第24話 友達なんていない

 午前一時、寝静まった商店街の片隅で、桂木書店の勝手口の鍵が音を立てた。近所に迷惑が掛からぬよう、霜亜来が静かにその扉を開くと、台所にはその父親が腕組みして待ち構えていた。

 霜亜来はにべなく「ただいま」と言うと、そのまま彼の横をすり抜けようとした。


「待て、霜亜来!」


 彼女の父、桂木 耕一郎が強い口調で呼び止める。そして彼は言葉を続けた。


「――話がある!」


 耕一郎はひどく怒っている様子だった。霜亜来はそんなことなど気にも留めず、「私には、無いわ」とだけ答えて、そのまま家の中へと歩を進めた。


 耕一郎が彼女の肩を掴んだ。


「こら! 待たんかあ!! こんな時間まで出歩くとは、どういうつもりだあ!」


「それは、お互い様でしょ?」


 霜亜来がその手を払いのけ、父親に冷たい視線を送った。その目を見た耕一郎が絶句する。

 ――これは、どういうことだ? いつも従順で可愛かった霜亜来が、いつの間にこんなに冷たい目で父親を見るようになったのだ? これは反抗期か? 反抗期というやつなのか?

 そんなことを考えているうちに、霜亜来は台所から居なくなっていた。廊下に出た彼女の後を追いながら、耕一郎が懸命に声を掛ける。一体いつから魔法のことを知っていたのか、何故魔法少女に加担したのか、何故父に歯向い、魔法を放ったのか、そんなことをくどくどと繰り返した。

 霜亜来はそんな父親の言葉には一切返すことなく、振り向いてただ一言だけ告げた。


「お風呂に入って、寝るわ。おやすみなさい」


「待て! まだ話は終わっていないぞ!!」


 彼の話にまるで聞く耳を持たない愛娘に、若干の苛立ちを覚えながらも、耕一郎はその後にぴったり付いて、ひたすらに声を掛け続けた。


 すると、霜亜来がまた振り返った。耕一郎の目を見て口を開く。


「どこまで付いてくるの? 出て行って、変態」


 耕一郎が気付くと、二人はすでに脱衣所の中にいた。霜亜来が彼の身体をぐいと押し出し、その扉を勢いよく閉める。その扉の外から、耕一郎が室内の娘に向けて必死に声を掛けた。


「へ、変態ではない! 断じて変態ではないぞ!!」


 ふと扉が静かに開いた。すると霜亜来が、父親の顔をじっと見つめる。


「父さん――」


 その小さな口が開いた。彼女には、どうしても父に聞かなければならないことがあったのだ。その言葉を、そっと続けた。


「馬鹿だったの?」


 暫しの間を置き、耕一郎が絶叫する。


「誰が馬鹿だああああ!!」


「顔に書いてあるわ」


 そう言って、霜亜来が父の額を指さした。先だって夏樹が書いた『馬』の文字がまだ残っている。耕一郎が自らの額を指さし、必死に抗議を図った。


「よく読め霜亜来! これは馬鹿じゃない! 字が違うだろう!?」


「そこも含めて、馬鹿っぽいわ」


 そう言い残し、また霜亜来は脱衣所の扉をばたん、と閉めた。



* * *


 翌朝、桂木書店の勝手口の前で明るい声が響いた。


「霜亜来ちゃーん、おーはよー!!」


 早苗がその建物に向かい、大きな声を上げる。続けて、夏樹も大声で叫んだ。


「おーい、霜亜来! 学校行こうぜー!!」


 暫くすると、その勝手口の扉が勢いよく開き、中から一人の男が姿を現した。

 見ると、浴衣姿のその男性は、頭にはニット帽、目に黒いサングラス、そして顔を紺色のマフラーで隠している。もう初夏だというのに、やたら暑苦しい恰好をして出てきた理由はたった一つ。秘密結社“ブラック大江戸団”の首領としては、なんとしても敵である小娘たちにはその素顔と正体を知られたくない、という一心だ。

 開口一番、その男が二人の少女に言葉を告げた。


「何をしに来たんだい? うちの霜亜来は、君たちなんかとは一緒に登校しないよ! わはははは!」


 早苗と夏樹が顔を見合わせた。そして夏樹が呆れた顔で口を開いた。


「いや、つーか、もう正体隠さなくてもいいんじゃね? 完全にバレてるよ、ドネスタークのオッサン……」


 耕一郎が狼狽しつつも、まだその初心を貫いた言葉を発す。


「な、何の話だか分からないなあ! ドネスターク? 誰だね、その変な名前の人は?」


「いや、ドネスタークだろ? 蛇の使徒だろ? 昨日も居たじゃねーかよ」


「知らん! 知らんと言ったら知らん! そんな恥ずかしい名前の人は知らん!」


 夏樹と耕一郎の押し問答の横で、早苗がおずおずと口を開いた。


「あの……。霜亜来ちゃんはまだ居ますか?」


 その言葉を聞き、耕一郎がひときわ大きな笑い声を響かせる。


「居ない! 居ないよ! わはははは!」


 すると、彼の背後から少女の声がした。


「邪魔よ、父さん」




 高笑いする耕一郎の身体をぐい、と押しのけ、霜亜来が姿を現した。それを目にした早苗が笑顔になる。


「あ、おはよー、霜亜来ちゃん」


 霜亜来はいつものように表情を崩すことなく「おはよう」と答えた。


「お、居るじゃん。おはよー、霜亜来」


 夏樹が彼女に手を振ると、霜亜来の顔が少し綻んだ。夏樹が親指で早苗を指し、口元に笑みを浮かべる。


「一緒に学校行こうって、早苗が聞かなくてさ」


 すると、霜亜来が僅かに驚きの表情を浮かべて二人を見た。


「……一緒に?」




 すかさず耕一郎が彼女の前に立ちはだかり、その提案を否定する。


「いや! 行かん! いかんぞ霜亜来! なんせ、霜亜来はこれから父さんの朝ご飯を作って、風呂掃除と洗濯もしないといけないからなあ!!」


 その言葉に、早苗が目を丸くした。


「え? 本当なの?」


 霜亜来が淡々と答える。


「母さんがいないから、全部私がやってるの」


 耕一郎に愛想を尽かし、その妻が家を出て行って以降、桂木家の家事全般は霜亜来の役目となっていた。そんな生活を二年以上も続けた今、彼女は炊事・洗濯・掃除のエキスパートとなっている。なお、耕一郎はそういうことにはとんと疎く、彼一人では茶を淹れることすらできない。

 それを聞いた夏樹がまた呆れた表情を浮かべ、溜息を吐いた。


「なんつー、クズ親父だ……」



 耕一郎がふと見ると、霜亜来はすでに学校の制服に身を包んでいた。学校指定の白いカバンを手にしている。彼は首を傾げ、娘へ語り掛けた。


「……む? 霜亜来、その恰好、まさかもう登校するのか?」


 霜亜来が事も無げに口を開く。


「掃除は昨日寝る前に終わらせたし、朝ご飯はもう食卓に出してあるわ。昼ご飯は冷蔵庫の中よ。洗濯は、あとは干すだけだから、父さんでもできるでしょ」


 そう言うと、霜亜来が玄関から持ってきた靴を勝手口に置いた。おもむろにしゃがみ込み、そこへつま先を差し込む。


「い、いや、いかん! 霜亜来は一人で登校するのが好きなんだ! そうだろう!?」


 娘を制して訴える耕一郎に、早苗が声を掛けた。


「えー? でも、友達だもん。一緒に登校くらいするよ」


 その言葉にいち早く反応し、耕一郎が必死に否定する。


「友達だとう!? そんなはずはない! 霜亜来に友達はいない!!」


「そんなことねーよ! ほんと、ひでー親父だな!」


 夏樹がムッとした顔で、彼に非難の言葉を浴びせた。




「行ってきます。父さん」


 靴を履き終わり、霜亜来が立ち上がる。耕一郎はそれを止めようと必死だ。


「霜亜来! 駄目だ!! 父さん、友達なんて絶対に許さないぞ!!」


 夏樹が冷ややかな目で彼を一瞥し、霜亜来の背をぽん、と叩いた。


「放っとけよ、霜亜来。さっさと行こうぜー」


 早苗が霜亜来の顔を覗き込み、敢えて耕一郎に聞こえるよう、大きめの声で言葉を発した。


「私たち、友達だもんねえ? 霜亜来ちゃん」


 霜亜来が、少し驚いたような表情を浮かべた。

 

 そして、歩調を合わせて歩き出した三人。

 だが、一歩二歩進んだところで、ふと霜亜来がその歩みを止めた。振り返り、父親の顔をじっと見つめる。


「父さん――」


 霜亜来の口が開いた。少し戸惑ったような表情を浮かべて、父親に確認するように問いかける。


「これって、友達なの?」


 昨晩から無視され続けた愛娘に声を掛けられ、耕一郎は僅かに安堵の表情を浮かべた。だが同時にその問いかけに狼狽し、あたふたと言葉を連ねる。


「な、何を言っているんだ!? 友達なわけがないだろう! 霜亜来には友達なんていない! 父さんだけが霜亜来の味方なんだよ!?」


 そう必死に訴える父親を見て、霜亜来がそっと頷いた。


「父さんがそう言うなら――」


 そして、彼女は踵を返した。口元に満足そうに笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「きっと、これが友達なのね」


 霜亜来が小走りで、二人の横に並んだ。その顔に、柔らかな笑みが零れた。


 立ち去る三人の背に向けて、父親の叫び声が響く。 


「ま、待て! 霜亜来! 戻ってこい! 少しは父さんの話を聞けえええ!!!」

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