Chapter10

 本当なら、生身のままでも飛びこんでいきたいと思う自分がいた。《フィギュライダー》に駆る以前の自分なら、そうしていたかもしれない。


 先行する部隊の偵察画像が、ミイナにも届けられたのだ。


 ひどい有様だった。すでに街を形作る建物の半分は燃え落ち、炎の渦の中を逃げ惑う人々が、半ば力尽き路上に臥す人々が、その写真にはありありと映し出されていた。


 それだけでも、全身の毛が逆立つ勢いである。が、その写真の中に写った者の姿に、ミイナはいてもたっても居られなくなった。


 ウィリアムがいた。顔を煤で汚しながら、身一つでドラゴンの前に姿をさらけ出していた。きっと、避難に急ぐ人々の時間を稼ぐため、囮となっているのだろう。

 彼は、この瞬間までは少なくとも生きていた。


 しかし、今は?


 そう考えると、ミイナは正気を保つことさえ難しくなりそうだった。


 だって、自分はまだ彼に何も告げてない。

 自分の覚悟も、彼への想いも。何一つ、言葉にしていない。


 今すぐにでも駆けつけて、彼の手を握りたかった。

しかし、《ドラゴン》を凶暴で、強力だ。所詮、大きな耳と長い尻尾があって、人間よりいくらか運動神経が良くて頑丈、という程度のミイナでは、勝ち目がない。


 けれど、《フィギュライダー》なら?


 《ドラゴン》の破壊的な一撃に耐えることができ、避けることができる。そして、分厚い皮膚を切り裂くことができる。この機体なら、自分の非力を遥かに補い、打ち勝つことが可能なのだ。


 今はその気持ちだけを胸に、ミイナは高鳴る鼓動を抑えて、出撃の時を待っていた。


「教官!」


 まだ幼さを捨て切れない少年の声だった。この場でそう呼ばれる立場の人間はミイナしかおらず、必然的に、彼女は自分を呼ぶ声に振りかえった。

ミイナより身長は高くとも、顔にはまだ年相応の線の細さを持った少年少女が整列していた。ミイナとウィリアムが休暇を返上して教導してきた訓練生たちだ。

 その中の一人、リーダー役を務める少年が、ミイナの前に出た。強張った体を直立させ、その表情は硬い。


「教官、僕たちも出撃させて下さい。僕たちだって《フィギュライダー》乗りなんだ。《ドラゴン》がすぐ近くで暴れているのに、指をくわえて見ているだけなんて……た、耐えられません」


 彼らの表情は、一様に緊張の色が濃い。が、裏を返せばそれだけ、自分の言葉に忠実だということだろう。嘘偽りは一切ない。それは、分かる。


 だが、彼らの具申を許すわけにはいかなかった。

 ミイナは少年に歩み寄ると、彼の胸を軽く押した。

 何と言うことはない。彼はいとも容易くのけぞり、その勢いでたたらを踏んで後ろに退いてしまった。まるで老人のようにふらつく少年を、他の訓練生たちがなんとか支えるといった具合だ。


 彼らの身体が強張っていたのは、気負い過ぎだけではあるまい。命のやり取りをする限り、恐怖は常につきまとう。まして、兵士として未熟な彼らに、戦う覚悟を決めることは酷だろう。訓練生たちの足の震えを見れば、それは一目瞭然だ。


「残念、君たちにはやっぱりまだ無理みたいだね?」


 ミイナは諭すように、訓練生に言った。ガチガチに緊張しきった彼らを《フィギュライダー》に乗せるわけにはいかない。教官としても、同じ《フィギュライダー》乗りとしてもだ。


 認めたくないだろうが、心の底では気付いている筈だ。だから、彼らは誰もミイナの言葉に反論せず、目を伏せた。


 けれど、今はそれでいいとミイナは思う。彼らの感じた悔しさとやるせなさが、いずれ彼らにとって大きな力になる。今よりも多くの人を助けることができる力になるのだ。


「だから、ね? 君たちには私の戦いを見てて欲しいな」


 ミイナは柔和に笑いかけた。


 戦うと言う覚悟の意味を、彼らにも知ってほしい。

それを教えるためには、こんなことぐらいしかできない。

 けれど、彼女が教えてやれる一番大切なことは、きっとこれだから。

 訓練生たちは、最初こそ納得がいかなさそうに目をそらしたが、その内、意を決したように頷きだした。


 全員が同じ意見に達したと確認すると、リーダー格の少年は自分の足で立ちなおす。震えの消えた彼は、ほんの少し大きくなったようにも見えた。


「分かりました。僕たちは教官の戦闘を最後まで見届けます。でも、約束して下さい。絶対に帰ってきて、また僕たちを教えてくださると」


 ミイナは少しだけ驚いた。

 教官が、猫耳のついた自分のような亜人では、きっと認めてもらえないと思っていた。それに、厳しく接してきた。訓練で何度叩きのめしてきたしれないくらいだ。嫌われているとさえ思っていた。

 だから彼らの言葉は、ミイナにとって存外に嬉しかった。


「うん……うん! 絶対に、ね! あ、そうだ」


 ふと思い立ったことを、ミイナは口に出した。


「帰ってきたら、みんなのお願い、何か一つだけ聞いてあげる」


 彼女にしてみれば、最近べらぼうに扱き倒してきた訓練生たちを少しでも労ってやろうという気持ちから出た言葉だった。上官として休暇届にサインの一つも書いてやろう、程度のものだったが。


 訓練生たちが、目に見えて色めきたった。


「え? なに? ……どうしたの、みんな?」


「これは、いや、その……」


 突然の事態に、リーダー格の少年も困ったようにお茶を濁す。


「教官! あのう……僭越ながら、では……」


 と、いくらか五月蠅くなった感のある練習生の列の中から、一人、気の弱そうな.年が挙手した。その表情は、どこか気恥ずかしそうである。


「は、恥を忍んでお願いします。よろしければ、お耳を触らせていただけませんか?」


「……耳?」


 気の弱そうな少年は、顔を真っ赤にしながら頷いた。

 すると、タガが外れたように、他の訓練生たちも、我先にと手を挙げだした。


「お、俺も!」


「僕も、お願いします!」


「私、一度でいいから触ってみたかったんです!」


 突然のことで、ミイナは目を丸くした。訓練生たちはと言えば、戦闘前の緊迫した状況だというのも忘れたように、全員でミイナを囲む。まるで、そこいらにいるごく普通の子供たちと変わらない、年相応にはしゃぐ少年たちが、そこにいた。


「……んー」


 ふと思いついて、ミイナは自分の耳を動かせて見せた。くすぐったい時と、眠気が訪れた時にやる仕草だ。彼女にはなんてことのない生理現象の一つである。


 の、だが――


「お~!」


 歓声をあげる訓練生たち。

 こんなに驚かれるのは、ちょっと新鮮だ。何と言うか、面白い。


 何だ、亜人の扱いも、それほど悪くないではないか。そう思える嬉しさが、今の彼女に芽生えていた。

これは気合を入れて応えてやりたい、なんて、意気込む反面……さて、困った。


「うーん……悪いけど、それだけは駄目なんだ」


 ミイナは頬を掻いて、苦笑した。


「一体何故ですか……宗教的な理由?」


「触ると、ば、爆発するとか……」


「あ、もしかして……ぽっ」


 残念ながら、全回答不正解である。

 ミイナは胸に手をやり、目を閉じた。

 真っ暗な視界に、彼の姿が浮かび上がる。戦場の緊迫した顔も、プライベートの優しい笑顔も、全部を思い出せる。


 ウィリアム。彼女の、最も大切な人。


「決めてるの。この耳を触っていいのは、世界でただ一人、私の一番大事な人だけだ、って」


 訓練生たちは顔を見合わせる。しばし、小首を傾げたが、間もなく得心がいったように、誰かが笑った。


 そして、声を合わせるように全員が口にしたのはただ一言。


『それじゃあ、仕方ありませんね』


 そんな時であった。メリッサの怒鳴り声が響いたのは。


「ミイナ! そろそろヒロインの出番だぞ!」


 また、ミイナの尾がピンと立ちあがる。

 その仕草は、彼女にとっては臨戦態勢に差し掛かるそれだった。

すなわち、彼女が野生の本能を取り戻す前兆である。


 訓練生たちに見送られて、ミイナはメリッサのもとに向かった。


「また無茶につき合わさせられたな、ミイナ君」


「ご、ごめんねハカセ。でも、私やっぱり」


「ん、まあいい。これからキミにも、私の無茶に付き合ってもらうからな」


 メリッサはにんまり笑うと、あごでくいと視線を促した。

 その先にはミイナの愛機、《シルフィード》が屹立している、はずだった。


「なにこれ……ええ!? 何これ!」


 ミイナは目を丸くして叫んだ。


 それは彼女の良く知る巨人である。ダークグレーの装甲板も、ツインアイのフェイスマスクも、彼女はずっと慣れ親しんできたはずだった。そのはずだが――


 ミイナの反応に満足したのか、メリッサは得意げな顔で言った。


「性能はぶっつけで試してみてくれ。こいつは、君のために作った機体だ」

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