第17話 夏樹ちゃんがやりました
「やれやれ」
一言そう添えると、ミドがゆっくりと首をもたげた。
「いきなり突き飛ばすとは、酷いことをするね、弥生」
「あんたほどじゃないわよ」
弥生がその白蛇を鋭く睨みつける。ミドが彼女へ言葉を返した。
「失礼だね。一応聞くけど、君も蛇の使徒に――」
「愚問ね」
「ふうん。そっちの二人には、良い返事を期待するよ」
そしてミドが二人の少女を見つめた。その視線を遮るように、クロウが力強く羽ばたいて、間に割って入る。
「そうはさせん! 貴様の思い通りになどなるものか!」
「まあいいさ。今夜は、僕よりも君たちに会いたがってる人がいるからね」
そう言って、ミドは一つ息を吐いた。そして叫んだ。
「僕の用は終わったよ。君の出番だ、ドネスターク!」
校庭の空気が、瞬く間に変わる。雷の魔力が静かに、だが確実に彼らの周りを侵食していった。その大気が帯電し、あちこちで小さな破裂音を響かせた。
やがて校庭の中央に響く轟音と稲光。雷の魔力を従えて、和服姿の男が笑い声と共に校庭へと降り立った。
「フハハハハ! 先刻の雪辱、晴らさせてもらうぞ! 魔法少女!!」
そしてまた轟く霹靂。ミドが二人の少女に声を掛けた。
「彼に何かしたんだって? 随分ご立腹だよ。覚悟するんだね」
そう言うと、ミドはその翼をはためかせて、上空へと消えていった。
口上が終わっても、なお降り注ぐ雷光を見て、弥生が彼の機嫌を察した。
「なんか、近年稀にみるほど怒ってるわね? 一体どうしたのよ?」
弥生が聞くと、早苗が手を挙げて答える。
「はい! 夏樹ちゃんがやりました!」
「……あ、やっぱあたしのせいなのか?」
夏樹が済まなそうに、鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
そして弥生とドネスタークが対峙する。弥生が、彼の額を見て、怪訝な顔をした。
「あんた、何よ、その頭に書かれてるのは……?」
するとドネスタークが、無言で夏樹を睨みつけた。それに気付き、夏樹がぎくりとして目をそらす。彼の額には、依然としてラメ入りサインペンで書かれた『変熊』の文字が残っていた。弥生がその文字を読み上げる。
「『変態』……? いや、字が違うわね……? 『変熊』……『ヘンクマ』?」
その言葉を耳にした夏樹が狼狽えて口を開いた。
「えっ、……クマ!?」
ここでようやく、『態』と『熊』の字を取り違えたことに気付いた夏樹である。恥ずかしさの余り、彼女は耳まで真っ赤にして顔を覆った。早苗がそれを慰める。
「ごめん、夏樹ちゃん。気付いてたけど、言えなかったの……」
「言えよ! あたしが馬鹿みたいじゃん!!」
夏樹が、僅かに目に涙を浮かべて、早苗に訴えた。
だが、もっと泣きたいのは、むしろ彼の方だっただろう。弥生にその額の文字を読み上げられると、彼はその思いの丈を咆哮に乗せてがなり立てた。
「貴様らああああ!!!! 人の額に油性で文字を書きおって!!! しかも、間違った字でええええ!!!! 許さんぞおおお!!!!」
そして変熊男、ドネスタークがまた落雷を呼んだ。それは校内のあまねく処へと降り注いだ。そのうちいくつかは少女の身体を襲ったが、彼女らは咄嗟に防御魔法を展開してそれを防いだ。
弥生が呆れて口を開く。
「ああ、夏樹がそれを書いた訳ね……。納得したわ」
「我が怒りを受け止めろ、スフィアよ!!」
ひとしきり雷の雨を降らせると、彼は天に両手を掲げ、魔獣を呼び出した。スフィアが七色に変化し、激しい金属音が辺りに鳴り響く。
やがて、校庭には二階建ての家を超える大きさの、巨大な魔獣が産み落とされた。二人の少女が見たものの中では最大だ。二人は手を取り合い、戦慄した。早苗が震える声で夏樹を責める。
「あわわわわ、もしも弥生さんが負けちゃったら、夏樹ちゃんのせいだからね……!?」
クロウが魔獣の瞳の数をカウントし、感心した様子で言った。
「ほう、ランク28か。耕一郎の過去最高記録更新だな」
生み出される魔獣のランクは、術者の魔力と、そしてその感情に大きく影響を受ける。本来、ドネスタークの魔力で生み出せる魔獣のランクは10~15程度なのだが、今回はその憤怒の思いが強く影響を与えた。結果として、彼自身の限界を遥かに超える魔獣を生み出せるまでになっていた。
余談ではあるが、ここ十五年間の戦いにおいては、ランク65が最高記録である。その時は、メルコレディが長年付き合った男に振られたことを、弥生が笑って茶化したことが切っ掛けとなって召喚された。およそ九年前の出来事である。余談に余談を重ねると、メルコレディはそれ以来彼氏無しだ。まあ、弥生に至っては二十八年間彼氏など居たことはないのだが。
魔獣が雄たけびを上げる。その咆哮で空気が震え、それは少女たちの身体の芯まで届くような、重い振動を伝えた。あまりの迫力に、二人の背筋がぴんと伸びた。
クロウが二人に語り掛ける。
「二人とも、見ての通りだ。スフィアの獣は怒りの感情に最も強く反応する」
その主の抱く敵意故か、魔獣はその二十八ものの瞳の全てを使い、じっと夏樹を見つめている。彼女の背筋が凍り付いた。
「い、怒りってことは、もしかして、あたしが狙われるのか……?」
「それは分からん。耕一郎次第だ」
クロウが平静な口調で答えた。
自身も見たことが無いほどの巨大な魔獣を目にし、ドネスタークが歓喜の雄たけびを上げた。
「フハハハハ!! いいぞ! 実に素晴らしい!」
そして彼は弥生を指さし、魔獣へ攻撃の指示をした。
「さあ、行け! 我が魔獣よ!! かの仇敵を打ち倒すがよい!!」
だが、魔獣はその指示に従うことなく、また巨大な雄たけびを上げた。唸り声を上げながら、その視線はただ夏樹へと向けられている。ドネスタークが狼狽した。
「何故だ? コイツ、わしの言うことを聞かんぞ……?」
人が己の憤怒を制御できなくなることがあるように、その魔獣もまたドネスタークには制御できなくなっていた。魔獣がさも煩わしい羽虫を払うように、その太い腕でドネスタークの身体を薙ぎ払った。その速度はあまりにも早く、防御魔法を使う暇も無いまま、彼の身体はまるで木の葉のように舞い、校舎脇の芝生へと吹き飛ばされた。それを見たクロウが口を開いた。
「負の感情を源にする力は、常に不安定だ。ともすれば、自らの身を傷つける」
ドネスタークは己の魔獣に吹き飛ばされた衝撃で気を失ってしまった。恐らく、何が起こったかすら把握できていなかっただろう。クロウが彼の身体を一瞥して言った。
「――あんな風にな」
早苗がそれを見て、口元に手を当てた。
「はえー、分かりやすい……」
「ミドが願いを叶える仕組みも、似たような力に属している。くれぐれも言っておくが、あの蛇の言うことは絶対に信用してはならんぞ」
弥生が魔獣の前に立ち塞がった。だが、魔獣は彼女の存在などまるで意に介さず、ただ夏樹へと敵意の視線を向けるばかりだ。
「あたしは、敵じゃないっての……?」
その存在を無視された彼女が、少しムッとした様子で煉瓦色のカードを取り出した。その詠唱文を詠み上げ、彼女に撃てる最大威力でその呪文を唱えた。
「“ファイヤボール”!」
魔獣の身体に相当するほどの、巨大な火球が現れた。それは一直線に魔獣に向かうと、その顔に直撃する。魔獣の周囲が激しい炎で包まれたが、それはやや息苦しそうに小さく吠えただけで、まるでダメージを受けていないようだった。炎に包まれながらも、その魔獣は依然として夏樹を見据え続けている。
これまであらゆる敵を葬ってきた弥生の魔法が通用しない様を見て、二人の少女は戦慄した。早苗がまた「夏樹ちゃんのせいだよ……」と呟いた。
弥生が小さく溜息を吐く。クロウが彼女の上空で羽ばたいて口を開いた。
「ランク25を超えると、通常の魔法ではダメージが通らんぞ?」
弥生が上空を一瞥し、「ご忠告、どうも」と応えて言った。
「――知ってたわよ。ちょっと試してみただけよ」
弥生が次なる攻撃を放つべく、両手を天にかざした。その左手の指輪がキラリと光る。だが、彼女の動きがそこで止まってしまった。彼女は一度その構えを解き、頭をぽりぽりと掻いてクロウに問いかけた。
「呪文、何だったっけ? 久々すぎて忘れちゃった」
クロウが彼女の構えから、その意図を察して問いを返す。
「何になりたいのだ? エンジェルか? レインボーか? それともプリンセスか?」
「エンジェルでいいわよ。レインボーだとやりすぎちゃうでしょ」
「ならば、“リーンカーネイション”だ」
そして、彼女はまた両手を天に掲げ、その呪文を口にした。
「――“
左手の指輪が強く輝くと、瞬く間に弥生の身体が光に包まれ、そして一つの光球となって天高く舞い上がった。
やがてそれは空中で弾けた。その強大な魔力が、波動となって周囲に伝わる。光球の中から、純白のドレスを纏った弥生が現れた。その背には、光の翼を宿していた。
彼女の身体は光り輝き、音もなく空中にその高度を保っていた。
突然姿を変えた弥生に驚きながらも、その神々しい光に見とれた夏樹が、思わず呟く。
「弥生さん、光ってる……」
早苗もまた、彼女の美しい光に心を捕らわれた。その純白の服と、輝く翼に見入りつつ、口を開いた。
「綺麗……。天使みたい……」
クロウが早苗の言葉に反応した。
「その通り。エンジェルフォームだ。魔法少女の一段階上の力を発揮することができる。形態変化の中では、三浦が最初に身に着けた力だな」
早苗が呆然と弥生の姿を見つめながらも、クロウに問いかけた。
「あたしたちも、ああなれるの?」
「可能だ。三浦はさらに、レインボーフォーム、プリンセスフォーム、ハイパーエンジェルフォームに、エクストリームプリンセスフォームという進化形態を持っている」
「……なんか、凄いってことは分かったよ。よく分かんねえけど」
夏樹もまた心ここに在らずといった様子で、弥生に見惚れながら、クロウの言葉に応えた。
弥生がそっと瞳を開ける。彼女から放たれた魔力が溢れかえり、その身体を中心とした波動の渦となって校庭の上空に立ち込めた。
彼女がゆっくりと右手を挙げると、その手元が強く光り輝く。やがて光は一筋の線となり、彼女の掌の中で白い杖となって具象化された。エンジェルフォームの専用装備、ペガサススタッフである。彼女がそれを手にした途端、また大きな魔力が解き放たれ、校庭の上空に波動が駆け巡った。
弥生はその杖で魔獣へと照準を定める。彼女が僅かにその手元に魔力を込めただけで、杖はそれを何倍にも増大させて、その先端を強く光り輝かせた。
「さて、校舎を壊さないようにしないとね……」
彼女はそう呟くと、手元から放つ魔力の量を調節した。ペガサススタッフから放たれる魔法は、非常に強力だ。彼女が全力でそれを放つと、学校ごと蒸発させてしまいかねない。
その調節に手間取っているうちに、魔獣がその身体を夏樹に向けた。その巨大な四肢をゆっくりと動かし、一歩また一歩と夏樹へ向かっていく。彼女は足が竦んでしまい、動けなくなっていた。
その動きを察知し、弥生が魔法を発動させた。咄嗟にその魔力量を絞り込む。
「――“
呪文と共に、ペガサススタッフの先端が力強く光り輝く。次いで、その強大な魔力が魔獣の頭上に集中し、そして炸裂した。魔獣の身体が閃光に包まれた。
光が収まり、二人の魔法少女が目を開けると、そこは赤と黒の二色のみが支配する世界と化していた。その魔法によってもたらされた超高温の閃光によって、校庭の大地は赤く溶け、一部ではぐらぐらと煮立っていた。またそれによって蒸発した物体が、黒煙となって辺りに立ち込めている。地獄とも見紛うその光景に、夏樹がへなへなとその場に膝を付いて呟いた。
「ハンパねえ……」
弥生は上空で校庭を見下ろしていた。
「やったかな……?」
そう呟き、注意深く校内の魔力を探る。この大技を使用すると、自らの魔力が霞の様にあたりに立ち込める。それが彼女の魔力探知の邪魔をして、しばらくは敵の魔力を正確に探れなくなるというデメリットがあった。彼女は魔獣の持っていた魔力の残り香を懸命に辿りながら、標的の消滅を確認しようとしていた。
その時である――
突然、黒煙の中から魔獣が姿を現した。その片腕を失い、また全身は赤く焼けただれていたものの、辛うじてその実力は健在だった。未だ冷めやらぬ高熱をその身体に宿し、全身から黒煙を巻き上げながら、魔獣はその痛みを怒りに変えて咆哮した。そして、その恨みを晴らさんとばかりに、夏樹を見据え、そして突撃した。
「しまった! 手加減しすぎた……!!」
弥生が歯噛みする。校舎の損傷を抑えたいばかりに、魔力量を絞りすぎたのだ。慌ててデッキを開き、次の魔法を放とうとするものの、すでに魔獣は少女たちの眼前へと迫っていた。その巨大な牙にかかれば、少女たちの拙い魔力では防御魔法はまるで役に立たないだろう。彼女はそれを経験上知っていた。弥生が必死の表情で叫ぶ。
「あんたたち、逃げなさい!!」
黒煙と共に、魔獣が少女へと迫る。その体躯は、依然として高熱を湛えており、その熱気が二人の元へと届く。夏樹が狼狽えて叫んだ。
「わああああ! こっち来た! 熱い! すごく熱い!!」
早苗が恐怖のあまり後ずさる。だが、そこで彼女は夏樹がぺたんと地に座り込んでしまったことに気付いた。
「逃げろ、宇野葉!」
クロウもまた叫んだ。早苗が夏樹の手を引くが、夏樹は腰を抜かしてしまって動けなかった。魔獣の牙が目前に迫り、早苗がすかさず防御魔法を展開する。だが、二人は直感した。その防御魔法では、恐らくこの強大な牙は止められないだろう、と。
夏樹は恐怖に耐えながら、魔獣を迎え撃つ決断に至った。カードを手に取り、目を閉じて、それを叫んだ。
「うわああああ!! “ウォーターショット”!!!!」
夏樹の放った水の鞭が魔獣の胴体に触れると、その高熱で瞬く間に水の鞭が蒸発した。白い蒸気が辺りに立ち込める。
そして、魔獣の爪が、早苗の防御魔法を容易く突き破り、少女の身体へと迫った――
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