Chapter9

「傾注(アテンション)!」


 当直士官が声を張り上げると、間髪入れずハンガーに詰めた全員が立ち上がり、強張った敬礼をした。

 緊急招集されたのは、一時的だが《フィギュライダー》部隊を指揮するメリッサ。部隊を構成する『予定』の練習生たち。戦闘支援をおこなう歩兵中隊。


 そして、ミイナ。


 召集のサイレンが鳴ってすぐに営倉から出ることを許可されて、今は訓練生を統率するように最前列にいる。


 これまで通り、と言う訳にはいかない。頬に貼ったガーゼはまだ剥がせず、その痛々しい処置跡を訝しんで、誰もがミイナを奇異な目で見ていた。


 ウィリアムとアネットの姿はない。まだ戻ってきておらず、それだけがミイナの気を少しだけ乱した。

 ミイナは控えめに周囲を見回した。全員の面持ちは極めて硬い。


 まだ緊急招集の理由は聞かされていない。だが耳聡い兵士たちは既に情報を掴んでいるようで、いささか穏やかでない話が流れていた。


 《ドラゴン》が、付近に出没したのだという。

 基地付近の市街地を《ドラゴン》が襲撃するなど極めて希有なケースだ。《ドラゴン》とて馬鹿ではないから、わざわざ好き好んで攻撃力のある施設を襲ったりはしない。


 だが、どうやら今回は勝手が違うようだ。


「諸君、事態は一刻を争う」


 基地司令の緊張した声が響いた。彼が手を掲げると、脇に待機したスタッフが頷き、プロジェクタを起動させた。


「今から十分前のヒトナナマルマル。基地東部のカンシュタットで《ドラゴン》襲撃が発生しました」


 プロジェクタに接続されたラップトップを操作しながら、担当の若い士官が報告を始める。


「対象の《ドラゴン》は三十メートル、翼持ちのジャバウォック級と判定しました。現在は戦闘ヘリによる阻止戦を展開していますが、消耗率は三十パーセントを超えました」


 つまり、押されていると言うことだ。《ドラゴン》にダメージを与えることができず、その場に釘づけにしておくのがやっとなのである。

 そして、ヘリ隊は圧倒的なスピードで戦力を削がれている。このままでは、じきに全滅してしまう。


 街には《ドラゴン》だけが残り、再び破壊の限りを尽くして、辺りを焦土へと変えていくのだ。


 報告が終了し、プロジェクタには市内の戦力配置図と、《ドラゴン》の予想進路が映し出された。気の早い観測班の予想では、三十分後にはこの基地まで《ドラゴン》がやって来ることを知らせていた。


 重苦しい雰囲気があたりにのしかかる。


 三十メートル級と聞いて、さしものミイナも息を呑んだ。この前、ミイナとウィリアムが討伐した《ドラゴン》でもせいぜい十五メートル弱。今回のやつは、その二倍ときたものだ。巨大兵器の《フィギュライダー》をもってしても、そのサイズは大人と子供ほどはある。


「対象の脅威度は極めて大である。我々は、本基地に配備中の《フィギュライダー》を全機投入することとした」


 恰幅の良い基地司令が勢いよく宣言した。


 瞬間、ミイナとメリッサを除くその場の全員が騒然とした。訓練生たちは隣同士、顔を見合わせ、不安を口にしている。


「無茶だよ」


「みんな知っている。知らんのはあのハゲだけだ」


 ミイナが小声で呟くと、隣でメリッサが辟易したように毒づいた。


 常識的に考えれば、無理な作戦だ。訓練生たちは、まだ実機に搭乗して一週間と経ってい。言うなれば赤子同然だ。そんな彼らを、突然、強敵のいる戦場に放り込もうと言うのだから、これはもう、死にに行けと命令されているようなものだった。


「十二機の《ワイバーン》は三機編成で四小隊を組め。四方向から包囲し、砲撃にてこれを排除せよ。白兵戦は、これを厳に禁ずる」


 つまりは、寄ってたかって《ドラゴン》を遠方からチクチク攻撃せよということだ。数に頼んだ物量作戦である。


 が、ミイナは顔をしかめた。それでは《フィギュライダー》のメリットを半分も活かしきれない。高い機動力で敵をかく乱し、走りながら撃つ、斬る。それが出来るのが《フィギュライダー》であり、戦車などの現用兵器とは異なる点だ。


 だが、今の作戦では《フィギュライダー》を使う意味はない。


「さもありなん。誰も《フィギュライダー》の運用などしたことがないからな。ここで《フィギュライだー》を上手く扱えるのは……」


 火のついていないタバコを咥えたメリッサ。横目にミイナを見、にっと唇を吊り上げた。


「私と君だけだ」


 然り。《フィギュライダー》に関しては、ここにいる誰にも負けない自信がある。ミイナもメリッサと同じように破顔した。


「さて、質問は?」


 憮然とした顔で訓練生たちを見回す司令官。だが、誰も黙りこくって、質問など一つもない。当然だ。彼らにそんな余裕はない。真っ先に死地へ赴くのは誰か、皆が疑

 心暗鬼に陥った中で、正常な判断が出来る者はいなかった。


 が、その沈黙した場で、ミイナは彼女の細い手が上げた。皆の視線が、ミイナに突き刺さる。彼女はほんの少し、気恥ずかしさから身体を小さくしたが、すぐに思い直して立ち上がった。


「何かな。ミニック少尉」


 司令官は煩わしげに問い返す。その声にはいささか棘があった。ミイナは鳴れている。古い人間にありがちな、亜人嫌いのそれだ。だが、怖気着くわけにも行かない。


「はい。今回の戦闘、出撃は私一人で十分です」


 ミイナはきっぱりと言い放った。

 今度こそ皆自分の耳を疑った。何を馬鹿な事を、と。

 あの司令官もこめかみに青筋を立てている。身を乗り出してミイナを睨んだものだった。


「理由を、聞こうか」


「戦うのは市街地でしょう? 遠くから撃つんじゃ建物が邪魔で射線が通りません。それに、飛べない《フィギュライダー》と違って《ドラゴン》には翼があるから」


「少しでもモタつこうものなら、飛んで突っ込んでくるな。怖い怖い……」


 独り言のようにメリッサが追い打ちをかける。


 いよいよざわめきは絶頂に達して、収拾がつかなくなってきた。訓練生たちも誰を信じればいいのか分からないと言った様子だ。


「だが、戦は数。という言葉もあるではないか。一人で勝てるという保証もあるまい。万一、貴官が一人出撃して、撃破されたらどうする? 被害は拡大するぞ」


 だが、無能に見えても司令官である。面子を潰されて黙っている者はいないだろう。彼は努めて冷静を装っているようだが、毛髪のない頭は真っ赤に染まっていた。


「大丈夫です。私、負けませんから」


 ミイナの言葉には迷いがない。まるで、本当に必ず勝利するという確証を得ているような、そんな自信に満ちた言い草だ。


「その理由は、何かな?」


 怒り心頭の司令官より先に、メリッサが意地の悪い口調で尋ねた。

 何も悩むことはない。これまでもミイナはそれを頼りに戦ってきたし、これからもそうだろう。だからこれっぽっちも迷わず、ミイナは言ってのけた。


「私のカンだよ」


 瞬間、空気が凍った。

 

 この場の誰が、そんな答えを予想しただろうか。断言できる。一人もいまい。

作戦とは、緻密な情報と理論に裏打ちされて打ち出されるものだ。それを直感とは言語道断。もはや作戦とは言えない。


 ミイナとて、それは承知している。けれど、何故だろう。彼女には絶対の自信があった。今ならやれるという確信めいたものがあったのだ。

 あまりに荒唐無稽すぎるミイナの発言に、この場の全員が目を丸くした。


 いち早くその状態から脱出したのは、やはりメリッサだった。

分厚い丸眼鏡が光る。最初は、必死で堪えている風に見えたが、直ぐに口元から声がこぼれた。


「くっくっく……はははは! 勘か。なるほどな、実に君らしい」


「でしょ? 私、ネコだから」


 舌を出して笑ってみせるミイナ。耳がピコピコと揺れる。

 メリッサは頷くと、咥えたタバコに火を付けた。美味そうに煙を吐きだし、そしてニヤニヤと笑った。


「いいだろう。丁度、考えていたプランがある。それをやろう」


 煙をくゆらせながらメリッサが前へと出る。困惑する司令官をよそに、彼女は高らかに掲げた指を鳴らした。

 と、どこからか整備士の面々が駆けだしてきた。彼らは整然と、メリッサの背後に並ぶ。

 いつの間にこんな練習をしたのだろう、というミイナの疑問もそこそこに、メリッサは振り返り、声を張り上げた。


「整備士諸君! 待ちに待ったやり甲斐のある仕事だ! 時間はわずかだが、問題ないか!」


「イエス、マム!」


「準備はいいか!?」


「イエス、マム!」


「得物はもったか!?」


「イエス、マム!」


「よろしい。では……作業開始!」


「ヤー!」


 号令を合図として、男たちは瞬く間にそれぞれの作業へと散って行った。淀みなく、相応の慌ただしさはあるものの、混乱をきたす気配は欠片もない。メリッサの提示する緊急の命令を、着々とこなしていく。


 その様子を、しばし満足げに眺めるメリッサ。しかし、彼女の前には、将校としてのプライドを傷つけられた基地司令の姿があった。


「ミス・メリッサ。これはどういうことだ! 上は、出撃可能な全機体を出せと言ったのだぞ!」


「承知しておりますとも。しかし実際、操縦になれない訓練生たちが出撃すれば、街にもそれなりの被害が出ましょう? それはそれで、また問題」

自分の事など歯牙にもかけないメリッサに、基地司令は周囲の状況忘れて喚き立てる。


「このことが明るみに出ててみろ! ……私の経歴にも傷がつく!」

メリッサは彼のだみ声を聞き流し、白い煙を吐きだした。


 情けない。敵を前にして、市民や兵士の安否ではなく、気にすることは自らの保身か。それが、アイリスの癪に障ったらしかった。


「上に立つ人間にあるまじき器の小ささですな、司令官殿。これじゃ、その年齢でたかだか地方の基地司令官止まりというのも、納得のいく話だ」


「貴様……! 私を侮辱するつもりか!」


「侮辱? 本当のことを侮辱と言われましても困ります……この際ですから、いっそ言わせて頂きますがね」


 メリッサは赤く熱を帯びるタバコの先を、基地司令の顔に突き出した。呻き声を立ててのけぞる彼に向って、眉間にしわを寄せたメリッサが言い放つ。


「彼らは未来ある《フィギュライダー》のパイロットだ。これから、多くの人命を救うべく、育ちつつある人材だ。私欲でしかモノを考えられない老人とはわけが違う」


 トレードマークの丸眼鏡を持ち上げて、メリッサは出撃作業を見守るミイナに視線をやった。


「彼女、それを知っているから、自分の危険を承知で提案した。そうだろう?」

尻尾をピンとたてたミイナ。その心境とて、決して楽な決意ではないことは確かだ。


 ただ、ここにいる老人には、理解しがたいものであるらしい。


「猫風情が、勝手な真似を……」


「はは、長年培った野生の勘を人間風情に馬鹿にされては、彼女も心外でしょうな……ああ、それから」


 ミイナの肩を抱き揚々と歩き去るメリッサが、思い出したように振り返り、情けなく立ち尽くした基地司令に言った。


「フィギュライダーの運用、および指揮はすべて私に一任されている。《上の命令》? 知らんな、そんなものは。私こそ《上の命令》だということ、お忘れなきよう」


 メリッサは見えを切るように断言すると、ミイナに向かってウィンクした。

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