第25話 これも父親譲りだね

 時刻は午後九時を回った。

 早苗が校舎の裏を小走りで駆ける。夏樹から逃げているのだ。校舎の中に、ちらりと霜亜来の姿も見えた。彼女もまた、夏樹を避けるように行動していた。


 とはいえ、夏樹が何かをしたわけではない。彼らは鬼ごっこをしていた。今は夏樹が鬼なのだ。だが、これはただ遊んでいるわけではない。魔力探知の練習を兼ねている。互いに魔力の位置を察知しながら、相手から逃げ、また追いかけることで、その精度を上げようという意図をもって行われていた。これは弥生の発案した練習法で、彼女が不在でどうにも手持無沙汰なとき等に、夏樹と早苗は時折こうやって遊んでいた。

 今宵は霜亜来が初参加ということで、夏樹はやおら張り切っていた。夏樹が言うには、早苗の魔力はとても捉えづらい事があるらしく、鬼として追いかけるときは時にイライラすることもあるらしい。


 早苗は一度立ち止まり、集中して夏樹の魔力を探る。夏樹は校舎内に入ったようだ。どうやら霜亜来に標的を絞ったらしい。早苗は夏樹から距離を取るべく、体育館を目指した。その足元は徐々に小走りから駆け足に変わり、勢いよく校舎の角を曲がった。その時だった。


 その角で、とある人物と鉢合わせた。まさかそこに人がいるとは思わず、早苗が急ブレーキをかけ、目を丸くする。それは相手も同様だった。その人物が驚いた顔で、思わず口を開く。


「あら? 見つかっちゃった?」


 年のころは弥生と同じくらいだろうか。デニムのパンツに、黒いTシャツというラフな出で立ちの女性が、そこに立っていた。胸元には、銀色のチェーンネックレスが光っている。彼女は火の付いた煙草を咥え、一息に煙を吐き出した。

 学校という場にまるで不似合いなその女性を見て、早苗は狼狽えた。そのアッシュグレーに染められた髪は、どう見ても先生ではないし、また生徒でもありえない。念のため、一度意識を集中して魔力を量ってみたが、その女からは何の力も感じられなかった。ますますその正体が分からずに、早苗が怪訝な顔をした。


 一方、その女性はそんな早苗を上から下まで嘗め回すようにじっくりと見つめた。そして、ふと何かに気付いたような顔をして、口元を歪ませた。


「へえ、貴女も魔力隠すのが得意なのね」


「え……?」


 また早苗は狼狽えた。魔力、という単語が口から出てきたその女性。その正体について考えを巡らし、いよいよその答えが出そうになったその時、突如校舎の二階から声が飛んだ。



「“サンダーアロー”!」


 声と同時に、雷の矢がその女性目掛けて放たれた。彼女は、その矢を一瞥もせずに、防壁を展開してそれを防いだ。


 早苗が振り向くと、二階のテラスに霜亜来の姿があった。霜亜来はそのまま地面に飛び降りると、早苗に声を掛けた。


「上月さん、その人から離れて……!」


 状況が掴めず、早苗が霜亜来に問いかける。


「あ、霜亜来ちゃん。この人、もしかして知り合い?」


「蛇の使徒よ。メルコレディだわ」


 それを聞いて驚き、早苗が一歩後ずさった。その女性――メルコレディが口元に笑みを浮かべて霜亜来を見つめる。


「あら、知ってたのね。お父さんから聞いたのかしら?」




 依然として、目の前の女性からは魔力を感じられない。霜亜来の言葉が信じられず、早苗が思わず呟いた。


「この人が、四人目の蛇の使徒……?」


 メルコレディがその言葉に首を傾げた。


「四人目……? ああ、貴女たちにとってはそうなるのね」


 彼女が早苗と会うのは、今夜が初めてである。他の三人の使徒がすでに顔見せしている以上、早苗らにとって彼女は“四人目”なのだ。なお、彼女は蛇の使徒の中では二番目に古いメンバーであるので、正確には“二人目の蛇の使徒”となる。だが、そんなことは彼女にとってどうでも良いことだった。




「初めまして。水科 涼子よ」


 そう言って、彼女は不敵な笑みを浮かべた。霜亜来が身構えたまま、意外そうな顔をして口を開く。


「簡単に本名を明かすのね」


「いずれバレる事だし、弥生もクロウも知ってることよ。隠したってしょうがないわ」


 涼子がまた煙草を口に咥えて、深く煙を吸い込んだ。白い煙草の先端が赤く燃える。


 そして一息煙を吐き出すと、二人の少女に問いかけた。


「ところで、弥生はまだ来てないのかしら?」


 霜亜来が答える。


「今日はまだ見てないわ」


「あら、そう。また仕事にうつつを抜かしてるのね」


 詰まらなそうにそう言うと、彼女はそのアッシュグレーの髪を片手でかき上げた。そして、「パートのくせに頑張っちゃって」と付け足した。


 「正直に言うと――」と涼子がさらに口を開く。なおも身構える二人の少女に「貴女たちに興味はないの」と告げた。「だから、魔獣も出してあげないわ」と続けると、彼女は人差し指を唇に当てて、小さく微笑んだ。霜亜来が怪訝な顔で問う。


「じゃあ、貴女は何のためにここに居るの?」


 すると、涼子はまた口元を歪ませた。


「あたしが遊びたいのは、弥生だけなのよ」




 涼子が携帯灰皿に煙草を押し込んだ。その立ち居振る舞いと穏やかな魔力は、彼女に戦う意思がないことを示していたが、それでもなお二人の少女は警戒の姿勢を崩さなかった。それを見た涼子が静かにほほ笑んで一つ歩み出たその時、突然校内に金属音が響いた。


 上空のスフィアが激しく揺れ、その輝きを強くする。何者かが魔獣を呼び出したのだ。涼子が上空を見上げ、周章して叫んだ。


「ちょっと!? 誰よ、一体!?」



 蛇の使徒は、『喫茶 水曜の空』に週に一度集まって会議を行っている。その議題は大抵の場合、たった一つだけだ。次の一週間の“襲撃”の日程を決めているのである。先週の会議において、この夜は涼子が担当するものとして決定していた。にも関わらず、別の使徒がこの場に現れたのだ。彼女が憤慨して口を開く。


「今夜はあたしの番なのに! 勝手なことしちゃって!!」


 そして、彼女はその右手の金の指輪を光らせ、レベル3風魔法スパイラル=トルネードを発動させた。一陣のつむじ風が巻き起こり、涼子の身体は上空の闇の中へ消えていった。


 取り残された二人の少女は、急ぎ校庭へと向かう。その道中で、早苗が上空を見上げた。そこに見た光景に妙な違和感を感じ、それを口にした。


「なんか、変だよ? いつもと違う……?」


 霜亜来もまた上空を見上げると、その違和感の正体に気付いた。


「スフィアが、黒い……?」


 普段なら、スフィアが七色に変化した後はまたすぐに白い輝きを取り戻す。だが、この夜は違っていた。七色に変化することもなく、また白く戻ることもなかった。スフィアはただ黒い輝きを放つだけだったのだ。


 校庭には、先に夏樹が到着していた。スフィアが変色する前から、そこで蛇の使徒と対峙していたようだった。いつもと違うスフィアの様子に、夏樹もまた戸惑っていた。早苗と霜亜来に気付き、狼狽えた様子で声を掛ける。


「おい、二人とも、どこ行ってたんだよ!?」




 夏樹が「あそこだ!」と校庭の中央を指さす。人影があった。


あらた兄さん!?」


 霜亜来がその人物の名を呼んだ。土屋 新こと、サヴァトがそこに跪き、両手を上空のスフィアにかざしたまま動きを止めていた。

 その蛇の使徒と最初に邂逅した夏樹が、事の顛末を早口でまくしたてた。


「あの最弱王、なんか変なんだよ。妙な事ぶつぶつ呟いてて、全然話が通じねえんだ! あと、スフィアが黒いまま元に戻らねえ! 魔獣も出てこないし、何か嫌な感じだぜ!?」




 すると、クロウが彼らの前に降り立った。彼にしては珍しく、慌てた様子で口を開く。


「スフィアが黒く染まった! 奴を止めろ! 大変なことになるぞ!!」


 サヴァトは、ただひたすらにスフィアに魔力を注ぎ続けていた。その虚ろな目で、ぼんやりと上空を見上げていたが、やがて三人の少女が姿を現したことに気付くと、大声で喚きたてた。


「来るんじゃねえええ!! 俺に近寄るんじゃねえええ!!!!」


 そして彼はまた上空を見上げ、己の全ての魔力をスフィアへと捧げた。


「出ろ! 出ろ! 俺のゴーレム!!! 飛び切り強い、俺のゴーレム!!!」


 そう何度も繰り返し、彼は叫んだ。


「あの女を! あの三浦 弥生を! ぶち殺せるくらいの強いゴーレムが必要なんだ! 強いのを出さなきゃならねえんだああ!!!」


 先日、弥生の魔法演武で味合わされた恐怖と苦痛。それが彼を突き動かしていた。心のどこかに大きな傷を負い、何かしらのタガが外れてしまった彼は、もはや正常な思考ができなくなっていた。


 つむじ風が体育館の屋根の上に降りる。その中から現れた涼子が、校庭のサヴァトを見て歯噛みした。


「あのガキ! あたしの番なのに、何で居るのよ……!」


 すると、その横から声がした。


「まあ、ここは黙って見ていようよ、涼子」


 いつの間にか、彼女の横に有翼の白蛇が佇んでいた。その赤い目を光らせ、校庭の様子に注視している。


「ミド……!? 貴方があの子供を唆したの?」


「違うよ。彼が勝手にここまで来たんだ。だけど、これは予想外だったね」


 白蛇が一度だけ涼子に視線を向けたものの、すぐまたそれを校庭へと戻した。上空の黒いスフィアを見つめ、感服した様子で口を開いた。


「彼にスフィアを黒く染められるなんて、思ってもみなかったよ。これも父親譲りの才能なんだね」


「白々しいわね。それを知ってて蛇の使徒に選んだんでしょう」


「まあ、どう思おうが君の自由さ」


 涼子が一つ溜息を吐き、煙草に火を付けた。一息煙を吐き出し、白蛇へ問いかける。


「それで、どうするのよ? あたしも含めて、人が五人もいるわ。このままだと誰の願いが叶うか分からないわよ?」


 スフィアを黒く染めれば願いが叶う――それを実現させるのが、蛇の使徒たちの目的である。だが、スフィアを黒く染めること――それ自体はただの通過点でしかない。誰の願いを聞き、それを叶わせるかは、黒のスフィア自身が決めることなのだ。それは蛇の使徒か魔法少女かを問わず、その場に居る全ての者に平等に与えられる機会である。


「それならそれで、僕は構わないさ」


 涼子がひとつ舌打ちをした。ミドにとっては、スフィアの力さえ消化できれば、誰が願いを叶えようが知ったことではないのだ。だが、ミドもまた一つ溜息を吐いた。


「でも、今夜は無理だろうね。思いが不安定すぎるよ。恐怖の比率が高いせいかな」


 スフィアはその術者の感情を反映し、色としてそれを現すという性質を持っている。魔獣召喚時にスフィアが七色に変化するのは、それが原因なのだ。黒として反映される感情は、怒り、憎しみ、絶望、恐怖といった負の感情であった。今、サヴァトの心は恐怖と絶望に満ち溢れている。だが、ミドはサヴァトの心の内を分析し、それが長続きしないものだと判断した。そして「怒りが一番良いんだけどね」と呟いた。


 涼子が校庭の様子を見つめる。未だ黒く輝き続けるスフィア。それを支えるサヴァトの周りを、三人の少女が距離を置いて取り囲んだ。涼子が口を開く。


「あの子の願いは何? 知ってるんでしょう?」


「世界征服だよ。これも父親譲りだね」


 それを聞き、涼子が煙草のフィルターを強く噛んだ。


「あの子、十五年前のことは知ってるの?」


 ミドは敢えて聞こえないふりをした。涼子がその白蛇を睨みつけ、再度口を開く。


「答えなさい、ミド」




 ミドはまた暫く黙っていたが、やがてその口を開いた。


「教えていないよ。聞かれていないからね」


 涼子が少し苛立った様子を見せた。白蛇の答えに、ただ一言だけ「そう」と応える。


 ふと、ミドが振り返り、学校の外を眺めた。遠くから小さくエンジン音が聞こえた。50ccのエンジンが奏でる、やや乾いたそのエギゾースト音が、徐々に学校へと近づいてくる。

 その音と共に接近する強大な魔力を察知し、ミドが口を開いた。 


「涼子、弥生が来たよ。君が足止めしてくれるかい?」


 涼子もまた、近づきつつある魔力に気付いた。煙草の火を消し、楽しそうに口元を歪ませた。

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