/3 行き先は告げずに。



 週明けの『予定』までの準備はこれといってするものもなく、(現状でもそうだが)これより数日後には世間を大いに賑わわせる【大強盗】OZのメンバーはそれぞれの日常を謳歌する。それはレオも例外ではなく――もとい、この男が謳歌という点においては最も抜きん出ている、と言っても良かった。




 フィレンツェの街を夕日がそのいろに染め上げる。ばたん、と閉めた愛車のドアを背に煙草を銜えたレオはしかし、それに火を点けずに箱へと戻した。


 ――何もかもが違っている。十年以上も前の記憶とではその街並みも、バーへと走った幼い自分の背丈も、セピアよりも彩度の高いオレンジ色となった視界も。


 それでも目覚めた時に覚えていた夢を想起せずにはいられなかった。


 街の音の一部となりながらも、願望もあったのだろうか。探し物のある者特有の足音が、目当てを見つけて向かって来る音に変わるのが判別できる。夕日の眩しさを遮るためのサングラス越しに、レオはその待ち人へと顔を向けた。


こんばんはボナセーラ。重役出勤お疲れさん」


 それでもなお、それを眩しいとでも言うかのように。外から悟られぬように、サングラスの奥の金眼を細めて。


「……イタリア人はもう少し時間にルーズじゃないの? こんばんわ」


 コ、と。そう高くはないヒールの音を鳴らして、沈みかかる夕日を背に、女は苦笑混じりに挨拶を返す。


「ルーズさ。時間もアバウトだったろ?」


『明日の夕方に』と昨夜取り決めたこの時間は、ではこちらは遅れたわけでもないだろう、と眉を寄せたその女性に、レオは咳き込むように俯いて笑った。


「ハッハ、そうだな。り、待ち遠しくて早く来すぎちまっただけだよ」


「……っ、そう? よく回る口


 おそらくは整えたつもりの、軽く上がった呼吸――時間に後れまいと、本当にアバウトなそのタイミングに、レオを見つけようと早歩きで街を抜けたことまで察された。その上でジョーク程度の軽口で済ませ、悪いのは自分だったと笑って謝罪までするレオに、急いでいたものとは別の理由で彼女は息を詰まらせてしまった。


「ま、なんだ。俺の寿命を延ばしてくれた礼も兼ねて、今日はきちんとエスコートすっぜ」


 なにそれ、とやっと気の抜けた息を吐く姿に、サングラスを取ったレオは車から背を離すと反対側に回り、助手席のドアを開けた。


「煙草一本で削れるンだろ? 何日かは覚えて無ェけどさ。どうぞ」


 シートベルトは忘れずに、と外見に似合わない忠告をするレオに彼女は何を言ったものか、と視線を迷わせてから、その手に従って助手席に収まる。


「……なら吸わなければ良いんじゃない?」


「まったくだぜ」


 ばたん、と閉まる旧型のフォルクスワーゲン・ビートル。


 二十一世紀を迎えて久しい。外見だけではなく中も骨董品な面持ちのビートルの、初めて遭遇するを物珍しげに見て、シートベルトを締める。それを見届けてからレオはキーを差込み、エンジンを回した。


「……変わったね、レオ」


「十ウン年も経ちゃお互いな。背だって伸びたろ?」


「そうね。あの時は同じくらいだったのに。……ちょっとだけ、後悔」


 普段のレオを知る者からすれば驚愕ものの――粗暴さのかけらもない、スムーズな走り出し。いま隣に座る彼女は知る由もないことではあるが。


「何がだい?」


「貴方の隣を歩くって知っていたら、もう少し高いヒールを用意したなあって」


「んじゃ、靴屋も案内しようかねえ。それより先に飯かな。あぁ、古い車だからな、何か聞きたきゃソレ使ってくれ」


 フロントの中央に、現代を生きる女性には逆に使い方のまったく解らない黒い箱――このビートルと同じくらい古臭いCDラジカセを示されて困惑する。


「ラジオが聞きたきゃそこの端のボタン。音楽ならその下だ。マークは今と変わんねえだろ?」


 運転手としてきちんと外界を認識しながら、隣で戸惑いがちに人差し指だけを伸ばした女の姿を視界の端に捉え、あぁそうだった、などと思い起こしてはレオは昔を思い出す。


 知らない土地だったはずだ。だからこっちで育った俺の方に分があって、ほんの少しの時間だったけれど、いろんなモノや場所を教えてやれた。


 ――そんなガキの頃とは違う。髪の色が違うように、きっと彼女の方だって、レオが知らない様々なことを知っていたりして、そういうのはお互い様だということを理解する程度には人生というものを歩んできていた。


 まあラジオでも付けよう、と伸ばした左手をしかし、人差し指だけを構えていた右手が開かれて、そっと降ろさせる。


「やっぱり、いい。久しぶりなんだもの、お話が聞きたい。音は邪魔だと、思う」


「……そうかい。つっても俺の方は察しの通り、マトモな生き方なんざしてきて無ェンだけどな?」


「……悪い男になったってこと? レオは」


「だいたいその通りだぁな。ユキナはどうしてここに?」


 呼ばれた名前に女――雪菜、という名の日本人はまた、息をそっと止めて。


「……。あの時と、おんなじ」


「なるほどな。初めて知ったぜ」


 ……幼い頃は「どうして」などの余分は、お互いに必要なかったのだろう。見慣れない黒髪の日本人の少女がいて、知りたいことは他にあっただけ。


「ま、聞きかじった程度だから信憑性は薄いけどさ? こっちはそっちより治安っつーか、そういうもんが良くは無ェ。荷物スられたりすんなよ」


「お気遣いどうも。……悪い男になったんじゃないの?」


「なったさ。狙った獲物を狙われるのが我慢ならない程度にはな」


「なあにそれ。私の荷物を狙ってるのかしら!」


「旅行費パクって喜ぶほど困窮して無ェよ。だけど、そうな? ……パスポートの写真映りがどんなもんか、気にはなるかな」


「もう!」


 BGMはやはり不要だった。おっかなびっくり、手探りのように探した会話は、それでも相手を求めていつしか花開く。


 少し喋りすぎた、と喉の渇きをどちらともなく覚えた頃には日も落ちて、レオは愛車のライトを点灯させた。


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