/5 キャッチミー・イフユーキャン


「こいつぁオンボロ車だが、シートは一等モンに張り変えてある。座り心地は良かったろ?」


 でもな、と自然に触れ合いそうになった額の間に手を差し込んで、力を入れずに遠ざける。



 映画は既にエンドロールが流れていた。このまま律儀に待っていれば、最後の最後に映るワンシーンがあるのかもしれないが、そもそもこの場所を選んだ動機は映画鑑賞ではない。バツの悪い咳払いのようにビートルが一鳴き。心なし抑えたエンジン音で、そそくさと劇場を後にする。



 次の行き先は言わずもがな。雪菜の宿泊しているホテルの前に愛車を止めると、降りるように促す。


 隔意かくいを持って煙草を銜え、彼女の前では見せることもなかった――あまりにも馴れた手付きで火を点け、紫煙を吐き出す。


 流し目に見た視線の先には、俯いて左手に右手を重ねる女の姿。


 ――それが。甘く咎めて欲しい、と願うようにも見えて。


「あのな、ユキナ」


 がしがしと頭を掻く。


 …………。大事な物は手放すべきだ、とレオは知っている。特に、自分ではない者の命なんかがそうだ。いつでも傍に置いて守ってやれば良い、というのはロマンがあるが幻想だ。ことさら、レオのような悪人には。


 自分の首には値札が下がっている。ソレを狙うことにもまず、資格が必要なほどの高値だ。だから狙ってくる相手はどいつもこいつも一筋縄ではいかないような曲者揃いで。同じように値札が下がったでもあるいまいし、当然値段の付けようもないこの女のような宝物おもいでなんかは、自分の胸以外に置いておく場所なんて無い。


 高額賞金首ミリオンダラーとしての身の振り方をそこまで知っておきながらレオは、


「…………日本だって似たようなモンだろ? 此処に停め続けると捕まっちまう」


 、と。彼女か自分か――おそらくは自分にだろう甘さに観念するように、雪菜をホテルに向かわせる言葉を付け足した。


 俯いていた顔が上がる。


 もう夜も深まっている時間だというのに、その笑顔は朝露にきらめく花のようだった。



 /



 女との別離までを、夢でなぞらえている。


 自分と同じで、本名など知らない女。


 この女に拾われるまでの時間を、どうやって生きてきたのか自分でもわからない。


 覚えているのは、もう取り壊されてしまったボロ屋。座れば軋むような化粧台の椅子。ふたりで寝るには狭苦しい安物のベッドと、同じような安物の香水の香り。


 男に抱かれるのが仕事の女が、自分を抱き枕にして眠る早朝。


『レオ、い~い? そんな仏頂面ばかりしていないで、たくさん笑うようになんなよ。人生の秘訣ってワケじゃあない。アンタは顔が良い。そんで、笑顔が良い男っていうのは、更に得なんだから』


 良い女ベラ、と呼ばれる女は事あるごとにレオの身なりを整えながらそう言っていた。


 一度も訊いたことがなかったから答えは謎のままだった。毎回手抜きだが、きちんと手作りで、そのうちに交代で作るようになった食事。三度もループすれば先に寝落ちてしまい途切れる子守唄。


 それが男に対してなのか、弟に対してなのか、息子に対してなのか。おそらくはどれでもなかったろう。寂しさを紛らわすような関係であったとしても、それをベラの口から答えを告げられなかったとしても、注がれたそれは、どんなカタチをしていたとしても、愛情であった、とレオは理解するだけの人間味があった。


 ――まぁ先物取りめいて食われちまったこともそれでチャラにしてやる、と思えるくらいには彼女に感謝している。実際、ベラに拾われなければそう遠くない将来で潰えていたであろう自分の命だ。


 どうせならもっと高い香水でも買ってやろう。日頃の感謝でもあるし、すっかり馴れてしまったもののそもそもあまり好みではない香りなのだし――とショーケースに並ぶ香水の列を見ながら、その視点は随分と高くなっている事に気付く。



 /


 ――目を覚ます。急速に欠けていく夢の内容はしかし、残り続けるその郷愁が何を見ていたかを教えている。


「……ったく。嫉妬でもされてンのかね? 俺は」


 それで金を取っているので当たり前の心地良さのベッド。左半身にかかる、窮屈ではない重み。清潔な一室を情欲で汚した後の朝。シーツに包まって寝息を立てている、手放すべきだったがついうっかり惜しんでしまった過去の花。


 起こさないようにベッドを抜ける。肌蹴はだけていたガウンを適当に直し、備え付けのポットで珈琲を淹れながら……ルームサービスの方が味は良いだろうが、まだ邪魔されたくないと思ってこうしているあたりガキだよなぁ、と苦笑して。


 そのまま、いつもの習慣で一服しようと、ハンガーにかけてあるジャケットの胸ポケットから煙草の箱を取り出した時、


「んな……っ」


 親の仇のようにぐしゃぐしゃに潰されたソレを見てレオは思わずベッドを振りかえった。


 いつの間に目を覚ましたのだろうか。横向きのまま、胸の前で枕を抱いた雪菜の目だけが、にー、と笑っている。悪戯が成功した時の目だ。


「……煙草は身体に悪いから駄目だよぉ、レオ?」


 などと聞き飽きた言葉を吐く女に、


「…………ここまでの強硬手段取られたのは初めてだわ」


 用を為さなくなった煙草を箱ごとゴミ箱に放り、降参だ、とレオはゆるく両手を挙げた。



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