第30話 今度こそ完璧だ

 午前七時、そのスマートフォンがけたたましく鳴った。ようやく眠りに入りかけていた彼女は、枕に顔を埋めながら手を伸ばし、枕元にあったそれを、おぼつかない手つきで掴んだ。そのまま画面を見ずに、受話ボタンをタップする。


「はい、三浦です……」


 敢えて弱々しい声で電話に出た弥生。この時間に彼女に電話を掛けてくるのは、職場から以外にありえなかったからだ。それも、その用事は決まって厄介な頼まれ事である。

 彼女の想像通り、電話は店長からのものだった。その小さなスピーカーの奥から「ごめん、寝てた?」と問う声が聞こえたので、彼女は「ええ」と答えた。昨晩の修復作業が長引いたことで、実際には、ほぼ一睡もしていない弥生だったが、まるで条件反射のようにそう答えてしまう。

 電話の向こうの声が続く。彼女はそれを、小さな相槌を打ちながら聞いていたが、やがてその声は段々と気力を失っていった。そして、電話の最後に店長から提示された要請に、彼女は呟くようにこう答えた。


「今から、ですか? いえ、大丈夫です。はい、では、八時までには出勤できます」


 そして彼女は通話を切ると、一つ溜息を吐いて、むくりと起き上がった。その日は午後からの出勤であったが、店長の要請で早出出勤に応じたのである。一睡もしていないことを理由に断ればよかった、と後悔したものの、その責任感の強さゆえか、誰かに頼まれると、どうしてもそれを断りきれない弥生だった。



* * *


「三浦さん、大丈夫? 顔が赤いわよ?」


 石川夫人が弥生に問いかけた。だが、弥生はただ黙々と在庫整理に精を出しており、その声に気付かない。石川がもう一度「三浦さん?」と声を掛けた。


「……え? あたし?」


 弥生が虚ろな目で石川を見た。その頬は少し赤らみ、らしくない寝癖が耳の後ろにぴんと跳ねている。普段彼女が纏っている力強い覇気は見る影もなく、その姿はどうにも弱々しく感じた。石川が心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。


「そうよ。なんか具合悪そうよ?」


「あー、そうかな……? ちょっとぼんやりしてるけど、寝不足なだけかも」


 弥生が力無くヘラヘラと笑みを浮かべた。これも普段の彼女にはらしくない表情だった。石川が手を伸ばし、弥生の額に当てた。


「ちょっと熱っぽいわよ? 朝から居るんでしょ? もう帰りなさいよ」


 このとき、時刻は午後四時。弥生が出勤してから、八時間が経過していた。古川主任が急遽病欠したため、その代役として弥生が呼び出されたのである。


「そうはいかないわ。あたし、夜までのシフトになってるし」


 弥生が毅然として石川の提案をはねつけた。本来であれば、弥生は午後二時から十時までの勤務の予定であった。六時間もの早出残業を付けて八時から出勤したものの、他に人員が居ない以上、予定通りの勤務もこなさなければならないのだ。石川が怪訝な顔で問いかけた。


「夜は誰かに代わってもらえないの?」


「無理かな……。あたし以外に、売場把握できる人がいないし」


 午後六時以降、殆どの従業員が帰宅してしまうため、売場には弥生と数名の学生バイトだけが残される。その日は、他にも総務課の林課長が金庫番として残ることになっていたが、普段売場を見て回ることが無い彼に、夜間の売場管理とバイト全員への指示を全て任せるには、一抹の不安があった弥生である。

 弥生の責任感の強さは石川も知る所である。一度言い出したら聞かないという頑固さもだ。故に、石川はそれ以上彼女を止めることはしなかったが、一言だけ忠告の言葉を掛けた。


「無理して倒れたら、本末転倒よ?」


「大丈夫……、大丈夫よ」


 そう言って、弥生はまた力なく笑った。



* * *


 午後九時、天堂運動公園にて、サヴァトが不敵に笑みを浮かべた。


「ふ、ふ、ふ」


 そして右手を天高く掲げ、高らかに笑い声を響かせた。


「フゥーハハハ!! 今夜は、三浦 弥生は来ないぜ! 今度こそ断言できる!!」


 すぐそばのベンチに腰掛けて、携帯ゲーム機に集中していたランディが、彼を一瞥した。そのままの態勢で、呆れた口調で言葉を告げる。


「本当かあ? もうお前の話は話半分に聞かないとな」


 過去の数々の大言壮語を知っているランディは、サヴァトの言葉に懐疑的だ。先日も彼の言葉を鵜呑みにしたことで、散々な目に遭ったばかりである。

 そんな彼に対し、サヴァトは力強く笑い、そして自信満々に口を開いた。


「信じろよ! 今度こそ完璧だ!」




 ランディがまたひとつ息を吐くと、ふと彼の横に有翼の白蛇が現れていたことに気付いた。彼は携帯ゲーム機を畳むと、今夜の作戦について口を開いた。


「考えてみたんだが、先に俺が魔獣を数匹出して、時間稼ぎするってのはどうだ?」


 ランディがミドに確認するように視線を送った。今夜こそはサヴァトにスフィアを黒く染めさせようという計画なのだ。それには、術者がより集中して魔力を注ぎ込める環境を作らねばならない。サヴァトがスフィアに魔力を注ぎ込んでいる間、魔法少女たちに邪魔をさせないよう、誰かが彼らを食い止めなければならないのだ。

 ミドがランディの言葉を否定した。


「それは駄目だよ。魔獣を出してしまっては、次の夜までスフィアにアクセスできなくなってしまうんだ。スフィアを黒くしたいなら、魔獣無しでやるしかないのさ」


「何い……? そんな仕組みなのかよ……」


 ランディの眉間にしわが寄った。ミドが言葉を繋げる。


「だから、魔法少女の足止めは君の役目だよ。ランディ」


 ランディが「ちっ」と舌打ちをした。だが、すぐさま口元を歪め、不敵に笑った。


「まあ、いいさ。弥生さえ来なければ、足止めくらい軽いもんだぜ」



* * *


 午後十時、長い長い勤務を終え、弥生が“スーパーマーケット天堂”の従業員通用口の扉をくぐった。十四時間ぶりに見たその空は、とっくの昔に闇に染まってしまっている。その疲れゆえか、またその体調不良ゆえか、彼女の足元が少しふらついた。

 店を出てから二、三歩ほど歩き、そこで天堂中学校方面の魔力を探った。校内には、少女たちのものと思われる魔力が三つ。そして、そこへ近づきつつある敵意のある魔力が二つ感じられた。

 その魔力の波長に覚えがあり、彼女は宙を見上げて溜息を吐いた。


「この魔力、またランディと闇の王かあ。今日は早く片付けて、早く帰りたいなあ……」


 俯いて、もう一度、ふう、と深く息を吐いた。愛用のヘルメットを被り、駐輪場へと向かう。そこへ停めてある愛用のスクーターにまたがって、そのエンジンに点火した。ここから中学校まではスクーターで七、八分もあれば到着する。ランディたちが襲撃するころには、彼女も学校に辿り着ける計算だった。


 そして、彼女はスーパーの駐車場を突っ切り、道路へと出ようとした。

 その時だった。


「……あれ?」


 その手に妙な違和感を感じて、彼女が慌てた。道路に出る前に一時停止しようとしたのだが、スクーターが止まらないのだ。ブレーキレバーは妙に軽く、どれだけ押し込んでも、その車輪が止まる気配は無かった。


「嘘……!? ブレーキが、利かない……?」


 スクーターはそのまま勢いよく道路へ飛び出していく。慌てて左へハンドルを切るが、車体は勢い余って対向車線へはみ出してしまった。その時、不運にもそこを通りかかった大型トラックのヘッドライトが、彼女の視界一杯に広がった。


 クラクションの音が鳴り響き、同時に、激しい衝撃が彼女の身体を襲った。




* * *


 校庭の街灯の下、三人の少女が体育座りして弥生の到着を待っていた。時刻は十時四十五分を回っている。夏樹が宙を見上げて呟いた。


「弥生さん、また残業かなあ……」


「今日も遅いねえ」


 早苗が応えると、霜亜来が弥生の魔力の位置を探った。


「魔力は、近くまで来てるのを感じるけど、さっきから殆ど動いていないわ」


「コンビニで立ち読みでもしてんのかな?」


 そう言って、夏樹がはにかんだ。


 すると、街灯の上からクロウの声が聞こえた。


「来たぞ、蛇の使徒だ」



 立ち上がり、周囲を警戒する少女たち。やがて闇の中から現れたのは、黒いジャケットを纏った金髪の男――ランディ=マルディであった。


「またあの金髪かよ……!」


 夏樹が彼を睨みつけ、身構えた。だが、彼女がまるで存在しないかのように、ランディの視線は常に早苗に固定されていた。


「早苗。悪いが、今夜だけは俺とお前は敵同士だ。手加減は一切無しでやらせてもらうぜ……?」


 ランディが早苗を見つめて語り掛けた。早苗が黙っていると、夏樹がそれに応える。


「今夜だけどころか、常に敵だったろ……?」


「すまねえなあ、早苗。今回ばかりは、俺は本気なんだよ」


「いや、あたしの話を聞けよ! 無視してんじゃねえ!!」


 夏樹がどれだけ騒ごうが、ランディの耳には入らない。彼のすべては早苗という少女一人だけに集中されていたのだ。


 霜亜来が夏樹に耳打ちした。


「宇野葉さん、ランディの魔力は炎よ。水魔法なら相性が良いわ」


「へえ、じゃあ、あたしがメインで攻撃すればいいんだな?」


 これ幸いとばかりに、夏樹がにやりと笑みを浮かべた。かの変態金髪男を、自身の手で成敗できることに喜びを感じたのだ。霜亜来が早苗にも話しかける。


「私と上月さんとで、隙を作りましょう」


 その策に、クロウが頷いた。彼も霜亜来の提案を支持したのだ。


「三浦が居ない今、それが最適解だな」



 ついに戦いの火蓋が切って落とされた。ランディが魔力を高め、レベル3炎魔法を発動させた。


「さあ、行くぜ! “フレイムフェザー”!」


 そう唱えると、無数の炎の羽根が周囲に浮かび上がった。それは空中に漂い、ランディの意思で自由に辺りを飛び回った。夏樹たちが周章して周囲を見回す。


「何だこれ……!?」


「初めて見る魔法……!?」


 狼狽える少女たちに、クロウが声を掛けた。


「防御魔法を展開しろ。全方位から攻撃が来るぞ」




 炎の羽根が少女たちを完全に包囲したとき、ランディの口元が僅かに歪んだ。そして彼の合図で、それが一斉に彼女たち目掛けて襲い掛かってきた。


 咄嗟に防壁を張る少女たち。その見えない壁に、炎の羽根がぶつかると、それは激しく火花を上げて弾け飛んだ。その羽根は対象に触れると、激しく爆発するように作られていた。爆薬付きの矢が次々と飛び掛かってくる様を想像して頂ければ、この状況を説明するに値するだろう。

 羽根は四方八方から、絶え間なく少女たちへ襲い掛かった。彼女らはそれを防ぐための防壁に魔力を注ぐのに手一杯で、そこから一歩も動けなくなっていた。


「はっはー!! これで動けねえだろう!? さっさとやっちまえ、サヴァト!!」


 ランディが高らかに笑った。一方で、サヴァトは校庭の中央に立ち、いよいよその真価を発揮せんとばかりに、スフィアへ魔力を注ぎ込み始めた。

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