Chapter12

「メリッサか!? ウィリアムだ! ウィリアム・スペンサー!」


『あー、やっぱり。現地から連絡してきた謎の士官というのは、君のことか』


こんな時にも気楽そうな喋り方をするメリッサに、ウィリアムは多少ホッとした。彼女の事だ、何か考えているのだろう。


「状況は芳しくないぞ……大丈夫なのか?」


『うん? 大丈夫かと言われれば、そうだな。良くない』


「おい!」


『まあ落ち着きたまえよ。一応、手は打った。とりあえずは《フィギュライダー》も……』


「整備、終わったのか!? それじゃ、俺も今から戻って――」


『いいよ。君はそこにいてくれたまえ』


 メリッサが遮るように言った。ただ、その言い様は、先ほどまでの冗談交じりのそれでなかった。

 どこか硬質的である。彼を突き放そうとしている様にも思えた。


「しかし、ここで《フィギュライダー》を満足に使えるパイロットは俺とミイナだけだ」


『実を言うとね。私は今、非常に腹が立って仕方ないんだ。君と逢えば、私はきっと君を殴り倒してしまうだろう」


 意味が分からなかった。

 

 メリッサが怒っている?

 

 自分が何をしたというのだ。そもそも、今日は一度も彼女と会っていないのだぞ?

 混乱しかけた頭を振る。思いだそうにも、別段、思い当たる節はない。


『考えても無駄無駄。どうせ、分からんよ。君みたいな鈍感にはね』


 ウィリアムが考え込んだ数秒の空白の時間も、メリッサには彼の思考が筒抜けのようだった。


「……ジョークなら止めてくれ。今はそれどころじゃないだろう」


『ジョークだって? ……ははは、それこそ性質の悪いジョークだな。君は、健気な女の子を一人泣かせたんだぞ? あまつさえ、一生消えない傷を残した』


 受話器から聞こえるメリッサの声は平生を保っている。なのに、それがかえって、彼女の感情の強さを表しているように思えて、ウィリアムは血の気が引いた。


 しかし、彼女は確かに言った。女の子を泣かせた、と。


 メリッサのことではあるまい。彼女は泣くようなタマでないのは知っている。

 そしれアネットは、ここにいるし。今も呆然自失とその場に立ち尽くしている彼女を、メリッサが知る由もない。


 それでは、残るのは――


「ミイナ……?」


『この、馬鹿者め」


 メリッサの呆れた声に、ウィリアムは思わず喘いだ。


「メリッサ、そこにミイナはいるか。いるなら、すぐ代わってくれ」


『直接話せ。土下座でも何でもするがいい。後のことは、私は知らんからな』


 メリッサが言い捨てるのと、どちらが早かっただろう。ほぼ同じである。

 瞬間、耳をつんざく鋭い高音が、辺り一帯を包み込んだ。《ドラゴン》の羽音かと身を固くするウィリアム。


 アネットが狂ったように叫んだ。両耳を手でふさいで、その場にうずくまる。

 彼女の肩を抱きながら、ウィリアムは耳を傾ける……これは、ドラゴンではない?

 少なくとも、羽音とは違う。燃料を燃焼させコンプレッサーを回す。これは、ジェットエンジンの発する轟音だ。

 

 直感に駆られたウィリアムは、指揮所から飛び出して上空を見上げた。

低空を、高速で飛翔する物体が一つ。


 ダークグレーの外装が流線型に機体を包む。そのシルエットはイルカやサメを彷彿とさせる。機体サイズの割に表面積の小さいデルタ翼と二基の後部に備わった二機のジェットエンジンは、まるで戦闘機のようにスマートな印象を与えた。


 だが、戦闘機と呼ぶには、その機体はいささか巨大である。その胴体は、ミサイルを格納するだけにしては、随分と大きく膨らんでいる。


 ウィリアムは目を見張った。あんな機体が基地に配備されていただろうか。しかし、基地の航空戦力はせいぜい戦闘ヘリくらいである。それでは、別の空軍基地から派遣された航空戦力か。しかし、たった一機だけというのは解せない。


 混乱するウィリアムを他所に、戦闘機は高速で彼の頭上を飛び越え、《ドラゴン》へと接近していく。

 真正面から突っ込んでいく戦闘機。大気を切り裂くけたたましい音に、ステルス性能など求めるべくもなく、《ドラゴン》も当然気付く。

 《ドラゴン》が咆哮を放った。その鳴き声は、恐れを知らず突っ込んでくるカトンボをあざ笑うかのようにも聞こえた。


 それでも尚、戦闘機は《ドラゴン》目掛けて突っ込んでいく。


「駄目だ! 奴には火球が――」


 咆哮を上げた《ドラゴン》の大口は、そのまま閉じることなく、のど奥から赤い燐光を生み出した。マグマにも匹敵する高熱の分泌物を高速で吐き出す。

 その《ドラゴン》の火球が飛びだしたかと思うと、赤々と燃えあがり、戦闘機へと放たれた。


 ――直撃、その瞬間。

  

 戦闘機が真っ二つに割れた。

 見たことか。彼は歯噛みしたが、すぐにその考えを改めた。機体の挙動は、破壊によるものではない。


 それまでの機体前面を覆った装甲板はせり上がる。機体は即座にその姿を変えていく。全てが外装が継ぎ目に沿って移動していく。これは、変形だ。


 ものの数秒、つい先ほどまで航空機だったその機体から、懸架された巨大な人型が姿を現した。航空機に、《フィギュライダー》が内蔵されていたのだ。

 それまで《フィギュライダー》を覆っていた一部の装甲板や機材がパージされ、残ったジェットエンジンが、太いアームに支えられ機体の腰部へと移動する。そして、せり上がった装甲板の一部は機体に残り、蝙蝠の翼のような形状となって《フィギュライダー》に装着された。


 空を飛ぶ、《フィギュライダー》。


 信じられないことだ。ウィリアムは今まで、《フィギュライダー》とはあくまで陸戦兵器と決め込んでいた。技術的にも、あれだけの巨躯を空中で安定させることは不可能だと言われていた。


 それが今、実際ここにある。


 《フィギュライダー》は、大振りな翼を軽く動かす。すると機体は急速にバンクし、肉薄する《ドラゴン》の二発目の火球を紙一重で回避した。

 アフターバーナーを用いた《フィギュライダー》はさらに加速し、ドラゴンを捉えた。


 一閃、肉を切り裂く音。


 《フィギュライダー》の椀部から、鉤爪のような五本のブレードが搭載されていた。それが展開されて、《ドラゴン》の腹の辺りを引き裂いたのだ。ドラゴンは、痛みに猛り狂う奇声を上げる。


 あの機体は、速い、のみならず、巧い。


 よほど《フィギュライダー》の操縦に長けたパイロットでなければ、こうはいくまい。それに、あれは今、未知の空中戦を体験しているのだ。

 彼が知る限り、《フィギュライダー》をこうも使いこなせる技量をもったパイロットは、一人しかいない。


 やっと速さに馴れたウィリアムの目は、ようやく《フィギュライダー》の全体像を捉えた。線の細く頼りない《ワイバーン》とは違う。

 それは彼が戦場でいつも目にする機体。ミイナの《シルフィード》だった。ただ、これまでの《シルフィード》とはシルエットが異なっている。新たに付加されたパーツのせいだろう。背部に装着された飛行用のユニットだけでなく、頭部には二基のブレードアンテナがさらに大きい形状に換装されている。そして、機体臀部には有機的に稼働する細長いパーツが装着されていた。それはまるで、猫の耳と尾を彷彿とさせる。

 そう、あの《シルフィード》を駆る少女のように。


『気がついたかい? ウィリアム』


 手に持った受話器から、メリッサの通信が響く。


『ミイナは強い娘だよ。だが年相応の少女だと言うこと、忘れてもらっちゃ困る』


「……ああ、知ってるよ」


『知ってたら、彼女が泣くものか』


「知らなかったのは、俺自身が馬鹿だったってこと、なんだろうな。きっと」


 受話器の向こうで、メリッサはしばし黙り込んでいた。けれど、すぐに笑い声がウィリアムの鼓膜を叩く。


「だったら、行って彼女にそう謝ってくるといい。丁度、君へのプレゼントもそちらに届く頃合いだ」


「プレゼント?」

 

 ウィリアムは首を捻った。しかし、答えはすぐに見つかった。

 今も《ドラゴン》と戦いを続ける《シルフィード》とは別に、ジェットエンジン特有の騒音が、空の彼方から轟いた。

 基地の方角からダークグレーの物体がこちらへと飛んでくる。


 なるほど。あれが、プレゼントか。


 ウィリアムは受話器に向けて、笑った。


「感謝する、メリッサ」


『だから、それはミイナに言ってやることだ』


 違いない、と呟いて、ウィリアムは持っていた受話器を放り投げた。時間は一瞬でも貴重だ。

 不時着気味に着陸段階へと走った飛行体へと走り出す。その時――


「待って!」


 彼の袖を、何者かが掴んだ。


「待ってください、スペンサー様……」


 アネットのか細い震える手が、ウィリアムを止めた。


「こ、ここから逃げるのでしょう? なら私も……」


「君はここにいろ。逃げるより、まだ安全なはずだ」


「ではスペンサー様も!」


「俺は行かないと。あいつが、待ってるんだ」


「また……猫ですか?」


 今のウィリアムには耐えられぬ言葉に、思わず振り返る。或いは、アネットの頬の一つも叩いたかもしれない。が、彼女の顔を見たとき、その激情が、一時消え失せた。


「お願い……行かないで……」


 悲痛な声。震えて、引き攣った恐怖の表情。彼女は怯えていた。

 ああ、そうか。ウィリアムは奥歯を噛み締めた。

 

ウィリアムの態度が、決断が、もう一人の少女を危険に至らしめた。何ものであっても関係ない。恐怖に震える女の子が、ここにいるのだ。


 ウィリアムという人間の人格が関係したが故に、である。

 散々な優柔不断の末に、もたらされたのがこの結果か。


 だが、思う。後悔した先に何があるのか。それで、自分が不幸にした彼女たちに報いることができるのか。


 もう、後戻りすることはできない。


 冷たく震えた手を、ウィリアムは引き離した。


「逃げろ、アネット。俺は、行く」


「……様ぁ……スペンサー様ぁ!」


 背後に響く渇いた叫び声がウィリアムの心を引き裂く。それでも、彼は走りだした。

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