第19話 父の古い知り合いです

「おーい、三浦君」


 バックルームの廊下に、店長の声が響いた。


「はい?」


 在庫を確認しながら発注作業をしていた弥生が呼ばれて振り向くと、店長が数名の少年少女たちを従えて現れた。少年らはみな天堂中学校指定のえんじ色のジャージを着用している。


「職場体験学習で来た子たちだよ。紹介しておくよ」


 職場体験学習とは、天堂中学校が行っている社会体験授業のひとつで、生徒たちに職業と実際の仕事について触れさせるという目的をもって行われている。その期間は三日間だ。店長からは事前に告知されており、日配売り場には三名の学生が配属される予定になっていた。またその際に、彼らへの作業指導の役目が弥生に一任されていた。古川主任の指導能力ではやや心許ないというのは、店長も認識している。

 今日はその初日である。この日、学生たちは店長の説明と共に店内を巡回するだけの予定になっており、実際に業務にあたるのは翌日からということだった。弥生は明日から担当する三名の学生に対し、にこやかに挨拶を交わした。


 そしてふと、学生たちの最後尾にいる少年が目に留まった。他の生徒たちが学校指定ジャージを身に着けているのに対し、彼だけは“スーパーマーケット天堂”のロゴが入った緑色の制服を着用している。


「あれ、後ろの子は……?」


「ああ、彼は寿司売場に回す予定なんだよ」


 店長の口ぶりでは、彼も職場体験学習で来た学生のようだった。店長に促され、その少年が一歩前に出た。彼はわざとらしいほどの笑みを湛えて、弥生に挨拶の言葉を述べる。


「ご無沙汰してます、三浦さん。土屋つちや あらたです」


 弥生の目が丸くなった。先日、夜の学校を急襲した四人目の蛇の使徒、闇の王サヴァト。そのアイマスクを外した時の顔は、彼女もよく覚えていた。その人物が今、彼女の目の前で、微笑みながら頭を下げている。

 なお、そのとき弥生が外した、彼のヴェネチア風のアイマスクは、現在彼女の部屋に置いてある。時々それを着けてミュージカル調に歌って踊ってみたりしているが、それは彼女だけの秘密だ。


 驚きの余り、その顔が引きつる弥生。店長が意外そうな顔で口を開いた。


「おや、知り合いだったのかい」


「ええ、父の古い知り合いです。あと、こないだ学校でもお会いしましたね? その節は、本当にお世話になりました」


 そう言って、闇の王はぺこりと頭を下げた。その表情は、相変わらず笑顔を保っている。彼の言葉に、弥生が呟くように聞き返した。


「父……?」


「父のまことですよ。土屋鮮魚店、ご存知でしょう?」


 その言葉を聞いた弥生がまた驚いた。土屋鮮魚店の店主、土屋つちや まことは、彼女もよく知る人物である。かつて蛇の使徒で最強の男であり、ブラックムーンの首魁となった男。コードネームは“ミエルネス”、その人である。さらには、十五年前に彼女を最も苦しめた敵だ。なお、その闘いの代償として、彼はすべての魔力と記憶を失った。現在は気のいい魚屋の親父として、地域住民に愛される存在となっている。

 彼女は闇の王を指さし、「じゃあ、あんたは――」と言うと、思わず口をつぐんだ。「ミエルネスの息子」という単語を、それが出る前に喉の奥に飲み込んだ。


 店長が笑顔で少年の肩を叩いた。


「随分しっかりした子だろう? 土屋君は特例でね。職場体験の後は、引き続き学生バイトとしてここに残ってくれる予定なんだよ」


「ええ、学校からは特別に許可を頂きました。いずれ父の家業を継ぐ予定ですので、ここでの経験はとても役に立ちそうです」


 そう口にすると、闇の王は意味ありげに口元を歪ませた。店長がまた笑顔で口を開く。


「そうそう、お父さんが魚屋さんだから、魚を下ろせるんだよな。でも、残念ながら今、鮮魚は人手が足りてるからね。代わりと言っては何だが、寿司の作業場で頑張ってもらうつもりなんだよ」




 そして学生たちは店長に連れられ、各作業場の見学へと歩を進めていった。その去り際に、闇の王がまた微笑んで弥生に頭を下げた。


「では、三浦さん。どうぞ今後も、よろしくお願い致します」


 弥生が、その手に持っていたボールペンをぽろりと落とした。カツーン、と乾いた音が、バックルームの廊下に響いた。



* * *


 ――そして、その日の午後十時、天堂中学校にて。


「な、ん、な、の、よ、アイツーーー!!!」


 そう叫び、弥生はレベル1土魔法ロックブラストを発動した。校庭の地表が抉れ、その大地が派手に破裂する。だが、敵がいるわけでは無い。これは彼女流のストレス発散法の一つなのだ。


 なおも無人の校庭に魔法を放ち続ける弥生を見て、早苗が呟く。


「なんか、弥生さん今夜は荒れてるねえ……?」


 その隣で、夏樹が頭をぽりぽりと掻いてぼやいた。


「校庭壊れるから、土魔法はやめてほしいなあ……」


 すべてが終わった後の修復作業のことを思うと、頭が痛くなる二人であった。



 クロウが一つ溜息を吐いて弥生に語り掛けた。


「どうした三浦。また主任とやらが何かしたのか?」


「違うわよ! あの闇の王よ! 闇の王があたしの職場に来たのよ!」


 弥生が激高した様子で、また魔法を放った。




 それを耳にして、夏樹が早苗に耳打ちする。


「闇の王って誰……?」


「ほら、あれだよ。こないだ来た白い服の人だよ」


「ああ、あの最弱王か」


 合点がいった様子で、夏樹がその手をぽん、と鳴らした。




 クロウが弥生との会話を続ける。


「闇の王が来たのか? 客としてか?」


「そんなんで怒りはしないわよ。職場体験で来た奴の中に紛れてたの!」


「魔法で排除すればよかろう」


「それが出来れば苦労しないわよ!」




 また夏樹が早苗に耳打ちした。


「職場体験って?」


「ほら、あれだよ。三年生になったら、三日間だけお仕事させてもらえるやつだよ」


「あー、ってことは、最弱王は三年生なのか?」


 夏樹が小首を傾げた。


 弥生がまた魔法を放った。今度はレベル3土魔法クラッグ=プレスだ。巨大な岩の塊が校庭に落下し、派手に砕け散った。


「許さない、絶対に許さないわ……。あたしの聖域プライベートを侵すなんて。今度来たらギッタギタにしてやる……」


 怒りに燃える弥生。その表情を見て、二人の少女が震えあがった。


「弥生さん、また般若の顔になってる……」


「いや、あれは鬼神だぜ。夜叉やしゃだよ、夜叉やしゃ



 すると、ふとクロウが上空を見上げた。スフィアは白い光を保ったままだが、彼は一つの魔力の到来を察知し、口を開いた。


「来たぞ、三浦」




 弥生の魔法で大いに荒れている校庭の中央に一人の男が降り立った。蛇の使徒、ランディ=マルディだ。彼は得意気にほほ笑む。


「よう、魔法少女ども」


 普段とは全く違う登場の仕方に、弥生が首を傾げた。まずは挨拶代わりに魔獣を呼び出すというのが、いつもの彼の手法である。


「どうしたのよ? 魔獣出さずに戦うのが流行ってるの?」


「そうじゃねえ。今日は俺の新必殺技を披露するんだ。ギャラリーがいねぇとつまらねえだろ?」


 そう言うと、彼は早苗と夏樹を睨みつけて吠えた。


「特に、そこのガキ二人! こないだは世話になったな。これは、手前らをぶっ潰すために開発した技だぜ!」


 弥生が溜息を吐き、二人の少女へ視線を送った。


「あんたたち、今度は何したのよ……?」


 また蛇の使徒の機嫌を損ねてしまい、二人の少女は周章して答えた。


「あわわわわ、あれは私たちのせいじゃないよ。秋比古さんが悪いんだよ」


「そうそう、あたしらは、あの不良警官に言われた通りにやっただけだぜ?」


 その言葉を聞いた弥生がひとつ頷いた。


「あー、秋比古と会ったのね? じゃあ、なんか納得……」


 かつての蛇の使徒である乾 秋比古の性格の悪さは、弥生も知るところである。彼の悪ふざけで月比古が酷い目に遭わされた場面に出くわしたのは、一度や二度ではない。弥生はそれを思い出して苦笑した。


 ランディがその魔力を滾らせていく。


「言い訳なんざいい! まずは見てもらうぜえ! 俺の必殺技!!」


 そして、彼は両手をスフィアに向けてかざした。


「出てこいや! 魔獣ども!!」


 その魔力を受け、スフィアが震える。やがてそれは七色に変化し、けたたましい金属音を校庭に響かせた。


 そしてその球体から、黒い影が音を立てて校庭に落ちた。もぞもぞと動き、それはゆっくりと動き出す。魔獣が生まれたのだ。

 魔獣は八つの瞳を宿していた。ランク8だ。だが、魔法少女たちが目を見張ったのは、その瞳の数ではなかった。

 スフィアから落ちた巨大な影が、四つに分かれた。同時に四匹の魔獣が産み落とされたのだ。その全てが、八つの赤い目を光らせていた。


「よっしゃ! 成功だ!」


 そう叫ぶと、ランディは、どうだ、と言わんばかりに得意気にほほ笑んだ。


 長年戦い続けてきた弥生も、これは初めて遭遇する現象である。驚きのあまり、一歩後ずさった。それを見逃さなかったランディが、また口元を歪ませる。


「良い顔してるじゃねえか。それが見たかったんだよ……!」


 クロウもまた驚きを隠せなかった。


「これはどういうことだ。魔獣召喚は一晩に一体のはずだ」


 ランディがまたニヤニヤと笑い、その言葉を訂正する。


「違うなあ。一晩になんだよ」


 そして彼は高らかに笑って言った。


「つまり、同時に複数呼び出せば、大量の魔獣を出すこともできるってわけだあ!」


 やがて、四体の魔獣はランディの指示により、三人の周りを取り囲んだ。それぞれが唸り声を上げ、一斉に飛び掛からんと構える。

 少女たちは互いの背中を守りながら、それに備えた。さすがに四体ものランク8魔獣を相手にすれば、無傷とはいかないかもしれない。弥生の額に汗が一筋流れた。


「五対三、というわけね……?」


 ランディがその右手を上げ、魔獣たちへ合図を送った。そしてまたニヤリと笑う。


「卑怯とは言わせねえぜ? 存分に闘り合おうじゃねえか、魔法少女ども!」

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