6月、図書室にて

Cymphis

6月、図書室にて

 俺は熊田カツヨシ。今日はなんとなく回想でもしてみようかと思う。

 それは6月のある日の事だ。私立シイタケ高校に入学してからだいたい2ヶ月が経ち、良くも悪くも学校には慣れてきた。だが慣れというのは時に油断につながる。

 帰りのホームルームが終わった。今日は部活もないのでとっとと帰ることにしよう。

「帰るぞ、マサヒロ。今日は部活もないことだし」

 加藤マサヒロ。こいつは俺の同級生で、一言で言うと変なやつである。見た目こそ普通の高校生だがどういうわけか凄まじい程のトラブルメーカーなのだ(主な被害者:俺)。

「すまんな熊田。俺はこいつを片付けるまで、学校の敷地から外には出られんのよ」

 マサヒロの手には数枚のプリント。どうやら英語の小テストをしくじったらしい。

「あー、そうかそうか。ま、頑張れ。俺は先に帰ることにするぜ」

 プリントと睨み合うマサヒロを教室に残し、俺は廊下に出た。窓の外は曇り空。黒く鈍重な雲が、上空を覆っていた。これは一雨降るかもしれない。

 不運なことに、学校を出るより先に雨が降り出してしまった。よりによって今日は傘を持ってきていないのだ。激しい雨がごうごうと音をたてる。この雨の中、突撃するのは無謀というものだ。雨が止まずとも、せめて勢いが弱まれば………。ひとまず時間を潰すことにするか。そういえばこの学校の図書室にはまだ行ったことがなかったな。

 図書室に入る。見渡すと本の多さに圧倒されてしまう。雨音だけが響き、自分以外には誰も居ないような気がした。だが雨の音にまぎれて、ページをめくる音が微かに聞こえた。奥に歩いていくと、窓際の席に誰かが座っているのを見つけた。青みがかった黒い髪は肩のあたりまで伸び、その姿はどこか気品を感じさせる。確か同じクラスだったはずだ。俺は気まぐれで声をかけた。

「えーと、冴木さん…だよね?」

 想像以上に声が響き、我ながら少し驚く。彼女はこちらを見ることなく、視線を本に落としたまま答えた。

「ええ、あなたは熊田君…ね。何か御用?」

 音量を最小限に抑えたような声だが、その澄んだ声ははっきりと耳に届いた。

「いや、時間を潰しに来ただけだ。つまり雨宿りってやつ」

「ふぅん。傘、持ってきてないんだ。珍しい人が来たと思ったらそういう経緯だったのね」

 図星である。

「ああ。君はよくここに来るのか?」

「ほぼ毎日」

 ああ、そうだ、聞いてから思い出した。こいつは冴木セレナ。確かクラスの図書委員だ。

「そうか、図書委員だったか、君は」

「本が好きだからね。別に図書委員の仕事のために来てるわけじゃないの」

 案外、図書委員というのも暇なものなんだろうか。

「ところで普段どんな本を読んでるのか教えて欲しい。俺はあまり本を読まない方だが、たまには何か読もうかと思ってね」

「そう。普段は小説が多いわ」

「ふむふむ、小説とな」

 小説にも色々あるということくらい、さすがの俺にもわかる。

「よく読むのは…そう、恋愛小説ね」

 俺は少し驚いた。こいつのことはよく知らないが、そういうことには興味なさそうだなと、勝手なイメージを持っていたのだ。

「恋愛………」

「そんなに驚くこと?」

「いや、その………正直に言うと少しだけな」

 彼女が少し笑ったような気がした。

「たぶん、熊田君が想像してるのとはちょっと違うと思う。私はね、報われない恋の話が好きなの」

「バッドエンドってやつか」

「そうね。そういう話を読むのも楽しいわよ。私、他人に同情しないタイプだから。小説の登場人物ならなおさらよ」

「ほほう」

「よく言うでしょ、他人の不幸は蜜の味…ってね。悲劇って不思議な魅力があると思わない?」

「ふーむ、なるほど。俺にはちょっと難しい話だな」

 何というかヤバいやつだな。無論、マサヒロとは別の意味で。今までこいつのことはごく普通の人間だと思っていたが、意外とそうでもないようだ。うーむ、最近変わり者の知り合いが増えた気がするなぁ。



 やがて話すこともなくなり、せっかくだし何か借りていくかと思い始めた時、静寂を破ったのはドアが開く音だった。

「おーい、熊田―。あれ、居ないのか?」

 この場違いな声、間違いなくマサヒロだ。

「こっちだよ、こっち」

 俺は本棚の陰から顔を出した。

「それよりもうちょっと静かにしてくれよな。ここは図書室だぜ」

「む、そうか。ではそうするとしよう。それにしてもまさかお前が図書室に居るとは思わなかったぜ」

「ちょっと待てマサヒロ。それ以前にどうして俺がここに居ると分かったんだ?」

「教室の窓から見えたんだよ。ほら、ここって俺らの教室から中庭越しに見えるだろ」

「あぁ、そういえばそうだったな」

「そういうわけだ。さ、帰ろうぜ。もう雨も止んでる」

 俺はそれに同意しかけて、ふと思いとどまった。

「いや、ちょっとだけ待ってくれ。せっかくだし何か借りていく」

 俺は小説の棚から、一冊の本を手に取った。もとから本には詳しくないのだ。吟味することもないだろう。そして俺は窓際の冴木さんに声をかける。

「これ、借りるときはどうすればいいんだ、図書委員さん?」

 ほんの一瞬の間を空けて、彼女は答えた。

「そこにカードリーダーがあるでしょ。まずそこに学生証を通して。それから本についてるバーコードを機械で読み取るの」

 指示に従って手を動かす。

「なるほどなるほど…よし、できた。ありがとうな」

「………どういたしまして」

 俺は本を鞄にしまいつつ、マサヒロのもとへ向かった。

「待たせたな。さ、行こうぜ」

「おうよ」

 帰り道は、夕焼けに彩られていた。

「今日のあの雨が嘘みたいだ」

「雨雲も通り過ぎればなんとやらってやつだな。ところで何の本を借りたんだ?」

「たぶん小説だが、中身はよく知らん」

「読んでみてのお楽しみってことか。面白かったら教えてくれよな」

 果たしてこいつは本を読むんだろうか………。

「考えとくぜ」

 水たまりを避けながら道を行く。そういえば本の貸出期間は一週間だったか。週末はちょうどやることもない。ゆっくり読むとしよう。

 それにしてもきれいな夕日だ。時間が緩やかに流れる中、歩みを進める。この鮮やかな夕日の光は図書室にも届いているんだろうな、なんて、当たり前の事を考えながら。



 私もそろそろ帰ろう。もう雨は止んだらしいし。読んでいた本を閉じ、顔を上げると鮮やかなオレンジ色の光に気づいた。夕焼けの色だ。どうやら雨雲は完全に通り過ぎたらしい。窓越しに外を見て天気を確認する。夕焼け空を見るのは久しぶりのような気がする。外はあの雨のおかげでちょっとは涼しいだろう。窓ガラスには私の顔がうっすら映っている。私の瞳は夕焼け色だと誰かが言っていたっけ。光の具合によっては紅茶のような色と言ったほうが近いかもしれない。

 図書室には誰も来ないのが日常だった。だが今日は違った。どんな偶然かわからないけれど、クラスメートが来て、そして何気ない会話をしたのだった。高校に入学してから、私は人付き合いには積極的でなかった。そういうわけで入学から2ヶ月が経とうとしている今、友人と呼べる存在はほとんどいない。熊田君に対して特別何か感じるわけではないが、人と話すのも悪くないと思った。外気はこの時期にしては涼しく感じられた。たぶん今夜は冷えるだろう。新しく買った茶葉を試すには丁度いいかもしれない。



                 ―終―

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