寝かしつける時のように緩やかなものだと……そういえば、どんな時もそんなリズムだったと、不意に思い至って小さく笑う。それからどうぞ、と応えた。
ドアを開けた青年は、通され続ける糸に怪訝な表情をして、視線で意味を求める。
「これですか? うふふ、お揃いならジャンパーも良いのですけれど、秋口などはこういった物の方があの子たちも喜んでくれるかもって思ってしまって」
マリアージュ=ディルマの持ち上げた両手から膝へと下がる、彼女たちを象徴する赤。
「……七人分か? それは骨が折れるな、マリア」
「いいえ、お兄様。九人分ですわ?」
「…………マリアはともかくとして、私に似合うとも思えないのだが」
「似合ってくださいまし、お兄様」
全幅の信頼をもって発される無茶なお願い。エルはそっと溜息を吐いて、善処しよう、と降参した。
「だが夜更かしも程ほどにしよう、マリア」
「ですわね。ねえ、お兄様? マリアはココアが飲みたいです」
お兄様の作るココアは美味しいので、と微笑む彼女に、エルは眉を上げて。
「……なんとなくそう思ったからな」
両手にひとつずつ持ったマグカップに「まあ!」とマリアは――マフラーを編む手を止めて、大げさに驚いて見せた。
「なんでもお見通しなのね、エルは」
「どうだろうな」
ベッドの傍のテーブルにマグカップを置いて、椅子に座る青年に。
「ほんとうに。まるで未来がわかるようです」
「そうか?」
ええ、と彼女は頷き、ココアの入ったマグカップを両手で持った。
「だって今日はカップが二つあるのですもの」
/『禁忌と知の色、情熱の色』 完
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