Chapter2
シュツトガルト基地は検疫軍の欧州における拠点の一つである。百ヘクタールを超える敷地に、多数の兵力と訓練施設を備えた巨大な基地だ。
勿論、最新兵器の《フィギュライダー》であっても、運用可能である。
そんな基地の滑走路。ど真ん中に一人の女性が仁王立ちしていた。
二十代後半とは思えない幼女じみた小柄な体格は、おそらく百五十センチにも満たない。癖のあるふわふわした赤髪、牛乳瓶のように分厚い丸メガネ。
顔立ちは、美人とは言えないが、大きな瞳とそばかすが、一種独特の愛嬌を醸し出している。
そんな彼女が、軍服に白衣を羽織っているのは、どこか滑稽にも見えた。が、れっきとした軍属である。
メリッサ・スー。少佐待遇で検疫軍に勤務するエンジニアである。また、《フィギュライダー》の開発者でもあった。今は《フィギュライダー》の運用テストのために、この検疫軍へと出向する身である。
そのメリッサ。今日に限って目つきが甚だ凶悪である。血走った眼は何処を向いているのかも定かでない。青黒いクマが浮き出た目元からも、相当の疲労が伺えた。
当然と言えば当然だ。連日、軍上層部との運用計画のやり取りを行っていた。ようやく一息つけたと思った矢先、確定していた休暇は無情にも取り消され、あれよあれよと英国にいたこの身は、いつの間にやらドイツにいる。
「やってらんねー……」
メリッサは白衣の胸ポケットにあったくしゃくしゃのソフトケースから煙草とライターを取り出すと、馴れた手つきで火をつけた。吸い込んだ煙が肺に行き渡っていく快感を味わう。もはやこれがなければ、仕事などやっていられない。
「あのぅ、少佐殿? ここは禁煙なんですが」
通りがかった整備兵の若者が、恐る恐るといった風に声をかけてきた。
おのれ、この貴重な至福の時間に水を注すとは、話の分からん奴め。
メリッサは白い煙を空に向かって吐き出すと、整備士ににこっと笑って見せた。
「良いかね、キミ。これは電子タバコだよ」
「でもライター……」
「電子タバコだ」
「火気厳――」
「電子タバコだ」
暫く不毛な睨み合いが続いたが、気の弱そうな整備士は泣きそうな顔で立ち去って行った。
満足、とばかりに仁王立ちでそれを見送るメリッサ。ぶっちゃけた話、たとえ電子タバコでも禁煙に揺るぎはないのだが。ま、そこは言わずともよかろう。
規律より我が心の安寧。清々しいまでの利己的な性格は、彼女の根っから気質である。
さて、そんな彼女が、このだだっ広いアスファルトの連なりでぽつねんと佇んでいる理由。もうすぐ、ここに待ち人が来るはずなのだ。
これが大した面識もない人間ならば、さっさと退散してPXでだらけているところだが、これからやって来るのは見知った仲の人間である。しかも可愛い『我が子』を預けている相手なので、そうそう邪険にするわけにもいかない。
と言う訳で、メリッサにしては珍しく、律儀にこうして帰りを待っていた。
しばしの時間の後、新しいタバコの封を切りかけたころである。
頭上で鼓膜を叩くローター音が轟いた。見上げると、一機の輸送ヘリが巨大な腹をアイリスに向かって腹を見せている。
「やれやれ、やっとお出ましか……」
タバコの空箱は白衣のポケットに突っ込み、アイリスは気だるげな動作で、ゆっくりとヘリポートの方に歩を進めた。
***
「さあ仕事だぞ、ミイナ」
「うへえ」
お互い沈みきった顔を見合せたミイナとウィリアムは、見なれないハンガーで愛機の傍らに佇んでいた。
やっと帰れると思いきや、休みもなしに次の任務を言い渡された。しかも配置転換ときたものだ。シュツトガルト? 初めて見る基地である。
「ねぇ、もうこのまま帰ろうよぅ、ここの飛行機かっぱらてさ」
「無茶言うな。俺だって嫌だけど、これが仕事だろ?」
「そうだけど……ちぇっ、デートの予定が」
「何か言ったか?」
「にゃっ! な、何でもないよ!」
さすがに面と向かって言い出すことも出来ず、ミイナは手と顔を目一杯振って見せた。
ウィリアムは何事かと首を捻った。赤くなった顔には気づかれなかったようだ。
「やぁ諸君、ご機嫌いかがかな?」
その時、メリッサがタバコを燻らせながらやって来た。三か月ぶりに再開した旧知の友は、禁煙が常識のハンガーでも構わず喫煙する不謹慎さを発揮している。もっとも、彼女がこういう性格なのは周知の事なので、さして驚きもしないが。
「さすが、グリーンストンのものぐさ女王だな」
「お褒めに預かりどーもどーも。君らも難儀をしょいこんだものだねぇ。や、私もそうなのだけども」
「そんなこと言って、本当はハカセの仕業なんじゃないの?」
「馬鹿言っちゃ困る。私も呼ばれたからここに来たんだ。忌々しいことにね」
輪っかになった煙を天井に向かって吐き出すメリッサ。忌々しいとはどういうことか、疑問に思いながらも、「どうだか」とミイナは頬を膨らませた。
そんなミイナの気持ちを察したのか、隣に立つウィリアムが彼女の頭に手を置いた。彼の温もりが髪の毛と耳に伝わる。思わず頬が緩んでしまうのを隠すために、ぷるぷると頭を振るミイナであった。
「それはそうと、あんたなら知ってるんだろう? 生憎と俺たちはここに無理やり連れてこられた理由を教えられてないんだ」
「知らない、と言いたいところだけどね」
メリッサはいたずらっ子のように笑って、空のハンガーが並ぶ向こう側を指差した。重々しいセキュリティシャッターに隔てられているので、相応の権利を持った人間以外は立入れない場所だが。
「着いておいで。良いものを見せてあげよう」
メリッサの胸には、鈍色のカードキーが提げられていた。
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