第14話 今日は星が綺麗に見える
弥生が呼ぶよりも先に、ランディ=マルディは校庭に姿を現していた。とても苛立った様子で、早歩きで校庭の中央へと歩み寄っていく。
そしてサヴァトの横まで来ると、その右拳を彼の頭上に振り下ろして言った。
「馬鹿野郎! 何を真正面からぶつかってんだ!? 最初に魔獣を出して、相手を弱らせるんだよ!!」
突然ゲンコツを受けて頭を押さえるサヴァト。その言葉に、魔獣の主が誰であるかをようやく理解した。痛みのあまり、目に涙を浮かべ、金髪の教官に不平を漏らす。
「いや、俺はそういうの使わなくても勝てるし!」
「あの“青い女”にすら完敗したじゃねえか!」
ランディが夏樹をビシッと指さした。赤のドレスの早苗と弥生とは異なり、彼女は青を基調としたゴシックドレスを纏っている。故に、彼らにとって夏樹は“青い女”なのである。そしてランディはサヴァトの胸倉を掴み、感情に任せて怒鳴りつけた。
「いいか! 本気で弥生を叩きのめしたいなら、妙なことにこだわってんじゃねえ! 使えるものは全部使わねえと勝てねえんだよ!」
すると、不意にランディの動きが止まった。いや、止まったのではなく、止められたのだ。その事実に彼も気付き、「あ」と声を出した。
胸倉を掴んだ手が突然緩んだので、サヴァトがその拘束から逃れる。ランディの身体は、そのまま蝋人形のように固まってしまった。サヴァトが不思議そうに首を傾げた。
身体が硬直したまま、ランディが呟いた。その身体からは、滝のように冷や汗が流れている。
「……ヤベェ、掴まった」
「んん?」
何が起こったのか理解できず、サヴァトがまた首を捻った。身体の自由の大半を奪われたため、その口を動かすのがやっとのランディが、必死にサヴァトへ訴えた。
「ミドを呼んでこい。じゃねえと、死ぬぞ、俺ら」
「え……?」
次の瞬間、ランディの身体がゆっくりと宙に浮きあがった。それを呆然と見守るサヴァト。やがて彼の身体が五メートルほどの高さまで浮き上がると、突如その身体が地球の引力に引かれて落下した。受け身を取ろうとしたが、彼の身体は相変わらず硬直したままだ。そのまま彼は顔面から地上に落下した。
落下したまま、身悶えることも許されずにただぴくぴくと身体を震わせるだけのランディ。一体何が起きているのか分からず、サヴァトがその傍らで呆けていると、女の声が校庭に響いた。
「――“
声のした方を見やると、一人の女が彼らに向かって右手をかざしていた。そして次の瞬間、サヴァトも何が起こっているのかを理解した。彼の身体もまた硬直してしまっていたのだ。弥生の力魔法により、手足の先まで完全に拘束されてしまっていた。
弥生がかざした手をゆっくりと上げると、彼らの身体もそれに合わせて宙へ浮き上がった。ランディは顔面から着地したせいで、大量の鼻血を流している。
弥生がおもむろに彼らに歩み寄り、そして口を開いた。
「へえ、あたしを叩きのめすっての……? 面白いこと言うじゃない?」
主の危機に、魔獣が雄たけびを上げて弥生へ襲い掛かる。だが、その刹那、彼女は左手でカードを取り出してそれを唱えた。
「“ファイヤボール”!」
巨大な火球が飛び出し、魔獣を一撃で灰とした。それを見たサヴァトが、驚き、恐れおののく。
「うおおお、なんだ、今の威力……!?」
初めて弥生の魔法を目の当たりにしたサヴァト。それを一瞥し、ランディが皮肉たっぷりに語り掛けた。
「おい、あいつを叩きのめすんだろ? 早くしろよ」
弥生が静かに彼らの足元へと近づいてきた。彼女は宙に浮く二人を見上げ、おもむろに口を開いた。
「ランディと、あと、闇の王……だっけ?」
いつもの弥生なら、烈火のごとく怒り、問答無用で魔法を放ってくるはずだ。力魔法を使うとは、どうも勝手が違う。そう思ったランディがよく見ると、彼女の表情はいつもより憔悴しているように見えた。その目の焦点も、どこか合っていないように見える。普段の彼女とはどこか違う、落ち着いた雰囲気を感じ、彼はダメ元で説得を試みた。
「おい、弥生。今日は俺の番じゃねえんだよ。俺はただ付き添いで来ただけで、今日の主役はあっちの魚屋のガキの方だ。だから、な? 俺は見逃してくれねえか?」
「ちょ、自分だけ逃げようってのかよ、この金髪!!」
サヴァトが大いに抗議すると、ランディがいきり立って答えた。
「うっせえ! そもそも、てめえが俺の話聞かずに飛び出すからこんなことに――」
二人が言い争っていると、弥生が静かに口を開いた。
「……うるさいわよ?」
ランディが感じていた落ち着いた雰囲気。それは、休日を失ったばかりの彼女から放たれた、絶望と暗黒の気であった。彼女は、その深く暗い情念に突き動かされ、その魔力を思うがままに解き放った。
サヴァトに罵詈雑言を並べ立てていたランディの身体が、突如地面へと叩きつけられた。先ほどの自由落下ではなく、今度は力魔法によって存分に初速を付けられた状態で。さらに何度も何度も校庭に叩きつけられていく。
「え? え?」
目の前で行われている惨劇に、サヴァトにはただ目を丸くすることしかできなかった。
やがて、その行為が終わり、ランディの身体がまたゆっくりと宙に浮きあがった。もはや鼻血どころの騒ぎではない。主に頭から着地させられた結果、彼の頭からは血が大量に吹き出していた。さらには全身ボロボロになり、その左手はあらぬ方向へ曲がってしまっている。
その姿を見たサヴァトが絶叫した。
「いや、めっちゃ血ぃ出てる! やばいってコレ!」
さらに、弥生が魔力を放出すると、またランディの身体が地面に二度三度と落下し始めた。サヴァトが泣いて懇願する。
「やめてえええ!! 死んじゃうから! ランディさん死んじゃうから!!」
すると、弥生がひとつ息を吐き、サヴァトを睨みつけて言った。
「うるさいわねえ。死にやしないわよ、これくらいで」
そして彼女はランディの身体をまた地面へ落とし、そこへ歩み寄って左手をかざした。
「ほら、“
みるみるうちにランディの身体の傷が治っていく。敵に情けを掛けるその姿を見て、サヴァトは聖母を連想した。
が、それは悪魔の所業であったと、すぐさま思い直させられた。
「そして、“
弥生がそう唱えると、傷の完治したランディの身体がまた宙に浮きあがった。そしてまた何度も何度も地面へと打ち付けられた。
「ええーーー!? 治してから、またやるのー!?」
目の前で行われている光景が信じられず、思わず目を覆いたくなる衝動に駆られたサヴァトが叫ぶ。だが、ランディ同様に身体の自由を奪われたサヴァトに、それは適わない。見たくなくとも、それを見るしか選択肢はないのだ。
またもボロボロになってしまったランディの身体に、再度弥生が治癒魔法を掛けた。そしてまた力魔法で宙に浮かせ、地面へ叩きつける。もはやランディはとうの昔に意識を失い、悲鳴すら上げなくなっていた。すでに生きているのかどうかすら怪しい。サヴァトが泣きながら問いかけた。
「何のため!? 何のためにやってるのコレ!?」
すると、弥生がランディの動きを止めて答えた。
「何って……、憂さ晴らし?」
そして優しく微笑んでみせた。悪魔の微笑みに、サヴァトの身体に戦慄が走る。
際限なく繰り返される、治癒魔法と力魔法。すると、ふと弥生がランディの顔を覗き込んだ。彼が気を失ってから久しいが、ようやく彼女はそれに気づいたのだ。
「あら、失神しちゃってる。最初の一撃が強すぎたのかしら?」
すると彼女は、赤ん坊が遊び飽きたオモチャを放り投げるように、ランディの身体を校庭の隅へ投げ捨てた。そして、もう一つのオモチャに向かい、おもむろに口を開いた。
「さて、闇の王。あんたは、どうしてほしい……?」
彼女はサヴァトの身体をゆっくりと目の前まで下ろすと、そのヴェネチア風のアイマスクをそっと外した。サヴァトの素顔が露わとなった。男らしい眉を持つ、黒い瞳の少年の顔だ。それを見た弥生が微笑んだ。サヴァトは震えた。その歯がカチカチと音を立てる。
「悪いけど、今日、あたし、かなーり機嫌悪いから――」
彼女は静かに、そしてゆっくりと、その片手を上げた。サヴァトから取り上げたアイマスクを、そっと自身の顔へ付ける。そして、その焦点の合わない目で、宙を見上げ、乾いた笑みを湛えながら、言葉を繋げた。
「手加減できないかもしれないわあ。うふふふふふふふふふふふふ」
少年の悲鳴と、その身体が地面に叩きつけられる音が校庭に響き渡る。そして暫しの時を置いて断続的に唱えられる「
二人の少女は、校庭に背を向け、正門の横で体育座りして空を見上げていた。校庭で行われている血の惨劇に対し、見ざる聞かざるを貫き通す姿勢である。夏樹が空を見上げて口を開いた。
「早苗、今日は星が綺麗に見えるなあ……」
魔法少女たちにとっては、上空のスフィアが眩しくて、校庭から星など見えはしない。だが、今夜の彼女には星が見えていた。恐怖の涙で視界が滲み、それにスフィアからの光が乱反射した、無数の輝く光が。
早苗も同様だ。彼女は震える手を、同様に震える夏樹の手に添えて、その言葉に答えた。
「そうだねえ。星が綺麗だねえ……」
あまりの惨劇の様から現実逃避する二人に、クロウが背後から声を掛けた。
「二人とも、早く止めないと、今度こそ死人が出るぞ」
* * *
――そして日付が変わる頃、「喫茶 水曜の空」の店頭にて。
電飾看板を片付け忘れていた涼子が、咥え煙草のままでその電源コードをくるくると看板に巻き付けていると、その横をおぼつかない足取りで横切る影があった。
「あら?」
彼女がその影の正体に気付いて顔を上げる。黒いマント、白いシルクハットに、白いスーツを身に着けた少年だ。アイマスクは付けていなかったが、彼女にはそれがサヴァトであると認識できた。
彼女の存在に気付き、サヴァトはゆっくりと振り向いた。その目は虚ろで、先刻店を出て行ったときに纏っていた覇気は、もはや見る影もない。その帽子がぽとりと地に落ちた。
「遅かったじゃない。意外と粘ったのね」
そう言って、彼女は一息煙を吐き、落ちたシルクハットを拾い上げた。純白だったその帽子は、もはや見る影もなくズタズタにされ、土埃にまみれている。よく見ると、血の染みもあちこちにあったのだが、涼子はそれに気付かなかった。
呆然としたままのサヴァト。彼女は彼の頭に、ぽんとシルクハットを乗せた。
その時だ――
「うわああああああああ!!!!」
頭に触れられたことがスイッチになり、突然サヴァトが恐怖の叫びを上げた。
「俺の頭に触るなあああああ! かち割ろうとするなあああ!!」
涼子の手を振り払うサヴァト。シルクハットが宙を舞った。
「は? いや、あたしはただあんたの帽子を――」
「来るなあああ!!! 女とか超怖え! 俺に近づくんじゃねええええ!!!」
そして彼は脱兎のごとく駆け出した。その姿が魚屋の角に消えるまで、その絶叫は続いた。
「……何なのよ」
涼子がボロボロのシルクハットを拾い上げて一人ごちる。すると、サヴァトの絶叫が聞こえたのか、まだ中で明日のレース予想をしていた耕一郎が、店内から顔を出して言った。
「むう、近所迷惑だな」
「だから、それをあんたが言う……? つか、早く帰りなさいよ」
そう迷惑そうに言うと、涼子が店頭の照明ボタンに手を掛けた。
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