『後日談』
宝島
/1 サマー・タイムだかららしい。
温かみのある部屋だった。優しさと言っても差し支えはないだろう。ただこの印象は、それを受ける人間の立場で正反対の印象に変わるということを、僕は知っている。
「急に呼び立ててすまなかったね。ぼくとしてはもう少し、家族の顔を頻繁に見ていたいものだけど」
少し開けた窓から入る風がカーテンを優しく揺らしている。後ろの本棚に隙間なく詰まっている本は、そう取り出される頻度も高くないだろうに、埃のひとつも窺えない。艶のある床が乗せた絨毯は会話を邪魔しない。そうでない場合は――とても上品に――騒音をかき消すことだろう。
温情と冷徹を両立させた、最高品質の私室。四隅の柱の一つに、似つかわしくない傷を再発見してしまい……僕は眉を僅かに寄せた。
「……ランスロット?」
「あぁ、ごめんアーサー。ちゃんと聞いてるよ。それに僕個人はそんなに忙しい身分でもないからさ。ちょっと、子どもの頃って怖いなあって思ってただけ」
椅子に座るアーサー=アルフォート――言わずもがな、この部屋の……もといこの屋敷の……このイギリスの……この世界の半分の主に視線を戻し、もう一度柱の傷を差すようにそれを見る。アーサーは倣って柱の傷を見ると、やはり記憶の中と変わらない微笑みで頷いた。
「君がぼくに残してくれている数少ない物的な思い出だね。中継越しにも思ったけれど、実際に見ると本当に大きくなった」
「何度目? それ。イースターの時にも同じこと言ったよね」
「何度でも言うんだろうね、きっと」
アーサーは笑みを深くする。
――柱の傷は、僕らがずっと幼かった頃。この大きな屋敷を、様々な感情を持って走り回っていた頃の名残だ。
僕とドロシー、それからオズに引き取られる前までのカレンは、本当に些細な事が大げさに感じられていたのだろう。
誰の背が一番高いかなんてことのチェックを、よくもまあ
勝利を確信できるほどの大差もなく、似たり寄ったりな高さに刻まれた三本の傷。それは修繕されることもなく、今この時もきちんとこの場所に残っていた。
「……話の腰を折っちゃった。用件を聞かせて、アーサー」
「うん。オズウェルド……君のお爺さんから預かり物をしていてね」
「オズが?」
なんで僕に直接寄越さないんだあのじじい。
「ぼくもそれを思ったんだけどね。電話口で『黙れ小僧』って言われただけで追求できなかったよ、あははは」
可笑しそうにアーサーは笑う。立場を踏み倒し、自分にそんな口を聞いてしまえる破天荒なあの老人を、あるいは貴重な人物だと思っているのかも知れない。
窓から入る風に、かつて慣れ親しみ、最近はご無沙汰な油の匂いが混ざった気がして外を見る。
アルフォート邸に来た時は気づかなかった――というか着いてすぐにこの部屋に通されたので当たり前だったのだけれど。窓の下に見える中庭に、見慣れた赤い翼が佇んでいた。
「レイチェル……?」
僕の視線と声を拾ったわけでもないだろうに。だからこれはおそらく幻聴だろう。風に乗って≪Pi≫というレスポンスが聞こえたような気がした。
タイミング良く、ドアがノックされる。
「調度良かった。どうぞ、入って」
開かれたドアの向こうには僕の半分――レイチェルに乗って来たことは疑うべくもない、双子の片割れ、カレンと。
「パパ、お話ってなにー?」
このアルフォート家の正統な血を受け継ぐ、ドロシーの姿があった。
「ドロシー。パパはどうして今の今まで顔を見せなかったのかって思ってるんだけれど。ランスロットはすぐに来てくれたというのに……」
「だってお庭にレイチェルがいて、カレンもいたんだよ!? 積もる話はパパより多いに決まってるじゃないっ」
「えぇ……」
カレンとの会話が捗るって、ドロシーはもしかしたら凄い才能を持っているのでは……?
僕と良く似た容姿のカレンは部屋を見渡す。そして僕と同じように柱の傷で視線を止め、それから首を傾げた。
「たぶんその話じゃないよ、カレン。オズからの預かり物があるって今アーサーから聞いたんだけど、もしかしてカレンが持ってる?」
「持ってる」
そう言うとカレンはオーバーオールのポケットから四つ折りになった紙を取り出した。
詳細はカレンも聞いていないらしい。アーサーの座る机の上で開いた紙を、四人で見下ろす。
「これは……地図?」
「ん」
カレンが袖を引っ張る。紙はもう一枚あって、先のものより小さいサイズのそれは僕に宛てた手紙だった。
『楽しめ小僧。間に合わなかったら笑ってやる』
――これは、何もかもが終わった後の小さな一幕。
大人になるまでのモラトリアムに用意された、少年少女に向けての小粋な宝探し。
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