第26話 あたしと遊んでもらうわ
「何でだ!? 近づけねえ!!」
夏樹が叫んだ。サヴァトの周りには、見えない壁が発生し、彼らの侵入を拒んでいる。だが、それはサヴァトの魔法ではなく、黒いスフィアそのものが彼を守るべく発生させたものであった。
「障壁が発生している!
クロウが彼らの周りをせわしく飛び回って、アドバイスを送る。少女らはカードを取り出し、三方から攻撃を開始した。だが、その障壁は普段のサヴァトのものとは比べ物にならないほど強く、彼女らの攻撃を簡単に弾き飛ばした。
* * *
弥生のスクーターが、滑り込むように構内へ飛び込んできた。彼女は慌ててそのヘルメットを脱ぎ、空を見上げる。
「何よコレ……。スフィアが黒い……?」
その背後から歩み寄る影。その口が開き、弥生の名を呼んだ。
弥生が振り向くと、その女性は微笑み、右手の金の指輪を見せる。彼女の魔力の放出を受け、その指輪が強く輝いた。
「悪いけど、先にあたしと遊んでもらうわ」
「メルコレディ、あんたの仕業なの……?」
好敵手の登場に、弥生が身構えた。その言葉に、涼子が答える。
「違うわよ。ミエルネスの息子がやったのよ」
涼子が校庭を一瞥した。サヴァトの魔力が彼の器の限界を超え、さらに高まっていく。そこに黒のスフィアの力が影響しているのは明らかだった。三人の少女たちがサヴァトの周囲を守る障壁に次々と攻撃を仕掛けるが、未だそれを破ることは適わなかった。
「やっぱり、血は争えないわよね。願い事も同じよ。世界征服、ですって」
涼子が口元を歪ませると、弥生が彼女を睨みつけた。十五年前、彼の父親が中心となって行った凶行を、彼らはまた再現しようとしているのだ。それはなんとしても阻止せねばならない。弥生が強い意志を持って言葉を放つ。
「させないわよ」
「こっちのセリフよ。久々に、本気で遊んであげるわ」
涼子が微笑み、その水の魔力を右手に集めていく。周囲の空気が冷気を帯び、空気中の水分が輝く粒子へと変わる。涼子が
睨み合い、互いに魔力を高めていく二人。
ふと、サヴァトがその魔力に気付いて振り向いた。正門の傍に立つ二人の女性が目に入った。片方はメルコレディ、そして片方は三浦 弥生である。そして、弥生の姿を見た瞬間、彼の顔がみるみる青ざめていく。彼の恐怖がはじけ飛び、それは絶叫へと変わった。
「うわああああ!!! 三浦 弥生だああああ!!!!」
絶望は焦りと不安へ、恐怖は怯えへと変わる。弥生の姿を見た刹那、純然たる彼の負の感情が大きく揺らいだ。スフィアの色が瞬く間に黒から虹色に変化し始め、彼の周囲に張り巡らされた防壁も、やがて姿を消した。
その時、タイミングよく放たれた夏樹のウォーターショットが、サヴァトの身体に直撃した。「ぎゃあ!」と小さい悲鳴が上がる。
そして、スフィアは白い輝きを取り戻した。その中央から、黒い影がどさりと落ちた。それを見た早苗が驚く。
「あれ、魔獣出た!?」
結局、サヴァトの生み出した魔獣は“三つ目”だった。魔獣はゆっくりと起き上がり、辺りをキョロキョロと見回した。
一方、サヴァトは激痛に耐えながら起き上がった。その攻撃の主である夏樹には目もくれず、ひどく狼狽えた様子で、遠くの弥生にぺこぺこと頭を下げている。
「ごめんなさいいいい!! もうしませえええん!!!」
そう涙ながらに叫ぶと、彼は一目散にその場から逃げ出した。あっという間に校庭を駆け抜けると、校庭の塀を乗り越えて学外へと姿を消す。その様子を、少女たちはぽかんと口を開けて見届けた。
「な、なんだあ?」
「新兄さんが、逃げたわ……」
すると、校庭に取り残された魔獣も、また彼の後を追おうと走り出した。夏樹が周章して叫ぶ。
「って、魔獣も逃げんのかよ! 霜亜来、回り込め! 校外に出すと厄介だぞ!!」
魔獣を取り囲み、始末を付けようとする少女たち。だが、サヴァトの“この場から逃げ出したい”という思いを強く受けて生み出されたその魔獣は、魔法少女たちとは一切交戦することなく、まるで肉食獣から逃げるインパラのように、華麗に校内を逃げ回った。
少女たちはそれを必死に追いかけた。“三つ目”といえど、その身体能力は人間を遥かに上回っている。純粋な追いかけっこでは捕まえることなど適わない。彼女らは魔法で牽制しつつ、徐々にその魔獣を追い込んでいった。
やがて霜亜来の魔法が直撃し、魔獣は地に伏した。懸命に走りまわった結果、少女たちは汗だくになり、息も切れ切れでその場にへたりこんだ。まともに向かってこない相手がこれほど厄介なのか、と少女たちは痛感した。
その様子を見届け、ミドが体育館の屋根の上から口を開く。
「涼子、失敗だよ。足止めはもういいよ」
それを聞き、涼子が一息付いた。集めた魔力を霧散させ、尻ポケットから煙草の箱を取り出して、弥生に言う。
「と、いうことらしいわよ?」
弥生が首を傾げた。
「いや、どういうことかよく分からないわ。説明しなさいよ」
「貴女と遊ぶのは、また今度ってことね」
涼子が煙草に火を付けた。ジッポーライターがカチン、と乾いた音を立てる。そして弥生に背を向け、軽く左手を上げて「じゃあね」と別れの言葉を告げた。
* * *
午前二時、土屋鮮魚店の二階は明かりもなく静まり返っていた。その自室の片隅で、新はうずくまっていた。その頬に涙が零れる。先刻、校庭で弥生を見た瞬間、彼の脳裏に、先日の修羅のごとき弥生の顔が浮かんだのだ。そして彼は彼女に怯え、泣き、叫び、そして逃げ出してしまった。そんな己が情けなく、また許せなくなり、彼の目からはとめどなく涙が零れ落ちた。
「まだ泣いているのかい、新」
彼に語り掛ける声があった。新が見上げると、窓の横にミドの姿があった。窓からは月明りが差し込み、その白蛇の鱗を美しく輝かせた。
彼は涙を拭い、なんとか強がって言葉を絞り出す。
「な、泣いてないやい!!」
だが、その溢れ出る雫を止めることは、今の彼には不可能だった。彼はそれを見せまいと、また顔を伏せた。ミドが優しく語り掛ける。
「弥生が怖いのかい?」
暫しの沈黙の後、新がおもむろに口を開いた。
「……ああ、怖ぇよ。すっげえ怖ぇ」
その言葉を聞き、ミドが一時の間を置いた。そして諭すように声を掛ける。
「君は今夜、凄いことをやってのけたんだよ。気付いてたかい?」
「凄いこと……?」
新が顔を上げた。ミドの言葉の真意が分からず、困惑した様子だ。
「やっぱり気付いてなかったね? 君はスフィアを黒く染めたんだよ」
新の目に輝きが戻る。彼は身を乗り出し、ミドに問いかけた。
「え!? ってことは、俺の願いは……?」
「叶える一歩手前まで来たんだよ。他の使徒はここにすら到達できなかった。やっぱり君には、才能があるんだよ」
「才能……?」
「そうさ。他の使徒や魔法少女なんて、君の足元にも及ばないよ。素晴らしい才能だ」
いつしか、おぼろ雲が流れ、月光を遮った。暗闇に包まれたその部屋の中で、少年の笑い声が響く。
「ふ、ふ、ふ」
その声は、最初は小さなものだったが、それはやがて力強さを増していった。そして、再び月明りがその室内を照らした時、彼は立ち上がり、高らかに笑い声を上げた。
「フゥーハハハ! そうか! やっぱそうか! 俺って才能あるんだな!?」
「その通りだよ。願いさえ叶えてしまえば、弥生を倒すのなんて赤子の手をひねるより簡単さ」
「フハハハハ! そうだよな! 俺の才能なら、それくらいできるよな!!」
「ああ、だから、今から君にひとつヒントを教えてあげるよ」
サヴァトが完全に我を取り戻し、ミドが安堵の溜息を吐く。そして、白蛇の目が赤く輝いた。
「もう一度、スフィアを黒く染めるためのヒントを、ね」
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