第29話 通りすがりの主婦

「逃げろ、サヴァト……! こいつら、一ノ瀬いちのせ 睦実むつみ綾辻あやつじ 神無かんなだ! 弥生よりも、遥かに厄介な連中だ!!」


 その身体を宙に浮かせたまま、ランディがサヴァトに忠告した。だが、サヴァトはその二人の女性に圧倒され、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしている。

 ベリーショートの女性――一ノ瀬いちのせ 睦実むつみが、ムッとした顔で口を開いた。


「相変わらず、失礼な口をきく金髪だな。弥生の方が気分屋なだけ、私の百倍厄介だぞ?」


 ポニーテールの女性がニコニコと笑みを浮かべて、右手を自らの頬に当てる。


「やあねえ、今は愛する旦那様と結婚したから、名字は山本よ。や・ま・も・と、か・ん・な! 子供も二人いるのよぅ。あんたと結婚できなかったわあ。残念だったわねえ?」


 そう言って、彼女は懐からスマートフォンを取り出して、待ち受け画面を彼に見せた。二人の幼子の写真がそこに表示されていた。それを一瞥し、ランディが「ちっ」と舌打ちし、叫んだ。


「誰が手前なんかに興味を持つか! 俺は十五歳超えたら対象外なんだよ!!」


 その言葉に、二人の女性が呆気に取られた。やがて、神無がドン引きした様子で口を開く。


「うわ……、もしかしてロリコンだった……?」


 そして、睦実もまた興を削がれた様子で、冷たく言い放った。


「キモいぞ、金髪」




 そのやり取りを呆然と眺めていたサヴァトだったが、やがてその正気を取り戻してランディに問いかけた。


「だから、誰なんだよ!? こいつら!?」


 それを聞き、神無が「ふっふっふ」とわざとらしく笑う。


「私たちが誰か、だって?」


 そう言って、彼女が左手の銀色の指輪を強く輝かせた。睦実が怪訝な顔で彼女に問いかける。


「おい、変身する気か?」


「当たり前でしょ?」


「気が進まんな……」


 そう言って、睦実が一つ溜息を吐いた。神無が頬を膨らませる。


「何でよぅ!?」


「だって、ミニスカートじゃないか……」


 睦実は変身後のスカートの丈を気にしている様子だった。さすがに三十手前でそのお御足を世間に晒すのは憚られたようだ。だが、神無はそんなことはお構いなしと笑い飛ばした。


「いいじゃないの、見せてあげれば。酔った勢いに任せちゃえ!」


「私は呑んでないんだがなあ」


 睦実は頭を振ったが、やがて「やれやれ」と呟くと、その左手を頭上に高く掲げた。そして二人は同時に、その変身の呪文を告げた。


「「スタートアップ!!」」



* * *


 二人の身体が光に包まれ、やがてそれは二つの人型を象って収まった。

 睦実が青いゴシックドレスを、神無が緑のゴシックドレスを纏い、大地に降り立つ。それは魔法少女の正装だった。


 変身を終え、二人が不敵な笑みを浮かべて堂々と構える。そして、睦実が先に口を開いた。


「誰だこいつ、と聞かれたら!」


「通りすがりの主婦だと答えよう!」


「世界の平和を守るため! ……って、待て!」


 口上の途中で睦実がそれを止めた。サヴァトと三人の魔法少女たちが、唖然としてその様子を見守る。夏樹が「主婦?」と呟き、首を傾げた。


 睦実が神無に抗議の言葉を掛けた。


「神無、今のはロケット団のの入りじゃないか。なぜ鋼の錬金術師ハガレンなんだ?」


 十五年前には毎回のように口にしていたお決まりの口上だったが、それを勝手に改変してしまった神無に、彼女は少し腹を立てた様子だった。神無が悪びれもせず、舌をぺろりと出して言い訳する。


「言ってみたかったのよぅ。だって、主婦だし」


「主婦は、お前だけだろ?」


「あら、それはごめんあそばせ」


 そう言って、神無が屈託なく微笑んだ。




 そのやり取りを見ていた夏樹が、首を傾げて呟いた。


「……何の話?」


 早苗が滔々と解説を加える。


「青い方のお姉さんは、ポケモンのロケット団をやりたかったんだけど、緑のお姉さんがハガレンのイズミ師匠にしちゃったんだよ」


 そう言うと、霜亜来が納得した様子で、二、三度頷いた。夏樹はまだピンと来ていない様子で、さらに首を捻り、小さく唸った。


「……よく分かんねえ」




 すると、二人の魔力を感知してやってきたのか、早苗の頭上にクロウが降り立った。睦実と神無の姿を目にし、口を開く。


「ほう、誰かと思えば、懐かしい顔ぶれだな」


 早苗が頭上の存在に気付いて声を掛けた。


「あ、クロウ。居たんだ」


 霜亜来が彼に問いかける。


「あの二人、魔法少女ね?」


「その通り。一ノ瀬 睦実、そして、綾辻 神無だ。二人とも、三浦と同期の魔法少女だな」




 一方、サヴァトは二人の口上を見て首を捻っていた。少し狼狽した様子で、空中のランディに確認するように問いかける。


「な、なんだかよく分かんねえが、とりあえず敵ってことだな? 戦っていいんだよな?」


「あー、もう勝手にしろ。俺は諦めた」


 目の前に現れた二人の魔法少女は、弥生ほどではないにしろ、共に強力な魔力の持ち主である。それを知っているランディは、己が運命を受け入れ、もはやもがくことすら止め、ただ遠くを見つめていた。


 そんなことなど知る由もないサヴァトは、余裕の笑みを浮かべて右手の金の指輪を光らせた。


「俺の新しい闇魔法を見せてやるぜ!」


 そして小声でその呪文名を呟いた上で、その新魔法を発動させた。


「食らえ! “ダークネス=サモンゲート”!」




 すると、地面が盛り上がり、数体の土人形となって立ち上がった。それらがゆっくりとした動作で、サヴァトを守るように彼の周りに集まった。

 睦実が感心した様子で声を上げる。


「ほほぉ。レベル2土魔法マッドパペットか」


「そんな名前じゃねえ! 暗黒の淵から死神タナトスを召喚する闇魔法、ダークネス=サモンゲートだ!!」


 あくまでも闇魔法だと主張するサヴァトを、神無がキラキラした目で見つめた。どうやら彼が土魔法を使ったことに、いたく感動したようだった。


「わあ……、土魔法使いなのね? 一緒よ!? オバサンと一緒!」


 自身を“オバサン”と呼称した神無に、同い年の睦実がすかさずツッコミを入れた。


「待て。それだと、私もオバサンということになってしまう」




 ここで神無の言葉にサヴァトが反論を飛ばした。


「いや、土魔法とかじゃねえ! 闇だ! 闇魔法だ!!」


 その言葉に、睦実が呆れた顔で口を開いた。


「痛々しい奴だな、この小僧……」


 サヴァトがその両手に魔力を集める。睦実に向けて、レベル1土魔法ロックブラストを放った。


「うるせえ! 食らえ! “ダークネス=シャドウブラスト”!!」


 すると、すかさず睦実がそれを相殺すべく魔法を放った。


「“アイスブラスト”!」


 多少のブランクはあれど、彼女は歴戦の魔法少女なのだ。これくらいの反応は当然のことだった。

 睦実の放った氷の刃が、サヴァトの魔法を簡単に相殺し、さらにその後方に控えていた土人形をことごとく粉砕した。それでもなお、彼女の魔法の勢いは留まることなく、刃がサヴァトの身体へと迫った。

 彼はすかさず防御魔法を展開したものの、その障壁はあっさりと破られた。それを見るや、「やっべえ!」と一言叫ぶと、彼は素早く前転してそれを回避した。


 己の放った魔法の手ごたえに疑問を感じ、睦実が首を傾げた。


「うん……? かなり手加減したはずなんだが、パペット数体に加えて防御魔法まで貫いたぞ……?」


 そして彼女はぽりぽりと頭を掻いた。やがてその疑問の解答を導き出し、サヴァトを指さし、その結論を神無へと伝えた。


「神無、こいつ、かなり弱いぞ」


 神無もそれを感じたのか、力なく笑ってそれに頷いた。


「あー、魔力の量もそんな感じだよねー」




 またも最弱であることを見抜かれたサヴァト。その疑惑を払拭すべく、ひたすら大声で彼女の言葉を否定した。


「うるせえええ! 俺は弱くなんかねええええ!!」


 そしてその魔力を両手に集めていく。再度ロックブラストを放つ構えだ。だが、その魔力は、歴戦の元魔法少女たちからすると、あまりに弱々しく見えた。すると、同じ土魔法使いとして彼のことを不憫に思った神無が、デッキから虹色のカードを取り出して微笑んだ。


「じゃあ、可愛そうな後輩に、お姉さんがお手本を見せちゃうわね?」


 神無の取り出したカードの色を見て、睦実はこれ以上戦うのは無意味とばかりに腕組みをして魔力を収めた。


「神無、指輪の色をよく見ろ。あいつは蛇の使徒だぞ? 後輩じゃないぞ?」


「いいじゃない。サービスよ、サービス。土魔法の強さを教えてあげるのよぅ!」




 そして、神無がその詠唱文を詠みあげた。



“裂けよ大地。


沸けよ大地。


そして地の底に蠢く赤き魂よ。


天水を揺るがすその姿を、我が下に示せ”



 ランディの目の色が変わった。十五年前に数度聞いたきりの詠唱文だったが、ランディはそれが極大魔法の詠唱であると気付いた。彼はサヴァトに対し、必死の形相で警告を発した。


「やべえ! レベル5土魔法だ!! 逃げろサヴァト!!」


 彼の声がサヴァトの耳に届くとほぼ同時に、神無がその呪文を唱えた。


――「“ドゥーム=ヴォルケイノ”!」


 大地が裂け、そこから赤く溶けた岩石が顔を覗かせた――




* * *



 弥生が目を開けると、見慣れぬ天井が目に入った。


「……うん?」


 起き上がり、辺りを見渡す。どうやら車の後部座席にいるようだった。


「どこ、ここ?」


 まだ酒の残る頭で、必死に記憶を手繰る彼女。やがて、それが元同僚である睦実の車の中だと理解した。時計を見ると、午前二時を回っている。彼女は頭を押さえながら、ゆっくりとドアを開け、車から外へ出た。


 そのCX-3から降りると、睦実の背中が目に入った。青いゴシックドレスを纏った彼女が振り返り、後部座席から降りてきた弥生に声を掛けた。


「おお、起きたか、弥生。お前も手伝え」


 弥生が辺りを見回すと、そこは見慣れた天堂中学校の校庭だった。だが、ひとつだけ彼女の知っているものとは異なる光景があった。


「どうしたのよ、この有様は……」


 弥生が呟く。体育館があったはずの場所に、それが存在しないのだ。その場所には巨大な裂け目が出現し、辺りには冷えて固まった溶岩が突き出していた。その溶岩の一部はまだ赤く熱を保っており、睦実と夏樹が水魔法を駆使して、それを懸命に冷やしている最中だ。

 睦実がレベル4水魔法アイス=レクイエムを放ちながら、弥生に事情を説明した。


「神無が調子に乗って、体育館が全焼した。今、全員で直しているところだ」


 見ると、早苗と霜亜来は冷却の済んだ場所から、修復魔法で建物の基礎部分から復元しようと頑張っている。一方、神無の指示の下で、サヴァトとランディはスコップを手に、地表の割れ目を埋め戻そうと精を出していた。冷えた溶岩を砕いては裂け目へ放り込んでいく二人のその姿を見て、弥生が戸惑って口を開けた。


「何でランディと闇の王が居るのよ……?」


「彼らの手を借りないと、朝までに終わらないのよ」


「……まあ、そう言われれば、そうね」


 そして深く溜息を吐き、弥生もその修復作業へと加わった。


 サヴァトがスコップを振り上げながら、ブツブツと愚痴をこぼす。


「くっそぉ……。何で俺がこんなことを……」


 その横で、ランディが作業の手を休めた。少し離れた場所で修復魔法に集中している早苗の姿を見つめて、満足そうに微笑んだ。


「良い……。こういうのも悪くないぜ。早苗との共同作業か……。実に良い。俺、魔法少女になっちゃおうかな」


「駄目だこのオッサン……。早く何とかしないと……」


 サヴァトが呆れて溜息を吐いた。




 すかさず神無の指示が飛ぶ。


「こら、そこぉ! 手が止まってるぞお!! さっさとやらんかあ!!」


 その剣幕に、夏樹が震えあがった。


「あの神無とかいう人、何で仕切ってるんだよ。あの人のせいじゃねえかよ」


 早苗が小声で霜亜来に語り掛ける。


「やっぱり弥生さんの同期だねえ。怖いねえ。恐ろしいねえ」


「早いうちに終わらせて、早く帰りましょう」


 霜亜来は無表情で、淡々と作業を進めるのみだった。

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