第12話 血は争えないのね

 その男は、再び白いシルクハットを頭に乗せると、腕組みして不敵な笑みを浮かべた。その帽子同様の純白のスーツに身を纏った男の傍らで、白蛇が口を開く。


「改めて紹介するよ。新しい蛇の使徒、サヴァトだ」


 開いた扉から、冷たい風が店内へ注ぎ込む。彼の纏った漆黒のマントが、風に吹かれてゆらりと揺れた。


 店内にいた三人の蛇の使徒たちは、彼の身体を一瞥すると、また何事も無かったかのように自身の作業へと戻った。その反応が意外だったのか、サヴァトと名乗った男が引きつった笑みを浮かべて言った。


「って、あれ? 興味なし?」


 すると、涼子がゆっくりと彼の方へ歩み寄った。

 そのまま彼女は彼の横を素通りし、店の扉をそっと閉めた。冷たい風が吹き込んでいたのが気になったのだ。そして、彼女は窓のブラインドが上がりっぱなしだったことに気付き、眠そうに欠伸をしながら、店内の窓を巡回してそれをスルスルと下ろし始めた。


 依然として三人から反応を貰えないサヴァトが所在なく立っていると、月比古がゲーム画面を見ながら口を開いた。


「初めまして、じゃねーだろ? こないだ町内会の会合で話したじゃねーかよ」


「え、ええ!?」


 ようやく返ってきた反応が思わぬ一言だったため、サヴァトは狼狽えた。ブラインドを下ろしながら、涼子が意外そうな顔で口を開く。


「あら? 知り合い?」


「あれだよ。ミエルネスの息子だよ」


 月比古は相変わらずゲーム機から顔を上げない。蛇の使徒の初代首魁の名を聞いた耕一郎が、また競馬新聞にメモを走らせながら言った。


「ああ。ってことは、魚屋んとこの坊主か」


「ちょっ……!!」


 自身の家と家業を言い当てられ、サヴァトが目を丸くする。涼子が腕組みし、感心して声を上げた。


「へぇー、血は争えないのねぇ」


 すると、サヴァトがそのシルクハットを深くかぶり直し、その漆黒のマントを派手に翻らせて叫んだ。


「フゥーハハハ! その通り! 親父の血が……、いや、俺の血がざわめくのさ! 奴らを倒せってな!!」


 そして暫しの沈黙。相変わらず、三人はサヴァトに反応しない。月比古はゲームに集中し、涼子は再びスマートフォンの画面に戻った。ただ一人、耕一郎だけが、紙面から目を離さぬまま、「ほぅ」と一言だけ答えた。サヴァトが慙愧の念と共に、下唇を噛んだ。


 一時の後、涼子が口を開いた。


「で、何でそんな変なお面付けてるのよ? その変な帽子とマントも、どこで買ったのソレ?」


「……いや、それは」


 サヴァトが赤面して口をつぐんだ。“国道沿いのドン・キホーテで買いました”なんて恥ずかしくて言えるわけがない。すると、月比古が彼を擁護して言った。


「言ってやるなよ。そういう年頃なんだよ。なあ?」


 一方、耕一郎はなにやら感慨深げに宙を見上げている。


「親子で入団か。いいなあ。うちの娘も跡を継いでくれねーかなあ……。どう思う、あらた?」


「いや、本名で呼ぶんじゃねえよ!」


 サヴァト――本名 土屋つちや あらたが慌てた様子で耕一郎へ指摘した。次いで、月比古が声を掛ける。


「あ、親父さん、元気か?」


「元気だよ……って、いや、あんた、昨日鯖買いにきてたじゃねーか!」


「それ、弟の秋比古な。俺、魚嫌いだし。うお、また僧侶が死んだ!」


 中ボス相手の戦闘で、守りの要である僧侶を失い、彼は肩を震わせた。


 またも暫しの沈黙。

 月比古はコンティニューして再度中ボスに挑み、涼子は大して興味もない芸能ニュースを読み耽っている。耕一郎は、翌日のレースに備えて競馬新聞の熟読にご執心だ。

 サヴァトがその緩んだ空気に耐えられず、両掌を上に向けて抗議の声を上げた。


「つか、何これ!? 何、この締まりの無い感じ!?」


 涼子が髪をかき上げ、皮肉っぽい笑みを浮かべて言った。


「もう十年以上も同じメンツで同じこと話してるんだもの。張り合いもなくなっちゃうわよねぇ」


 耕一郎が新聞をテーブルの上に置いて口を開く。


「つか、お前、高校生だろ? 徹夜で戦うこともあるぞ? 学校とか大丈夫か?」


「まだ中三だよ!」


 サヴァトが答えると、涼子がすぐさま口を挟んだ。


「あら、ってことは、進学諦めたの?」


「諦めてねえよ! てか、何だ、この会話!?」


 そしてまた彼はマントを派手に翻して、両手を天高く掲げて叫んだ。


「つか、俺はな! 誰かに敷かれたレールの上で、ただ進学という道を選ぶような生き方だけはしたくねぇんだよお!!」


 その派手なパフォーマンスに一時視線を向けた三人だったが、やがて涼子はスマートフォンへ、月比古はゲーム画面へと目線を移した。ただ一人、耕一郎だけがまた「ほぅ」と一言呟いた。サヴァトはまた下唇を噛んだ。


 ようやく中ボス戦にケリが付き、月比古が一つ深い溜息を吐く。そして言った。


「つか、徹夜で戦うとか、ここ十年くらいねぇし」


 それを聞いた涼子がケラケラと笑って口を開いた。


「そうよねえ。弥生が出てきたら、五分で終わっちゃうものねえ」


「五分も持たねえよ! 特に俺はあいつに目の敵にされてんだから!」


 月比古が身を乗り出して不満そうに言うと、耕一郎が愉快そうに笑った。


「確かにな。わはははは!!」


「笑いごとじゃねえ! こないだなんか、極大魔法使われたんだぞ! しかも、詠唱付きで!! マジで死ぬかと思ったわ!」


 憤懣やるかたない様子の月比古。呆れた様子で、涼子が冷たく言い放った。


「どうせ、また怒らせるようなことしたんでしょ?」


 そしてまた耕一郎の笑い声が店内に響いた。その様子を見て、サヴァトが一人静かに拳を握りしめる。そして呟いた。


「駄目だ、コイツら……」




 悪の秘密結社の会合があると聞き、意気込んでやってきたにも関わらず、目にしたのは、ひたすらやる気のない三人の緩ーい会話だった。その空気に耐えられず、サヴァトは店を出た。溜息を吐いて店の前の植え込みの淵に腰かけると、いつしかその隣にはミドの姿があった。ミドが口を開いた。


「僕らの問題点が分ったかい? あらた――」


 サヴァトが苛立った様子で舌打ちし、そして言った。


「ああ、コイツら、完全に負け犬だ。目が死んでやがるぜ……!」


「皆、どこか諦めてしまっているんだよ。それだけ、弥生が圧倒的なのさ」


 ミドが残念そうに溜息を吐く。すると、サヴァトがすっくと立ちあがり、力強く拳を握りしめた。


「はん、その女がどれほどのものかは知らねえけど、俺のこの封印された力で、ソッコー叩きのめしてやるよ……!」


 それを聞いたミドが嬉しそうに口を開く。


「素晴らしいよ。その意気だ、新。さて、そこで、早速なんだけど――」


 すると、喫茶店の扉が乱暴に開いた。小さな鐘ががらんごろんと音を立てる。

 見ると、月比古がそこに立っていた。先ほどまで熱中していた携帯ゲーム機をデニムのポケットに押し込み、黒の革ジャケットを羽織っている。彼は面倒くさそうに頭を掻き、そしてサヴァトに告げた。


「おう、行くぞ、新」


「ん? 行く?」


「殴り込みだよ」


「んん?」


 会話の流れが掴めないサヴァトに、月比古が説明する。


「十時になったから、学校に行くんだよ。やり方を教えてやるから、ついて来いよ」


「は? 今から?」


「あったり前だろが。ほら、さっさと行くぞ!」


 そう言って、月比古はサヴァトのマントをぐいと引っ張った。買ったばかりのマントを破られては敵わないと、彼はやむなく月比古の後を付いていく。その様子を見ながら、ミドが期待を込めて、明るく声を掛けた。


「頑張って、弥生を叩きのめしてきてくれよ、新」


 それを聞き、月比古の歩みが止まった。振り向いて、サヴァトへ問いかける。


「あん? お前、弥生を叩きのめすのか?」


「え? いや、そうなればいいなーって」


 へらへらと愛想笑いを浮かべて返すサヴァト。ミドが言葉を付け足した。


「どうやら彼は、僕すら知らない封印された力を持っているらしいよ。凄いよね」


 勿論、彼にそんなものは無い。なんとなくそんな気がしているだけのことである。そういう年頃なのだ。


 だが、月比古はその言葉を何一つ否定せず、ただ「そうかそうか」と言って、サヴァトの頭を撫でた。そして言った。


「……ま、殺されない程度に頑張れよ」


「え、殺される?」


 突然飛び出した物騒な言葉に、サヴァトは狼狽えた。すると、ミドが言った。


「大丈夫さ。弥生の機嫌次第だけど、滅多には殺されないから」


「滅多に!? ちょ、ちょっと待て! まだ心の準備があああ……!!」




 夜の商店街を引っ張られていくサヴァト。その悲鳴にも似た叫び声が辺りに響き渡った。喫茶店のドアが開き、二人の蛇の使徒が彼らの後ろ姿を見つめる。未だ叫び続けるサヴァトの声に眉をひそめ、耕一郎が呟いた。


「実に近所迷惑だな」


 騒がしさにかけては蛇の使徒随一の男の発言に、涼子が目を丸くした。それは毎回のように真夜中の学校で大量の落雷を作り出した挙句、散々叫びながら暴れまわるような男が言って良い台詞ではない。彼女は思わず口走った。


「あんたがそれ言う……?」

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