第31話 願いが届いた

 校庭の中央に立つサヴァトの傍らで、白蛇がアドバイスを送った。


「集中するんだよ、サヴァト。怒りを注ぎ込むんだ!」




 サヴァトはぶつぶつと呟くように、自分にそれを言い聞かせた。


「そうだ! 思い出せ! 思い出すんだ! あの女に味合わされた屈辱を!」


 かつて数度に渡り、弥生に味合わされた敗北。その際の屈辱、苦痛、絶望、それらすべてを怒りの感情へ変え、スフィアへと注ぎ込んだ。

 サヴァトはその感情をさらに昂らせ、そして叫んだ。


「あの魔法の痛み! 苦しみ! 全部思い出せ! あの時の恨みを、怒りに変えろおおお!!」


 スフィアがみるみるうちに黒く染まりだす。

 それを見上げ、ランディが驚き、そして感動の雄たけびをあげた。


「うおおおお!!?? マジでやりやがったぞ、アイツ!!」




 やがてスフィアが黒く染まり、サヴァトが安堵の溜息を吐いた。そしてその両手を下ろそうとした刹那、ミドがそれを制止して言った。


「いや、まだだ。まだ安定していないよ。続けるんだ」


 その言葉を耳にし、サヴァトは再びスフィアに己の魔力を預けた。スフィアはさらに黒さを増していった。


 闇の輝きをより深めていくスフィアを見て、クロウが周章して叫んだ。


「いかん! あの闇の王を止めろ!!」


 だが、それを止める術を持つ少女たちは、ランディの魔法によってその場に釘付けにされていた。夏樹が悔しそうに呟いた。 


「止めろったって、この金髪の魔法で動けねえ……!!」


 ランディの放ったフレイム=フェザーはさらに彼女らに襲い掛かり、その足を前にも後ろにも進ませない。彼が得意げに笑い、そして口を開いた。


「行かせねえぞ! 今日の俺の役目は、足止めだからなあ!!」


 やがてその羽根が尽きようとしたその時、ランディはさらなる攻撃を仕掛けた。


「さあ、もうひとつだ! 全力で防がねえと燃え尽きちまうぜ!? 防御魔法ガードの手を緩めるんじゃねえぞ!? “クリムゾン=インフェルノ”!!」


 レベル4炎魔法が発動した。少女らの周囲に灼熱の炎が広がった。




* * *


 ――そして、その時は訪れた。


 スフィアが黒い光を放ち、その周りに漆黒の光を纏ったオーロラが浮かび上がった。遂にスフィアが安定し、その暗黒の意思を固定させたのだ。

 しばらくそれを呆然と見上げていたサヴァトだったが、「素晴らしいよ、サヴァト!」と、ミドが称賛の言葉を口にした時、彼はようやくそれを理解した。「ふ、」と一音口にすると、彼は達成感と共に高らかに笑った。


「フゥーハハハ! やった! やったぞ!! これで俺たちの勝ちだあ!! やったぜえええ!!!!」




 喜ぶサヴァトの横で、ミドが彼に最後の指示を送った。


「さあ、魔法少女たちに邪魔される前に、願いを強く念じるんだ。その想いが最も強い者の願いを、スフィアは受け入れるよ」



「いかん! 奴らを止めろ!! 蛇の使徒の思い通りにさせるな!」


 クロウが叫ぶと、ミドがそれに対抗するように叫びをあげた。


「もう無理さ! スフィアは安定した! 願いを叶えない限り、これは元に戻せないよ!!」




 灼熱の業火による攻撃に必死に耐えつつ、夏樹がクロウに声を掛けた。


「おい、あの白蛇、あんなこと言ってるけど……」


「それは……、事実だ!」


 クロウが悔しそうに呟くと、少女たちの瞳に狼狽の光が宿った。夏樹が慌てた様子で声を上げる。


「じゃあ、あたしらが戦っても無駄ってことかよ?」


「そうではない。よこしまな願いを叶えることだけは、阻止せねばならん!」


「じゃあ、あいつらをぶっ倒すってことに違いはないわけか」


 早苗が口を開いた。いつもならとっくに現れているはずの人物の姿が、未だ見えないことに不安を覚えていた。 


「弥生さんは!?」


 霜亜来が魔力を探り、それを伝える。


「魔力は近くに感じるけど、ひどくゆっくりと動いているわ。何かあったのかも……」


 サヴァトがその言葉を聞き、満面の笑みを浮かべて叫んだ。


「その通りだあ! あの女は来ねえよ!! 今頃、どこかで事故ってる頃だぜえ!!」






「ほう……」


 校庭に、女の声が響いた。それを聞き、校庭にいたすべての者の動きが止まった。


「……その言葉、どういう意味か、聞かせてもらおうか」


 校門に、一人の女の姿が見えた。その服は土埃にまみれ、特に左側の手足の部分はずたずたに破れてしまっていた。また、スクーターは前輪がひしゃげており、割れたカウルの隙間からは、機関部から滴り落ちたオイルがぽたぽたと音を立てて地面に黒い染みを残していた。また滴り落ちたのはオイルだけではない。彼女自身からも、その左足の裾から赤い血が滴っていた。それでも彼女は、まともに前に進まないスクーターを懸命に手で押しながら、ゆっくりと歩を進めた。

 サヴァトの言葉通り、彼女は交通事故に見舞われていた。ブレーキが作動せずに対向車線に飛び出してしまった彼女は、不運にもそこを走行していたトラックと正面から相対した。あわや正面衝突するかと思われたその時、彼女は咄嗟に車体を左に傾け、見事それを回避したのだ。しかし不運にも、そのタイヤはスリップし、そのまま滑るように左車線のガードレールへ突っ込んでいった。

 彼女の愛車は自走不可能なほどに壊れ、その身体がアスファルトに削られて、左の二の腕と、左足の脛、そして両の掌に大きな擦り傷を残した。さらに数か所に打撲を負い、動くだけで身体に激痛が走った。骨折しなかったことだけが、唯一彼女に残された幸運だったと言えるだろう。

 魔法による破壊ではないため、治癒魔法も修復魔法もこれを治すことはできない。すぐにでも手当が必要な状態にも関わらず、彼女はただ学校を目指した。そのスフィアに起こった異常を、つぶさに感じ取っていたからだ。なお、スクーターを押してきたのは、それが彼女にとって唯一無二の相棒だったからという理由だけではない。それに身体を預けないと、立って歩くことさえやっとの状態だったのだ。


 傷だらけになりながらも目の前に現れた弥生に、サヴァトが狼狽した。


「うお、また来やがった……。今日こそは来ないと思ったのに……!」


 ここへ来るまでの間、何故ブレーキが突然利かなくなったのかと、弥生は必死に考えていた。その間に、ふと気づいたのだ。ハンドル横のブレーキシューに鋭利な切り口が残っていたことを。それは明らかに事故による損傷ではなかった。勤務時間中に、何者かがスクーターに悪質な悪戯をしたものだとばかり思っていた彼女だったが、サヴァトの言葉を聞き、その犯人に当たりが付いた。


「貴様……、やっぱり貴様の仕業か……」


 彼女はその身体を小刻みに震わせながら、サヴァトへ怒りの視線を向けた。




「許さん。絶対に、許さん……」


 すぐにでも制裁の魔法を食らわせてやりたいところだったが、今の彼女にはそれは適わないことだった。立っているだけで身体中に激痛が走り、魔法を発動させるのに必要な僅かな集中力さえ、彼女には残されていなかったのだ。今の彼女に出来ることは、ただ怒りの言葉を呟き、壊れたスクーターのハンドルを力の限り握りしめることくらいだった。

 それでもその言葉にただならぬ迫力を感じて、ランディが狼狽えた様子でサヴァトに問いかけた。


「おい、お前、弥生に何したんだよ……?」


「え……? ただ、あのスクーターのハンドル周りのケーブルを切断しただけど……?」


 サヴァトが事も無げにそう答えると、ランディが唖然として言った。


「お前……。それって、かなりヤバい行為だろ。下手すると逮捕されるぞ……?」





「てゆうか、何でよ……?」


 そう呟き、彼女はへなへなと地面に座り込んだ。支えを失い、スクーターが音を立てて倒れる。


「あたしは、こんなの、好きでやってるわけじゃないのに……」


 どれだけ足に力を込めようが、もはや立つこともままならず、そんな己が情けなくなり、弥生はぽろぽろと涙をこぼした。倒れたスクーターから、漏れたオイルがじんわりと地面に広がる。それを見て、弥生はさらに泣き崩れた。


「スクーターもボロボロ。服も、何もかも、ボロボロじゃないの」


 普段とは全く違う彼女の姿に、校庭にいた全員が戸惑った。彼女はさめざめと泣き、呆然と宙を見上げて呟いた。


「受験も、就職も、恋愛も、仕事も、全部あんたたちに邪魔された……」


 これは実際にその通りで、彼女の人生の節目節目に限って、その前日に蛇の使徒たちによる大攻勢が行われたのだ。前日の修復が長引き、一睡もせずに臨んだ大学受験。始発を逃し、遅刻してしまった就職面接。これまた徹夜明けで臨んだ初めてのデート。全てが燦々たる結果に終わっていた。それを思い出し、彼女はまた悲嘆に暮れた。


「あたしの人生は滅茶苦茶よ。何でよ……? 何で、あたしだけこんな目に遭うのよ……?」


 このスフィアさえ無ければ、蛇の使徒さえいなければ、魔法少女でさえなければと、彼女はこれまで人生でつまずく度に、何度もそう思った。そして、その思いは遂にこの夜、爆発した。彼女は、己の運命を激しく呪った。


 彼女は座り込んだまま、呟いた。


「許さない。絶対に許さナいわ……」


 そして上空の黒いスフィアを呆然と眺め、たどたどしい言葉で、何度も、何度もその言葉を繰り返した。


「壊しテヤる。あんタたチ全員、壊シテやル……」


 ランディの背に寒気が走った。弥生の魔力が、これまでに感じたことが無いほど高まっていったのだ。彼は焦り、一歩あとずさりながらサヴァトへ声を掛けた。


「やべえ……! なんかやべえ魔法が来るぞ……!! 早く願いを叶えて、ここからずらかろうぜ!」


 そしてサヴァトはスフィアへ両手を掲げ、必死に叫んだ。彼の願いは世界征服。それを実現させるためには、弥生を超えるだけの強大な魔力が必要だ。彼はその願いを繰り返して口にした。


「くそう! スフィア! 俺に力をくれ! あの女を遥かに超えるだけの力、俺に与えてくれ!!」


 すると、黒きスフィアが小刻みに震え始めた。同時に、その周囲を包んでいた黒いオーロラも姿を消し、辺りには高い金属音が響き渡った。

 それを目にし、ミドが口を開いた。


「おめでとう。スフィアに願いが届いたよ」


 それを聞き、ランディがミドに確認する。


「何!? どっちだ!? 俺とサヴァト、どっちの願いが叶った!?」


 その答えを知るべく、サヴァトもミドの顔をじっと見た。ミドが首を傾げ、ランディとサヴァトの姿を見る。その白蛇は暫く黙っていたが、やがてさらりと答えた。


「どっちでもないさ。願いを叶えたのは、彼女だよ。三浦 弥生さ」



 

 弥生は上空を見上げ、まだ何かをブツブツと呟いている。そんな彼女を見て、ミドが口を開いた。


「中々良い願いだよ。“世界を滅ぼす”つもりなんだね? 存分にやるといいよ、弥生」


 そう言い残して、ミドは上空へ飛び立った。


 弥生の瞳が、赤く輝いた。

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