Chapter15

 ウィリアムの操る《ウォートホッグ》が砲撃を開始した。それに呼吸を合わせるように、《ワイルドキャット》は建造物の影から躍り出る。


 不思議な気分だ。先ほどまで駄目だと思っていたのに、また勇気が湧いてきた。それも、たった独りドラゴンに立ち向かう、あの高揚した気分ではない。


 もっと冷静に、そして安心感をもって。


 理由など簡単だ。ウィリアムがいるから。

 彼がいる。ミイナがどれだけ向う見ずに突っ走っても、彼の火砲が自分を守ってくれる。


 それだけで、自分はどこまでも戦える。


 《ワイルドキャット》の損害は、驚くほどに軽微である。フライトユニットこそ失ったが、それなら、いつも通りのやり方で戦えばいいだけの話である。

 いつも通り、ウィリアムと一緒に戦うだけだ。


 猫の耳を模したかのような頭部レーダーが、地面と周囲の形状を読み取り、機体の歩行システムを自動的に補正してくれる。故に、走行スピードは並みの《フィギュライダー》を凌駕する。疾駆する姿はまるで人そのものだ。


 サブディスプレイには、常に《ウォートホッグ》の姿が映る。足を止め、ガトリングガンを撃ち続けている。

 彼は自機を囮にして、《ワイルドキャット》が突貫する血路を開こうとしているのだ。


 定石で言えば、機動力に富んだ《ワイルドキャット》が囮になり、攻撃力のある《ウォートホッグ》が敵を叩いた方が良いのだが、ことミイナとウィリアムにとっては、これが定石であった。


 ガトリングガンの鈍い炸裂音が連続する。《ドラゴン》は二条の火線を掻い潜るように飛行する。うねるように宙を舞い、大口を開いて火球を放つ《ドラゴン》。狙いは《ウォートホッグ》だ。


 《ウォートホッグ》の脚部。装甲の一部が開いたかと思うと、前後に無限軌道が展開した。それが地面を焦がしながら高速回転、《ウォートホッグ》の機体が、姿勢をそのままに真横に移動する。高温の火球が装甲を焦がしつつも、危なげなく回避に成功した。


「やるじゃん、流石ウィリアム!」


『今は無駄口叩いてる場合じゃないぞ!』


 《ドラゴン》が火球を連発する。それを紙一重で回避する《ウォートホッグ》。背後の家屋に激突しそうになるのをギリギリでかわすが、家屋は無残にも火球で爆散した。


『ああっ! くそっ、これだから市街地戦ってやつは!』


 《サラマンダー改》の肩部アーマーが開く。せり出したランチャーから《ドラゴン》めがけてミサイルが発射された。


 六発の短距離ミサイルが《ドラゴン》に迫り、間近で爆発する。


 《ドラゴン》の咆哮、動きが止まる。同時に大量の爆煙が舞い、視界を塞いだ。


『今だ!』


 ウィリアムが叫ぶ。

 ミイナは高周波ブレードをセレクトし、頭上の《ドラゴン》に照準を入れた。

 まずは《ドラゴン》の翼を潰す。飛行ユニットがない以上、いつまでも空にいられては戦い難いことこのうえない。


 《ワイルドキャット》をしゃがみ込ませる。腰部に装備された機体固有の推進器を着火すると、機体はわずかな振動を伴ってジャンプした。

 スラスターと新型の人工筋肉で形作られた脚部ユニットは、驚異的な跳躍力を発揮してドラゴンに肉薄する。


 爆煙はミイナの視界をも奪ったが、あくまで肉眼での話である。赤外線カメラは《ドラゴン》の姿をしっかりと捉えていた。


 目標は、巨大な羽の付け根。


「真っ二つだぁっ!」


 構えた高周波ブレードが唸りをあげた。


 そして、一直線に振り下ろす!


―――!!


 痛々しげな《ドラゴン》の叫び。どす黒い液体が吹き出した。


 煙の中から脱出。軽やかに着地する《ワイルドキャット》の傍らに、未だ痙攣する羽だけがのたうちまわる。


 本体――《ドラゴン》は、すでに焦土と化した広間へ、激しい砂埃をあげながら墜落した。

 《ドラゴン》は苦しげに起き上がった。まだ戦意は衰えていないらしく、いまだ口元には赤い燐光がめらめらと燃えている。


 だが、そんな《ドラゴン》の目の前には。


『すまんな、こっちは行き止まりだ』


 立ちはだかる《ウォートホッグ》。弾切れのガトリングガンを放棄した強化アームが持つのは、巨大なアタッシュケースであった。


 いや、アタッシュケースと言う表現には語弊がある。少なくとも、それは何かを収納するためのものではない。紛うことなき《ウォートホッグ》の武器であった。

背部にあったハードポイントに装備されていた武装は、かつての《サラマンダー》にはない新兵器。


 メリッサ・スーが手掛けた携行装備の中で、高周波ブレードに並んでイロモノとされたが故、お蔵入りになっていた重火器。本来なら、その重さから《フィギュライダー》が保持することができず、メリッサ本人も失敗作の烙印を押した出来損ない。


 今は、違う。油圧式駆動関節、それに新型の人工筋肉で過剰なまでの強化を施した《ウォートホッグ》は、通常装備たる滑腔砲の二倍以上の重量を誇るこの装備さえも、難なく取り扱う事が出来た。


 巨大なアタッシュケースからモーター音が響く。その時、ケースに亀裂が生じたかと思うと、アタッシュケースはそこから展開し、せり上がるように長大な銃身を形成する。《ウォートホッグ》の背面から伸び出たサブアームが、脚部パイロンに装着した弾倉を装着し、変形は完了した。


 その名は、一五〇ミリ電磁投射砲。箱を並べたような長大な砲。見るからに鈍重なフォルム。ひどく馬鹿げた最高峰の技術結晶が、今、ドラゴンに向けられる。


『くたばれぇぇぇぇ!』


 《ウォートホッグ》が引き金を引いた。

 モーターの駆動音、強烈なマズルフラッシュ。飛び出した鉄鋼弾は、凄まじいスピードで《ドラゴン》を貫いた。


―――――――!!


 不協和音、《ドラゴン》の断末魔が響き渡る。そして、巨竜は地に臥した。

 ミイナは《ワイルドキャット》を《ドラゴン》へと走らせた。

 カメラを《ドラゴン》に向ける。背中を向けた《ドラゴン》は、背中のど真ん中にぽっかりと大穴が開き、のたうちまわるように痙攣していた。


「すっごい威力……」


 唖然としながらも、ミイナは勝利を確信した。これで倒れない生き物がいたら、それこそ、そんな生物は化け物を通り越してこの世のものではない。


 そう、《ドラゴン》を倒したのだ。


 と、《ウォートホッグ》のコックピットハッチが開く。中から這い出るように、ウィリアムの姿が現れた。


「ウィリアム!」


『ああ……ったく、手間掛けさせやがって』


 《ワイルドキャット》に、ミイナに向かって、ウィリアムが笑いかけた。いくらか疲れている風に見えたが、親指を掲げる元気くらいはあるらしかった。

ミイナは急いで、ハッチの解放レバーを操作する。一刻も早く、ここを出て、ウィリアムに触れたいと思った。


 レバーに手をかけ、引く。


 その矢先、不意にディスプレイに映るウィリアムの表情が青ざめた。


『やめろ、ミイナ!』


 ウィリアムの制止は、一瞬間に合わなかった。

 蒸気の噴出し、ハッチが開くのと同時に、正体不明の振動がミイナのいるコックピットを襲う。


 数瞬遅れて、警告アラームが鳴り響く。


 混乱するミイナ。外界と繋がった正面の視界には何もなく、血の生臭さと、硝煙の異臭。それらが流れ込んでくると同時に、ミイナは信じられないものを見た。

ぬめりとした鱗が、開いたハッチの隙間から覗く。それは《ドラゴン》そのもので、見覚えのある、あの《ドラゴン》の尾であった。


 あの《ドラゴン》、まだ息があったのか。しぶといにも程がある。


『大丈夫か!? ……くそ、この位置じゃあっ……!』


 電磁投射砲を構える《ウォートホッグ》だが、ウィリアムが撃つのを躊躇った。


 《ドラゴン》が《ワイルドキャット》を盾にしているのだ。のみならず、《ドラゴン》は尾を《ワイルドキャット》に巻きつき、ギリギリと締め付けた。

フレームが軋む。即死に近い重傷を負いながら、《ドラゴン》にはまだこれだけのパワーがあったのか。


 揺れるコックピットの中、ミイナは腕部の五連クローを選択する。が、虚しく警告音だけが鳴り響いて、クローは起動しない。


「しまった、腕を縛られてる……!」


 アーム損傷のサイン。縛られた衝撃で、腕が使えない。これでは他の装備を持つこともできない。装備のほとんどがマニュピレ―ターを用いる《フィギュライダー》の弱点が、ここにきて露呈してしまった。


 何もできない《ワイルドキャット》と、撃つに撃てない《ウォートホッグ》。それを嘲笑うように、《ドラゴン》が吠えた。


「何か、何か手段は――にゃあっ!?」


『ミイナ!』


 ディスプレイが割れてスパークした。そこかしこのランプが緑から赤に変わっていく。ダメだ、このままではシステムが落ちる。


「何か、手段は……何か!」


 片端から生きているシステムを探し出し、使えるものを探すミイナ。

しかし、《ワイルドキャット》のあらゆるシステムはダウンしかけて、既に《フィギュライダー》としての機能を失いつつあった。


万策、尽きたか。

ミイナが思わず天を仰いだ、その時――


『絶対に、そこを動くなよ』


 うるさくがなり立てるノイズに乗って、ウィリアムの声がそう告げた。

 はっとしたミイナ。開け放たれたコックピットから、肉眼でウィリアムの《ウォートホッグ》に目をやる。

 敢然と立ちあがる《ウォートホッグ》。長大な電磁投射砲の銃口は、間違いなくこちらへと向けられていた。


(ウィリアム、撃つ気なんだ)


 ミイナは身体を強張らせた。


 《ワイルドキャット》を捕縛したドラゴンは、盾の様に《ワイルドキャット》とミイナをウィリアムの《ウォートホッグ》へと向けている。

 執念深く、そしてしぶとい《ドラゴン》は心臓か、頭を撃ちぬかなければ倒せないと見える。だが、肝心の急所には、《ワイルドキャット》の機体が重なる――


 それでも、ウィリアムは《ウォートホッグ》のマニュピレータを電磁投射砲の引き金にかけていた。


 あの砲の威力は先ほど見たとおりだ。万一ミイナに当たれば、当然無事であるはずがない。


『信じてくれなんて、言える立場じゃないのは分かってる』


 途切れ途切れに聞こえてくるウィリアムの声が、震えていた。


『俺はバカだから、お前の気持ちも、痛みも、気付けなかった。相棒失格だな……』


「っ……なんで!」


 そんなこと言うの? そう言いかけたミイナを遮って、ウィリアムはなおも続ける。


『殴ってくれていい。嫌いになってくれていい。でも、俺は誓うよ』


 《ウォートホッグ》の頭部、カメラに幾何学な走査パターンが走る。ややあって、背中から覆いかぶさるように、ヘルメットのようなユニットが頭部に装着された。精密射撃用のセンサユニットだ。


 それは、ウィリアム・スペンサーという男の、覚悟の証。


「俺は、お前を守りたい」


 ドクン、と大きな音がした。それが自分の鼓動であることに、ミイナは少しも気づかなかった。


 どうしよう、大変だ。こんな状況なのに、生死を分ける場面なのに。嬉しい気持ちが止まらない。

 真っ赤になった頬を、ミイナは両手で覆い隠した。通信モニタが壊れていて助かった。こんな顔、とてもウィリアムには見せられないから。


 でも、初めてかけてくれたその言葉。その言葉だけで。


「……ダイジョウブだよ、信じてる。だから――」


 ミイナは、叫んだ。


「撃って! ウィリアム!」


『……任せろ!』


 刹那、電磁投射砲がパッと光を帯びた。

 音速の何十倍もの速度で大気を突き抜ける弾丸が見えるはずもない。だが、研ぎ澄まされた神経の中、ミイナの視界には迫りくる鈍色の光。確実に、それはミイナへと迫ってくる。


 瞳は逸らさない。瞼も瞑らない。あれがウィリアムの覚悟の具現。ならば、自分はそれを全力で受け止める。


 光が迫る。


 大気を裂く。


 ……風が、ミイナの頬を撫ぜる。


――――――!!


 《ドラゴン》の咆哮が、木霊した。


 力強さはない。あの吐き気を催す邪悪ささえも。ただ、失っていく生気の、最期の一滴。今度こそ本当に、それが《ドラゴン》の断末魔だった。

 まだ辛うじて生きているカメラとモニタが、ミイナに《ドラゴン》の状態を教えてくれた。緑色のごつごつとした鱗を穿ち、巨大な穴が開いている。そこにあるはずの心臓は既になく、赤黒い血液をおびただしく吐き出していた。


 《ワイルドキャット》へのダメージはほとんど見られない。ただ、弾丸が掠めたらしき黒っぽい跡が、機体の肩当たりの装甲に一条伸びているのみだった。

弛緩していく《ドラゴン》の尾。力なく《ワイルドキャット》を離し、その場に倒れ込んだ。


 同時に、《ワイルドキャット》もシステムが停止。オーバーロードした全身から蒸気を吹き出し、その場に座り込んだ。


「やっ……た」


コックピットの中で、ミイナは安堵のため息を漏らし、シートに身を委ねた。


「ミイナ!」


 スピーカーからではない、生のウィリアムの声がした。


 《ワイルドキャット》の足元に彼の姿が見える。肩で息をして、随分と青ざめた表情をしている。心配、してくれたのだろうか。


「あんなに焦って……ウィリアムのバカ」


 こちらを見つめるウィリアムにミイナは笑って、立てた親指を見せた。

 《ワイルドキャット》の膝をよじ登って、ウィリアムがコックピットに乗り込んできた。


「ミイナ……無事か!?」


 ミイナの顔を覗き込むように、ウィリアムが言う。


「ごめん、今はちょっと、力が入らないや」


「なっ……ちょっと待ってろ。ハーネスを外すから」


 言いながら、彼の手がベルトへ伸びる。ミイナはその手に触れた。


「ねぇウィリアム……言いたいことがあるの」


「喋るな、外に出してやるから」


「ううん、今じゃないとダメ……私ね、ずうっと思ってた。キミに言わないと、って」


 ウィリアムの手が止まった。


「でも、言えなかった。だって、私はネコだから」


「おい……」


「亜人だから。私、人間じゃあ、ないから――」


「ミイナ!」


「……今なら、言えるの。お願い、聴いて」


 ミイナはウィリアムの手を握りしめた。途端、彼の手がびくりと震える。俯いた彼の顔は見えない。彼は、どう思っているだろう。軽蔑、するだろうか? ……それでも。


「私、キミの一番じゃなくたっていい。キミが何とも思ってなくたって……いい。でも、キミの……ウィリアムの隣にいたいの。ずっと、キミの相棒でいたいの」


 それでも、言いたい。


「私、キミのことが好きです」


 ウィリアムは黙りこんでいた。金具にやった手が動くことはない。ミイナにとっては、一瞬でも、とてつもなく長い時間が流れているかのようだった。

と、ウィリアムの手がわずか動く。彼は、ミイナの手を振りほどいた。


 ミイナの胸が痛む。ごっそり大切なものを切り抜かれたみたいだった。それでも、彼女にはそれを取り戻す術はなくて――


「先に言われちまった」


 ウィリアムの静かな声が、そう言った。

 一度離れた彼の手が、今度はミイナを強く握り返す。


 ウィリアムがミイナに顔を寄せる。彼の乾いた唇が、ミイナの唇に重なった。それは、硝煙と血のにおいがする。だけど何故か妙に優しい、口づけ。


 ミイナは面食らった。あまりに突然過ぎて、キョトンとしてしまう。


「ウィリ……アム?」


「好きだ、ミイナ」


 まっすぐにミイナを見据えるウィリアムの、真剣な眼差しだった。

 それは何よりも強く、優しくミイナを包み込む。彼は、確かに言ったのだ。好きだ、と。


「う……」


「……う?」


「うぃ~り~あ~むぅぅぅ」


「泣くなよ……あぁ、また妙な傷拵えて……無理、させてたんだな」


 頬の絆創膏を触れながら、ウィリアムが苦笑する。涙で視界が歪んだミイナには、もう、そんな彼の姿しか見えなかった。

 ハーネスの金具を外す。自由になった身体で、ミイナはウィリアムを抱きしめた。強く、強く。


「ずっと、我慢してたんだからぁ……」


「すまん、俺が悪かった」


「謝ったって……謝ったってぇ」


「困ったな、どうしたら許してくれるんだ?」


 頬を掻きながら、ウィリアムが尋ねる。

 ミイナしばし考えて、言った。


「もう一度、キスして?」


 ヘッドギアの隙間から、ミイナの耳が揺れた。

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