/7 空を泳ぐ魚
白に塗り潰された一瞬を突破すると、温度の太陽に抱かれたと錯覚する。
雲を抜ける。ひとつのFPボードで先行していた二人はその光景に思わず目を大きく見開いた。後ろから続く少女二人「わ」という感嘆の声。それも確かにそうだが――その驚きは別のところにある。
閉塞感から覚えるような精神的なものではなく。上昇したことで起こった空気密度の低下による物理的な息苦しさ。遥か天空のこの場所において、それを打ち消すだけの濃密な空気の量。カカシ――ランスロットとカレンの瞳には、その場所は台のように敷かれた白雲の上に鎮座する、ドーム型の透明な――硝子の温室庭園に酷似した姿として映っていた。
全長は120mはあるだろうか。幅はその半分ほど。ミサイルのように先端に向かうにつれて細くなっているその、四人が見上げる船底からは慣れ親しんだ要素が初めて遭遇する量でもって既知を未知に塗り替えている。太陽のような眩しさで、自身の下に履いた雲の合間にもう一層――光の絨毯を敷きながら。
――すなわち。この広大な人工物は、FPの機構で浮遊しているということだ。
未だ十代の少年少女は、発すべき言葉を見つけられずに、地上と同じだけ……あるいはそれ以上の濃度に、本来楽になっているはずの呼吸の変化にもまだ気付けない。カカシとカレンにはそれが見えているにも関わらず。その事実と目前に広がる威容が関連付かない。
自分達の常識というモノを三段階ばかり蹴飛ばした埒外の光景に思考を奪われたまま。不甲斐無い主たちを乗せて、三枚の翼は空の道をなぞって上昇を続ける。
それより上に位置取った時。今度こそ四人は頭が――おそらくは感動で――真っ白になってしまった。
大空を悠然と進む、実物大のボトルシップを空想する。あるいはおとぎ話の幾つもに描かれた空の島。緑の匂いがする。どこまでも人工的に設計されたビオトープの中に置かれた何らかの施設は最先端を疑う余地も無いが、場所が場所だけに、滅びた超古代文明を復活させたかのような現代感の無さでもって彼らを待ち受けていた。
無言のままに着地したのは、知らず『ここ』と指定されたかのようにぽっかりと芝生のただ中に開かれたアスファルトの地面。庭に造られたヘリポートのような円形のそこには、客人を出迎えるように、常に小さな虹を羽織った噴水が湧いている。
見渡しても、立っているこの場所以外は完全に『空』だった。空中、とはよく言ったものだ――自分達はもはやわけもわからず、気付けば空の中にいる。
「ね、ねえカカシ」
「うん……」
驚きの度合いで言うのならもう十二分に過ぎるだろう。けれど、ここは目的地であっても、肝心の……老人が示した『何か』とはまだ遭遇していない。遅れて到来した不安からドロシーが<サンデイウィッチ>を脇に抱え、腕を組んで身を寄せるが、カカシは未だに思考をまとめきれていなかった。
足元で二人乗りボードが『用事は済んだ』とばかりにアスファルトに寝そべっている。
奥には施設があり、ご丁寧にもこの場所からそこへと一直線に伸びる歩行者用通路があった。
「……ふぅ」
目を閉じて、深呼吸を一回。ふわふわとまとまりがない思考と心を、その動作で落ち着ける。
……祖父の誘いである、という大前提を覆しかねない未知への不安。彼女達の安全を考えた場合、この先に行くべきかどうかを考える。答えはNOに寄っている。『難しく考えすぎ』と少女に不満をぶつけられがちな彼の思考は、少年らしさを代償に支払って得た計算高さで『見つけた宝箱は開けなくても良い』という選択肢を発生させた。
三人を順に見ていくと、あまりにもいつも通りだった。
ドロシーはこちらを見上げ、判断を委ねている。灰音は瞳孔が渦にでもなってしまったかのように思考を放棄して「わーすごーい」などと早くも現状の受け入れ拒否をしつつも培われた経験から腰に下げた拳銃を握り、その手に震えは見られない。カレンはマイペースに噴水の前でしゃがみ込んで熱心に見つめていた。
「ランスロット」
そのカレンが、顔を上げてカカシを呼んだ。噴水の
このままこの場所を去る、という選択肢はそこで棄却された。
「……行こうか。ハイネ、だいじょうぶ?」
「はっ!? はい! 蓮花寺いけますっ!」
立ち上がってふと、足元のボードを見下ろし少し考えて、この場では荷物になるのでそのまま置き去りにすることにした。
「じゃあ、行こっか」
「うんっ」
四人で人工の庭に造られた通路を歩く。
【SkyFish.Rb】
スカイフィッシュラボラトリー。FPライダーであるのならば知らぬ者のいない、FPボードのトップメーカーの名だ。言うまでもなく、ドロシーと灰音が今その手に抱えている<サンデイウィッチ>と<ストレイプリンセス>の製造元であり。
同時に、その生産がどこで行われているかを知る者がいない、謎の多い企業の名でもある。その謎は今明かされた。
「そりゃ、こんな場所で造ってるだなんて誰にもわからないよね……」
などという所感はどの口から出たものか。そんな言葉を笑うように、油圧式のドアがパシュン、と音を立てて開かれた。
「先生から聞いていたけれど、こうして目の前に現れると感動するなあ!」
四人を出迎えたのは白髪混じりの長髪をまとめた壮年の男性。くたびれた黒シャツにネクタイは巻いておらず、白衣を袖に通したその風貌は化学者というよりも考古学者といった雰囲気を纏っていた。
「ようこそ、愛しいピーターパンたち。私はエドワード。先生……オズウェルドの弟子の一人で、このスカイフィッシュ研究所の所長をしている者だ。さ、入ってくれ。長旅で疲れただろう?」
お茶でも淹れよう、と白衣を翻し奥へと招く彼こそがエドワード=スカイフィッシュ。その名と名乗りの通り――<スカイフィッシュシリーズ>を世に送り出した張本人である。
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