#10 Agitato(W)
「
「は。そいつは何よりだぜ、っと!」
チャイルド=リカーはまず、マリアージュ=ディルマから狙った。ネクタイを解きながら踏み込み、相手が女性――それも見目麗しい――であっても平時と変わらない冷徹さでローキックを放つ。手加減は否めない。事実、最初に抜くべきであろう拳銃は未だホルスターに眠っている。けれども容赦無く
「
ゆえに肉薄。長大なリーチと破壊力を持ったエルの
なんとか距離を取らないと、と後ろに下がり続けるも、リカーの追撃が止まらない。
「己たち五色にはカラーズとしての序列なぞ無ェが。個々人の能力はどうかねェ、お姫様」
「うる、さい……!」
ひゅん、と短鞭の先がしなり、跳ねた。
「そら来た!」
その隙間。視界を全て覆う銀色に笑うと、やっとその進撃は止まった。
横から仕掛けたエルが<ジャッジメント>の角度を変え、振るう。交差部分で首を押し込まんとした時。「あっ!?」とマリアージュが短く声を上げる。
「とは言え、どっかの莫迦じゃあるまいし、手前様たち二人を相手に無手っつーのもなぁ? ちと借りるぜ、ディルマ」
エルが瞠目する。今の一瞬の攻防の中で奪ったというのか。バックステップで自ら距離を取ったチャイルド=リカーの手の中に、ネクタイが巻きついた、マリアの日傘があった。
「マリア、あの傘は……」
くるり、とリカーが『仕事』で重宝しているショットガンを回すモーションで日傘を回して具合を確かめている姿に、一抹の不安が過ぎる。
「い、いえ。流石の
「……ふむ。殴ったら折れるなこりゃ。不十分も不十分だが、仕方無ェか」
そして、チャイルドの名がこの瞬間限りはぴたりと嵌まる。彼は完全にの日傘を武器と見立てて、二人に先を向けて笑った。
軽いステップ。
「正気か、チャイルド=リカー!?」
カァン、と盾のように構えられた<ジャッジメント>と日傘の切っ先が甲高い悲鳴を上げる。
「なんだ小僧、知らんのか? 手前様のソレみてえに大層なモンでなくとも――ヒトっつーのは、基本的に何を使ってもヒトを殺せるもんだぜ?」
たとえ行楽用の日傘であっても。その言を証明するように、二度目にして数え切れない刺突の雨が降り注ぐ。
「そら、どうしたクリムゾンスノウ。【翼】の名が泣くぜ? 羽ばたいてみせろよ」
「くッ、チャイルド=リカー……!」
エルがFPを起動させる。光の粉が溢れ出す。
振り払いでは遅い。FPの走空を持ってしても、あまりに突きと比べて距離の問題で遅れを取る。
ばしゅう、と光の尾を引き、<ジャッジメント>の先端が放たれた。同じく突き。日傘の先端と比べるまでもない広範囲。直撃すれば骨折は免れないそれを――
「はッ! 妹を狙われて血が昇ったか、お兄様? ――
「――!?」
ぱしん、という呆気ない音。リカーの胸元に突き出された十字の先が、真横へとズレる。この男――素手で<ジャッジメント>の軌道を逸らしただと――!?
「刀剣でも板きれでも同じだ。腹で切れるようにゃ出来てねえだろうが」
だからと言って、その理を知っているのと実践できるのではワケが違う。この男は――チャイルド=リカーはどれほどの修羅場を潜ってきたのだというのか。
日傘が引かれる。懐に入り込んだリカーは撃たぬわけがない、とばかりにがら空きのエルに向けて切っ先を絞り――視界に入ったもう一人を、やはり見逃すことはしなかった。
「お兄様!」
ディルマが回り込んでいる。姿勢は低い。甘く見積もってやったが、そこを省いて良いと思わせる腰の入りようだ。サムライの抜き打ちめいた短鞭は放たれれば眼で追える速度ではあるまい。積み上げ式のパズルゲームを攻略するように、リカーの思考が手順を最高速で組み上げる。突き出し始めた日傘の右手は今更戻せない。十字架を払った左手には武器が無い。このタイミングではせいぜい指先ひとつを動かす程度の隙間しか残っておらず――
「ま、お約束よな」
その動作で、充分に過ぎた。
日傘の柄に付いたスイッチが押し込まれる。
「「!?」」
瞬間、バンッ! と二人の視界に一気に開く傘。二人同時にチャイルド=リカーの姿を見失い、
「ぐっ……!」
「……かはっ」
二人同時に、鳩尾に掌底を食らって
「落第……とは言わんが及第点にはちと遠いな。補習込みならまだ芽があるっつーところか」
などとのたまうチャイルド=リカー。その学業めいた言い回しの原因が、ここ最近で彼の日常生活に組み込まれたとある少女にあると、二人には知る由もない。
一連の攻防で落とした日傘を拾い、畳んで肩に乗せるリカー。
「言って……くれますわね……」
腹を押さえて顔を上げたマリアージュ=ディルマは、一撃も有効打を与えられなかった現状に不満さを隠すこともなく――
「……あら? あらあら? ……まあ!」
その背後に現れた――恐らくは、自分が良く知る、あるいはもっと良く知りたい誰かの打ったチェックメイトの一手に、確かに一瞬、目の前の脅威を忘れ去った。
/
『レオ、さっき僕が撃った場所までなんとか逃げてくれ』
直線距離ならば100m程。だがこの街中でその場所に辿り着くまでにはその倍は走らないとならない。
まったく、あの弟分は平気で無茶を要求する、と一方的に告げられた無線での指示に、笑った。
「……Hey。マジで気張んねぇと、ココでノックアウト、だぜ?」
ブラック=セブンスターの言葉に合わせるように。
『たぶん、それでこの一戦は切り抜けられる。頑張って』
小さなエールを残し――ぶつん、と。レオの耳で通信が切れた音がした。
/
「……あぁ!? どうなってンだこりゃあ!」
「あれは――【白】と【赤】のカラーズ……!」
果たして、決死の逃避行を繰り広げたレオとマッドハッターはこの場所に辿り着いた。
カカシに示されたポイントは、元【黒】どころではない、現役の『色つき』の
その時。正直もう少しだけ猶予があれば、という甘い希望を塗り潰すように、背後に迫っている足音の主が素っ頓狂な声を上げる。
「およ? チャーリー何してンだよこんなトコで!」
マリアージュ=ディルマはリカーの背後に現れたレオ、マッドハッター、そしてブラック=セブンスターの姿に僅かに呆気に取られると、
数々の視線が行き交いする中で――レオの
「走れ、帽子屋……!」
「このまま突っ込むと言うのか君は……!」
二人のミリオンダラーは止まらない。それを追いかけるもう一人も止まらない。
「マリア、これは……」
エルの確認に頷く。打たれた腹の痛みを無視できないままに深呼吸。
「……うふ」
そして笑う。
「――見つけましたわ、ミリオンダラー!」
チャイルド=リカーが振り返る。それがゴールテープであるかのように、レオとマッドハッターはすぐ横を走り抜け……
「……序列は無くとも個々人の性能には開きがある、か。認めよう、チャイルド=リカー」
冷静を装って、エルが口を開いた。
「……鏡よ鏡よ鏡さん。今、この場で七番と対等に渡り合える者はだぁれ?」
そこに、芝居味たっぷりにマリアージュ=ディルマが声を重ねる。
「<最強>チャイルド=リカーが相応しいかと。……汝と肩を並べた元【黒】のミリオンダラー……七番を仕留めるというのは、我々には荷が重すぎる」
「What’s? おいおいおいどうなってンだこりゃあ……!」
「手ン前ェ……ブラック。なに来ちまってンだよ、クソが」
「というわけでリカー? 一番恐ろしい相手はお譲りいたします。
「ちったぁ隠せよ、ディルマ。……ったく。おい、ブラック。ブラック=セブンスター」
「はいなんでしょうかチャイルド=リカー! ヤだなぁ、怒ってる?」
【白】のカラーズとして、【
「……己を罠にかけるか、OZのリーダー。ハイネは解ってて小僧に連絡をしたのか……?」
ともあれ。
これにて終局。ミリオンダラーの進撃、あるいは敗走はこの場所で終わった。
元々が蓮花寺灰音に肩入れして立ちはだかった【赤】の二人だ。その二人が今更OZのメンバーのひとりであるレオを本気で追い詰めるなどという未来は、どうあっても手繰り寄せられないだろう。
空から視線を戻した後、路地裏に消えていく四人の姿を見送って、リカーは煙草を銜えて火を点けた。
「ふーっ。……先に戻ってろ、兄弟。まんまとハメられたからには、一芝居打って、名目上は手前様を取り逃がしたっつー
「oh……そういう理由かー! こりゃハイネの最善手ってところだな、HAHAHAHAHA!」
ぺしん、とスキンヘッドの頭を叩いてブラックが笑う。
はぁ、というチャイルド=リカーのため息は紫煙と混ざって、重く吐き出された。
/
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……なんとかなったぁぁぁぁぁぁ」
OZを取り逃がした、というお師匠様のメールに、携帯を両手で持った私はずるずるとテーブルに突っ伏した。
「はいお疲れちゃん。ハイネちゃんも頑張ったよなー」
「あぁぁいー。もう、今日だけで寿命が三年は縮みましたよぉ~バドさぁ~ん」
「はいはいヨシヨシ。で、今回の騒ぎって結局なんだったの?」
「えっと、確か……トトちゃん」
「トトチャン?」
「OZの皆さんが飼ってる犬の名前です。その子が、逃げちゃったらしくて。OZの皆さんは総出で捕まえに走ってる、だとか」
「……ハァー!? なにそれ! 今更だけどミリオンダラーってのはホント人騒がせだよなー!?」
まったくです。もう、ほんと何やってるんですか皆さん。
――ともあれ。本当に私ができるのはここまでだ。飼い犬の確保まで手助けする余力が、一度も参戦していないにも関わらず私には残っていないのです。
「……私には何もできない、か。そうだなぁ」
そうしてひとつ。私は――蓮花寺灰音というカラーズが現状、何を武器にすればいいのかということを学んだ。
「なに、どったのハイネちゃん」
「いいえ。これからもご指導後鞭撻、よろしくおねがいします、先生」
/
それでは、今回の幕引きを。
――追いつけない。振り切れない。
アリスとドロシーは拮抗しながら空を走り、振り撒かれた光の粉は街に金色の図面を描いていく。
「見つけた……トト! トトーッ!」
「もう! さっきから何を目指して――犬?」
そして、ドロシーの目指すゴールは移動していた。書管らしき何かを銜えた犬が、一心不乱に街を駆けている。ドロシーの高度が下がる。アリスもそれを追い――最終的に超低空での追いかけっことなった。
(……立体交差――!)
重なり合う道路。アリスは一気に上昇しそれを上から突破するのに対し、
「本当、どういう神経しているのかしら、貴女は……!」
ドロシーは交通量甚だしいそのただ中に身を投じて、強引に走り抜ける。
覆せない距離。追いつけない背中と、何より追いつけない自分自身の不甲斐無さにアリスは爪を噛み……
「トトッ! ダメっ、そっち行っちゃ駄目ぇーーーー!」
あと少し、というところで伸ばした手は、その先に勢い良く跳び出したトトに届かない。
そこから走る道はない。正午の光を浴びて煌く水面。テムズ川の直上を、空を飛ぶ機構ゆえに走り抜ける二人。そして、空など飛べるはずもなく、当たり前のように落ちていく一匹の犬。
「トト、トト――!」
急旋回。最高速度で追いかけたツケが此処に支払われる。そのカットとターンでは、どう足掻いても間に合わない。
間に合うとすれば、それは――FPボード以上の
一瞬でドロシーとアリスの下を通り過ぎる赤い飛行艇。幅広いUの字を描きながら船体が回転する。そのさなかに両手を操縦桿から放して、カカシは川に落ちる寸前のトトを捕まえた。一回転分のローリングの後、テムズ川にかかるロンドン橋を潜り抜けて再び空へと舞い上がる。
「カカシっ、カカシーっ!」
悲鳴とも歓声とも取れるドロシーの声に、カカシは飼い犬の手を取って、ゆっくりと振って見せた。
「……そう。カカシの傍で飛ぶからドロシーもこんな無茶をするようになるのね」
「なに? アリス何か言った?」
「いいえ、別に。……はぁ。精進するとしましょう、わたくしも」
ともあれ、決着は付いたのだった。ただただ、本当に子どもらしい理由付けでドロシーにつっかっかってみたアリスだったが、ふと思い出したように、今回の原因を聞き出した。
「ランはわたくしの負けで良いとして……どうしてこんなことになっているの? 貴女たち」
「あー……えっとね、」
空中。バツが悪そうにドロシーが頬を掻き、今回の騒動の顛末を口にする。
「……。本当、わたくしが言える身じゃないけれど。街の騒ぎに対して求めたモノが小さすぎてよ? はぁ。それで? あの子が銜えてるのが、そのお宝?」
「う、うん。なんかごめんね」
「わたくしに謝るようなことでもなくってよ、まったく。でもまぁ、もう一度貴女と競えたから、それで良しとします。それに、わたくしたちならもっと華麗に盗み出しているだろうし」
「な、なによそれー! ふんだ、アリスなんて結局あたしに追いつけなかったじゃないか! あたしの方が速いってことなんだから!」
「なんですって……!?」
≪Pi。目標回収完了。お疲れ様です、マイスター≫
「うん。レイチェルもお疲れ様。……仲良いよね、二人とも」
≪Pi≫
「さて……トト?」
「勝手に跳び出したりして、駄目じゃないか。次はもう連れて来たりしないし、きちんと反省するんだよ?」
人間の言葉が犬であるトトに、正しく伝わったのだろうか。
はたして、トトは「わかりました」とでも言うように『わん!』と一際大きく鳴いた。
「あ」
当たり前のように銜えていた書管が川に落ちていく。カカシは手を伸ばす。届かない。
やがて、OZが求め奪い、やっとのことで取り返した今回のお宝は、ぽしゃんと小さな波紋を水面に広げて沈んでいった。
「ああーーーー!?」
水没した。水没した。任命状が水没した。これでは価値もくそもあったものではない。
「トトぉ……」
犬は首を傾げて尻尾を振っている。
「もう、もう絶対連れて来ないからね……!」
/
「そうか。了解した、だ」
電話を切って、スズは少しだけ目を伏せた。
彼を中心とした一帯は景観を思う存分変えており、横倒しになったパトカーがバリケード代わりになっていたりと二十一世紀にも関わらず世紀末感さえ漂っている。
搭載した武装も大部分を吐き出し、幾分か身軽になった愛車を旋回させ、その場から離れようとした<壊し屋>に、ウィル警部補は涙混じりの声を投げた。
「けっきょく、おま、お前何しに来たんだよコノヤロー!」
スズは傾いで、わずかに考えた後……
「……犬が迷子になっていた、だ。もう見つけたからおれは行く、だ。世界警察本部警部補殿」
「は? なんだそれェ! そ、それだけでこの状況作ったのアンタら!? 今回だけで幾ら懸賞金跳ね上がると思ってんの!?」
信じらんないですセンパァーイ! と頭を抱えて騒ぎ立てるウィル警部補に肩を竦めると、颯爽とスズはその場を去って行った。
「……サラミは当分、お預けだぞ、だ」
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