第13話 闇の王サヴァト

 校庭に電話の呼び出し音が鳴り響く。それは校庭の片隅に停めてある、弥生のスクーターのシート下が発信源だった。彼女の携帯電話は、もう五分以上に渡り、断続的にその音を鳴らし続けていた。校庭の全員がその音に気付いていたが、弥生は敢えてそちらへ視線を向けることなく魔法講座を進めようとしていた。

 やがてクロウが口を開いた。


「三浦、そろそろ電話に出たらどうだ?」


 弥生が眉間にしわを寄せて、頭を振った。


「……嫌な予感しかしないのよ」




 とはいえ、電話の音は鳴りやむ気配が無い。弥生は渋々とスクーターのシートを開け、けたたましく鳴り続ける携帯電話を取り出した。その発信元の表示を見て、彼女の眉間のしわはより深くなったが、已む無く彼女はその受話ボタンをタップした。


「……もしもし、三浦です」


 電話は彼女の職場からだった。彼女は神妙な面持ちで、その相手の言葉を聞く。


「――ええ、はい、えっ……!?」


 弥生が少し驚いたような表情を見せた。そして、少し俯いて小さな声で受け答えをする。その会話が進むにつれ、彼女が少しずつ消沈していく様子が、遠目からでも見て取れた。


「明日……ですか? はい……。分かりました。いえ……。お疲れ様です」


 そうして、彼女は通話を終えた。その電話をシートの上に置くと、彼女は落胆した様子で、膝から崩れ落ちた。


 スクーターにもたれかかり、全く動かなくなった彼女に、クロウが声を掛ける。 


「三浦、どうした?」


 力魔法の練習中だった二人の少女も、その様子に気付いた。


「お、おい、弥生さんが打ちひしがれてるぞ……!?」


「きっと何か辛いことがあったんだよ……」


 先ほどまで上機嫌でやたらと饒舌だった弥生が、今や絶望の表情と共に跪き、小声で何やらぶつぶつと呟いている。先ほどの通話が原因であったことは、彼らにも見て取れた。



* * *


 一方、天堂中学校正門の門柱脇に、こそこそと動く影があった。蛇の使徒ランディ=マルディと、サヴァトの二人である。ランディ=マルディは、門柱の影から校庭の様子を伺った。いつものように校庭の片隅には一台のスクーター。そして、その傍らに三人の女性が集まり、何やら会話を交わしている。


「……よし、今日も校庭にいるな」


 敵の所在を確認し、彼は傍らのサヴァトへ声を掛けた。


「いいか、一度しか言わねえから、よく聞けよ――」


 そう言って振り向くと、そこには誰もいなかった。先ほどまで後ろについていたはずのサヴァトの姿が忽然と消えたのだ。


「あん? あのガキ、どこ行った?」


 ランディ=マルディは、辺りをキョロキョロと見回した。



* * *


「ふふふ、二連休だったのに。半年ぶりの二連休だったのに。うふふふふ」


 翌日の休日出勤を命じられた弥生は、そのショックで完全に放心していた。目の焦点が合わず、自嘲気味に乾いた笑いと呟きを繰り返すばかりである。早苗が彼女の肩を揺らし、必死にその正気を呼び戻す。


「弥生さん、しっかり! 気を確かに!」


 だが、完全に魂の抜けてしまった彼女を呼び戻すのは、容易なことではない。二人の少女の呼びかけにも応じず、ただ遠くを見つめ、うわ言の様に言葉を呟くだけである。


「うふふふふふふ休みがなくなっちゃったふふふふふふ」




 すると、校庭に高らかな笑い声が響き渡った。


「フゥーハハハ!! 貴様らが魔法少女か!?」


 見ると、校庭に人影があった。純白のスーツ、純白のシルクハットを身に着け、その素顔をヴェネチア風のアイマスクで隠した少年だ。彼は校庭の中央で堂々と仁王立ちし、その漆黒のマントが華麗に翻る。

 いつの間にか校庭に出ていたサヴァトを見て、ランディ=マルディは門柱の影で思わず頭を抱えた。


「なっ!? あのバカ……!!」




 唖然とする少女たち。彼はまた派手にマントを翻すと、堂々と己の名を告げた。


「俺は闇の王、サヴァト!! 貴様らを地獄に送る名だあ!!」


 そして彼は腕組みし、得意げな笑みを浮かべてふんぞり返った。

 それを見た夏樹が口を開く。


「……誰?」


「知らないわ。分からないわ。そう、何も分からないの。ふふふふふふ」


 弥生がまた焦点の合わない目で彼を見て、乾いた笑いと共に呟いた。依然としてショックから立ち直っていない弥生を、早苗が気遣って花壇の囲いのレンガの上に座らせる。


「弥生さんは座ってていいから。ほら、ちょっと休んでようよ」



 クロウにも彼の正体に心当たりが無かった。首を傾げながら口を開く。


「恐らく、四人目の蛇の使徒だろう」


「え? 蛇の使徒って三人じゃなかったっけ?」


 夏樹が聞くと、クロウがそれに答えた。


「年に一人ほど、ああいうのが現れる。だが殆ど場合、三浦の魔法に怖気づいて一晩限りで姿をくらますから、恐らくあれもそういう手合いだな」


「すぐに辞めちゃう臨時雇いのバイトみたいなもんか」


「そういうことだ」


 妙な例えだったが、クロウが平然と肯定すると、いつの間にかその横に弥生が立っていた。彼女は人差し指を顎に当て、怪訝な顔で言葉を発した。


「そうなのよね。若い子って、なんですぐ辞めちゃうのかしらね?」


 その冷静な口調に、早苗が歓喜の声を上げる。


「あ、弥生さんが元に戻った!」


「店長も店長よね。何で、すぐ辞めちゃうような人ばかり採用するのかしらね、ふふっ、お陰でこっちにしわ寄せがくるのよね、うふふふふふ」


 元に戻ったのは一瞬だけだった。どうやら、入りたてのバイトが大量にバックれたことが、明日の休日出勤の遠因であったようだ。またも乾いた笑いとうわ言を繰り返すようになった弥生を、早苗がもう一度花壇へと誘導する。


「弥生さん、ちょっと休んでていいから。座ろうよ。ねっ?」


 フラフラの弥生を丁重に花壇へと案内し、そっと座らせるという、まるで老人介護のような様相を呈してきた彼ら三人を見て、サヴァトが一言「はん!」と鼻で笑い、自信たっぷりの笑みを浮かべる。


「おいおい、そんなんでこの俺に勝てるとでも思ってるのかよ!?」


 そして彼はその両手に魔力を集中させた。


「さあ、最初の相手は誰だ? 俺の闇魔法の餌食になってもらうぜ……?」


 その言葉を聞き、早苗が言った。


「闇魔法だって。なんか凄そうだね」


「そんな属性の魔法は存在しない」


 クロウがそう告げると、夏樹が口を開いた。


「え、じゃあ、闇魔法って何だよ?」


「恐らく、あの“闇の王”とかいう男の創作だ」


「創作……?」


 夏樹が小首を傾げていると、サヴァトが吠えた。


「はっはー!! さあ、とっとと始めようぜ! 食らえ、我が闇の力!!」


 そして彼は何かを小さく呟くと、己が頭上で掌を合わせ、その魔力を一点に集めた。それを足元へ打ち付け、そして叫んだ。


「ダークネス=シャドウブラスト!!」


 大地に打ち込まれた魔力が炸裂する。それは地表を抉りながら、目標へ向かって一直線に走り抜けた。その標的にされたのは、――夏樹だった。


「げ!? あたしかよ!?」


 突然の魔法攻撃に夏樹が狼狽する。だが、弥生の指示で防御魔法の練習は毎晩のように行ってきた。すかさず、彼女はそれを発動させた。


防御魔法ガード!」


 ドーム状の障壁が彼女の身体を覆った。激しく大地を削りながら、地表を走るサヴァトの魔法がそれに衝突する。衝撃音と共に、周囲が土埃で満たされた。

 その中から、夏樹の声が響く。


「あっぶねーな! いきなりかよ!!」


 障壁により、サヴァトの魔法は完全に阻まれた。突然の奇襲であったが、彼女らの普段の魔法練習の効果もあり、夏樹の身体には傷一つ付かずに済んだ。

 

 クロウがサヴァトの放った魔法を見て、冷静にそれを分析する。


「今のは、ロックブラストだな。レベル1の土魔法だ」


「違ーーう! 最強の闇魔法、ダークネス=シャドウブラストだ!! 土魔法とか、そんなダサいのとは絶対に違う!!」


 サヴァトは必死に否定するも、クロウの分析は的を射ていた。なお、サヴァトは土属性の適正しかなく、且つ蛇の使徒になって日も浅いため、現状ではこの魔法しか使えない。そこで考え出したのが、闇魔法とかいうオリジナル設定である。そういう年頃なのだ。

 クロウは、さらに分析を進めた。


「今ので宇野葉の防御魔法ガードが全く損耗していない。つまり――」


 サヴァトにとって不幸なことに、彼の分析は非常に的確だ。そしてクロウは、一つの結論に達し、それを口にした。


「あの“闇の王”、魔力においては、この場に居る者の中で最弱だな」


「んなっ……!?」


 さすがに弥生までとはいかなくとも、己より年下の二人の少女くらいには勝てそうだと踏んでいたサヴァトだ。まさかの最弱判定に、彼の顔が紅潮する。そして、その言葉を聞いた夏樹が、口元に笑みを浮かべて言った。


「ほおー」


 夏樹も、自身の防御魔法で相手の攻撃を受けた時、その手ごたえで、とは感じていたが、クロウのお墨付きを貰って確信した。相手が自分より弱いと分かれば、もうこっちのものだ。夏樹は得意げにほほ笑むと、拳をぽきぽきと鳴らしながら前に出た。


「なーんか、そんな気がしてたんだよねえ……?」


「ううっ!」


 己より二学年も下、それも女子に威圧されるという屈辱。だが、夏樹の自信たっぷりの様子に、サヴァトはその実力差を感じて一歩後ずさった。夏樹はその気後れを見逃さず、すかさずデッキを開き、カードを取り出した。


「今度はあたしから行くぜ! ウォーターショット!!」


 煉瓦色のカードを両手で掴み、呪文を唱える。水の鞭が勢いよく飛び出し、サヴァト目掛けて振り下ろされた。


「くっ!? 出でよ、暗黒の盾! オメガ=シールド!!」


 そう言って防御魔法を展開しようとしたサヴァトだったが、詠唱する呪文名が違うため発動しない。ちなみに、先刻の“ダークネス=シャドウブラスト”の際は、気付かれないよう小声で“ロックブラスト”と唱えていた。

 思ったように防御魔法が発動しないため、彼は狼狽えた。そして気付いた。


「あ、あれっ……? あ、そうか。暗黒の盾、またの名を、防御魔法ガード!!」


 すんでのところで防御魔法が発動する。先刻の夏樹同様、ドーム状の障壁が彼の身体を覆ったが、一つだけ異なる点があった。

 夏樹の魔法が、彼の障壁を突き破ったのだ。それにより若干威力が弱まったものの、夏樹のウォーターショットが彼の腹部に見事に直撃した。「ぎゃあ!」と小さな悲鳴が上がった。


 水の鞭によって強烈なボディーブローを受け、悶絶するサヴァト。また、夏樹は意外な結末に、目を丸くした。それを見ていた早苗も同様だ。


「……あれ?」


防御魔法ガードを貫いた?」


 防御魔法で攻撃魔法を受ける練習は何度も行ってきたが、それは始めて見る現象だった。夏樹が信じられない、といった顔でその両手を見つめ、そして嬉しそうに呟いた。


「あたし、もしかして強くなってる?」


「凄いよ夏樹ちゃん! 基礎魔力の向上ってやつだね!!」


 早苗もまた嬉しそうに声を上げる。すると、クロウが淡々と口を挟んだ。


「それはない。闇の王がやたら弱いだけだ」


「……あっそ」


 夏樹が残念そうに肩を落とした。


 その闇の王は、その腹部の激痛でしばらくもがいていたが、やがてそれに耐えて立ち上がった。そして夏樹を見据えて高らかに笑った。


「ふっ、フフフハハ! どうやら、俺も本気を出さなければならないようだ……!」


「十分本気に見えたが」


 クロウが口を挟むと、サヴァトが怒りと共に彼を指さして叫んだ。


「さっきから色々うるせーぞ、そこのクソカラス!!」



 ランディ=マルディこといぬい 月比古つきひこは、その様子を正門の門柱の影からじっと見守っていた。


「魔獣も出さずに、何やってんだ、あのバカ……」


 そう呟くと、彼は上空のスフィアを見つめた。今宵はまだ魔獣を呼び出していないので、まだそれを出す余地はある。だが、サヴァトには魔獣を呼ぼうとする素振りすらない。だがそれは必然。彼はその方法を知らないのだ。


「ちぃ、あいつにやらせるつもりだったが、仕方ねぇ!」


 悔しそうにそう言うと、彼は上空のスフィアに両手を掲げた。今夜はサヴァトに魔獣召喚の方法を教えるつもりで同伴していた。にも関わらず、サヴァトが一人で暴走してしまったため、それはまたの機会となってしまった。月比古は一度舌打ちすると、その魔力を両手から解き放った。



 激しい金属音と共に、上空のスフィアが七色に変化する。少女たちとサヴァトが驚いて上空を見上げた。


 やがて、スフィアの真下――サヴァトのすぐ真横に、黒い影がどさりと落ちた。魔獣が産み落とされたのだ。

 サヴァトが恐る恐るその影を覗き込むと、その十二個もの赤い瞳が彼の顔を覗き返した。ぎくりとし、思わず固まるサヴァト。すると、大型トラックほどの大きさのその物体が、鋭い爪を大地に突き立てて、ゆっくりと起き上がった。サヴァトが思わず悲鳴を上げた。


「何これ何これ!? なんかヤベーのが出たぞ、オイィイ!?」


 魔獣の横で慌てふためく蛇の使徒を見て、夏樹が呆れて口を開く。


「何でアイツが狼狽えてるんだ……?」



 サヴァトは大慌てで魔獣の懐から逃げ出し、そして数メートル距離を取ったところから、魔獣に向かって小石を投げつけはじめた。彼は必死の形相で、夏樹に向かって叫んだ。


「おい、そこの青い女! お前の仕業か、コレ!?」


「……青い女って、あたしのことか? そんなわけねーだろ!」


「じゃあ、何なんだよ、この怪物は!? 聞いてねえぞ!!」



 

 騒ぐサヴァトを他所に、クロウが冷静にその魔獣を眺めて瞳の数を数えた。


「目が十二個か。あの“闇の王”が出したものではないな」


 それを聞き、ずっと花壇に座っていた弥生がゆっくりと立ち上がった。いつものように、余裕たっぷりに「ふうん」と呟くと、月比古の魔力の波長を察知して微笑んだ。


「この魔力、ランディね。出てきなさい」


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