第32話 貴女を止めてみせる

 彼女の魔力が高まり、そして弾けた。


 その瞳がらんらんと赤く輝き、皮膚はみるみるうちにどす黒く染まっていく。やがて四肢が膨れ上がり、その先端の爪は鋭く尖っていく。彼女は自身の変化に気付く様子も無く、ただ呟き続けるだけである。


「そのスフィアも、こノ学校も、絶対に許サナい。全部、滅んでシマエばいいのヨ、全部……」


 その口元が大きく裂けた。耳まで届かんばかりのその裂け目からは、巨大な牙が片鱗を覗かせる。その口で、彼女はなお言葉を放った。


「滅べ、滅んデシマエ。全部……。全部……!!」




 鼻は潰れ、耳は尖り、その顔はもはや人としてのそれではなかった。

 そのうち、人語としての呟きも無くなり、その口から発せられるものは邪悪な唸り声へと変わった。やがて身体は膨れ上がり、その四肢はより力強く、その筋肉を増大させていく。先端の爪は鋭さを増し、白く輝いた。いつしかその瞳は小さく分かれ、その数は百に達した。


 そうして、彼女は変化を終えた。体育館にも匹敵するほどの巨大な体躯を湛えて、彼女は全力で咆哮した。スフィアの力に取り込まれ、とうに理性を失った彼女は、本能に赴くままの魔獣と化したのだ。


 脳髄の奥まで響き渡るような巨大な咆哮を受け、校庭に立つ者全員が竦みあがった。その目にしたものが信じられず、早苗が声にならない悲鳴を上げ、力なく座り込んだ。


「三浦さんが、魔獣に……?」


「嘘、だ、ろ……?」


 霜亜来と夏樹もまた、弥生の変化した姿を見て、唖然とした。その赤き瞳の数は百を超える。これまで見たどの魔獣よりも巨大で、邪悪な姿と変貌した彼女は、少女たちを正面に見据えて身構え、そして低い唸り声を上げた。


 その姿に驚いたのは、蛇の使徒たちも同様だった。サヴァトが狼狽えて口を開く。


「マジかよ……。あれが、願いを叶えた結果なのかよ……?」


 ランディもまた呆然と彼女の姿を見て、そして呟いた。


「あれじゃ、十五年前のミエルネスと同じじゃねえか……」


「ちょっ!? それってどういう……?」


 己の父親の名前が出てきたことに、サヴァトが驚いて聞き返すと、その小さな叫びに反応したのか、弥生が蛇の使徒たちへ視線を移した。

 そして、ひとつ雄たけびを上げると、その口を大きく開いた。口腔に巨大な魔力が集まり、それは白く輝く熱の塊と化した。

 そして彼女は、それを二人に向けて放った。


 いち早く、その光球の正体に気付いたクロウが叫んだ。


「かわせ、月比古!! ノヴァ=ストライクだ!!」


 迫る超新星の光を呆然と見つめるサヴァト。その威力を良く知っているランディが、彼の身体を抱えてその場から駆け出した。

 

 そしてその光が地表へ衝突し、一気に弾けた。強烈な閃光の中で、校庭の土が一斉に蒸発し、それが熱波と混じって彼らの身体を襲った。


「うわああああ!?」


 それを目の当たりにしたサヴァトが、抱えられたまま恐怖の悲鳴を上げた。


 次にサヴァトが目を開けた時、その眼前にあったのは、校庭にぽっかりと開いた穴だった。深く暗い闇を湛えたその大穴に、サヴァトは愕然とし、そして震えた。


「何だよ、これ!? 魔獣にあんなことができるのか!?」


 サヴァトを抱えて全力疾走したランディが、息も絶え絶えになって地面に背中を付けた。その体勢のままで弥生の姿を一瞥し、眉間にしわを寄せた。


「信じられねえが……、あれは弥生と同じ魔法を使えるのか……?」


 弥生は二発目の極大魔法を放たんと、再び魔力を高めていく。それを止めるべく、夏樹がクロウに問いかけた。


「弥生さんを元に戻すには、どうすればいい!?」


 クロウが答えた。


「一度魔獣になってしまっては、もはや倒すしか方法は無い」


 それを聞いた早苗が困惑した様子で口を開いた。


「あんなの、倒せるの……?」


「やるしかないわ。それしか方法が無いのなら!」


 そう呟くと、霜亜来が魔力を高めた。それを見て、早苗と夏樹もまた魔力を高め、己が放てる最大威力の魔法を詠唱し、それを弥生に目掛けて放った。


 最初に魔法を放ったのは、早苗だった。


「“フレイムピラー”!」


 叫ぶと同時に、弥生の足元が赤く輝き、炎の柱が立ち上る。だが、それも地表を黒く焦がしただけで、弥生の身体に身じろぎ一つすら与えることはできなかった。


「“アイスブラスト”!」


「“サンダーフレア”!!」


 夏樹と霜亜来もまた魔法を放つ。しかし、早苗のフレイムピラー同様に、弥生には全く通じていない様子だった。彼女の身体は薄い魔力の膜で覆われており、それがあらゆる魔法を跳ねのけてしまうのだ。


 それでも夏樹は何度もアイスブラストを放った。しかし、そのいずれもが、弥生の身体に届く前に立ち消えた。夏樹が悔しそうに唇を噛んだ。


「駄目だ! 全然効いてねえ!!」


 三人の魔法少女たちを歯牙にも掛けず、弥生は二人の蛇の使徒を睨みつけたまま、口元から言葉にもならない唸り声をあげるだけである。彼女の全く揺るがぬ憎悪の視線を浴び続け、サヴァトが声を震わせた。


「さっきから、俺たちばっかり睨まれてねえか……? 気のせいか?」




 彼の頭上から声がした。


「気のせいじゃないさ」


 見ると、有翼の白蛇が上空から彼らを見下ろしていた。


「あれの引き金を引いたのは、他でもない、サヴァトだよ。だから、君が最優先で狙われるのは当然だよね」


「おい、それはどういうことだよ!?」


「あれは弥生の怒りと恨み、絶望が重なって生まれたんだ。その切っ掛けになったのが、サヴァトの行為だったのさ」


 それを聞き、ランディがサヴァトの右腕をぐいと引っ張った。


「じゃあ、このガキを生贄にすれば、万事解決ってわけかよ……」


「お、おい!? 冗談だろ!?」


 サヴァトが狼狽えて、その右手を力強く払った。二人の蛇の使徒の視線が交錯するも、そんなことなど気にも掛けない様子でミドが口を開いた。


「少しは収まるだろうね。ただ、弥生の願いはそれじゃあないよ」


「弥生の願いだとお……? そりゃ一体何だ?」


「『世界の破滅』だよ。それを成し遂げるまで、彼女は止まらないさ」


「……逃げようぜ」


 暫しの沈黙の後、サヴァトがそう提案した。ランディの眉間にしわが寄る。


「ああ?」


「逃げよう! あんなの、勝てるわけねえ!」


 そう言って駆け出そうとしたサヴァトだったが、その目の前に、とある人物が立ちはだかった。それは、彼にとっては思わぬ相手だった。


「駄目よ、新兄さん」


 霜亜来が両手を広げ、サヴァトの逃走を制止した。


「新兄さんが逃げれば、弥生さんはきっとそれを追うわ」


 霜亜来が弥生に視線を移した。弥生は再度極大魔法を放つべく、徐々にその巨大な魔力を口腔へと集中させていく。尋常ではないレベルまで高まりゆく魔力に戦慄を隠せずにいながらも、霜亜来は気丈に振舞った。


「校内でケリをつけたいの。だから、新兄さんはそこにいて頂戴」


「……戦う気かよ、霜亜来」


 霜亜来の肩が震えていることに、サヴァトが気付いた。さらに、己のひざも同様に震えていることにも。彼も一度は、目の前の少女同様に己を奮い立たせようとしたものの、それは適わず、ただ校庭にへたり込むだけだった。


 そんなサヴァトの肩を、ぽん、と叩き、金髪の男が口を開く。


「そうか。お前ら魔法少女はあれとやりあうつもりか……」


 そして、ランディが立ち上がった。その瞳は強く意思を持って輝き、彼の炎の魔力が最高潮まで高まっていく。


「俺も、やるぜ!」


 そう言って彼もまた弥生に向かい、己が最大魔法たるクリムゾン=インフェルノを放たんとしたところで、彼の魔力が突然消失した。




 頭上から、再度声が響いた。


「そうはさせないよ、月比古」


「んあ……? 魔力が消えた?」


 突然の出来事にランディが困惑していると、上空の白蛇が口を開いた。


「あれはスフィアの意思そのものなんだよ。それに逆らうなんて、許されないことさ」


「ミド! 手前、俺の魔力を奪いやがったな!?」


「スフィアの意思に背くからさ。後でちゃんと返してあげるよ。ただ、その時までこの世界が存在しているかは怪しいけどね」


 クロウが怒りの声を発した。


「それが貴様のやり方か!? どこまでも腐った白蛇め!」


「何とでも言うがいいさ。クロウ、君はそこで弥生の願いが叶うのを見届けるといいよ」


 そして、弥生の魔力が臨界に達した。


 彼女はゆっくりと口を開く。その口腔にある無数の牙が、スフィアの黒い光を反射して漆黒に輝いた。その輝きすらかわいく思えるほどの、強烈な破壊の光が、彼女の口腔へと集まり始めた。


「また、あの攻撃が来る……!!」


 サヴァトが恐怖に震えた。彼もまたミドによって魔力を奪われ、防御魔法すら唱えることが適わない。




 戦う術を失った二人の使徒の前に、霜亜来が立ちはだかった。


「“ライトニング=ボルト”!!」


 彼女がレベル3雷魔法を唱えると、その身体を電気の防壁が覆った。


 そして、弥生の口から、再度ノヴァ=ストライクが放たれた。


 憎悪と怒りを内包した邪悪なる破壊の光が、霜亜来目掛けて向かってくる。

 霜亜来の背後には、防壁すら張れなくなった二人の蛇の使徒。霜亜来は電気の防壁へ己の魔力を集中させた。

 直感的に無理だと悟っていたが、それでも彼女には、背後の二人を守らなければならないという思いがあった。その極大魔法を、己の防壁で受け止めるという選択肢以外はありえなかった。


 クロウが叫ぶ。


「いかん! 防壁ごと消し飛ぶぞ!!」


 それでも、霜亜来はその場を動かなかった。

 その強烈な光が眼前に迫り、今にも少女の身体を覆わんとする。そして彼女は、自らに訪れるであろう無慈悲なる運命を悟り、その瞳を閉じた。


 その時――





 

 ――風の極大魔法の詠唱が行われた。



“来たれ風。来たれ翼。


刃は螺旋を駆け降りる。


舞えよ嵐。


許されざる者達に、滅びの時、在れ



ブレイズ=ハリケーン”!!



 その言葉と共に呪文が発動した。黒い竜巻が巻き起こり、弥生の放った光球と激しく衝突する。二つの極大魔法が衝突し、破裂音と共に強い衝撃波が辺りへ降り注いだ。


 クロウが驚きを隠せない様子で声を上げた。


「これは、風の極大魔法……!!」




 霜亜来が目を開けると、そこには一人の女性の背中が見えた。風魔法によって散らされたノヴァ=ストライクの熱波がまだ残る中、その女性はゆっくりと振り向いた。

 銀縁の眼鏡がきらりと輝き、そのショートボブの髪が、ふわりと揺れた。

 

「なんとか、相殺できたみたいね」


 霜亜来の無事を確認した彼女が小さく微笑むと、クロウがその名を呼んだ。


七村ななむらか」


 その女性――渡辺わたなべ ふみ(旧姓:七村)は、理性を失ったかつての戦友を指さし、力強く言い放った。


「私の生徒に手出しはさせないわよ! 弥生!」


 そして彼女がデッキを開く。無数のカードが黄色いゴシックドレスの周りをゆっくりと回った。


 突然現れた担任教師の姿に、早苗と夏樹が驚いた。


「……渡辺先生?」


 霜亜来もまた、目を丸くして彼女の背中を呆然と見つめる。



* * *


 クロウが文の横に降り立った。


「すまんな、助かった。七村」


「私の力だけじゃないわ」


 いくら極大魔法とはいえ、魔法少女としてのブランクが長い文に、弥生の全力の極大魔法を迎え撃つだけの力があるはずもない。それでも、彼女の“ブレイズ=ハリケーン”が、弥生の“ノヴァ=ストライク”を相殺できたのは、また別の力が働いたからだった。


 文の次にそれに気づいたのは、夏樹だった。思わず空を見上げ、呟いた。


「これって、水の極大魔法か……?」


 いつしか、校庭の四方が青い壁で囲われていた。水属性の最高峰にして魔力支配の魔法、アブソリュート=キューブが設置されていたのである。


 現状、水の極大魔法を放てるのは、弥生の他に一人しかいない。

 その人物――一ノ瀬いちのせ 睦実むつみが、校庭の屋上で溜息を吐いた。


「やれやれ、こないだ来たばかりだというのにな」


 その隣で、緑のゴシックドレスを纏った女性が、校庭を見下ろして口を開いた。


「アブソリュート=キューブでも魔力を抑えきれてないじゃないの。さすがは弥生。大したものね」


 山本やまもと 神無かんなが感嘆の息を吐くと、睦実がそれをじっと睨みつけた。


「感心してる場合か。あれを倒さないといけないんだぞ?」


 かつての戦友が集ったことを確認し、文が口を開いた。


「私たちで、必ず貴女を止めてみせるわ、弥生」

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