第10話 もしも願いが叶うなら
とある火曜日の夕刻、天堂商店街に差し掛かったところで、下校中の夏樹がふと立ち止まった。そして傍らの早苗に声を掛ける。
「おい、早苗……あれ……」
「ん?」
夏樹が口をあんぐりと開けて指を差した。その方角にあったのは、交番だ。その意図が掴めずに早苗が首を傾げると、夏樹が突然、鬼のような形相になって駆け出した。早苗も慌てて後を追った。
「あ、あれ……? 夏樹ちゃん、どうかしたの……?」
その天堂三丁目交番の前には、制服姿の若い男性警官が凛々しく立っていた。時折、顔なじみの地域住民たちと笑顔で挨拶を交わしている。夏樹は、そんな彼の横に駆け込み、その顔を睨みつけた。警官が、夏樹に気付いて笑顔で声を掛けた。
「ん? どうした? 何か用かい?」
すると、夏樹の身体がくるりと翻った。
そして一閃。夏樹の右下段回し蹴りが炸裂した。警官の左脛に強烈な一撃が入る。激痛を伝える信号が彼の左脛から出発し、その脳まで光の速度で侵攻した。
「痛ってぇー! 何すんだ、このガキ……!」
左足を抱えて、苦悶の表情でぴょんぴょんと飛び跳ねる警官。やっと追い付いた早苗が、息を切らしながらも慌てて夏樹を諫めた。
「ちょ、ちょっと夏樹ちゃん。お巡りさんにいきなりローキックは良くないよ」
「でも、早苗、こいつ、悪人だぜ!?」
そう言って、夏樹はその警官の顔をびしっと指差した。警官が驚いて彼女を見る。
「は、はあ!? 俺が悪人……!?」
「悪人だろ!? こないだあたしらを散々追いかけ回してくれたこと、忘れたとは言わせねえぞ!!」
夏樹の怨恨に満ちた口ぶりは、並大抵のものではなかった。早苗もまたその警官の顔を見つめる。鼻筋の通った比較的整った顔立ちで、その細く鋭いツリ目が印象的だ。彼女はその目に覚えがあり、はっとした表情で口を開いた。
「あ、本当だ! あの時の人だ!!」
そう――、二人はその顔に見覚えがあった。初めて魔法少女になった夜、彼女らを襲った忌むべき敵、蛇の使徒 ランディ=マルディこと
まだ何も知らなかった二人を、突如襲った相手。その時に味わされた恐怖は尋常なものではなかった。夏樹の行動は当然のものである。また、早苗は彼の魔獣により傷を負わされている。彼女も彼の顔をキッと睨みつけた。が、すぐに気付いた。
「あれ? でも、夏樹ちゃん、この人、金髪じゃないよ?」
「……金髪だあ?」
早苗の言葉を聞くや、警官の顔が引きつった。そして、一つだけ「はぁ」と溜息を吐くと、親指の爪を噛みながら、苦々しい表情でこう呟いた。
「バカ兄貴か……」
ようやく左足の痛みも引き、彼は爽やかな笑顔を湛えて二人の少女へ語り掛けた。
「君たち。君たちが探している人と、俺は全くの別人だよ」
「え、そうなの?」
一瞬で納得した早苗を、夏樹が制する。
「いや、騙されるなよ、早苗」
「人聞き悪いなあ。俺はお巡りさんだぞ?」
にこにこと微笑みながら、警官が二人を見下ろす。だが夏樹はその笑顔に不信感を抱いていた。その顔には、笑顔があまりにも似合わないのだ。
「お巡りさんなんかじゃねえよ。悪の秘密結社の一員だろ?」
「ほほぅ……?」
夏樹の言葉を聞き、その警官から笑顔が消えた。片手を顎に当て、宙を見上げて何やら考えている様子だ。その間に、早苗が夏樹の肩を揺さぶりながら語り掛けた。
「ねえ、夏樹ちゃん。やっぱりこの人、違うんじゃない……?」
そして警官のシンキングタイムが終了した。ぽん、と手を叩き、口を開く。
「よし、じゃあ、こうしよう!」
「あ?」
眉間にしわを寄せて口を開く夏樹。そんな彼女をびしっと指差し、警官が言った。
「君を、公務執行妨害で逮捕します!」
驚く間もなく、警官が夏樹の身体をひょいと持ち上げた。そのまま左肩に担ぎ、楽しそうに交番の中へと歩を進める。
「さあ、中で事情聴取だあー! ちなみに、この交番に黙秘権は無いからな?」
「うわ、放せよ! 何すんだ、このニセ警官!!」
「大丈夫、大丈夫。今は俺以外居ないからさ」
「いや、それは大丈夫とは言わないだろ! 放せよ、こらあー!!」
暴れる夏樹をものともせず、彼はそのまま交番の中へと入っていってしまった。
交番のガラス戸がぴしゃりと音を立てて閉まると、外に一人取り残された早苗は、ただおろおろと狼狽えるばかりだった。
「うわあ……。夏樹ちゃんが連行されちゃったよ。どうしよう……?」
やがて交番の中から、争うような物音と、警官の悲鳴、そして夏樹の叫び声が聞こえてきた。
「痛って、痛ってー!! 噛みやがったな、このガキ!!」
「放せえー!! 弥生さんに言いつけてやるぞ、この金髪オヤジ!!」
「誰が金髪だ!? あんな頭悪そうな髪型と一緒にするな!」
そのやりとりから、早苗は中で行われているであろう乱闘劇を想像し、そして震えた。
「うわあ、大変だ大変だ。このままじゃ夏樹ちゃんが犯罪者の仲間入りだよ。クライムサスペンスの始まりだよ」
夏樹と警官はどちらも引くことなく、中からの怒声はまだ止まない。
「この! 大人しくしろ、クソガキが!!」
「うるせー! こないだ泣いてたくせに! また泣かしてやるぞ、この悪徳警官!!」
「はあ!? 泣かした? 泣かされたって? マジで!?」
その言葉を最後に、一時の静寂が訪れた。決着が着いたのだ。そして、中からは警官の笑い声が聞こえてきた。
「あれ……? なんか笑ってる? あ、もしかして、夏樹ちゃん負けちゃった!? ついに逮捕されちゃった!?」
その笑い声に夏樹の敗北を予想し、早苗は意を決して交番の扉を開いた。そして叫んだ。
「待ってください! 夏樹ちゃんは悪い子じゃないんです! 時々、授業中に居眠りしたり、宿題忘れてきたりするけど、悪い子じゃないんです!!」
交番内では、警官が腹を抱えて笑っていた。夏樹は不貞腐れたような顔で椅子の上に座っている。
警官が早苗に気付いて、目を丸くする。
「……はい?」
「いや、早苗、それフォローになってないから」
夏樹が不満そうに口を開いた。
* * *
「ねえ、夏樹ちゃん、やっぱりこの人違うよ。声も顔もそっくりだけど、黒髪だし、それに、あの人ほど悪そうな目つきしてないし」
まだ彼を睨みつけたままの夏樹を、早苗がなだめる。すると警官は、いつの間に淹れたのか、お茶を二杯、彼女らの前に差し出して言った。
「そうそう、あんな悪人ヅラと一緒にしないでほしいな」
少しは落ち着いたのか、出された緑茶をすすりながら夏樹が口を開く。
「まあ、言われてみれば……。いや、でも他人の空似にしては似すぎてるだろ……」
「そりゃそうだ。俺と兄貴は双子だからな」
二人の少女が目を丸くした。
「は? 双子?」
「おう、一卵性双生児ってやつだ」
「じゃあ、やっぱり違う人だあ」
早苗が手を叩いて喜ぶと、その警官は胸を張って得意げに言った。
「そうそう、あの金髪オヤジとは赤の他人なのさ」
「いや、赤の他人は違うだろ。兄弟だし……」
夏樹が呆れた様子で口を開く。早苗はまたまじまじと彼の顔を見て、感嘆の声を上げた。
「でも、ホントそっくりだよねえ」
「それ、よく言われるよ」
そう答え、警官はにやりと笑みを浮かべた。
* * *
『“あなたの街のお巡りさんです。”
天堂警察署
二人はそう書かれた名刺を受け取った。その文字の左には、似合わない笑顔を浮かべた彼の顔写真。下には、この交番の連絡先が記載されている。彼は正真正銘、この交番に勤務する警察官なのだ。
「へえ、秋比古さんっていうんですね」
名刺を見ながら、早苗が口を開く。秋比古は微笑んで応えた。
「そうそう。あの年甲斐もなく金髪で悪人ヅラの月比古とは全く別人。優しい優しいお巡りさんだよ?」
「それ、自分で言うか……?」
出されたお茶菓子を頬張りながら、夏樹が口を挟んだ。
お茶と菓子をたいらげ、夏樹が椅子から降りた。早苗の手を引き、その名を呼ぶ。
「別人なら、もう用は無いや。行こうぜ」
「おっと、そうはさせんぞ! まだ事情聴取は終わってない!」
すかさず秋比古が二人の前に立ちふさがって制止する。
「え? 無罪放免じゃないの?」
「残念だが……、魔法少女をただで帰すわけにはいかないんだなあ」
その秋比古の言葉に、二人の少女が目を丸くする。
「あれ? 魔法のこと知ってる……?」
「知ってるぞお……。その銀色の指輪が魔法少女の証だってこともな!」
二人の手元の指輪を差し、また高笑いする秋比古。夏樹が身構えた。
「お前、一体何者なんだよ!? やっぱ敵か!? 蛇の使徒ってやつか!?」
「ふはははは! そのとーりだあ! よ・く・ぞ☆、気付いたなあ、魔法少女ども!!」
そして秋比古はウインクと共に右手のピースサインを目の横に当て、ぺろりと舌を出した。それを見た二人が真相を察した。
「……今のは、ウソだよね」
「……途中からふざけてたしな」
「あ、バレた?」
「まあまあ、座りたまえ。最近の魔法事情について、聞かせてくれよ」
秋比古が椅子を引き、二人に座るよう促した。訝しがりながらも、それに従いつつ、夏樹が口を開く。
「いや、だから何者なんだよ、あんた?」
「君の言う通り、蛇の使徒だよ」
秋比古が笑顔で答えると、二人は思わず身構えた。
「んな!?」
「やっぱり敵だった!?」
秋比古が彼女らの向かいの椅子に腰かけて口を開く。
「元、だけどな」
「元?」
「昔は蛇の使徒だったってこと?」
二人が顔を見合わせると、彼が言葉を繋いだ。
「数年前まで、兄貴と二人でコンビ組んでやってたんだよねえ。兄貴のコードネームが“ランディ”。そして俺のコードネームが“マルディ”」
「あ、それで“ランディ=マルディ”なのか」
「そうそう。俺が辞めてからも、律義にコンビ名を残してるらしいな。俺が戻るとでも思ってるのかね? ホント、バカ兄貴だわ」
そう言って、彼は小さく息を吐いた。夏樹が腕を組んで頷く。
「“バカリズム”みたいなものか」
ピン芸人“バカリズム”は、本来コンビ名であるが、升野氏はコンビ解散後もその名を芸名として引き継いでいる。その言葉に早苗が反応する。
「例えとしては、“カンニング”の方がいいんじゃない?」
秋比古が芸人事情に詳しい二人に感心しながらも、呆れて口を開いた。
「いやいや、兄貴がただバカなだけだから」
秋比古がまたお茶を淹れてきた。今度は自分の分も含めて三人分だ。
「つか、君ら、魔法少女だろ? 弥生はどうした? 辞めたのか?」
「辞めるわけないだろ、あんな規格外の人が」
夏樹が鼻の頭を掻く。秋比古は一口茶をすすり、感慨深げに言った。
「だろうなあ。……化け物だもんなあ、あの女」
そして、禁句を口にしてしまったことにはっと気付き、慌てて二人に小声で囁いた。
「あ、俺が化け物呼ばわりしてたとか、絶対言うなよ!? 殺されちまう」
「言わねえよ……。あたしが殺されかねないし」
「だよねえ」
暫しの間、会話が途切れると、そのうち早苗がおずおずと口を開いた。
「あの、秋比古さんは、なんで蛇の使徒を辞めちゃったんですか?」
彼女の質問に対し、その答えはあっさりと返ってきた。
「俺の願いは叶っちゃったからな」
「願い?」
「“安定した職に就きたい”っていう願いだよ。それを叶えるために蛇の使徒になったのさ!」
そして秋比古は自身を親指で指さし、誇らしげに胸を張った。
「警察だぜ? 公務員だぜ? 超安定してるだろ?」
その答えに、二人の少女は一時顔を見合わせた。そして、それぞれ口を開いた。
「え!? 蛇の使徒になると、願いが叶うの!?」
「まじかよ、それ!? あんたらだけ、ズルくないか!?」
興奮した様子で身を乗り出した二人を、秋比古がなだめる。
「まあまあ、落ち着け落ち着け」
二人を席に戻すと、彼はまたゆっくりと緑茶をすすり、そして問いかけた。
「つか、“スフィアを黒く染めれば、願いが一つだけ叶う”って話、知らねぇの?」
それは二人にとってはまったく初耳の話だった。また二人は顔を見合わせる。夏樹が呟いた。
「黒く……?」
早苗はまた上半身を乗り出し、興味深げに秋比古に問いかけた。
「スフィアに願いを叶えてもらって、警察官になれたの?」
秋比古が苦笑いを浮かべて頭を振る。
「いやいや、よく考えてみろよ? あそこにはあの化け物がいるんだぜ? そんな大それたことできやしねえよ」
夏樹が口を開いた。
「じゃあ、どうやってその願いを叶えたのさ?」
「結局のところ、専門学校に学費払って試験対策するのが一番ってことだな」
「はあ?」
不可解な面持ちの夏樹。早苗がぽんと手を打ち、その言葉の意図を汲み取った。
「あ、自分で頑張ったんだあ」
「そうそう。あやふやな魔法なんかよりも、頼れるのは金と己の努力ってことだ」
そう言って、秋比古はまた顔に似合わぬ微笑みを、その口元に浮かべた。
早苗がまた問いかける。
「その願いが叶うって話は、誰に聞いたの?」
「ミドが言ってたぜ?」
「……ミド?」
聞きなれぬ名前を耳にして、二人は首を傾げた。その様子を見て、秋比古が意外そうな顔をした。
「まだ会ってないのか? 白い蛇みたいな奴だよ」
「早苗、知ってるか?」
依然、二人は有翼の白蛇とは遭遇していないので、それを知る由もない。早苗は黙って首を振った。
また暫く会話が途切れた。早苗がまた問いを投げかける。
「これまでに、願いを叶えた蛇の使徒は居たんですか?」
「早苗、ずいぶん願いの話にこだわるなあ」
夏樹は、少し疲れてきたのか、小さく欠伸をした。秋比古が腕を組み、少し考えてから答えた。
「うーん、俺が知っているのは、一人だけだなあ」
その答えに、早苗が思わず身を乗り出した。
「えっ、居るの!?」
「そこの角にある土屋鮮魚店、知ってるか?」
「うんうん!」
早苗が力強く頷く。
「あそこの大将が、一度だけ叶えたな」
「えっ!」
「ええと、もう十年以上前になるかな……?」
秋比古が、なんとか記憶を絞りだそうと腕組みして首を捻る。早苗は目を輝かせて、その話に食いついた。早苗にとって、“魔法で願いが叶う”という話は、まさに子供のころに夢見た魔法使いの世界そのものであった。
一方、そんなことにはまるで興味のない夏樹は、二人の会話を退屈そうに聞き流していた。
早苗が秋比古にぐっと顔を寄せ、質問する。
「な、何を叶えてもらったの?」
すると、秋比古がさらりと答えた。
「世界征服」
「せか……」
早苗が絶句した。また、先ほどまで興味なさげにしていた夏樹も、この言葉には食いついてきた。
「マジかよ……」
「え、冗談……、だよね?」
そう言って、早苗が乾いた笑いを浮かべる。秋比古は平然とそれを否定した。
「いや、本当だって」
「マジかよ……」
色々言いたいことはあったが、“世界征服”という言葉のスケールの大きさに、夏樹はもはや「マジかよ」としか言えなくなっていた。
* * *
その後、弥生と金髪男の悪口をネタに小一時間歓談し、三人はすっかり意気投合した。日も暮れかけてきたので、二人は月比古に別れの挨拶を交わし、交番から外へ出た。
その時だ。偶然、交番の前を通った男と、交番から出てきた少女たちの目が合った。すると、彼らの動きが止まった。
「……あん?」
そう一声だけ声を上げると、猫背で歩いていた男は、交番から出てきた少女たちをじっと見つめた。二人の少女もまた、彼の顔を見つめた。互いに感じていたのは、“コイツ、どこかで会ったような……?”ということだ。
そして二人の少女は、彼の頭を見て、その結論に達した。どこかで見た顔、通った鼻筋に、細いツリ目。間違いなく、先ほどまで会話していた秋比古と同一のものである。ただ、違う箇所がひとつだけ――。
「げ! 金髪だ!」
夏樹が声を上げた。早苗も思わず口に手を当てる。偶然にも、“現役”蛇の使徒である
月比古もまた、夏樹の声を聞いて彼女らの正体に思い当たった。
「ななな、なんだお前ら!? あんとき学校に居たガキじゃねえか! 何でここに居るんだ!?」
思わぬところで敵と鉢合わせし、互いに狼狽える三人。だが、ここは交番の前だ。争うには相応しくない。そこで、夏樹が大声を上げた。
「お、おまわりさーーーーーん!!!!」
ガラス戸がガラッと開き、交番の中から警官が顔を出した。
「お? どうした少女たち!?」
「ああああ、悪人ヅラがぁ!」
夏樹が月比古を指さすと、彼が激高して吠えた。
「な!? 誰が、悪人ヅラだ! このガキ……!!」
怒りで紅潮する月比古の顔。それを警官がじっくりと見つめ、そして口を開いた。
「ほう、これはこれは、なんという悪人ヅラだ! 逮捕しなければ!」
「秋比古! 何言ってんだ、コラ!! 俺が悪人ヅラなら、てめえも悪人ヅラだろうが! 殺すぞ!」
そう言って凄む月比古を指さし、警官が笑って少女らに話しかける。
「な? 俺と違って、ガラ悪いだろ?」
「……あんま変わんねえけど」
そう言って、夏樹が苦笑いを浮かべた。
怒り収まらぬ月比古が、二人の少女を指さして弟へ抗議した。
「つか、何でそいつらとじゃれ合ってんだよ!? そいつらが何者か知ってるのか!?」
「知ってるさあ。魔法少女だろ?」
「……なっ!?」
悪びれもせずに仇敵と慣れ合っている元同僚、且つ実弟に、彼は絶句した。秋比古は狼狽える兄の様子を楽しむように、悪戯っぽく笑みを浮かべていた。
「つか、兄貴、こいつらに泣かされたんだって?」
秋比古の言葉に、金髪の男はギョッとした表情を見せた。そして必死にそれを否定する。
「ち、違う! それは違うぞ! 泣かされたのは、そいつらじゃなくて……!!」
「おや、泣いたことは否定なさらない?」
「んなっ……!?」
月比古の顔がさらに赤くなった。ますますしどろもどろになる兄の様子に、弟の悪ふざけは止まらない。
彼は、兄に気付かれないように、二人の少女の背中をぽん、と押した。二人が秋比古の顔を見上げると、彼はニヤニヤと笑い、そして顎で兄を指す仕草をしてみせた。その動作に彼の意図を汲み取った二人が、また邪悪な笑みを浮かべてその作戦に相乗りする。
「確かに泣いてたよなあ、早苗?」
「そうだねえ。泣いてたよねえ、夏樹ちゃん」
今こそかつての仕返しとばかり、口元に薄ら笑いを浮かべ、「泣いてた」を連呼する二人。秋比古もまた「やっぱり泣いてたんじゃないか」「中学生に泣かされるとか、大人として、いや弟として恥ずかしい」などという言葉で兄を責め立てた。
実弟と魔法少女のまさかの共闘に、月比古は絶句した。そして、ふと気づくと、その異常な光景ゆえに、周囲に人だかりができている。さらには、買い物帰りの主婦を中心に「あの金髪男が、中学生に泣かされたらしい」「その仕返しをしようとして、交番に駆け込まれたらしい」なんて根も葉もない噂すら立ち始めていた。
恥ずかしさと怒りで、彼の身体は真っ赤になっていた。そして、彼は一声吠えた。
「く、くそおおおお!!」
そして、脱兎のごとくその場から駆け出した。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。最後に負け惜しみを口にする。このようなシチュエーションで言うべきセリフはたった一つだ。
「お、覚えてやがれぇーーーーー!!」
人だかりをかき分け、その金髪男はあっという間にその場から走り去った。
「あれ……?」
「逃げた……?」
反撃を予期していた二人の少女は、その予想だにしなかった逃走劇に唖然とした。自然と解かれていく人だかり。兄の逃走した方角を見て、弟が楽しそうに口を開いた。
「にひひ、これで暫くは兄貴をイジれるな!」
「あんた、本当、性格悪いよなあ」
夏樹が呆れた様子で彼の顔を見上げる。
「それ、よく言われるよ」
そう答え、警官はにやりと笑みを浮かべた。
* * *
「いやぁー。傑作だったなあ、あの金髪のオッサン!」
夕日の差す帰路で、夏樹がからからと笑う。対照的に神妙な面持ちの早苗が夏樹に問いかけた。
「ねえ、夏樹ちゃん、もしも願いが叶うなら、何を叶えてもらう?」
早苗はずっと“願いが叶う”という話について考えていた。夏樹が苦笑いを浮かべて口を開く。
「いや、早苗、何をマジで捉えてんだよ……。あんなん、冗談に決まってるだろ?」
「冗談なのかなあ……?」
「だって、魚屋の親父が世界征服だぜ!? ありえないだろ!?」
「そうかなあ……?」
早苗は秋比古の表情を思い出した。彼は確かに冗談好きな人物ではあったが、あの時だけは、嘘を吐いている目ではなかったような気がしていた。
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