Chapter13
ミイナは震えていた。
《ドラゴン》と対峙する恐怖故に?
それも、あるかもしれない。けれど、この震えはもっと違う何かに起因することを、彼女は本能的に理解していた。
こういう感覚は、一度経験したことがある。いつの事だったかと考えて、思いだした時、彼女は笑った。
一年前。そう、初めて《フィギュライダー》のコックピットに座った時だ。自分が巨人になったような、全能感と言ってもいいその快感に、今の緊張は似ている。
以前の《シルフィード》に慣れ、これ以上に扱いやすいものはないと確信していた彼女だったが、今、この機体は、新鮮な驚きと強烈な快感を彼女に与えていた。
それはもう、彼女の本能的な野生を引き出すほどに。
故に、彼女は我知らず目を細め、唇の端を吊り上げた。
「すごい……すごいよ! この子! 《シルフィード・ワイルドキャット》!」
ミイナ・ミニックは、生まれ変わった
機体背部には、戦闘機用のジェットエンジンと、新素材による無段階変形翼が取りつけられ、強烈且つ有機的な推進力を生み出し、本来陸戦機の《フィギュライダー》に飛行能力を付与した。
だが、改良箇所はこれだけに留まらない。頭部に装着された二基の空間把握レーダーが地形情報や大気状態から、逐一適切な姿勢制御を補助し、臀部の長いスタビライザーがそれを実現する。
開発者のメリッサは急ごしらえの機体だと言うが、以前以上にミイナの操縦に忠実に動くようになった《ワイルドキャット》の性能は、十二分に彼女を満足させた。
そう、これならば、《ドラゴン》を駆逐し、ウィリアムを助けることが出来る。
棺桶のように狭いコックピットで、眼前の中央ディスプレイを見据えるミイナ。AIが敵性判定のマーカーを被せた物体、一体の《ドラゴン》の姿が、小さく映し出されていた。
《ドラゴン》はその成りに反して、高い知能を持った生物である。指し物、突然現れた《ワイルドキャット》を警戒しているのだろう。先ほど接近した際に浴びせた手傷も、幾らか《ドラゴン》の判断を迷わせていくらしく、一定距離でホバリングし、威嚇の唸り声を挙げている。
チャンスだ。ミイナは唇を舐め、操縦管を握る両手に僅かばかり力を込めた。
街はすでに火の海である。古い建物の連なりは崩れて見る影もなく、もはや廃墟になりつつあった。それでも、ここは人が住む場所だ。これ以上壊されるわけにはいかない。
そして、その為には先手をとって一撃を浴びせ、極めて短時間のうちに、この《ドラゴン》を仕留めなければいけないのだ。そしてその時は、今をおいて他にない。
ミイナは操縦管のウェイポンセレクターから、高周波ブレードを選択した。《フィギュライダー》が持つ近接装備の一つ。刃渡り十メートルの長大な刀身が、微細な高速振動にて切断を可能にするものである。《ワイルドキャット》のそれは、取り回しの悪さから基地でお蔵入りになっていた試作品である。しかし、ミイナにかかればこの役立たずは、たちまち《ドラゴン》殺しの名を欲しい侭にする魔剣へと変貌する。
背部にマウントされていた高周波ブレードを、ミイナは両マニピュレーターで構えさせる。
マニピュレーターを介して電力を送ると、独特の甲高い音がコックピットにも響いた。
スラスターペダルを踏み込む。
瞬間的に凄まじいGがミイナの身体をシートに押し込めた。目玉が押しつぶされるのではないかという強い衝撃に見舞われながらも、ミイナは決して目を閉じない。
目の前のディスプレイには、羽ばたく《ドラゴン》が見える。それがみるみる間に迫って――
「ぶった斬る!」
マニュアル制御で機体へとモーションを叩きこむ。
《ワイルドキャット》は一直線に《ドラゴン》へと飛翔する。ブレードを振り上げる。
―――――!!
鳴き声と呼ぶには、いささか醜悪なドラゴンの奇声。高周波ブレードが《ドラゴン》を引き裂いたのだ。が、紙一重で回避された。切っ先が《ドラゴン》の細い右腕を断ちきっただけだった。
敵も中々に素早い。だが、隙は作れた。
ミイナは間髪いれず、降り抜いたブレードを返してドラゴンを追う。ブレードの大質量が生み出す慣性力に《ワイルドキャット》は引っ張られそうになるが、体裁きとスラスター制御でコントロールを取り戻す。
猫の尻尾さながらに動くスタビライザーの効果は、想像以上に良好だ。機体が思い通りに動く。操縦管を通して《ワイルドキャット》と繋がる感覚が、今まで以上に明瞭だ。
これは、気持ちがいい!
「まだまだぁ!」
振り上げたブレードが《ドラゴン》の皮膚を裂く。
鋭く突き、疾風のように薙ぐ。攻撃が面白いように当たり、そのたびに《ドラゴン》から鮮血が飛び散る。レーダーも火器管制も、今や無用の長物。ミイナは、視界いっぱいに映る標的に対し、まくしたてるように斬撃を浴びせていった。
この《ワイルドキャット》ならば、如何なる敵も怖くはない。そう、この瞬間、ミイナは最強を手にしていた。
苦し紛れに繰り出された《ドラゴン》の体当たりを、ミイナは軽快な機動でかわす。フライトユニット用に増設された操縦管を軽く引く。《ワイルドキャット》はロール気味に、《ドラゴン》の下方へと潜り込んだ。
「……見えた!」
ミイナは捉えた。先ほどの体当たりで、《ドラゴン》の急所は丸見えだ。もっとも防御の薄いとされる、腹から胸にかけての白い皮膚。決まれば一撃の心臓の部分が、《ワイルドキャット》の前に露わとなった。
その瞬間を、彼女は決して見逃さなかった。千載一遇の好機に、両手をメインアーム操作用の操縦桿に握りかえる。《ワイルドキャット》 に、激しく唸るブレードを腰だめに構えさせた。そして、照準は間違うことなく《ドラゴン》の胸へ――
「倒れろぉぉぉぉ!」
ペダルを思い切り蹴り込む。
フライトユニットの推進力のすべてが注ぎ込まれ、《ワイルドキャット》は体当たりを仕掛けるように、ブレードの切っ先を《ドラゴン》へと突き刺す―― !
「やった……?」
心臓を屠った手応えがない。
代わりに、コックピットを衝撃が襲い、ミイナの脳天を激しく揺した。
深刻なダメージを知らせる五月蠅いアラーム。何が起きたのか瞬時に理解できなかったミイナだが、視界に僅か映った損害報告の表示でどうにか状況を把握した。
《ワイルドキャット》の全体像を表したコンディションパネルから、虎の子のフライトユニットが欠落している。損傷し、誘爆を起こす前にパージされたのだ。そのお陰で本体へのダメージは防ぐことができた。だが、どうして突然、フライトユニットが故障を?
いや、違う。仰向けに落下していく彼女の視界に、あざ笑うかのごとく《ワイルドキャット》を見下す《ドラゴン》が見えた。それは、至ってスタンダードな翼竜のフォルム。長い首。細く小さい腕。巨大な両翼。丸太のような太い脚。
――そして、長い尾。
《ドラゴン》に嵌められたのだと気付いた。あの《ドラゴン》は自分の尾を武器の代わりにし、背後からフライトユニットを叩いたのだ。やつはその隙を稼ぐために、わざと己が弱点を晒した。
やはり、この化け物の知性を甘く見てはいけなかった。狡猾なこの獣は、戦いの駆け引きさえやってのける。
ミイナはその駆け引きに負けた。機体の性能を過信し、《ドラゴン》を恐れることをやめたとき、すでにミイナは勝利の必須条件を破っていた。
高度計は凄まじい早さでゼロに近づいていく。残った通常推力のバーニアを吹かして姿勢制御する。だが、高度計は一向に止まる気配を見せない。
地面に激突する。間に合わない!
先ほどまでの高揚感は瞬く間に消え失せた。取って代わったのは襲いかかる絶望。
「決めたのに……もう負けないって……決めたのに……」
どうしてこうなったのだ。脳裏で反芻するミイナ。いつもなら、もっと上手くやれたはずなのだ。これまでだって、数多くの《ドラゴン》を仕留めてきたのに、どうして、今に限って。
アラームが鳴り響く中、地面が接近する警告音が更に重なり、それらがミイナを余計恐怖へと駆り立てる。本能が死を告げる。意識は奈落の底に追い遣られる。
束の間、彼女は走馬灯を見た。
生まれてから、これまでの記憶が目まぐるしく駆け巡る。
森で育った子供の頃。そして、外に飛び出し、人間の社会を知り、いつしか兵士として戦う事を選んだ。
その時、傍らには誰がいた?
「……ウィリアム」
掠れる声でその名を呟いた。
忘れるはずがない。《フィギュライダー》を駆る時も、その以前も、彼は一人で突出するミイナの背中を、ずっと守ってくれていた。
彼の銃は的確にミイナの討ち洩らしを仕留め、窮地を救っていたのだ。けれど今、ウィリアムは彼女の背後におらず、ミイナはただ独り。
「私……やっぱり馬鹿だ。ごめん、ウィリアム」
身体が弛緩していく。諦めたくない。だが、どう仕様もなく無力なミイナは、操縦管から手を放して――
『ミイナ!』
声がした。雑音が混じる。これはスピーカーの音。
けれど、ミイナが聞き馴れた、大好きな声。
レーダーが、急速に《ワイルドキャット》へと接近する影を捉えた。《ワイルドキャット》と同程度の大きさ。識別は味方。
その名前は、《サラマンダー》。
パイロットは、ウィリアム・スペンサー!
瞬間的に、ミイナの意識が覚醒する。強い衝撃に見舞われながらも、《ワイルドキャット》は静止した。地面に激突する瞬間は、やってこない。
『無事か!? ミイナ!』
先ほどよりはいくらか明瞭になった通信回線が、ウィリアムの声をミイナへと届ける。慌てふためく声は、それだけで彼の表情を想像させた。
ミイナが《ワイルドキャット》のカメラを起動させると、移り変わる視界の中に、《サラマンダー》の顔を捉えた。緑色をしたゴーグルカメラは《シルフィード》の兄弟機たる《サラマンダー》の特徴だ。
「ウィリアム……本当にウィリアムなの?」
『良かった、生きてたか……全く、俺を疑うな』
安堵を取り戻したらしいウィリアムの落ち着いた声音。間もなくして、ディスプレイの片隅に彼の顔が映った。ヘッドセットこそ装備をしているものの、顔は煤で汚れている。
『背中は俺が守ってやる。さあ、もう一度行くぞ』
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