第33話 絶対に諦めるな
「な、な、何で先生がここに……?」
夏樹は未だ信じられない様子だ。常に糊のきいた真っ白なシャツを身につけ、その上に羽織るは落ち着いた色のブレザー。そしてきっちり折り目の付いたスラックスを纏って教壇に立っている。夏樹の知る担任教師 渡辺 文はそういう“キッチリとした大人”の姿そのものである。その彼女が、今、フリル付きの黄色いゴシックドレスーー魔法少女の正装を纏って目の前に立っているのだ。夏樹の受けた衝撃たるや、天地動転に値するものである。
そして早苗もまた同様の衝撃を受けていた。目の前の展開に頭が追い付かず、ぽかんと口を開けたままである。
父親経由であらかじめその事実を知っていた霜亜来だけが、そっと文に歩み寄り、礼の言葉を述べた。
「ありがとうございます、先生。でも、どうしてここへ……?」
「弥生の魔力が弾けたのを感じたのよ」
そう言って、文が優しく微笑んだ。
魔獣と化した弥生が一度大きく唸り声を上げた。目の前に現れたのはかつての戦友。だが、既に理性を失って久しい彼女には、その事実すら認識できていないようだった。眼前に現れたものをただ敵であるとだけ捉え、それらへ再び攻撃を放つべく、口腔へと魔力を集中しようとする。だが、睦実の魔力支配がそれを許さない。己の思うように魔力が操作できなくなり、弥生は戸惑っている様子だ。
睦実と神無が屋上から飛び立ち、風魔法を発動させる。二人はゆっくりと校庭へ着地し、そして文の元へと歩み寄った。
「あたしの魔法で、ある程度の魔力は抑えたが、それでもあれは強力すぎる。完全には抑えられんぞ」
弥生を指さし、睦実が言う。
魔獣は魔力を原動力として活動する。故に、魔力支配の魔法であるアブソリュート=キューブ発動の時点で、大概の魔獣はその身体を維持できなくなり、塵に還るのが自然なのだが、あまりに強大な魔力を持つ弥生に関しては、その限りではなかった。
文が息を吐く。
「十五年前と同じね。多分、極大魔法でも……」
「ーー無理だろうな。ミエルネスの時は、当時の私と弥生の合体魔法でも傷一つ付かなかった。ましてや、あれは弥生だ」
「じゃあ、やっぱりまたあれを使うしかないのね……?」
「ああ、“ペンタグラム”しかないな。十五年前に一度使ったきりだが、ちゃんと覚えてるだろうな?」
睦実が意地悪く笑う。文と神無は、“もちろん”と言わんばかりに、強く頷いた。三人の視線が交錯する。そして神無が辺りを見回して口を開いた。
「で、キサラはどこに居るんだ? 来てないのか?」
「キサラちゃんのことは分からないわ。五年前に街を出て行ったきりよ」
「くっそ……! あの白状者~~」
神無が歯噛みした。“キサラ”とは、十五年前に彼らと共に戦った魔法少女の最後の一人 二階堂 キサラのことである。とうの昔に消息を絶っており、彼女が今どこで何をしているのか、知っている者は誰も居ない。これから彼らが使おうとする魔法には、その彼女の力が不可欠なのだが、生憎この場にその姿は無かった。
睦実が口を開く。
「キサラ抜きでやるしかない。幸運にも、炎と雷の属性を持った子が居るからな。神無、文、五分だけでいい。二人で弥生を食い止めてくれ。その間に作戦を練る」
文と神無が頷き、次の瞬間、彼らは散開した。文は弥生の南側へ、そして神無は北側へと位置を移し、同時に魔法の詠唱を開始する。
「文! 足元に穴を開ける! お前は上から抑え込め!!」
「ええ、行くわよ!」
神無の掛け声を合図に、二人は魔力を解き放った。
神無の
弥生が雄叫びを上げ、二人の魔法に対抗しようとするも、睦実のアブソリュート=キューブ下においては本来の力も出せず、ただそれに従うしかなかった。
* * *
「来い。作戦会議だ」
睦実が少女らに声を掛けた。三人の少女はおずおずと彼女の元へ歩み寄る。クロウもまた夏樹の頭上に飛び乗り、彼らの輪に加わった。
最初に口を開いたのは夏樹だった。
「ええと、神無さん、前とキャラ違くない?」
苦笑いを浮かべ、校庭の神無を指さす夏樹。それに対し、睦実は「酒が入ってなきゃ、あんなもんだよ」と答え、面倒くさそうに頭を掻いた。
そのやり取りで場の空気が僅かに和んだ。それまで気後れしていた早苗が、おもむろに口を開く。
「私たちに、何ができますか?」
不安げな面持ちで、早苗が睦実に問いかける。早苗らが痛感していたのは、既に事態は少女らの拙い魔力でどうこうできる段階を過ぎてしまったということ。こうなってしまった以上、自分に出来ることはもう何もないのではないか。それが率直な気持ちだった。それを感じていたのは、早苗だけではない。夏樹も、霜亜来もまた、同様に怪訝な顔で睦実の口元を注視していた。
そんな彼らの心情を察したのか、睦実が微笑み、そっと早苗の頭へ手を伸ばした。その掌で頭を撫でるかと思いきや、すぐさま手首を返し、早苗の頭をコツンと小突く。「あいた!」と早苗が小さく悲鳴を上げた。
「寝惚けてるなよ。お前たちの力が必要だ。五属性のレベル5合体魔法 “シャイニング=ペンタグラム”を使う」
と、睦実が魔法の名を口にするや、すぐさま彼らの足元から声がした。
「ふうん、十五年前と同じことをするつもりかい?」
彼らがその声の出所を確認すると、いつの間に居たのだろうか、彼らの輪の中央に、有翼の白蛇が鎮座していた。早苗が驚き、声を上げる。
「ミド!?」
「五属性の極大魔法を重ねるつもりなんだろう? 残念ながら、不可能だね」
ミドが睦実の顔を見上げて言葉を続ける。
「君たちに、炎の極大魔法を使える人は居ない。さらに、二階堂キサラも不在なんだろう? 雷も使える人が居ないよ? どうするつもりなんだい、睦実?」
ミドは嘲るような口調で睦実に問いかけた。その挑発に、睦実は短く答えを告げる。
「邪魔だ。消えろ、白蛇」
次の瞬間、彼女の発動した力魔法で、ミドの身体が数メートル吹き飛んだ。校庭の隅に追いやられたミドが、その首をもたげながら言う。
「弥生同様に、君も乱暴だねえ。まあ、せいぜいあがくことだね」
そして白蛇は闇の帳の中へと飛び立ち、姿を消した。
睦実がデッキを展開した。弥生ほどでは無いが、彼女もまた数百枚のカードを所持している。睦実はその中から虹色に輝くカードを一枚手に取ると、それを夏樹へ差し出した。
「夏樹と言ったな。お前、これが読めるか?」
夏樹はそのカードを見つめる。楔形の不思議な文字が羅列されたそのカード。不意に、夏樹の頭の中にその文字の意味が流れ込んできた。それは“アブソリュート=キューブ”と読めた。
「あ、読める。あれ? えっと……、これってレベル5魔法だろ?」
夏樹がそのカードを裏返し、カードの色を確認した。七色に輝くカードはレベル5魔法の証である。現状、レベル2魔法までしか使えない彼女には読むことすら適わないはずの無いカードが読めたことで、夏樹は戸惑った。睦実が説明を入れる。
「あたしの“アブソリュート=キューブ”で弥生から奪った魔力をお前たちに分配した。今なら全員レベル5魔法が使えるはずだ」
睦実は説明を急いだ。なるべく手短に作戦会議を済ませ、早急に行動を開始したかったのだ。というのも、睦実は内心戦慄していた。睦実が弥生から奪った魔力は、彼女の魔力量の七割程度に過ぎない。それでも、三人の少女を最大レベルまで底上げし、さらに文や神無へ付与してもまだ十分に余るほどの魔力量だったのだ。彼女が万全の状態であるなら、恐らく世界を滅ぼすことなど容易くやってのけるであろう。敵対して初めて感じた弥生の魔力の底の知れなさに、睦実は怯えていた。
早苗と霜亜来も己の身体に付与された強大な魔力に気付いた。あまりに大きな魔力は、彼女らの器に収まり切れず、身体を包むオーラとなって溢れつつある。霜亜来が口を開く。
「じゃあ、これでその合体魔法というのが使えるのね」
「ああ、だが、もう一つの問題をどうするか……」
睦実が右手の親指の爪を噛んだ。合体魔法発動のためには、如何ともしがたい問題がもう一つあるのだ。夏樹が不思議そうな顔で問いかける。
「え? 呪文は使えるんだろ?」
すると、彼女の頭上でクロウが口を開いた。
「カードか」
「そう。カードが無い。
睦実が考えあぐねていると、早苗が一歩前へ出た。
「私、“ノヴァ=ストライク”持ってます」
思わぬ申し出に、睦実が「えっ!?」と声を出す。早苗がデッキを開き、そこに一枚だけ存在する虹色のカードを取り出して睦実に手渡した。それは間違いなく炎の極大魔法“ノヴァ=ストライク”のカードであった。睦実が、信じられない、といった表情で早苗の顔を見る。
「弥生さんに、貰ったんです。これを詠めるようになるのが、課題だって……」
そのカードを渡してくれた時の弥生の顔を思い出し、早苗は思わず涙ぐんだ。夏樹も己のデッキを開き、“アブソリュート=キューブ”を一枚取り出して言った。
「うん、あたしも貰った」
これなら行ける……! 睦実の心に希望が差した。残るは雷の極大魔法のカードだけだ。期待を込めて、彼女は霜亜来に問いかける。
「ってことは、“ライトニング=メテオ”も……!」
「……ごめんなさい」
霜亜来が俯いた。彼女は魔法少女になってから日が浅く、まだ弥生からそれを受け取ってはいなかったのだ。睦実ががっくりと肩を落とした。
「……そうか。いや、でも四属性でもやれなくは……、いや、しかし……」
睦実が幾度も爪を噛み、考えを巡らせる。四属性の極大魔法は揃っているのだ。一か八か、その四つを重ねれば、本来予定した威力には及ばないとはいえ、弥生を止めることくらいはできるのではないか? そう思い至った。それは極めて勝ち目の薄い賭けに等しい行為だったが、今やそれしか手は無いのだ。そうするしかなかった。
「仕方ない。四属性でやろう――」
そう睦実が口にした時、彼女の頭上から声がした。
「待て、一ノ瀬。カードならここにある」
いつの間にか睦実の頭上に移動していたクロウが、その右の翼をはためかせる。すると、その羽根の隙間から、一枚のカードがはらりと舞って落ちた。雷の力を宿らせた、虹色のカード。“ライトニング=メテオ”である。
それを確認し、睦実が目を丸くした。
「クロウ!? これ、何で!?」
「たった今、二階堂から貰ってきた。彼女は今、札幌に居る」
「北海道まで行ってきたのか……?」
「私は実体が無いからな。瞬時に移動できる」
淡々と答えるクロウ。求めていた最後のカードを手に取り、一瞬ホッとした表情を浮かべた睦実だったが、すぐさまクロウを鋭く睨みつけて口を開いた。
「お前、最初からキサラの居場所を知っていたな?」
「言ったろう。私は常にお前たちのことを案じている、とな」
「……ずっと冗談だと思っていたよ」
「それは心外だ」
睦実が小さく微笑み、カードを霜亜来に手渡した。そのカードの文字を読み取れることを確認した霜亜来は、睦実の目を見て小さく頷く。睦実が一つ手を叩き、その場にいた者全員に向けて、高らかに告げた。
「やろう。条件は揃った」
弥生へ向けて歩みだそうとした刹那、クロウが再び口を開いた。
「それと、二階堂から、一つ伝言を預かっている」
「伝言……?」
睦実がクロウを見る。弥生の足止めに傾注していた二人も、その言葉に耳を傾けた。クロウが言葉を続ける。
「絶対に諦めるな、と」
『私たちは、絶対に諦めない』
――それは、十五年前の最終決戦で交わした約束。最初にそれを口にしたのは、誰だったろうか。いつしか、彼女ら五人にとっての合言葉となっていたその言葉を久方ぶりに耳にし、睦実は思わず笑みが零れた。
「絶対に諦めない、か……」
その言葉を、神無が何度か噛みしめるように呟き、そして言った。
「キサラの奴、粋な真似してくれるじゃねえかよ」
「そうね。約束したものね……」
文もまた、その言葉で決意を新たにした様子で、弥生に向ける魔法により力を注ぎ込んだ。二人のレベル4魔法で動きを制限されていた弥生だったが、それでも二人の魔力も無尽蔵にあるわけではない。また、弥生も徐々にその魔力を取り戻しつつあり、その限界はゆっくりと近づきつつあった。
足止めも持ってあと三分。そう感じた睦実は、口早に三人の少女へと言葉を告げる。
「それでは、やり方を教えよう。究極魔法、シャイニング=ペンタグラムのな」
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