Chapter1

 日が暮れつつある。赤みが増した丘陵を眺めながら、ミイナ・ミニックはスポーツドリンクを入れたスキットルに口を付けた。

 仕事を終えた後の乾いた身体に水分が行きわたっていく。ようやく落ち着いて、少女はほっと一息ついた。


 背後には、彼女の愛機シルフィードが屹立している。

 人型を模倣した巨大な鉄の塊は、しかし、ミイナの手足の延長である。彼女はこの機体を、操縦桿を通して操作し、長大な高周波ブレードを振る。

 相対するのは《ドラゴン》をはじめとする幻想由来の巨大な獣たち。通常兵器では手に余るそれら超常の脅威に対処するのが、彼女たちの役目だ。

 

 ミイナ・ミニック。国連検疫軍所属の少尉で、最新の人型兵器フィギュライダーのパイロット。それが、今の彼女の肩書だった。

 と、背後で落石のような大きな音が響いた。突然の大音、全身の毛が逆立って、ミイナは思わず手に持ったスキットルを取り落とした。


「ふぎゃぁぁっ!」


 ミイナの悲痛な声がこだまする。

 不運、スキットルは飲み口から地について、内容物がトクトクと漏れ出した。

 なんという暴挙。胸中でやるせない怒りが沸々と湧きあがるミイナは、振り返り、その音の張本人へと叫んだ。


「こらぁ! 脅かすな、ウィリアム!」


 そこには、もう一機の《フィギュライダー》の作業する姿があった。五指を有する二つのマニュピレーターを巧みに扱い、背面のコンテナキャリアに獲物を括りつけていた。超鋼ワイヤーを容易く固定する様子は、本物の人間の動きと大差ない。


 そんな《フィギュライダー》の胸部ハッチが開く。中から一人の男がひょっこりと顔を出した。

 短めの金髪、ややクセがかった柔らかな髪質が風に揺れている。垂れ目気味の細い両目に緑色の瞳。細い顎筋には無精髭が目立つが、老け込んでいるわけではない。見た目、二十代中ごろか。


 ウィリアム・スペンサー。ミイナと同じく検疫軍の中尉。彼女の僚機サラマンダーを駆るパイロット。

 ミイナの大事な相棒だ。


「ジュース落としちゃったよ! 気を付けてってば!」


「うるせー、こっちは必死でやってるんだよ! ……くそっ、やっぱり臭うな」


 愚痴りつつも、ウィリアムは苦々しく顔を歪めた。

 キャリアに載せた物が問題なのだ。すなわち、狩った《ドラゴン》の死骸である。体内で生成されたアンモニアが異臭を放つのだ。


「そんなの、鼻を閉じればいいじゃない」


「生憎と、人間様はそんな器用にできてない」


 ああ、そうか。とミイナは一人相槌を打った。

 鼻を閉じる。嗅覚の感度を一時的に弱める行為をそう呼ぶのだが、ウィリアムには何度説明をしても、中々理解してもらえなかった。

 最近、ようやく気が付いた。どうやら自分と『人間』とでは体の造りが違うのだと。


 ミイナにとって、そういうことは朝飯前なのだ。例えば、百メートル離れたところで小銭が落ちたとしても、彼女はその音を如実に聞き取ることが出来る。

 夜目も効く。新月も晩に明かりがなくとも、問題なく出歩くことが出来る。

 しかし、そのいずれも、人間にはひどく難しいことなのだと言う。ミイナには信じられぬことだが。


 《ドラゴン》の括りつけが終わったらしい。ウィリアムが軽やかな身のこなしでハッチから飛び下りた。

 ヒーローよろしく着地するウィリアム。が、直立する《サラマンダー》の全長は十二メートルだ。衝撃に痺れたらしく、しばしその場でうずくまっていた。

 かっこ悪いな、などと呆れつつ、ミイナはウィリアムに駆け寄った。飛び跳ねるように、踊るように、その足取りは藪の連なりを軽々と超えていく。そんな身のこなしも、人に言わせれば獣のよう、だそうだ。ミイナにそのつもりはないのだが。


「……っつ~……やっぱ、お前みたいにはいかないな」


 痛みを堪えているのだろう。目尻に涙を浮かべながら、ウィリアムはミイナに向かって苦笑した。


 そう、ミイナならば、これくらいの高さは造作もなく飛び降りて見せる。

 ウィリアムの言葉が、嬉しいやら、悲しいやら。いろんな感情が制御不能に絡まり合ったミイナは、頬を掻いて笑った。


「そりゃ……私、ネコだからね」


 ミイナ・ミニックはケットシーである。猫の耳と尻尾、それに身体能力を持つ、亜人だ。


***


「これでやっと帰れるね、ウィリアム」


 間もなくやってきた整備隊に機体と《ドラゴン》の死骸を引き渡した後、収容されたヘリの中で、ミイナは喜々として言った。

 ズボンに開けた穴から飛び出した茶色い尻尾がふらふらと揺れている。無意識に感情が高ぶっている証拠だ。


 ウィリアムはといえば、火の付いていないタバコをくわえて、眼下に見える深緑の世界を眺めていた。


「ああ、鬱陶しい山と邪魔なブッシュからも、これでおさらばだ」


「こんな地形は嫌い?」


「射線が取りづらい。敵に当て難い。俺はもっと、楽な仕事の方が良い」


「私は好きだったけどな。郷の村にいるみたいでさ」


「そうか。確かに、ここはお前の故郷に似てるな」


 ウェールズの奥地、緑深いケットシーの森がミイナの生まれ育った土地だ。幼いころはそこで仲間たちと育った。狩りも、遊びも、およそ生活と呼べるもののすべてはそこにあった。


 あの日、ウィリアムに出会うまでは。


 眼下に広がる森を見つめて懐かしむミイナ。と、不意にウィリアムの手がぐいと伸びた。彼の人差し指が、ミイナの柔らかい頬を押した。


「にゃっ」


「はは」


 他愛もないやり取りが、今はそれが心地良い。


 この一週間、彼らはずっと欧州全土を駆け巡って、件の《ドラゴン》の討伐任務に就いていた。奴らは好き勝手に移動して、周囲の都市に被害を及ぼす。台風のように幾分予測の効く災害ならばともかく、《ドラゴン》は意志を持った生物である。

 その進路は、およそ不可解なケースが多く、身を隠されると追いかけることも困難だ。

今回もそんな例に漏れず、二人は三か月も《ドラゴン》との追い駆けっこを演じる羽目になった。


 そういった時のウィリアムの態度はいつもピリピリしていて、戦いの雰囲気を醸しだす彼に甘えることははばかられた。

 だから、任務を終えた彼の穏やかな顔を見るたび、ミイナは幸せな気分になった。

それだけで、ミイナはこれからも戦おうと思うのだ。彼女がこの過酷な世界で生きていくのに必要な理由は、それで十分だった。


 だけど、もう少し。ほんの少しだけ、心の潤いが欲しいと思うミイナである。


「ねぇウィル、今度の休暇にさ、二人で遊びに行こうよ!」


 すると、ウィリアムはげんなりとした顔で言った。


「この前みたいのは嫌だぜ? もうエベレスト登頂はこりごりだ……」


 根が野生派のミイナ。趣味はことごとくアウトドアである。確かに、前回の長期休

暇では彼女の意向で雪山登山を行った。中腹あたりで断念したので、今回こそは、と思ったのだが。


「それじゃ、ね……うーんと」


 ウィリアムが嫌がらなくて、なるべく身体を使わない娯楽。ミイナは頭の中の引き出しを片端から探し出すが、生憎と見当たらない。本も映画も、すぐ眠くなってしまう性質のミイナであった。


「じゃ、今回は俺から誘うかな」


 うんうんと唸りながらも案が見つからないミイナを見かねたのか、先に口を開いたのはウィリアムだった。


「そうだな。たまには街まで足を伸ばして見るか」


「ま、街?」


 ミイナにとっては思いがけない提案だった。人の多い所が好きではないのと、都市の喧騒に馴れない。それに、無意識的に知的な場所を避けているのかもしれない、という感覚も、心のどこかにはあった。


「……どうして、街に行きたいの?」


 ミイナはおずおずと尋ねた。心なしか両耳が垂れ下がっている。


「ん、いや……その、な」


 どうしてか、ウィリアムの返答は歯切れが悪かった。視線を逸らしてあらぬ方向を向くが、彼の表情からはその意図をうかがい知ることはできない。


「ちょっと欲しいものがあるのさ。ああ、お前にも奢ってやるから」


「そんな、悪いよ……」


「ばーか、毎日俺に飯たかってる奴が言うことかよ」


 そう言ってウィリアムは屈託のない笑みをミイナに向けた。

 不意に、ミイナは顔がカッと熱くなるのを感じた。

 つまり、これはその、世間一般に言うところのデートと言うやつではないのか。

 

 ウィリアムと自分のデート、ということになる。

 いや、二人で雪山に行くのだって、これまではミイナが意識していなかっただけで、実際にはデートに変わりないはずだ。だが、これが街でとなると、自然気持ちも違ってくる。

 こんな感覚初めてだ。いつの間にか、彼女の尾はピンと空に向かって立ち上がっていた。


「どうする? ミイナ」


「……ん、行ってみたい、かも」


「よし、決まりだ」


 ウィリアムがミイナの頭を撫でた。時折彼の手が耳にあたって、そのくすぐったさが心地よかった。


「スペンサー中尉、ちょっと」


 突然、ヘリの機長がウィリアムを呼んだ。彼の手にはインカムが握られていた。

 ウィリアムはそれに気づき、コックピットへと向かう。

 

 撫でられる感触がふっと消えて、ミイナは機長をほんの少ししだけ恨んだ。

 ウィリアムがインカムを装着し、二言三言喋っているのが見える。恐らくは、司令部からの連絡。何故だろう、嫌な予感がした。

 こんな時、ミイナの直感は良く当たるのだ。


「はぁ!?」


 ウィリアムの頓狂な叫びが響く。表情が苦々しく歪むのが見えた。

 やっぱり、悪い予感はすぐ本当になる。

 ミイナはため息をついて、もう一度窓を見た。反射する窓に、ぺたりとしな垂れる猫の耳が映った。

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