第11話 年の功だ

 とある水曜日の午後九時、弥生の元気な声が校庭に響き渡る。


「はいはーい、それでは今日も弥生先生の魔法講座、始めるわよー!」


 今夜はことさら機嫌のよい弥生である。それもそのはず、今日と明日は、彼女にとって半年に一度あるかないかの二連休なのだ。とはいえ、彼女には特筆すべき趣味があるわけでもなく、また何処へ出掛けるというわけでもない。今日は日がな一日、ただ家でテレビを見ながらゴロゴロと過ごしていただけである。恐らく、明日もそうするだろう。だが、それでも彼女にとっては幸せな休日なのだ。


 やたらテンションの高い弥生に、クロウがまた平常通りの口調で声を掛ける。


「もう殆ど教えただろう。これ以上何を教えると言うのだ?」


「うるさいわね。復習よ、復習! 過去の不明点を明らかにして、明日へ繋げるのよ!」



「はい! 先生!!」


 弥生の前に座っていた早苗が勢いよく手を挙げた。弥生先生のノリに付き合ってあげた形である。


「はい、上月さん!」


 弥生先生がすかさず指名する。早苗はすっくと立ちあがり、口を開いた。


「こないだのファイヤボール、どうしてあんなに大きいのが出たんですか?」


「あ、それ、あたしも気になった」


 夏樹も口を開く。先日のドネスタークとの戦いの際、弥生の放ったレベル1炎魔法ファイヤボールの威力は、早苗のそれを遥かに凌駕するものだったのだ。その威力を目の当たりにした二人が、凍り付いてしまったのは言うまでもない。



「良い質問ね、早苗」


 弥生がそう言って、質問に答えようとすると、すぐさまクロウが口を挟んだ。


「年の功だ」


「あんたは黙ってなさい」


 弥生がクロウをひとにらみして言った。



 百聞は一見に如かず、ということで、弥生が実践して見せた。デッキから煉瓦色のカードを一枚取り出し、その呪文を唱える。


「“ファイヤボール”!」


 すると、先日同様、巨大な炎球が飛び出し、校庭の中央を激しく燃やした。二人の少女が感嘆の声を上げる。


「おおー」


「やっぱり私のとは全然違うね。まるで違う魔法みたい」


 目を丸くする二人を見て、さらに機嫌を良くしたのか、弥生が口元を緩ませた。そして、人差し指をびしっと立てると、気取った様子で解説に入る。


「ふ、ふ、ふ……。それはね――」


「基礎魔力の差だ。三浦の方が遥かに強い魔力を持っている」


 すかさずクロウが口を挟んだ。弥生が慌ててそれを制する。


「ちょ、先に言わないでよ、クロウ」




 耳慣れない言葉を聞き、早苗が口を開く。


「基礎魔力?」


「同じ呪文でも、使う人の魔力の量で威力が変わるのよ。あと、属性も影響するけどね」



 弥生が補足を入れると、早苗が嬉しそうに言った。


「つまり、“大魔王バーン”だね!?」


「は? 何それ? 誰?」


 早苗の口から飛び出した謎の単語に、夏樹が周章する。すると、弥生はそれを理解したのか、人差し指を立て、妙な声色でそれに応えた。


「そうよ。“今のはメラではない……、メラゾーマだ”、よ!」




 すると、クロウがそれをすかさず訂正する。


「逆だ、三浦。“メラゾーマではない……、メラだ”、が正解だ」


「あ、そうだっけ?」


 弥生が苦笑いを浮かべる。話の流れが全く分からない夏樹が、鋭くツッコミを入れた。


「いや、一体何の話だよ!?」


「漫画だよ、夏樹ちゃん」


 早苗がすぐさまフォローすると、弥生が意外そうな顔で夏樹を見て言った。


「“ダイの大冒険”、読んだことないの?」


「知らねえよ。何の漫画だよ!?」


 夏樹が生まれる遥か前、1990年代初頭の漫画である。故に、彼女がそれを知らないのは当然のことでもあった。なお、早苗はその両親が昔の漫画を大量にストックしているため、非常に古い漫画にまで精通してしまっている。

 クロウが夏樹に言う。


「あれは名作だ。上月に貸してもらえ」




 それを聞き、ふと弥生が気付いてクロウに聞いた。


「つか、あんたはいつ漫画なんか読んでたのよ……?」


「上月の部屋にあるのを読んだだけだ」


 さらりと答えるクロウ。それを聞いて、早苗が首を傾げた。


「え、私、クロウを部屋に入れたことないけど……?」


 首を捻る早苗に、クロウがまた淡々と言った。


「お前が留守にしている間、少し邪魔させてもらっただけだ」


「え? え?」


 クロウの言葉がよく理解できず、狼狽えた様子の早苗。それを見て、弥生が一つ溜息を吐いて、そして呆れたように言った。


「コイツは、時々そういうことをするのよ……」


 そう、彼は一般の人間に姿を認識されないことを良いことに、無断で個人の家に侵入し、その生活を盗み見るという妙な癖を持っているのだ。しかも、それを全く悪いことだと感じていないのが、また質の悪さに拍車を掛けている。


 狼狽える早苗を他所に、クロウが言葉を繋げる。


「上月の部屋は本が多いからな。暇を潰すにはちょうどいい」


「ええー!? 勝手に入って本読んでるの!?」


 ようやくクロウの行動を理解し、赤面する早苗。すると、クロウが彼女に言った。


「あの部屋の本はもう殆ど読み終わった。礼を言う」


「少しは済まなそうにしろよ、コイツ……」


 夏樹が引きつった顔で、クロウに嫌悪の視線を向けた。


「え? え? ってことは、もしかして押し入れの中も……?」


 早苗がまた顔を真っ赤にしてクロウに問いかけた。彼女の部屋の押し入れの奥には、人に言えない趣味の秘蔵コレクションが大量にストックされているのだ。彼は黙って頷き、そして口を開いた。


「それを聞こうと思っていた。押し入れの奥にあった箱の中の本を一通り読んでみたが、私には趣旨が理解できないのだ。今度一緒に読みながら、筆者の意図からじっくり説明してもらいたい」


「いやああああ! それだけは絶対にだめええええええ!!!!」


 また思わぬところで耽美趣味が露呈しかけ、彼女は両手を振ってそれを阻止せんと叫んだ。その様子に、夏樹が小首を傾げて聞く。


「何だよ、その、箱の中の本って……?」


「ふむ、どこから話せば良いものか……。一つの例であるが、男子バレー部の主将が、同じ部のエースをだな、自分より背が高いという理由だけで、同性同士にも関わらず――」


 滔々と説明を始めたクロウを、早苗が必死の形相で制止した。


「だめだってばああああ!! それ以上言わせないからああああ!!!!」


 早苗の突然の豹変ぶりに、夏樹がまた不思議そうな顔をしてクロウに聞く。


「何だよ? 一体、どんな本だよ?」


「夏樹。それ以上詮索するのは、やめてあげなさい」


 色々と察した弥生が苦笑いを浮かべ、夏樹の肩をぽん、と叩いた。


 早苗が泣きそうな顔で必死の抗議をする中、夏樹がふと気づいて口を開いた。


「あっ! もしかして、あたしの部屋にも入ったのか!?」


 するとクロウが彼女に顔を向け、口を開いた。


「宇野葉は、もう少し本を読んだ方がいい。本棚はプラモデルを大量に置く場所ではないぞ?」


「入ってるんじゃねえか! てめえ!!」


 自身の部屋の特徴を見事に言い当てられ、夏樹はクロウの首根っこ目掛けて右手を繰り出した。が、それは敢え無く空を切った。


 すると、早苗が目に浮かんだ涙を拭いながら聞いた。


「え、じゃあ、弥生さんの部屋も……?」


「私にも分別がある。そんな命知らずなマネはしない」


 さらりと答えたクロウを、弥生が鋭い視線で睨みつける。


「それ、どういう意味よ……」



* * *


 閑話休題。

 件の“基礎魔力”について、夏樹が質問を飛ばした。


「で、その基礎魔力ってのは、どうやったら上げられんの?」


 クロウがすかさず答えを告げる。


「年の功だ」


「あんた、いい加減にしないと怒るわよ……?」


 弥生が彼をキッと睨むと、クロウは言葉を付け足した。


「上げる方法は二つだ。一つは魔法をより多く使うこと。もう一つは、スフィアの下でより長く過ごすことだ」


 その言葉に、夏樹が納得して頷く。


「へえ、なるほど。……それで年の功ね」


 すると、夏樹の頭が背後からがっしりと掴まれた。その手の主が、頭上からやや震えを伴った声で彼女に問う。


「何か、言ったかしら……?」


「い、いえ、何も言ってません。弥生先生……」


 夏樹もまた、震える声でその問いに答えた。


 早苗がクロウに問いかけた。


「じゃあ、私も回数こなせば弥生さんくらいのが出せるようになるんだ……」


「そうだな。だが、途方もない回数をこなす必要があるぞ」


 クロウが淡々と答えた。




* * *


 ――同刻、天堂商店街の一角に店を構える『喫茶 水曜の空』の店内に、煌々と明かりが灯っていた。閉店時間を過ぎてから二時間以上が経過しているが、その店内にはまだ二人の客が居座り続けている。


 その店主である女性――水科みずしな 涼子りょうこは、ずっと無言のままでスマートフォンを弄り、ニュースアプリを眺めていた。が、そのうち飽きてきたのだろう。一つ溜息を吐き、カウンター席の隅に座る若い男に、新しいコーヒーと共にお茶菓子を差し出した。

 その金髪の男もまた無言のまま携帯ゲーム機に興じていたが、その操作の片手間に菓子の包装を器用に解いて口に放り込んだ。甘く芳醇なバターの香りが口の中に広がった。

 男がふと気付くと、その菓子の包装には“鳩サブレ―”の赤い文字が見えた。彼はゲームの操作の手を止め、訝し気にその包装を手に取って口を開いた。


「……つか、なんで鳩サブレーなんだ?」




「土産だ。最近、ちょっと鎌倉まで行ってな」


 店の奥に居たもう一人の客――着流し姿の壮年の男が答えた。彼は競馬新聞をぼんやりと眺め、ときおり思い出したかのように、その紙面にペンを走らせている。


「鎌倉? 何しに行ったんだよ?」


 金髪の男が問いかけると、店主がスマートフォンを操作しながら口を挟んだ。


「弥生の魔法ですっ飛ばされたんでしょ」


「何故分かった!?」


 和服姿の男が驚いた様子で競馬新聞をテーブルに置いた。

 その男――桂木かつらぎ 耕一郎こういちろうは、かつての戦いの際に、弥生から受けたレベル3風魔法スパイラル=トルネードで空高く放り出された。そしてそのまま彼の身体は東京湾を超え、遥か鎌倉市街まで飛ばされたのだ。午後十時の出来事であり、そこからその日のうちに房総半島の中ほどに位置する、この天堂町へ帰ってくることは困難を極めた。やむなく彼は鎌倉駅前の居酒屋で一晩を明かし、始発と同時に帰宅したのである。

 その這う這うの体を、さも武勇伝であるかのように脚色して語る耕一郎だったが、それを聞く二人はまた何処吹く風で己の作業に没頭していた。

 そしてようやくその語りが終わると、携帯ゲームを操作しながら金髪の男――いぬい 月比古つきひこが小さく呟いた。


「……ダッセェ」


 それを耳にして、耕一郎が憤って立ち上がった。


「なっ!? 貴様こそ、あやつに泣いて謝ったという話ではないかあ!!?」


「ちょ、それ、誰に聞いたんだよ!? 秋比古か? 秋比古だな!?」


 月比古も顔を紅潮させて立ち上がり、耕一郎を睨みつけた。


 無言で睨み合う二人。そんな二人の様子を見ることもなく、涼子がつまらなそうにニュースアプリのアイコンをもう一度タップして、小さく欠伸をした。


 すると、店の扉がゆっくりと開いた。扉に付いた小さな鐘が、からんからんと音を立てる。


「君たち、ケンカもほどほどにしなよ」


 店に入ってきたのは、有翼の白蛇 ミドだった。睨み合う二人を諫め、席へ戻らせると、彼は店の外を見ながら口を開いた。


「今日は新しい蛇の使徒を連れてきたよ。ほら、入りなよ――」


 ミドに促されて、一人の人物が姿を現した。店内の三人の視線が、その身体へと注がれる。その人物は恭しくお辞儀をすると、ゆっくりと丁寧に挨拶の言葉を告げた。


「蛇の使徒の諸君、ごきげんよう。そして、はじめまして」


 その人物は、白いシルクハットに、黒いマントを羽織り、さらにその素顔はヴェネチア風のアイマスクで隠されていた。そして、その者は仰々しく帽子を脱ぐと、それを胸元へ当てて、自身の名を告げた。


「――サヴァトと申します。どうぞ、以後お見知りおきを……」

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