第22話 もう決めたことだから

 街灯の上には、いつの間にかクロウが降り立っていた。彼が二人の少女に声を掛ける。


「すまんな、二人とも。チュートリアルに少し手間取った」


 二人の視線は、新たに現れたその少女に釘付けになっていた。紫のドレスの裾から、透き通るように白い足がすたりと伸びる。その透明感のある艶やかな黒髪が、またゆらりと揺れると、彼女は二人を一瞥した。その横顔を見た二人が彼女の名を呼ぶ前に、クロウがその名を告げた。


「彼女は新しい魔法少女だ。名を、桂木 霜亜来という」


 その名を耳にした二人が目を丸くする。


「霜亜来ちゃん……?」


「マジか……」



 

 驚きが隠せなかったのは、ドネスタークも同様である。自らの娘が、仇敵たる魔法少女の姿で現れたのだから、当然のことであろう。彼は一度娘の名を呟くと、彼女を指さして絶叫した。


「霜亜来!? な、なななな何だその恰好はああああ!!!!!!」


「魔法少女よ、父さん」と、霜亜来が全くその表情を崩すことなく答えた。その声、その口調、見紛う事なき愛娘のそれである。ドネスタークはまた周章して叫んだ。


「そ、そ、そんな娘に育てた覚えはないぞおおおお!!!!」


 そして彼は娘に向かってまっすぐに駆け出した。その手をぐんと伸ばし、彼女のドレスに掴みかからんという勢いだ。


「すぐにその服を、今すぐそれを脱ぎなさい、霜亜来!!」


「“サンダーアロー”」


 霜亜来の魔法が父に直撃する。服を脱げと言う父の要求に、娘は少し顔を赤らめ、そして呟くように言葉を掛けた。


「父さん、やっぱり変態だったのね」


 その魔法で暫く痺れて動けなかったドネスタークであったが、やがてゆっくりと起き上がり、そして怒りと共に叫んだ。


「ぬああああああ!!! 実の父に魔法を放つとは! 反抗期にも程がある!!」


 同時に、ドネスタークのレベル2雷魔法サンダーフレアが辺りに降り注ぐ。落雷鳴りやまぬ校庭で、霜亜来は冷静に言葉を告げた。


「うるさいわ、父さん。近所迷惑だから、やめてよね」



* * *


 ――同刻、スーパーマーケット天堂のバックルームにて。


 それまで微動だにしなかった、冷凍倉庫の扉の前に置かれた台車の山が、おもむろに動きだした。その周囲には誰もいないにも関わらず、確実にゆっくりとその車輪を転がしていく。

 やがてそれが扉の前から離れると、倉庫の扉が静かに開いた。

 その隙間から、凍った豆乳の箱がころりと転げ出る。その箱に続いて、全身を霜に覆われた、一人の女性が這い出してきた。


「し、死ぬかと思った……」


 弥生がやっとのことで冷凍倉庫からの脱出に成功した。マイナス四十度の倉庫内に長時間閉じ込められ、その体力を大いに消耗した彼女が、力なく廊下に膝をつく。その吐息が白く輝いた。なお、いくら待っても助けが来なかったため、已む無く倉庫内から力魔法を発動して、自力で台車を動かした次第である。


 すると、そのタイミングで学生バイトの相沢 紗季が、空になったカートラックを引いてバックルームへと戻ってきた。廊下に四つん這いになった弥生と目が合い、驚いた顔をする。


「あれ? 三浦さん、冷凍庫にいたんですか?」


「あ、紗季ちゃん――」


 弥生が「倉庫に閉じ込められて、大変だったのよ」と口にする前に、紗季が弥生を指さして口を開いた。


「その恰好、どうかしたんですか?」


 弥生が慌てて自身の姿を確認する。彼女は魔法少女の正装であるゴシックドレスを身に着けていた。力魔法を使用するために、倉庫内で変身したのだ。その短めのスカート故に露わになった太腿を必死で隠そうとしながら、彼女はなんとかこの状況をうまくこじつけようと頭を回転させた。


「あ、いや、違うのよ? これは、その……。そう! 友人の結婚式で余興をすることになって、その練習というか、なんというか……」


 すると、紗季がきょとんとした表情を浮かべる。


「冷凍庫で、練習ですか?」


「いや、その、ちょっと身体が火照っちゃったから、冷ましてたのよ」


 恥ずかしいやら悲しいやらで、そろそろ苦しい言い訳も限界だ。紗季の視線は弥生のミニスカートに釘付けになっている。この場で変身を解除したい気持ちは山々だが、ここで突然制服姿に戻っては、またその言い訳に時間を費やすことになるだろう。


「あ、ちょっとトイレ行ってくるわ。あははははは」


 そう言って、彼女はその場から逃げだした。脱兎のごとく、バックルームの通路を駆け抜けた。

 そして、その赤っ恥をかかされた恨みを晴らすべく、いつもの戦場へと向かう。その瞳には、怒り、恨み、憎しみといった負の感情を尋常ではないほどに湛えた漆黒の炎が燃え上がっていた。彼女は決意と共に、その言葉を呟いた。


「あの小僧……! 殺してやる!」



* * *


 サヴァトが一度くしゃみをした。その音に気付き、霜亜来が振り向く。いつの間にか、彼にその背後を取られていた。


あらた兄さんね」


「違うな。俺は、闇の王。サヴァトだ」


 霜亜来が彼の名を呼ぶと、サヴァトは鼻をすすりながら、それを否定した。桂木家と土屋家は、同じ商店街で店舗を運営しているということもあり、二人は幼いころからの付き合いである。歳は二つ離れているものの、幼馴染とも言える相手が敵として現れたことに、サヴァトは僅かに動揺していた。


「霜亜来、てめえ、敵に回る気か!?」


「悪いけど、もう決めたことだから」


 霜亜来は彼の気など露知らず、ただ平静に言葉を返すだけだ。その答えを聞き、サヴァトの両手に魔力が集中する。


「なら、遠慮はしねえ! “ダークネス=シャドウブラスト”!!」


 サヴァトのロックブラストが炸裂する。地表を削りながら、その攻撃が霜亜来に迫ると、彼女はデッキから金色のカードを取り出し、それを唱えた


「“ライトニング=ボルト”!」


 レベル3雷魔法が発動し、彼女の身体を電気の球が包み込んだ。サヴァトの魔法が、その外殻に弾かれる。そして彼女は、その光球の姿のままでサヴァト目掛けて突き進んだ。防御魔法を展開したサヴァトだったが、それも容易く破られ、彼の身体に電撃が走る。


 その攻防を、早苗と夏樹は唖然として見守っていた。


「霜亜来、強いな……」


「金色のカード使ってたよ……?」


 クロウが口を挟む。


「金のカードはレベル3魔法だ。彼女は実に良い素質を持っている」


 ようやくレベル2に上がったばかりの二人は、それを聞いてまた驚いた。


「ってことは、あたしらよりレベルが上なのか」


「随分簡単に追い抜かれちゃったねえ」



 二人が感心していると、クロウがまた淡々と口を開いた。


「それはそうと、桂木のカードは残り二枚だ。見ているより、補助に回った方が良いと思うが」


 先刻魔法少女になったばかりの霜亜来だ。その魔法カードは最初の五枚を与えられたきりであり、すでに三枚を使用した今、彼女の所持カードは二枚となっていた。それをクロウに聞かされ、二人は慌てて霜亜来の下へ駆け出した。夏樹が走りながら、クロウへ苦言を呈す。


「そういうことは早く言えよ!」




 電撃を受けて立てなくなったサヴァトを、ドネスタークが足蹴にする。


「役立たずめ! 貴様はすっこんでいろと言ったはずだ!」


 そして彼は両手に魔力を集中させた。再度、彼の最大威力の攻撃であるレベル4雷魔法ライトニング=ヘリックスを繰り出そうという構えである。


「娘の非行を正すのは、親の役目!! 最早、遠慮はせんぞ、霜亜来あああ!!!」


 その魔力を極限まで高めると、周囲の空気が小さく破裂音を立て始めた。かつてない攻撃を予感し、金のカードを手に霜亜来が身構える。夏樹と早苗も彼女の横に立ち、彼の攻撃に対抗するべくレベル2魔法の詠唱を開始した。


 互いに魔力を高め、いざその最大魔法を放たんとした、その時だった――




 大地が大きく揺れた。



 あまりに大きな揺れに、校庭に居る全ての者がその足元を乱す。そして、校庭に巨大な亀裂が走った。どれほどの深さかも分からぬ割れ目が現れ、地の底から闇が顔を覗かせる。


 地震か、と慌てる少女たちに、クロウが声を掛けた。


「これは地震ではない。レベル4土魔法アース=クエイクだ」


 そして、クロウがその顔を上げた。校舎の上には、その呪文の主である、赤いドレスを纏った一人の女性が立っていた。

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