/5 Bloodcoat.(k)
「そういやウチって電ドラは撒かないんです? 電子ドラッグ」
【麻薬王】カットラスは応えない。時折後ろを振り返りながらも気の抜けた様子の――寧ろ、正気が抜けたような――護衛に一瞥もくれることなく、ドン詰まりの見えた二階の廊下を早足で歩く。
「あ、俺はやったことないんで。なーんか不健全な感じしません? や、理屈はわかりますけどね。エンドルフィンだかアドレナリンだかの脳内麻薬って既存のクスリよりもよっぽど作用が強いとかなんとかだって聞きますし」
「
「うっす。黙ります。でも一個いいっすか。どうすんですかこれ」
三階は既にキッス=レイン率いるビショップ隊により制圧が完了している。屋外も同様にトゥエリ=イングリッドの本隊、そしてその右腕であるブライバル=ブライバルのルーク隊が一階の制圧を完了させるのも時間の問題だろう。事実、あれだけ大きく聞こえていた戦闘音がぱったりと止んでしまっていた。
――ドニーと二人の護衛の安否など、今更確認するまでもないだろう。今回、不遜にも……いや、並み居るカラーズの中で挑む力を持つおそらくは唯一の【緑】が【麻薬王】に対して行った戦闘行為は、
「……さっきお前が言っただろう」
その、解かりきった結末を。【麻薬王】カットラスは表情ひとつ変えずに、立ち止まった先のドアを開けて。
「
――その手では
/
二人が入った部屋は窓ひとつない空間だった。どことなく戦闘勃発までポーカーをしていたあの地下室と同じ何かを感じる
おそらくは秘密の。この城のような屋敷の見取り図にも乗っていない隠し部屋。だが廊下に続く扉は普通に存在したし、この程度を見逃してくれるほど、色つきのカラーズは甘くないだろう。
扉を閉めて、少年は主を振り返る。【麻薬王】カットラスは、本棚から一冊の本を抜き出したところだった。
「まさか――」
戦慄を隠さない。目を見張る少年の予想を裏切ることなく、抜き出した本を本来あった場所とは違う位置に戻す。――そして、ゴゴンと重い音と共に、
「ああーーーーーーー」
回転ドアの要領で回り、隠し通路を出現させる本棚に<
「いくぞ」
「はい!」
まるで死人が生き返ったかのように目をキラキラさせて続く少年に、カットラスは眉を僅かに寄せると、その先に入っていく。
続く闇の背後で、ゴゴンとまた音を立て、本棚はあるべき位置に戻っていった。
/
暗闇を、足元に等間隔に設置された小さな電灯が照らし出す。それはさながら水族館か、土塗りの壁も相まって宝石を埋め込まれた
螺旋状に下る階段も同じで、絢爛を誇る王の館であることを忘れそうになる。一階分の下降をするまで、どちらも一言も口を開くことはなく。響いていたのは二人分の足音だけだった。
螺旋階段は更に下へと続いていたが、その間に鉄製の扉があった。だが先を歩くカットラスはそれを無視して更に階段を下っていく。
――そうして、隠された地下一階。追撃はついに一度も訪れることなく、王とその騎士は目的地へと辿り着いた。
指紋と網膜による生体センサーのロックを解除し、限られた者の為だけに開かれる扉が開いた。
少年も続く。振り返ることはせずに、歩きながら王はある疑問を問いただす。
「――
「はい? そりゃそうでしょ。あんだけあったら」
「そうだ。ガキが自分を使い潰すのにも多い量だ。しかも一種類というわけでもない。それをどうした?」
「自分用にって分けた部分以外は隠れ家に置いてありますけど。言いましたよねこれ。え、今更返せとかそういうのナシですよボス。ドニーさんとの話し合いってか俺の取り分、契約料って俺がブン捕ったクスリは戻さなくて良いってヤツじゃないですか」
長い通路の先に、また立ち塞がる扉があった。それを背に、男は少年へと振り返る。
「……状況が変わった。ここが駄目になった以上、在庫は多いに越したことはない。お前が言った自分用はあとどれくらい残っている。少し我慢してくれれば、またすぐにでも溺れたいだけ溺れさせてやる」
「ええー……ここに来て増税とか。圧政良くないですよボスゥ……」
肩を落として、不満もありありと見え、だがそれでも「いやだ」とは言わなかった少年に頷くと、カットラスは最後の扉を開けた。
「文句は後で直接言うんだな。仕方ないとはいえ、こうしてオレを最後まで護衛したお前のことだ、評価もされる。正直、ドニーの口添えが無ければピットあたりに使い切られていただろう。オレも一言付け足してやる」
その言い回しに首を傾げた少年の先。広がる空間に明かりを点して、【麻薬王】カットラスは、
「……ボス。<
――否。【麻薬王】カットラスの影武者だった男は、この世界に快楽と破滅をばら撒き続けた本当の主に声を投げる。
メキシコには縁のない例えだが。その様は風鈴に良く似ていた。
/
中空に、吊る物も視認できないのに、
「ボス――?」
「……カラーズには必ず守らなきゃいけないルールってのがあってさ、ボス」
その中で、いっそ楽しげにでも言い放てばさぞ場に合った雰囲気になっただろうに、少年は平坦なトーンで口を開いた。
「自身を賞金稼ぎであると証明する唯一無二のライセンスカードが無い状態で行った場合、たとえ相手がトビラだろうと殺しちゃったら殺人罪になっちゃうんすよね」
だから、助かった、と感謝を述べる。
「
「加えて【麻薬王】は、その密売買のルートを押さえなきゃいけないから、生きて捕まえなきゃいけない。でもほら、見てくださいよボス。うっかりでもなんでも生かしておかなきゃならなかったんですけど、ソレ、どう見たって……ねぇ?」
「
どうやったかなどわからない。わからないが、王の影武者は振り向き様に抜いた銃を少年に向けた。ただ間違いなく、この空間を――本当の【麻薬王】を吊って殺したのは、目の前のこの少年であることを疑わずに、もうその余地も無く引き金を引く。
少年は合わせて後ろに倒れかかった。その際、蝿でも払うかのように左手を振るいながら。コンマの差で胴体があった場所を銃弾が連続して通り過ぎる。内外ともに防弾仕様の扉は、拳銃の弾丸などではびくともしなかった。
そして、その一連の動作の後。過ぎたシーンに追いつくように。
かん、と硬質な何かが男の顎をボクサーのフックのように真横から撃ち抜いた。
それが、少年の指に嵌まった指輪の一つで、その中に仕込まれた糸の仕業であり、その細すぎる、また強靭なソレが、護衛を含めてこの部屋の三人を吊った正体であると最後まで認識できずに。たった一撃で伝達系を獲られた影武者は膝から崩れ落ちた。
「……言っただろ。アンタさえ生きていれば良い。【麻薬王】カットラスは、今までもこれからも、アンタだ」
だけど、と。もはや視界が渦のようにうねっているであろう男を、残った指輪の糸で縛り上げながら続ける。
「クスリはもう手に入らない」
P1から奪い取った――否、正規の手順として譲り受けた無線機から少年の耳に報告が相次ぐ。
これは全面戦争だった。かの【麻薬王】の息のかかった、賞金首の存在する全ての拠点、麻薬の製作工場、大麻園などその全てを、五十ものカラーズグループが同時に攻略を開始、その殲滅の報告だ。
そして、スマートフォンで電話をかける。相手は言うまでもなかった。
「ボス、こちらK1。終わったよ」
封を破って、ラムネを口に放りながら報告をする。
『お疲れ様、アルク。こちらもそれなりに被害が出たけれど、いつも通りお手柄だったね』
カラーズの【緑】。<ザ・タクティカル>チェスの中で、その言葉は目標の完全捕獲、または仕留めた際に使われる言葉だ。
少年は――チェスの<ナイト・ザ・アルク>、
捕らえた影武者――後に公的に【麻薬王】カットラスとなる男を見下ろしながら。
「うん。チェックメイトだ」
此度の戦争の終結を、口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます