第23話 諦めてほしいの
やがて揺れが収まり、校庭にパックリと開いた裂け目が、徐々に閉じていく。その裂け目に飲み込まれそうになったサヴァトが慌てて這い出すと、校舎の屋上から怒号が響いた。
「そこに居たか! 闇の王!!」
校庭にいた者が皆視線をそこへ移す。屋上には、弥生が立っていた。彼女が、地獄の奥底から響くようなドスの効いた声で、ゆっくりと言葉を告げた。
「小僧、舐めた真似をしてくれたな……」
彼女の尋常でない怒りの感情を受けて、サヴァトが狼狽える。彼には、弥生がその目をらんらんと赤く光らせ、そして口元には鋭い牙を有し、またその背には邪悪なる黒いオーラを纏った悪魔であるかのように見えた。あくまでも彼の主観でしかないが、彼はそれが弥生の本質であるのだと理解した。彼は狼狽する。
「あのオバサン、あそこから脱出したのかよ!?」
狼狽えたのはサヴァトだけではない。彼以上に弥生の恐ろしさを良く知っているドネスタークもまた、屋上を見上げて焦燥の表情を浮かべた。
「み、三浦 弥生ではないか!? 来ないはずではなかったのか?」
そして弥生が彼の存在に気付き、その姿を睨みつけて口を開いた。
「ドネスターク、貴様の入れ知恵か?」
何の話かはよく分からなかったが、ドネスタークはとにかく首をぶんぶんと横に振った。ここまで弥生を怒らせてしまったからには、彼女に逆らわないということが最も懸命な判断なのだ。
「なんか、滅茶苦茶怒ってるぞ……?」
口元を震わせ、夏樹が一歩後ずさった。早苗もまた、弥生の居る方向から一歩離れ、霜亜来に声を掛けた。
「霜亜来ちゃん、少し下がった方が良いよ。多分、すごい魔法使うよ」
「そうそう。巻き添え食らうとヤバいレベルだ、これ」
そう言うと、夏樹の額に汗が一筋流れた。
ドネスタークが必死に弁明する。だが、弥生は問答無用と言わんばかりに、虹色のカードを取り出した。そして、雷の極大魔法の詠唱を開始した。
“遷ろう星よ。我が元へ来たれ。
今こそは、永遠と無限の終わりし時也。
裁きの力をその身に宿し、一条の光となれ”
カードがその輝きを増し、共に弥生の魔力も高まっていく。そして、彼女はその呪文を唱えた。
「“メテオ=ライトニング”!」
轟音が轟き、上空から直径数十メートルはあろう巨大な隕石が落下してきた。それは真っ赤に燃えながら、且つその巨躯に電撃を纏いながら、二人の蛇の使徒目掛けて落ちてくる。
その迫りくる巨大な物体の正体が理解できず、サヴァトが狼狽えた。彼がこれまで知っていた魔法とは、まるで次元の違うものを目の当たりにしたのだ。彼は驚きと恐怖で足が竦み、ただ叫ぶことしかできなかった。
「うわあああ、何だコレ何だコレえええ!?」
「避けるぞ、サヴァト。これは防ぎきれん!」
ドネスタークが彼の身体をぐい、と引っ張り、そして突き飛ばした。
――そして、校庭に隕石が落下した。
その巨大な岩石の塊と大地とが接触すると、その接地点が白く輝き、その落着時の激しい衝撃と熱で、校舎の窓ガラスが一斉に割れる。少女たちは知る由も無かったが、この時、天堂町の上空には小さなキノコ雲が浮上していた。
間一髪でその直撃を免れた蛇の使徒であったが、あまりに強大な魔法の余波を受けて、ドネスタークの身体が風に煽られた紙切れの様に空を舞った。
衝撃波の嵐の中、防御魔法で身を守っていた少女たち。その中で、夏樹が飛ばされゆくドネスタークの姿を目撃し、霜亜来に言葉を掛ける。
「おい、お前の親父、吹っ飛んだぞ!?」
霜亜来は父親の姿を探しもせず、静かに答えた。
「自業自得よ。心配しなくていいわ」
「霜亜来ちゃん、クールだねえ」
早苗が感心した様子で彼女を見つめた。
光と衝撃波が収まると、アース=クエイクでヒビの入ったその校庭をさらに痛めつけるかのように、地表に巨大なクレーターが出来上がった。衝撃波で校舎と体育館には無数の小さなヒビが入り、その窓ガラスは全損だ。その凄惨な光景に、少女たちは後の修復作業について思いを馳せ、深く溜息を吐いた。
ドネスタークによってその命を拾ったサヴァトは、校庭にうずくまって恐怖に震えていた。なお、彼の命の恩人たるドネスタークは、体育館の屋根の上まで飛ばされ、そこで失神していた。
弥生が校庭に降り立ち、ゆっくりと歩を進める。
彼女はうずくまるサヴァトの傍まで来ると、その頭を掴んで彼の身体を引き起こした。一度その頬を平手で引っ叩く。
サヴァトが泣いて懇願した。
「ひいいいい、ごめんなさい、ごめんなさいいい」
弥生が力魔法で彼の身体を掴み、ゆっくりと宙に浮かせた。彼女の溜飲は、未だ下がる気配が無い。その瞳に暗黒の光を湛えながら、言葉を告げる。
「ごめんで済めば、魔法など要らん」
彼は助けを求めるべく周囲を見渡した。だが、既に彼方に飛ばされてしまったドネスタークの姿はそこには無い。整然としていたはずの校庭は、地割れと隕石によって無残な有様を呈している。それをあっさりと作り出した女を相手に、どうして勝てる要素があろうか。サヴァトはなおも涙ながらに許しを請うた。
「本当にすいませんでしたあああ。ちょっと魔が差したんです、すいませんでしたああ」
「黙れ、小僧」
そう呟き、弥生がサヴァトの胸倉を掴み、もう一方の手に魔力を集めた。
――このままでは殺される……。
そう感じた彼は、無謀にも反撃に打って出た。
「あああああ、“ロックブラスト”!!!」
超至近距離でサヴァトの魔法が炸裂した。あまりに突然、そしてあまりにも近い場所からの敵の攻撃に、弥生は防壁を展開することすらできず、その直撃を受けた。
土煙が舞う。
弥生の力魔法が解け、サヴァトの身体が地に落ちた。彼はそのまま地面にへたりこんだ。土煙の中、弥生の身体がゆっくりと地に伏した。その姿を見た闇の王は、自らの魔法に確かな手ごたえを感じて、口元を歪ませた。
やがて土煙が収まり、その中でうずくまる影が露わとなった。サヴァトの魔法を受け、膝を付いていた弥生がおもむろに起き上がる。その頭から赤い血が滴り落ちた。
彼女はすぐさま自らの傷を治癒魔法で癒すと、その顔面に付いた血を拭うこともせずに、ただ微笑み、そして言った。
「……面白い冗談だな、闇の王」
その攻撃は、彼女の感情を逆なでしただけに過ぎなかった。自らの血にまみれたままで微笑む彼女。そのあらゆる黒い感情を内包した悪魔の微笑みに、サヴァトは戦慄し、そして恐怖の叫びをあげた。
「うわあああああ!!」
――そして、弥生による魔法演武が始まった。
可能な限り恐怖と苦痛を与えながら、且つ致命傷を避け、意識を失わせない程度の攻撃を、絶妙な力加減で繰り出していく。やがてサヴァトの身体が、その攻撃に耐えられないほどまで損傷すると、すかさずそこへ治癒魔法を掛けた。そして彼の傷が癒えると同時に、再び攻撃を開始する、という繰り返しが延々と続いた。
その凄惨極まる光景に、夏樹と早苗は目を覆った。この時の二人に「この世で最も恐ろしいことは何ですか」という質問をしたなら、「弥生さんを怒らせることです」と即答するであろう。
もはや、前回のランディの時の比ではない。弥生があらゆる属性の、あらゆるレベルの魔法を次々と繰り出し、校庭には絶叫と共に鮮血と肉片が飛び散る。また、鋭利な風魔法を受けたサヴァトの身体の一部が千切れ飛ぶという一幕もあったが、弥生がすかさずそれを拾い上げて繋げなおし、そしてまたそこへ新たな攻撃を仕掛けた。
スプラッタホラーも真っ青のその光景に、早苗と夏樹は背を向けて震えるだけだった。目に涙を浮かべた早苗が両耳を覆い、サヴァトの悲鳴をその鼓膜から追い出そうと叫ぶ。
「うわあ! うわあ! どうしよう、帰りたいよお!」
一方、霜亜来は無表情のままで、ただその光景を見つめていた。そして、感心した様子で口を開く。
「三浦さんって、すごいのね」
その隣で身体を震わせながら、夏樹が彼女を、信じられない、といった目で見つめた。
「霜亜来、何であれが直視できるんだよ!?」
* * *
三十分が経過し、最後の治癒魔法を掛けると、ようやく弥生がサヴァトに背を向けた。その悪魔の宴が終焉を迎えたのだ。
サヴァトは校庭の中央にぺたんと尻を付き、薄ら笑いを浮かべたまま、ただ宙を見つめていた。彼の身体の傷は全て癒されたが、その心は完全に粉砕されてしまっていた。
弥生は背を向けたまま、そんなサヴァトの身体を力魔法で校庭の隅へと弾き飛ばした。まだ怒りは冷めやらぬ様子だったが、ひとまずここで手打ちとしたのだ。
そして彼女は少女たちに歩み寄ると、霜亜来の前で立ち止まった。その姿をじっと見つめ、少女の右手の指輪を指差して口を開いた。
「あなた、その金の指輪、蛇の使徒よね?」
霜亜来が口を開くよりも早く、クロウがその問いに答えた。
「その通りだ」
弥生が呆れた顔でクロウを見る。
「あんた……、ミドに恨まれるわよ」
蛇の使徒を魔法少女に仕立て上げてしまったクロウに、弥生が苦言を呈す。だが、彼はしれっと己の正当性を主張した。
「奴が言うには、“魔法少女が蛇の使徒になってはいけない道理はない”ということだ。逆もまた然りであろう?」
クロウの述べる理屈には興味がない様子で、弥生は一言だけ「ああそう」と告げた。そして、霜亜来に問いかける。
「どういうつもりで、魔法少女になったの? クロウがよっぽど上手く口説いたのかしら?」
またクロウが口を挟んだ。
「あんな恥知らずな蛇と一緒にするな。彼女自身の意思だ」
その言葉に霜亜来が頷き、その口を開いた。
「父さんに、諦めてほしいの。それが私の願いだから」
弥生が首を傾げ、「父さん?」と呟いた。彼女は霜亜来の父親について知らないのだ。クロウが「ドネスタークの娘だ」と彼女に伝えると、弥生は納得した様子で一人ごちた。
「長年戦ってきた相手に息子や娘がいるって聞くと、なんだか時の流れを感じるわねえ……」
「歳を取った実感が湧く、というやつか?」
「……うるさいわよ」
弥生がクロウをじっと睨みつけた。
弥生がまた霜亜来に問いかける。
「ところで、ドネスタークの叶えたい願いって何なの? 蛇の使徒は全員ひとつずつあるんでしょ?」
霜亜来はこの問いに答えるべきか、少し悩んだ様子だったが、やがてその口を開いた。
「――万馬券」
そう言って、彼女は一度言葉を詰まらせたが、意を決した様子で、その続きを口にした。
「万馬券を当てることよ」
暫しの沈黙が場を支配する。弥生が苦笑いを浮かべて聞き返した。
「……冗談、かしら?」
「本当のことよ」
霜亜来は真顔だ。冗談を言っているようには見えなかった。弥生は一つ溜息を吐いて、そして呟いた。
「しょーもな……」
「……やっぱ馬鹿じゃん」
横で聞いていた夏樹が、また呆れた顔で口を開くと、霜亜来が彼女の顔をじっと見つめた。早苗が慌ててフォローに入る。
「ちょ、ちょっと夏樹ちゃん。いくら馬鹿でも霜亜来ちゃんのお父さんなんだから、言葉は選ぼうよ」
すると、霜亜来が小さく首を振った。
「いいの、上月さん。本当に馬鹿なんだから」
そして、霜亜来はおもむろに父の話を始めた。
「――夜遅くに出かけていって、時には大怪我して帰ってくることもあるわ」
「それは、主に三浦の仕業だな」
クロウが口を挟むと、弥生が彼を睨む。
「言わなくていいわよ」
霜亜来が言葉を続けた。
「それでも、父さんはまた夜に出かけようとするの。母さんは、呆れて家を出て行ってしまったわ。だから、父さんには、そんな馬鹿げた夢を諦めてほしいの」
そこまで話すと、霜亜来は黙って俯いた。口下手な彼女にしては、よく喋った方である。その頬が紅潮した。
弥生がひとつ頷き、口を開く。
「あんたの気持ちは分かったわ」
そして、彼女は霜亜来に目線を合わせ、ゆっくりと語り掛けた。
「でも、分かってるの? そのために、あんたは実の父親と殺し合うことになるかもしれないのよ?」
霜亜来は、弥生の目を見つめ返し、そして言った。
「構わないわ。それで、父さんを止められるなら」
その瞳には、強い意志が宿っていた。本来、引っ込み思案な彼女が、自らの意思で決断し、行動したのだ。それは簡単に揺らぐものではない。
弥生もそれを察したのか、「そう……」と一言呟き、ひとつ溜息を吐いて言った。
「ま、あまり固く考えないで、これから良い方法を探していきましょうか」
そして、彼女は右手を差し出し、笑顔で言った。
「三浦 弥生よ。これからよろしくね」
霜亜来が、その手を握る。その表情が少しだけ和らいだ。
「桂木 霜亜来です。よろしくお願いします」
二人は固く握手を交わし、微笑み合った。
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