Chapter11

 街はさながら地獄絵図の様相を呈していた。

 《ドラゴン》に襲われた経験のない住民たちは、半ば恐慌状態に陥って、半ば思考することすら放棄した。

 ただひたすら、《ドラゴン》から逃れようと走ることしかない人々は、片端から街の燃え盛る炎の中に取り込まれ、崩れる建造物の下.きとなり消えていた。

街はすでに半分近くが火の海である。


 それでも暴れることを止めない《ドラゴン》は、動くもの、止まったもの、自分より大きいもの小さいもの、生物無生物に関係なく、強靭な爪や牙、口から吐き出す火球により塵芥へと変えていく。


 かの生物に、果たして本当に理性と呼べるものが存在するのかと疑ってしまうが、その破壊衝動たるや、凄惨を極めた。

 しばらくして、戦闘ヘリや戦車といった戦力が多数の兵士と共に到着したが、状況は対して変わらなかった。

 ヘリの持つ機動力も、戦車の攻撃力も、《ドラゴン》と対峙するには、まだあまりに非力だった。


 《ドラゴン》の翼から生まれる推進力にヘリは追従できず、背後を取られれば瞬く間に切り裂かれて墜落する。戦車の滑空砲は力及ばず、分厚い皮膚を削ることもままならない。 

 

 勝ち目のない、一方的な戦いが続く――


「だから、俺は《フィギュライダー》隊のウィリアム・スペンサー中尉だ! いいから基地司令を呼べ! いない!? じゃあアイリス・スーは! 今手が離せない!? ふざけるな! くそっ」


 悪態をついたウィリアムは、苛立ちの余り受話器を床に叩きつけた。それを傍らの士官が弱った風に見つめるが、ウィリアムが睨みつけると、すぐに目を逸らした。

装甲車両のコンソールと分厚い防弾ガラスの向こうには、赤い炎と煙が濛々とのぼる崩壊しかけた街があった。


 ウィリアムとアネットが何とか逃げおおせたのは、彼がドラゴンの習性を知っているからに他ならなかった。当然、すべては経験則の為すところである。でなくては、とっくに《ドラゴン》による狩りの獲物となり、今頃は二人揃って奴の胃の中か、さもなければ街の片隅で灰の塊となって風に舞っていたことだろう。


 その末に、ようやく先発隊との合流を果たしたが、状況は大して好転しなかった。

戦力を大幅に削られた前線はすでに混乱の極みにある。いかなる作戦も《ドラゴン》には通用せず、闇雲に弾薬と、燃料と、そして人命を消費するだけと化していた。

 何とかせねばならない。だが、ウィリアムがいるのは、《ドラゴン》からいくらか離れた程度の簡易指揮所である。それも、テント張りのいつまで保つか知れない脆弱な場所だ。

 出来ることはあまりにも少なく、ただ、大人しく増援を待つほかない。


「《フィギュライダー》さえあれば……」


 ウィリアムは毒づくが、その希望が叶うことは決してないと、彼は知っていた。

 基地へとたどり着くには車でも三十分はかかる。それから《フィギュライダー》に、搭乗し、またここまで戻ってくるのに三十分。その頃には、もう街は影も形もなくなっている。


 いやそもそも、無事にここから脱出できるかどうかも怪しいものだ。《ドラゴン》は今も、この街のエサを逃がさぬように目を光らせている。その中を、あの化物の追撃をかいくぐって突破できるのか。


 逡巡が折り重なってウィリアムの足を止める。如何すればいい?何が正解なんだ?

 考えれば考える程、深みにはまる。

 思わず、考えてしまう。


 こんな時、ミイナ・ミニックならどうするだろう、と。


 彼女はいつも自由気ままに行動する。腹が減れば飯をたかるし、眠ければどこであろうとも横になる。猫そのもの。

 けれど、そんなミイナの勘は何故かよく当たった。敵の呼吸、戦場の空気、そういった感覚的なものを読むのが抜群にうまかった。


 彼女はそれを「野生のカン」と呼んでいた。


 ウィリアムはそんなミイナを茶化していたが、事実、彼女は本能的に最良の手段を導きだすのだ。


 だから、ウィリアムは迷いなく行動することが出来た。常に強く振舞えた。

 けれど今、ここにミイナはいない。誰にも頼ることはできない。

情けない。これが竜殺しのエキスパートと言われた男の姿か。

知らなかった。ミイナ・ミニックと言う少女が、自分の中でこれほど大きい存在になっていたなんて。彼女が傍らにいないという事実が、ウィリアムを強く締め付ける。


「どうしてさっさと駆除できませんの! この体たらく、あなた方は本当に栄えある検疫軍ですか!」


 アネット・ウェルズリーのヒステリックじみた叫び声が響いた。無理もない、《ドラゴン》の比類なき力を見せ付けられれば、慣れない者は皆こうなる。

 しかし、額に脂汗を浮かべて、両目を見開くアネットの態度は、いささか常軌を逸してた。


 強い力に庇護されて、欲しいものは片端から与えられる。だれも自分の意見に逆らわない。そうやって育った彼女の感性に、果たして《ドラゴン》はどういう風に映ったのか。


 あの生物に、あらゆる願望は通用しない。それはすなわち、台風や地震に対して救いを乞うのと同義である。


「ウィリアム様、どうにかならないのですか!? 早くあの化物を殺さなくては!」


アネットがウィリアムの腕を掴む。


「無理だ。この戦力では、被害を食い止めるのがやっとだ」


「そ、それじゃあ、お父様に連絡して早急に増援の派遣を……」


 名門ウェルズリーの施設軍隊でも呼び出すつもりか? しかし、それが何になる。検疫軍の戦力とて張子の虎ではないのだ。それが束になってもかなわない相手なのに。


 ウィリアムは辟易して、溜息をついた。この少女は何も分かっていない。分かろうともしない。ただ、自分の思うとおりに物事が進まず、駄々を捏ねる子供だ。


「……撤退ですわ」


 不意にアネットが呟いた。


「撤退なさい! このままじゃ総崩れなのでしょう!? 早く逃げなくては、死んでしまいます!」


 現場指揮官に向かって叫ぶアネット。彼の胸倉を掴んで突っかかるアネットは、まさに死の影に怯えていた。

 けれど、彼女の願いが聞きとめられるわけはない。


 彼女は確かに大貴族ウェルズリー家の一人娘。だが、ここでの彼女は一下士官で、彼女がたてつくのは遥か上の階級に位置する士官である。

劣勢の指揮官という立場もある。士官は腹立たしさに顔を歪めて、アネットを跳ね飛ばした。強い力に弾かれたアネットは、ウィリアムに抱きとめられ、なんとか無事だった。


 しかし、その心は。自尊心に肥大化した彼女の精神は、決して無事ではない。


「わ、私を誰だと……私は」


 呆然とした風に呟くアネットを、ウィリアムは無理やりに手で制する。


「申し訳ありません、中佐。部下の非礼をお詫びします」


「ふん、《フィギュライダー》のパイロットとは皆こうなのか? だとしたら、軍としては考えものだな」


 皮肉は甘んじて受けるしかあるまい。ウィリアムが小さく一礼すると、士官は鼻息を荒くして奥の指揮所へと帰って行った。


「スペンサー様、何故止めるのです! 彼は私を侮辱したのですよ!?」


「いい加減、分かれ!」


 思わず怒鳴った。アネットはウィリアムの形相に、びくりと肩を震わせた。


「ここは軍隊で、戦場なんだよ! 家柄も名前も関係なく、人が死ぬ場所だ! 一々戯れている暇はないって、何で分からない!」


 これまでの怒りが爆発した。それは、アネットの事だけではない。不甲斐ない自分の判断や情けなさ。軍の不振ぶり。

 それに、ミイナ。そのどれもが、感情のささくれを逆なでした。


 溜まりに溜まった鬱憤をぶちまけたのがアネットと言うのは、しかし、ウィリアムの間違いであったかもしれぬ。

 後に残ったのは、修復しがたい冷たい空気。気がついた時には、もう遅い。


「……俺は……くそっ」


地面を力いっぱい蹴っ飛ばす。足に伝わる痛みと痺れが、最低だと呟くように、ウィリアムを責める。こんな少女に声を張り上げるなんて、どうかしている。


(考えろ。今の俺には何が出来る……どうすれば……)


 せめて、《フィギュライダー》の一機でもあれば、もう少しマシに戦えたかもしれないのに。


 だがその時、ウィリアムが投げつけた通信機が、急に鳴り出した。

 ウィリアムはとっさに、受話器を取り、回線を開いていた。


『ハローハロー、こちらはメリッサ。誰かいないか?』


 聞いたことがある少女のような甲高い声。しかし、その割に人をくったような、冗談めかした口調。


 間違いない、メリッサ・スー!

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