第18話 借りがあるからな


 少女らの肌へ触れる一歩手前で、魔獣の爪が動きを止めた。見ると、夏樹のウォーターショットが当たった個所が白く変色し、やがてそれは石灰の塊の様に脆く崩壊した。その現象が徐々に魔獣の全身へと広がり、その巨大な身体は、ついに白い灰となって崩れ落ちた。


 早苗が唖然としてその様子を見守る。夏樹は腰を抜かしたまま、頬の涙を拭って、震える唇で呟いた。


「……倒した?」


 へたり込んだ二人の横に、クロウが舞い降りた。


「ふむ、温度差による破壊か。中々頭脳的な攻撃だったぞ」


 魔獣の身体は、弥生の魔法によって超高温となっていた。そこへ夏樹の魔法が文字通りの冷や水を浴びせる形になったのだ。急激な温度変化に耐えられず、魔獣の身体は見事に崩壊した。勿論それは彼女の意図したものではなかったが、咄嗟の魔法攻撃が功を奏した結果になった。まだ足に力の入らない夏樹が、その頬をごしごしと擦りながら、はにかんだ。


「へへ……。なんか分かんねえけど、やっつけたぜ」




 すると、魔獣の体から、小さな光球が飛び出した。それは輝きながら、夏樹の目の前にゆっくりと舞い降りる。


「おお……? 何か出てきたぞ……?」


「それを取れ、宇野葉」


 クロウに促され、夏樹はその光球をそっと受け止めた。すると、その光は彼女の手の中で、一枚の銀色のカードとして具象化された。夏樹が呟く。


「これ……、新しいカード……?」


「レベル2の水魔法“アイスブラスト”を使えるようになったのだ。一つ成長したな」


 早苗が目を輝かせて、彼女に称賛の言葉を贈った。


「凄いよ夏樹ちゃん! レベルアップだ!!」


「はは……、やった、のかな?」


 夏樹が照れくさそうに鼻を掻くと、クロウが口を開いた。平静な口調を保ってはいたが、心なしか、彼は夏樹の成長を喜んでいるかのように見えた。


「高ランクの魔獣を仕留めた成果だな。魔力もかなり上昇したはずだ」




 弥生もその横に舞い降りてきた。二人の無事を確認して、安堵の溜息を吐く。そして、クロウの言葉を反芻して、ぽん、と手を叩いた。


「あ、そうか。この子たちに止めを刺すところだけ任せれば、それだけ早くレベル上がるのか」


「その通りだ。気付いていなかったのか?」


 気付いていれば、これまでの魔獣を全て一撃で仕留めることなどしていない。弥生が冷ややかな目でクロウを睨みつけて責任転嫁した。


「あんたが言わないからよ」


「そうだな。そもそも、お前にそんな器用な真似が出来るとは思っていない」


「失礼ね」


 とは言ったものの、弥生は少し考えて口を開いた。


「まあ、確かに大体一撃で終わっちゃうんだけど……。手加減かあ。苦手なのよね」


 あらゆる敵をとにかく手早く仕留めることに精を出してきた弥生である。敵を倒す直前のギリギリのところで攻撃の手を緩めることなど、考えたこともなかった。


 彼女がうまい手加減の仕方を考えて首を捻っていると、クロウが口を開いた。


「三浦、仕事はいいのか?」


「あ!」


 彼女はやりかけの発注作業を放り出してきたことを思い出した。残業中だった彼女は、例によって職場からレベル3風魔法スパイラル=トルネードで移動してきたのだ。


「行かないと! ごめん、修復は後でするから!」


 弥生がそう言うと、夏樹が口を開いた。


「あ、修復ならあたしたちがするよ」


 その言葉に、早苗もうんうんと頷いた。戦闘ではほとんど役に立てなかった二人だ。せめて戦闘以外のことで弥生をサポートできれば、と考えてそう申し出た。また、夏樹には今回のこの騒動の切っ掛けを作ったという負い目もあった。


「……あら、そう?」


 弥生は内心嬉しかったが、やや怪訝な顔をした。そして校庭を眺めた。

 校庭は、未だ弥生のスーパー=フレアの余韻で、黒煙が立ち込め、またその中心部はまだ高熱が収まらず、大地がマグマ化してぐらぐらと煮えたぎっている。これを修復するには、まず強力な水魔法による鎮火作業が必要であると思えた。


「……あたしがやったほうが良くない?」


 そう言って、弥生がマグマ化した地面を指さした。確かに、二人には手に余る状況だ。その言葉に甘えることにした夏樹が、苦笑いを浮かべて応える。


「あ、じゃあ、やれるとこだけやっときます」


 去り際に、弥生がクロウに声を掛けた。先ほど、校内の魔力を探ったときに、ある人物の力を感じ取っていたのだ。それは弥生の記憶にない魔力だった。


「そういや、あたしの知らない魔力を感じたんだけど、誰か分かる? ドネスタークに似てはいるんだけど、ちょっと違うのよね……」


「ああ、ここ数日、時折感じる魔力だ。あの闇の王や月比古とはまた別の波長だな」


 その言葉を聞き、弥生が少し考え込んだ。


「ってことは、五人目の蛇の使徒か……。どうにかしないと、増える一方ね」



* * *


 ずっと正門の門柱の影から校庭の様子を伺っていたミドが、一度深く息を吐いて、踵を返した。するとその背後に立つ人影があった。ミド同様、その戦いを見守っていたその人物が、白蛇へ声を掛けた。


「ミド、父さんは無事なの?」


「霜亜来か。見てたのかい?」


 弥生が感じたのは、この黒髪の少女――桂木 霜亜来の魔力だった。彼女はまたミドへ問いかける。


「父さんはどこ?」


「さっき家に転送してあげたよ。少しケガをしたみたいだけどね。後で介抱してあげるといい」


「そうするわ」


 そして彼女は白蛇に背を向けた。その背中へ、ミドが声を掛ける。


「霜亜来、弥生のエンジェルフォームを見たんだろう?」


 彼女は背を向けたまま、黙って頷いた。白蛇が続ける。


「君は、あれに勝てると思うかい?」


 その問いかけに、霜亜来はただ「分からないわ」とだけ答えた。そして、逆に問いかけた。


「でも、父さんはあれに勝つ気でいるのよね……?」


「そうだね」


「なら、私は出来ることをするだけよ」


 そう言い残すと、彼女は自宅へと歩を進めた。


 そして、彼女と入れ替わるように、また新たな人物がミドの前に現れた。金髪の男、ランディ=マルディこと乾 月比古である。霜亜来は彼とすれ違ったが、その姿を一瞥もせずにその場から立ち去った。月比古が彼女の揺れる後髪を見ながら、口を開く。


「今のが、ドネスタークの娘か?」


「そうだよ。戦闘経験は無いのに、基礎魔力ではすでにサヴァトを超えているんだ。とてつもない逸材だよ」


 月比古は、興味なさげに「そうかい」と一言だけ呟いた。ミドが首を傾げる。


「今日はどうしたんだい? 自分の番でもないのに、こんなところに現れるのは珍しいじゃないか?」


「まあ、ちょっと思いついたことがあってよ。ドネスタークのおっさんが魔獣を出すところが見たかったんだよ」


「そうかい。参考になったかい?」


 月比古は不敵な笑みを浮かべ、「まあな」と答えた。そしてミドへ問いかけた。


はあのおっさんの意思で出てきたと考えていいんだよな?」


「勿論だよ。彼が意図したかは分からないけど、あれは間違いなく彼がと願った結果なんだ。あれが彼の言うことを聞かなかったのも、ある意味では必然だよね」


 そこまで聞くと、月比古はまた口元に笑みを浮かべた。


「じゃあ、俺の考えはあながち間違っちゃいねぇか」


 その思わせぶりな口調に、ミドがまた首を傾げた。月比古がさらに言葉を重ねる。


「ミド、次は俺にやらせろよ。思いついたことを、試してみてぇんだ」


 月比古自らがこのような提案をしてくるのは、実に数年ぶりのことだった。ミドは喜んで快諾した。


「ようやくやる気を出してくれたんだね。嬉しいよ」


「別にそういう訳じゃねえんだが」


 月比古が気だるそうに右耳のピアスを弄ると、それは夜道の街灯の光を反射してきらりと光った。


「――あのガキどもには、借りがあるからな」

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