第21話 その力に用がある

 放課後、夏樹が桂木書店の店内へと歩を進めた。店内を見渡し、残念そうに口を開く。


「……あれ? 霜亜来いないのか?」


 桂木書店の店主である桂木 耕一郎は、夏樹の姿を確認するや、素早くその顔をカウンターに伏せた。“私は蛇の使徒ドネスタークとは別人であり無関係です”という姿勢を、あくまでも貫き通す姿勢だ。そんな彼を見て、夏樹が呆れて口を開く。


「もうバレバレだし、隠す必要もねえと思うんだけど……」


 だが、彼にとっては、“身バレしていないという体裁”を保つことが非常に重要なのだ。そうでもしないと、深夜の学校であれだけことなどできやしない。彼はその姿勢を崩さず、カウンターに伏せたまま、夏樹に声を掛けた。


「おや、霜亜来の友達かね? 霜亜来はまだ帰っていないよ。わはははは」


 カウンターの台にその声が反射し、くぐもった笑い声が店内に響く。


 夏樹がまた店内を見渡した。店主の言葉通り、霜亜来はまだ帰宅していないようだ。彼女は困った顔で頭を掻いた。


「うーん、あいつ数学得意だから、ノート見せてもらいたかったんだけどなあ」


「ごめんね、夏樹ちゃん。あたしも今日の数学はよく分からなかったから……」


 夏樹の後ろから早苗が顔を出した。

 その日最後の授業は数学だった。そこで彼らは初めて方程式について習ったのだが、教師が非常に早口で授業を進めたため、彼女らの理解が追い付かないままに授業が終了してしまったのだ。ホームルーム終了後、すぐにそのノートを照らし合わせて理解を深めようとした二人だったが、共に頭上に疑問符を浮かべたまま、ただ時間を浪費しただけだった。

 そこで、学年でもトップクラスの成績を誇る、桂木 霜亜来に御教授願おうと思い当たった。が、すでに彼女の姿は教室から消えていた。

 仕方なく自宅まで押し掛けた次第であったが、父親が言うには、まだ彼女は帰宅していないということだった。夏樹が腕組みし、溜息を吐いた。


「はっはっは! まあ、うちの娘は賢いからねえ。君たちと違ってねえ」


 耕一郎が高らかに笑った。もちろん、カウンターに突っ伏したままで。そして、彼はさらに明るい口調で夏樹に向けて話を続けた。


「ああ、ちなみに『変態』の『態』の字、部首は何て言うか知ってるかい? 『したごころ』というらしいぞ。あと、『熊』の部首は『れんが』というんだ。この二つを間違える奴なんか居ないと思うが、君も気をつけたまえよ」


 以前、夏樹の書いた『変』の文字について揶揄する耕一郎。その言葉にカチンときた夏樹である。ふと見ると、耕一郎の額の文字はすっかり消えていた。

 夏樹が、口元に引きつった笑みを浮かべ「ご高説、どうも」と礼を述べる。そして、早苗に手を差し出して言った。


「早苗、油性ペン」


「あわわ、夏樹ちゃん、またやるの?」


 以前、それが原因で耕一郎の逆鱗に触れ、一触即発の危機に陥った二人である。夏樹の恐れ知らずの行為に、早苗が震えあがった。一度はそれをためらった早苗だったが、夏樹が再度「ほら」と要求すると、彼女は震える手で赤いサインペンを夏樹に手渡した。

 夏樹が邪悪な微笑みを浮かべ、そのキャップを外す。耕一郎の額にその冷たいペン先が触れると、彼の身体がビクッと震えた。


 暫しの後、夏樹が満足そうにペンのキャップを閉じた。耕一郎の額には、『馬』の文字が残された。早苗がそれを怪訝な顔で覗き込む。

 夏樹は『馬鹿』と書きたかったのだが、『鹿』の文字が『度』になっている。それに気づいた早苗が、苦笑いを浮かべて言った。


「夏樹ちゃん。……私、国語なら教えられると思うよ?」


「あれ!? もしかして、またあたし間違えた!?」


 夏樹が赤面した。



* * *


 ――同刻、天堂中学校にて。

 クロウが校舎二階のテラスから、校庭で部活動に勤しむ生徒たちの様子を眺めていた。その中に、彼の存在を確認できる者が居ないかを探っていたのだ。すると、その背後に気配を感じ、彼が振り向いた。

 そこには、黒髪の少女が立っていた。彼女が、クロウの目をしっかりと見据えて口を開く。


「貴方が、クロウね?」


「私が見えているのか……? そうか、確か、桂木の娘だな」


「父さんのことはどうでもいいわ」


 霜亜来が、その長い髪をかきあげた。クロウが問いかける。


「私に何か用か?」


 と、問いかけるや否や、霜亜来がクロウの身体めがけて手を伸ばした。本来、人間が彼の身体に触れることは適わないが、その魔力を帯びた右手は、彼の羽根をしっかりと捉えて掴んだ。

 クロウが慌てて翼を広げ、その拘束から逃れんと、じたばたともがく。


「貴様、魔力を……!? これは力魔法か!?」


 霜亜来の右手には、蛇の使徒の証である金色の指輪が光っていた。彼女は、その魔力を開放し、実体の無いクロウの身体を押さえつける。


「貴方に用はないわ。貴方の、その力に用があるのよ」


 そして、彼女の左手が、クロウの首元へと伸びた。その魔力が弾けた。



* * *


 ――午後八時半、スーパーマーケット天堂のバックルームにて。

 すでに多くの従業員が帰宅し、店内に残る従業員は、僅かな学生バイトと、レジ係数名、そして若干名の社員を残すのみとなっていた。弥生は、学生バイトらへ品出しと売場整理の指示を出すと、自らは倉庫の在庫整理に勤しんでいた。


 そんな折り、冷凍倉庫の中で彼女は思わず口を開いた。


「……げっ!」


 積まれた段ボール箱の一番下に、そこにあるはずのないものを発見して、彼女の身体が硬直する。


「なんで豆乳が冷凍庫にあるのよお……」


 そう一人ごち、彼女はかちんこちんに凍ってしまった豆乳の紙パックを取り出した。その数、二十四本。本来、冷蔵商品である豆乳が、どういう手違いか冷凍庫に収められていたのだ。こうなってしまっては、もう売り物にならない。恐らくは、また古川主任の仕事であろう。彼女はひとつ溜息を吐いて、立ち上がった。


「あのバカ主任、今度こそはとっちめてやらないと……」


 そう言って、凍ってしまった豆乳を一つ撫で、倉庫の外へ出そうとその扉に手を掛けると、妙な手ごたえを感じた。


「あれ?」


 そのドアの取っ手をぐいと押す。だが、それはびくともしなかった。


「え? ちょっと……! 開かない……!?」


 外開きのその扉の前には、大量の台車が積まれていた。それが邪魔をし、彼女は冷凍倉庫の中に閉じ込められてしまったのだ。弥生が外へ助けを呼ぶと、そこからある人物の声が聞こえた。


「フゥーハハハ! 見たか、三浦 弥生!!」


 自称“闇の王”サヴァトこと、土屋つちや あらたの声である。扉の前へ大量の台車を積んだのは、彼の仕業であった。弥生がドアをどんどんと叩いて叫ぶ。


「ちょ、その声、闇の王ね!? ここを開けなさい!」


 闇の王は邪悪な笑みを浮かべ、ドアの中の弥生に向けて高らかに宣言した。


「悪いが、そうはいかんなあ……。そこで凍え死ぬといい!!」


「ちょっと! これはダメよ! 本当に死んじゃうでしょ!? 開けなさいよ!!」


 必死に訴える弥生だったが、サヴァトは高らかに笑いながら立ち去った。バックルームの通路に助けを呼ぶ声が響き渡るも、すっかり人気のなくなった店内には、それに応えるものはいなかった。




* * *


 そして午後九時、天堂中学校校庭。

 街灯の下で待っていた早苗の下へ、夏樹が笑顔で駆け寄った。


「おーっす、早苗」


「あ、こんばんわー、夏樹ちゃん」


 夏樹が辺りを見渡す。まだ弥生のスクーターは姿を見せていなかった。


「弥生さんは、今日も仕事?」


「そうみたい。休みだと、この時間には来てるからねえ」


 そう答えると、早苗が街灯の上を見上げた。その日は、そこを指定席にしている黒鳥の姿もまだ見えていなかった。


「あと、今日はクロウも居ないんだよね」


「え、マジで?」


 夏樹が大声で上空に向かって叫ぶ。


「おい、馬鹿カラス!」


 もしも彼がそこにいれば、すかさず「カラスではない、クロウだ」と返ってくるはずである。だが、その声は虚しく響き渡るだけだった。夏樹が首を捻った。


「……ホントだ。いないや。どこ行ったんだ?」




* * *


「本当に弥生は来ないのだな?」


 天堂中学校の正門前で、ドネスタークが口を開いた。その傍らで、サヴァトが得意げに笑みを浮かべる。


「ああ、今頃冷凍庫の中で氷漬けになってる頃だぜ?」


「ふむ、いよいよ満願成就の時が来たか。長かった……」


 そう呟き、ドネスタークは目を閉じて感慨深げにその肩を震わせた。


「あとは、あの二人の女を始末すれば、こっちのもんだぜ」


「ああ、それは任せておけ。あの二人、一度懲らしめてやらねばならん! 大人の怖さを、思い知らせてやる!!」


 そう言って、ドネスタークは目をカッと開き、その魔力を全身に滾らせた。その額には、大きな絆創膏が貼られていた。その下には赤い油性ペンで書かれた『馬度』の文字が刻まれている。その絆創膏を見たサヴァトが、怪訝な顔で申し出た。


「その頭、ケガでもしたのか? 俺、こないだミドに治癒魔法習ったから、治してやろうか?」


「いらん! 余計な気遣いは無用だ!」


 絆創膏に手を掛けようとしたサヴァトを、ドネスタークが凄い剣幕で威圧した。


 そして、スフィアが激しく金属音を響かせ、七色に変化した。

 夏樹と早苗が狼狽える。今宵は、頼りになる先輩も、助言を与える案内役も不在なのだ。


「うわあ、どうしよう。敵が来ちゃったよ。クロウも弥生さんも居ないのに……」


「やるしかねえだろ……? 行くぞ、早苗……!」


 夏樹が意を決し、静かに校庭の中央に視線を送った。




 やがて、校庭の中央に小さな影がとさっと落ちた。その大きさは大型犬程度で、いつもより遥かに小さい魔獣であった。顔には単眼を宿している。


「あ、“一つ目”だ」


 早苗がその瞳の数に、安堵の溜息を吐いた。


「一番弱い奴だな。ラッキー!」


 その弱々しい魔獣の姿を見て、夏樹が喜び勇んで魔獣へと向かっていった。




 すると、校庭に笑い声が響いた。


「フゥーハハハ! 今宵は楽しもうではないか! 魔法少女よ!」


 白スーツと黒いマントに身を包んだ男が、両手を高らかに掲げて現れた。闇の王、サヴァトだ。彼は己の呼び出した魔獣へ、攻撃の指令を下した。


「さあ、行け! 我が闇の従属、デス=ゴーレムよ!」


 すると、彼の横から拳が飛んだ。


「こら!」


 頭上にゲンコツが振り下ろされる。サヴァトが頭を押さえて振り返ると、ドネスタークが呆れた顔で立っていた。


「痛ってえ! 何すんだ、オッサン!」


「どうしてもと言うからやらせてみたら、何だあれは? 何故ランク1の魔獣など出した!? しかも、滅茶苦茶弱そうではないか!」


「うるせえ、初めてなんだから、仕方ねえだろ!!」


 そう言って、闇の王は頬を膨らませた。




 校庭では、夏樹のウォーターショット一撃で勝負が決してしまった。あっさりと撃破されたサヴァトの魔獣が、その短すぎる一生を終える。ドネスタークがその様を指さす。


「見ろ、簡単に始末されたではないか!」


「お、俺のデス=ゴーレムがあ!」




 魔獣を簡単に撃破した二人が、今度は蛇の使徒を迎え撃つべく身構えた。


「あの最弱王だけなら勝てるな。でも……」


「問題は、霜亜来ちゃんのお父さんだよね。強敵だよ……」




 そして、ドネスタークはその雷の魔力を徐々に高めていく。レベル2雷魔法サンダーフレアを発動し、辺りに雷鳴が轟いた。


「もういい、貴様はそこで見ていろ!」


 そう言って、彼はサヴァトを突き飛ばした。そして、その両手に魔力を集中する。


「わしがケリをつけてくれるわ!!」



* * *


「食らえい! “ライトニング=ヘリックス”!!」


 有無を言わせず、ドネスタークのレベル4雷魔法が発動した。巨大な雷の竜巻が巻き起こり、二人の少女目掛けて突き進む。

 二人は防御魔法を展開した。その竜巻が障壁にぶつかると、それは徐々にその壁を削りながら彼らに迫ってきた。


 ドネスタークが、その勝利を確信して微笑む。いよいよ少女たちの防壁が破られんとしたその時だった。


 どこからともなく巨大な光球が現れ、その竜巻目掛けて飛び込んだ。


 光球と竜巻が衝突すると、強烈な破裂音と共に、ドネスタークの魔法が消滅した。少女たちはその衝撃波の煽りを受けて態勢を崩す。

 何者かに横やりを入れられたドネスタークが、その目を見張った。彼の感じていたその何者かの魔力は、仇敵である三浦 弥生のものではなかった。




 いち早くその姿を目にしたのは、二人の少女たちだった。


 光球に包まれたその姿。徐々に光は収まり、中の人物の姿を浮き上がらせていく。

 その背丈は少女らと同じくらいで、それを見た時、二人はその影が弥生ではないことを悟った。その影は、少女らに背を向けたまま、校庭に降り立った。


 紫を基調としたゴシックドレスを纏ったその少女。左手には銀の指輪を、そして右手には金の指輪を付けている。その黒く長い髪が、ゆらりと風に舞った。

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