第20話 俺の女神だ

 四匹の魔獣が唸り声を上げる。街灯の上からクロウの声が聞こえた。


「複数召喚か。理論上は可能だが、まさかそれを成功させるとはな」


 いたく感心した様子のクロウは、敵ながらあっぱれと言わんばかりに、ランディへ彼なりの称賛の言葉を贈った。


「お前を少しだけ見直したぞ、月比古」


「だから、本名で呼ぶんじゃねえ!」


 ランディが顔をしかめてそれに応えた。




 一方、四匹の魔獣に取り囲まれた魔法少女たちは、緊張した面持ちで、来るべき敵の攻撃へ備えていた。弥生が焦燥の表情を浮かべて呟いた。


「ランク8が四つか……。ちょいしんどいかな……」



 その焦りが伝わったかのように、魔獣の一匹が勢いよく飛び出した。それは弥生の右側面から飛び掛かると、彼女の身体にその鋭い牙を突き立てんと、耳まで裂けた巨大な口を、大きく開いた。


「“ファイヤボール”!」


 すかさず弥生が呪文を発動する。巨大な火球が、その魔獣へ直撃した。魔獣は大きく吹き飛ばされて、やがて校庭の隅で息絶えた。

 その手ごたえに違和感を感じた弥生が、「うん?」と呟いて首を傾げる。そして、しばらくすると合点がいった様子で、「ふうん」と一言添えると、口元に笑みを浮かべた。

 すると彼女は平然と歩を進めて、ごく自然に魔獣の囲いを突破した。魔獣は彼女の力魔法で一時的に動きを止められ、手を出すことができなかったのだ。そして、囲いの外に出ると、弥生が二人の少女へ声を掛けた。


「あんたたち、残り三体は任せるわ」



「え、ええっ!?」


「え、どういう意味……?」


 二人の少女が狼狽える。弥生が地面に座り込み、呑気にあぐらをかいて言った。


「言葉通りよ。早苗も早くレベル上げないと、夏樹に置いてかれちゃうわよ?」


 無茶振りとも思える弥生の言に、夏樹が抗議の言葉を飛ばした。


「いや、あたしらだけじゃ無理だろ、こんなの!」


「無理じゃないわ。この魔獣、全部ランク2だもの」



 その言葉に、二人が驚く。また、驚いたのはランディも同様だった。「なぬ!?」と一声上げ、周章した様子だ。弥生が続ける。


「さっきの手ごたえからしても、間違いないわ。“八つ目”にしちゃ、身体が小さいから変だと思ったのよね」


 クロウが納得した様子で口を開いた。


「なるほど、ランク8の力が四つに分散しているだけか。見掛け倒しだな」


「あんたたちの力なら十分に倒せる。あたしは後ろで見てるから、頑張りなさい。ランディが手を出そうとしたら、あたしが止めるから心配しないで」


 そう言うと、弥生が口元に余裕の笑みを浮かべて、頬杖をついた。


 弥生に一匹仕留められたとはいえ、当の弥生が戦線を離脱したとあれば、形勢はまだ彼に有利だ。残った魔獣に「待て」の合図を送り、ランディが口を開く。


「いいのかよ? 俺の魔獣は手加減しねえぜ?」


「あんたこそ。この子たちを舐めない方がいいわよ」


 弥生がその強大な魔力で、ランディを牽制した。彼が額に汗を浮かべる。


 そして彼は三匹の魔獣へ攻撃開始の合図を出した。魔獣がそれぞれ雄たけびを上げ、うち一匹がいち早く飛び出した。夏樹の正面から彼女へ迫る。


「昨日のカード、使っちゃおうかな!」


 夏樹が、昨日手に入れたばかりの銀色のカードを手に取った。その威力に期待と一抹の不安を込めて、呪文を詠唱した。


「――貫け、氷の刃よ!! “アイスブラスト”!」


 カードから氷の塊が飛び出した。その鋭い切っ先が、魔獣の身体を貫く。レベル2魔法の直撃を受けた魔獣は、なすすべなく地に伏した。


「おおー、すげえ、一撃……!」


 低ランク魔獣が相手とはいえ、たった一撃で勝負を決めたのは、彼女にとって初の経験だ。ウォーターショットとはまるで格の違うその威力に、夏樹が感嘆の声を上げた。早苗が歓喜する。


「凄いよ夏樹ちゃん! 全部やっつけちゃえ!」


「あ、でも今の一枚しかなかった……。クロウ、補充できる?」


「まったく、だから計画的に使えと言ったのだ」


 クロウが呆れた様子で彼女の下へ飛び立とうとしたその時、弥生がそれを制して言った。


「補充は後。残り二体だし、レベル1魔法でも行けるわよお」


 いつの間にか、弥生は地面に寝そべっていた。まるで自宅でテレビを見ているかのような緊張感の無さに、二人の少女が脱力した。


 残った二匹の魔獣が、ゆっくりと少女たちへ近づく。夏樹と早苗は、マンツーマンでそれを迎え撃った。防御魔法を展開し、慎重に距離を取りながら、レベル1魔法を叩きこんでいく。

 明らかに形成が不利になったことに気付いたランディが、そこへ横やりを入れようと一歩歩み出たものの、それを弥生がひと睨みすると、もはやそれ以上は動けなかった。


 やがて、三匹目の魔獣も倒れた。そして最後の魔獣も、早苗のファイアボールの直撃を受け、力なくその場に崩れ落ちた。その身体が白い灰となり、スフィアへと還っていく。

 すると、最後の魔獣の身体の中から、小さな光球が現れた。それは早苗の手元へ降り立ち、銀色のカードとなる。早苗はそのカードの文字を見る。“フレイムピラー”と読めた。レベル2の炎魔法だ。


「やった、私にも新しいカードが出た……!」


 早苗が興奮した様子で、それをぎゅっと抱きしめた。


 そこへ弥生が歩み寄り、早苗の頭を撫でて祝意を示した。


「おめでとう。これで二人ともレベル2ね」


 そう言って、彼女はデッキを開いた。二枚のカードを取り出して、それぞれ二人の少女へ手渡した。


「はい、ご褒美をあげるわ」


 二人が貰ったカードをじっと見る。虹色に輝くそのカードは、その手に触れただけでほのかに輝き、カードそのものから強い魔力を感じた。夏樹はそのカードの文面を読もうとしたが、その楔形の文字を理解することはできなかった。弥生の顔を見て、小首を傾げる。


「このカードは?」


「極大魔法。つまり、レベル5のカードよ。多分、まだ読めないだろうけど……」


 早苗にもまた、そのカードの文字を理解することはできなかった。彼女たちのレベルでは、まだそのカードを読むことが適わないのだ。


「それを読めるようになることが、今のあんたたちの課題ね」


 弥生が微笑んで彼女らへ言葉を告げた。



「つか、手前ら、俺を無視して何を進めてるんだ!」


 ランディが叫んだ。完全にその存在を忘れていた二人の少女が身構える。


「さて、と……」


 弥生が余裕の笑みを浮かべ、一歩前に出る。その手に魔力を滾らせ、ランディへ声を掛けた。


「これで三対一ってわけね」


 弥生の全身から大量の魔力が放たれ、ランディを威圧した。彼が思わず一歩後ずさると、弥生はまた口元を歪ませた。


「卑怯とは、言わせないわよ? 存分に闘り合いましょうか、ランディ」


 気後れしたランディだったが、一声「はん!」と吠えて、自らを鼓舞する。


「舐めるな! 久々にやってやるぜ、この野郎!!」


 そして彼は両手に炎の魔力を滾らせた。レベル3炎魔法“フレイムフェザー”を発動する構えだ。


「夏樹、見せてあげるわ」


 弥生が虹色のカードを取り出した。彼女がそれを手にするだけで、膨大な量の魔力が解き放たれたのが、少女たちにも分かった。弥生が言葉を繋げる。


「――水の極大魔法をね」




 そして、彼女はその詠唱文を詠み上げていく。


“白き闇、来たれ。


天の力は我が掌に在り。


絶対なる真理を我に。


そして厳なる戒律を彼の者に。”


 彼女がそれを読み進めていく毎に、虹色のカードは輝きを増していった。

 そして、最後に彼女はその呪文の名を告げた。


「“アブソリュート=キューブ”!」



 彼らの周囲に、青く透明な壁が現れた。それは四方を囲み、また上空もそれで覆われている。


「な、なんだこりゃ……?」


 四方を青い壁で囲まれると同時に、妙な違和感が辺りに立ち込めたのを感じた。ランディが狼狽えた様子で周りを見渡す。

 ランディの反応を見て、弥生が「あれ?」と小首を傾げた。そして彼に問いかける。


「あんた、これ見るの初めてだっけ?」


 ランディが黙って頷くと、彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべて「ふうん」と呟いた。


「じゃあ、あんたからどうぞ?」


 弥生が掌をすっと差し出し、ランディに言う。彼はその意図が分からず、「はあ?」と聞き返した。彼の眉間にしわが寄る。弥生が微笑んで口を開いた。


「先に撃たせてあげるわよ」


「舐めやがって……!」


 完全に見下され、ランディの自尊心に火が付いた。彼はその両手をかざし、弥生に向けて呪文を唱えた。


「食らえ! “フレイムフェザー”!!」


 だが、両手からは何も出てこなかった。


「……あれ?」


 彼はその手をじっと見て、首を傾げた。弥生がまたニヤニヤと笑みを浮かべ、彼の様子を見つめている。その視線にまた苛立ちを感じ、彼はさらにレベル4炎魔法を発動すべく、呪文を詠唱した。


「“クリムゾン=インフェルノ”!」


 しかし、何も起こらなかった。


「あ、あれ?」


 また彼は自分の掌を見つめた。呪文は間違っていない。だが、魔法が出ないのだ。その様子を見て、弥生が笑いをこらえて肩を震わせる。


「“ファイアボール”! “フレイムピラー”! “フレイムフェザー”!!」


 立て続けに呪文を唱えるも、それは虚しく空に響き渡るだけだ。彼は自身に何が起こったのか分からず、首を捻った。


「何でだ? 魔法が出ねぇ……」


 弥生が邪悪な笑みを浮かべる。「ふっふっふ」とわざとらしく笑うと、街灯の上を指さして言った。


「クロウ、説明よろしく」



 街灯の上で、クロウが面倒くさそうにぼやく。


「まったく、自分で言えば良いものを」


 そして、彼は周囲を見渡した。その四方と上空を覆った青い壁は、すべて等しい長さの辺で成り立っている。すなわち、彼らは巨大な青い立方体の中にいるのだ。彼はおもむろに、この極大魔法の説明を開始した。


「アブソリュート=キューブは魔力支配の呪文だ。この立方体の中では、全ての魔力が三浦の意思に従う」


 その言葉にランディが耳を疑った。


「なんだとぉ……? ってことは、どういうことだ?」


「現在、月比古の魔力は、全て弥生に奪われた状態だ。故に、お前は一切の魔法を使うことができない」


 クロウの説明を耳にした夏樹が思わず呟いた。


「すっげぇ、チートじゃん、それ……」


 その言葉に、早苗が反応する。


「まあ、弥生さんの存在そのものがチートなんだけどねえ……」


 なお、弥生の独壇場と化した戦場で、二人の少女は地面に体育座りをしてのんびりとその様子を観戦していた。




 クロウの言葉は、ランディにとってはこれ以上ないほど残酷な事実であった。彼は狼狽えて口を開く。


「い、一切のってことは、もしかして俺、防御魔法ガードも使えねえのか……?」


 そして、彼は一度防御魔法を唱えてみた。その言葉は空に消え、本来あるべき障壁は、彼の周囲に現れない。


「よく気付いたわねえ」


 弥生が微笑み、一歩前に出た。デッキを開くと、彼女の周囲に多量のカードが浮かび上がる。彼女は楽しそうに、そこからカードを物色しだした。


 己に来るべき惨劇を予感し、ランディが慌てて弁明を図る。


「ま、待て! 降参だ! ほら、こないだのケガもまだ治ってないんだ!」


 そう言って、彼は右腕の袖を捲って見せた。先日、力魔法で散々弄ばれて、最後に校庭に放り投げられた際に出来た擦り傷だ。

 弥生はそれを一瞥し、微笑んだ。そして、一言だけ彼に告げた。


「……知るか」



 そして“祭り”が始まった。


「“ウォーターショット”!」


 弥生が唱えると、水のレベル1魔法が発動する。水の鞭が一直線にランディの顎先を捉え、彼の身体が宙に舞い上がった。彼の意識が一瞬遠のく。すかさず、弥生は追撃の一撃を放った。


「“サンダーアロー”!」


 即座にレベル1雷魔法を唱える弥生。雷の矢が放たれ、空中でランディの身体を捉えた。彼がまた小さく悲鳴を上げた。


「“ロックブラスト”!」


 続けざまに放たれたのは、レベル1土魔法だ。大地を破裂させ、彼の身体はまた宙へと舞い上げられた。そこへまた弥生が次の呪文を放つ。


「“ウィングカッター”!」


 風のレベル1魔法が発動した。真空の刃が、空中でランディの身体を捉えた。鮮血が舞い上がる。


「“ファイヤボール”!」


 最後に繰り出したのは、彼女の得意技だ。極限まで手加減された威力の炎のレベル1魔法が、彼の身体を炎で包み込んだ。


 さらに続く彼女のレベル1魔法祭り。ランディは一切その身体を地面に付くことなく、永遠に続く空中コンボにその身を任せていた。一定のテンポで、彼の悲鳴が校庭に響き渡る。弥生は軽やかなスウィング・ジャズを意図して、彼の悲鳴でそれを演出していたが、傍らの二人の少女には、阿鼻叫喚の地獄絵図にしか見えなかった。


 クロウが二人の少女の傍らに降り立ち、感心して口を開いた。


「ほう、三浦が気を利かせて、全ての属性魔法を披露してくれているぞ。見ての通り、魔法は五属性で成り立っている」


 笑顔でテンポを取りながら、攻撃を続ける弥生。夏樹が震える手でそれを指さした。


「つか、あれ、本当にあたしたちに見せるためにやってるのか?」


「あわわわわ、弥生さん、またオーバーキルしてるよ。誰か止めようよ。ランディさんのライフはもうとっくにゼロだよ」



 そして、弥生の演奏が終了した。青い立方体が姿を消し、ランディの身体は暫くぶりに地球上へ着地した。その身体はあちこちから白煙を上げ、力なく校庭に横たわっている。

 「ふう」と一息つき、満足げに踵を返す弥生。その傍らを、早苗が駆け抜けた。


「もう、弥生さん、いつもやりすぎだよ!」


 そう言って、早苗はランディの元へ駆け寄った。全身ズタズタにされた彼の身体へ、彼女が治癒魔法をかける。


 みるみるうちにその身体の傷が治っていくランディ。意識を取り戻し、ゆっくりと目を開けた彼に、早苗が声を掛けた。


「ほら、ランディさん、もう帰ろう? 弥生さんとケンカしちゃ駄目だよ。酷い目に遭わされるんだから」


 ランディがまだぼんやりとした頭で、目の前の少女を見つめた。弥生が叫ぶ。


「離れなさい、早苗!」


 弥生の声で正気を取り戻したのか、彼は早苗の手首をがっしりと掴んだ。口元に笑みを浮かべ、そして呟くごとに己の感情を昂らせていく。 


「甘い奴だな。敵である、この俺に治癒魔法を掛けるとはな……」

 

 そして、彼は早苗の目を見つめ、呟いた。


「女神だ……」


「え?」


 手首を掴む手に力が入り、早苗が狼狽える。


「お前、俺の女神だ……」


 そう繰り返すランディに、弥生の眉間にしわが寄る


「あんた、何言ってんのよ……? 頭でも打った?」




「お前、名前は?」


 彼の問いかけに、早苗がおどおどと応える。


「え、と、上月こうづき 早苗さなえ……です」


「早苗も答えるんじゃないっ! その男から離れなさい!!」


 弥生がまた叫び声を上げた。ランディがまた早苗の目を見つめ、囁くように言葉を紡ぐ。


「早苗か、良い名前だ。今度、俺と食事でも――」


 と、ここまで口にしたところで、弥生の力魔法が彼の身体を突き飛ばした。二、三メートル程吹き飛ばされ、校庭に土煙があがる。

 地に伏したランディに対し、弥生が吠えた。


「あんた、何考えてるのよ! その子、中学生よ!? このド変態金髪男!!」


 なお、ランディ=マルディこと乾 月比古の年齢は三十二歳。中学一年生の早苗とは一回り程違う。


 彼はゆっくりと身体を起こし、そして口元を歪ませる。


「ふっ……。中学生ってことは、まだ十代前半か……。若いな……」


 そう呟くと、彼はその右手をグッと突き出した。親指をビシッと立てて、そして爽やかに微笑んで見せた。


「俺にとっては、ど真ん中のストライク。絶好のホームランボールだぜ……!」


 爽やかに己の性癖を語った金髪の男に、早苗と夏樹が目を丸くした。早苗はどう反応してよいものか分からず、ただオロオロしている。夏樹は、呆れた様子で「変態だ……」と呟いた。




「この、ロリコンめ……」


 ひとつ溜息を吐いて、弥生が頭をがしがしと掻いた。そして、真剣な顔で早苗に語り掛けた。


「早苗、一応聞くけど、あんた、ああいうのが好みなんてことはないわよね……?」


 あまりそういうことを考えたことがない早苗が、狼狽えつつも、苦笑いを浮かべて答えた。


「えーと、あんまり年上すぎる人はちょっと……」


「じゃあ、それをあの金髪のロリコンおじさんに言ってあげなさい」


 弥生に促され、早苗が一歩前に出る。


「あ、あの、ランディさん……」


 ランディがグッと息を飲み、彼女の言葉を待った。そして、早苗は言葉を繋げる。


「友達からなら、いいですよ」


 その言葉に、彼の顔がぱっと明るくなった。そして即答した。


「友達か!? なる! 友達になるぞ!!」


 弥生がまた力魔法を発動した。ランディの身体が数メートル吹き飛ばされる。そして彼女は、早苗の肩を掴んで言った。


「いや、そういうことを言えと言ったんじゃあない!」


 弥生が早苗の肩をゆさゆさと揺さぶり、必死の形相で言葉をぶつけた。


「嫌なら嫌とはっきり言いなさい! そういう曖昧な態度が、相手を余計に傷つけることもあるのよ!!」


 何故か異様な迫力のある言葉には、彼女の実体験が籠っていた。この場で具体的には述べないが、二十八年間彼氏無しの彼女にも、その長い人生で色々とあったのだ。


 夏樹は、その様子を地面に体育座りして眺めていた。


「おー、なんか分かんねえけど、面白くなってきたな」


「まるで他人事だな、宇野葉」


 夏樹の傍らで、クロウが口を開く。彼にとってもまた他人事なのだ。そして、二人してぼんやりと事の成り行きを見守っていた。


 早苗が困った笑顔を浮かべ、口を開いた。


「そんなに嫌ってわけじゃないよ、弥生さん。それに……」


「それに……?」


 早苗には何か考えがあるようだった。弥生がその手を離すと、早苗はゆっくりとランディに向かって話し掛けた。


「ランディさん、友達になる代わりに、一つお願いがあります」


 起き上がったランディが、期待の眼差しを彼女の口元に向けた。早苗が続ける。


「――私と友達になったら、蛇の使徒を辞めてくれますか?」


「な、なに……!?」


 まさかの申し出に、ランディが目を丸くした。弥生もまた驚いた様子で、その少女の発案に感心して腕組みした。


 夏樹が思わず拍手を贈った。


「おー、そう来たか早苗。やるなあ、あいつ」


 クロウもまた感心した様子で、早苗の言葉を褒め称えた。


「実に見事だ。素晴らしい」



 早苗の言葉を受け、ランディの動きが止まった。その発言を何度も心の内で反芻し、己へと問いかける。

 やがて、彼はゆっくりと立ち上がり、呟くように言った。


「俺に、蛇の使徒を諦めろ、と。そう言うのか、早苗……」


 そして、彼はぐっと拳を握りしめ、大地に向かって絶叫した。


「“夢と愛を天秤に掛けろ!”と、そして“あたしと仕事、どっちが大切なのよ?”と、そう言っているわけだな!?」


 弥生が呆れて口を開く。


「どう解釈すればそうなるのよ……?」




 その強い葛藤で、ランディの身体がブルブルと震える。そして、彼は力の限り吠えた。


「うおおおおおーーーー!!!」


 そして、脱兎のごとく駆け出した。去り際に、早苗に謝罪の言葉を掛ける。


「すまん、早苗! どっちも選べーーーん!」




 あっという間に校庭から消え去ったランディ。呆気にとられ、早苗が口を開く。


「あれ……?」


「逃げた……」


 彼の走り去った方向を見て、弥生がぽかんと口を開けた。



* * *


 ――そして、『喫茶 水曜の空』の店内。


 そろそろ店を閉めようかと考えていた涼子の下へ、一人の客が現れた。仕方なく彼女は、彼に一杯のコーヒーを差し出す。


 彼は淹れたてのコーヒーを手にして、静かにほほ笑んだ。そして、ゆっくりと噛みしめるように、言葉を呟く。


「……そうか、早苗。お前は、魔法少女。そして俺は、蛇の使徒だもんなあ」

 

 彼はコーヒーを一口すすり、目を閉じて宙を見上げた。その眼尻から、一筋の涙が零れた。


「敵対する二人が、愛し合うわけにはいかないものな……。さすが俺の惚れた女だ。筋が通ってやがる……!」


 一人の世界に入った月比古の傍らで、白蛇が怒りの声を上げる。


「月比古、君には本当にガッカリしたよ。僕は呆れて何も言えないよ」


 意気込んで出て行ったにも関わらず、新米魔法少女のレベルアップの切っ掛けを作り、そして弥生になすがままに敗れ、さらに少女の一人に篭絡されるという体たらく。白蛇が怒るのも当然だった。


 また、怒りを抱いていたのは店主も同様だ。宙を見上げたまま動かなくなってしまった月比古に、涼子が早口でまくしたてた。


「突然やってきて、何なのよ一体。早く店閉めたいのよ。それ飲んだら、さっさと帰りなさいよ」

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