第7話 手加減しないから

「――“スタートアップ”」


 弥生がそう呟くと、彼女の身体は瞬く間に光に包まれた。間もなく、彼女は赤いゴシック調のドレスに身を包んだ姿で二人の前に現れた。


 三十路手前の彼女が、恥ずかしげもなくフリル付きのミニスカートを着用しているのを見て、夏樹が思わず呟く。


「うお、何と言うか、その、眩しいというか、直視できないというか……」


「……何が言いたいのよ?」


 弥生が彼女をぎろりと睨んだ。




 早苗が弥生の服の色に気が付いて口を開いた。


「あ、弥生さん、赤いドレスだ。属性は炎なんだね」


「そうよ。あんたとお揃い」


 そう言うと、弥生はそっと微笑んだ。早苗が自身の赤いドレスの裾を持ち、くるりと回転してみせた。その衣装は、サイズの違いはあれど、弥生と全く同じ色とデザインだ。早苗が嬉しそうに微笑んで言った。


「お揃いだねえ」


「そうよー。お揃いよ、お揃い」


 何故か楽しそうにはしゃぐ弥生と早苗。そのうち、二人で手を繋いで軽快に踊り始めたので、その輪に溢れた夏樹が呆れた様子で声を掛ける。


「おーい、そろそろ始めようよ」




「――“デッキ=オープン”」


 弥生が左手を掲げてそう唱えると、彼女の前に無数のカードが浮かび上がった。十数年間もの間、毎日五枚ずつ追加していった結果、彼女は莫大な数のカードを保持するまでになっていた。あまりに枚数が多いため、それはまるで一つの帯のように、螺旋状に彼女の身体を包み込んでいる。それを見た早苗が、思わず「わ」と声を上げた。夏樹もまた目を丸くして問いかける。


「すご……。何枚あんの、それ……」


「え? 何枚……?」


 弥生が首を傾げた。遥か昔、魔法少女成り立てだった頃にはその残り枚数を逐一チェックしていたが、さすがにその数が三桁を超えてくると、数えることすら億劫になっていた。彼女がクロウに問う。


「クロウ、これ何枚あるの?」


 クロウは即座にその枚数を答えた。


「二万とんで五十七枚だ。自身のカードの数くらいは把握しておけ」


「無理よ」と、弥生が小さく呟いた。




 弥生が自身のカードの帯にすっと手を伸ばし、数枚の煉瓦色のカードを抜き取った。それを二人に手渡して言った。


「六枚だと練習には足りないから、二人にはあたしのを五枚ずつあげるわ。早苗がレベル1炎魔法ファイアボール、夏樹がレベル1水魔法ウォーターショットで良かったわよね?」


 それを受け取りながら、早苗がキョトンとした顔で口を開いた。


「え、貰っていいの?」


「カードの状態でならいくらでも融通可能よ? ただ、自分の使える魔法のカードしか読めないんだけど」


「へえ、そういうこともできるのか……」


 夏樹が笑顔でカードを受け取り、自身のデッキを開いてその中へ組み込んだ。早苗が夏樹の周りを浮いているカードの内の一枚を、横から覗き込んで言った。


「あ、ホントだ。夏樹ちゃんのカードは読めないや」


 そして弥生に問いかけた。


「弥生さんは、全部読めるんだよね?」


「まあね」


 弥生が少し得意げに腕を組んで答えた。早苗がさらに質問を続ける。


「どうやったら、他のカードを読めるようになるの?」


「ん? どうだったかしら? あたしが最後に新しい魔法を覚えたのって、いつだっけ?」


 弥生が顎に手を当てて、宙を見上げる。クロウが答えた。


「三浦が最後に覚えたのは、土の極大魔法ドゥーム=ヴォルケイノだな。およそ九年前だ」


「あー、そっかそっか。思い出した。魔獣倒したら、出てきたんだ」


 その言葉を受け、夏樹が聞き返す。


「出てくる?」


「そうよー。お腹の中から、ぱっかーん、って」


「ぱっかーん?」


「そして、きらきらー、って出てくるの」


「きらきらー?」


 夏樹が首を傾げる。未だ弥生のキャラがうまく掴めていない夏樹にとっては、これが彼女流の冗談なのか、それとも本気で話しているのかが判断できなかった。まあ、弥生は真剣に説明しているつもりなのだが、その拙い表現力では何も伝わっていなかった。

 すると、遅ればせながら、クロウが早苗の二つ目の問いに解答を示した。


「使える魔法の数は、お前たちの魔法の熟練度が上がれば自然と増えていく。スフィアの獣を数匹倒せば、二つ目の魔法はすぐにでも手に入るだろう」


「へえ。じゃあ、とにかく倒しまくればいいんだな。よく分かんないけど」


 小首を傾げたまま、夏樹がはにかんだ。




 そして二人は弥生から防御魔法ガードを教わった。それを唱えると、術者を中心にドーム状の見えない壁が現れ、魔法を含めたあらゆる攻撃から身を守ることができるという。

 彼女らは、弥生の指示で互いの攻撃魔法を防御魔法ガードで受け止める練習を始めた。もちろん、攻撃魔法の扱いに慣れることも、その目的の一つだ。だが、その練習に当たり、彼女は一つだけ条件を付けた。


「攻撃する側は、必ず片手でカードを持って、詠唱はしないこと」


 弥生がこう言うと、夏樹が不満そうに口を開いた。


「えー、それじゃあ威力低くなるじゃん。つまんないよ」


「ケガしたくないでしょ? あたしも、あんたたちにケガさせたくないの」


「でも、あの金髪のオッサン、防御魔法ガードであたしらの全力の魔法止めてたぜ?」


「金髪のオッサン……?」


 弥生が暫く黙っていたが、ふと合点がいった様子で突然顔が綻んだ。


「ああ、オッサン! あのオッサンね! ランディのことね! ――あいつは、今のあんたたちより、かなり強い魔力を持ってるのよ。だから、簡単に防御魔法ガードで止められたの。でも、今のあんたたちの魔力だと、詠唱付き魔法は防ぎきれないわ」


 そして彼女は夏樹と視線を合わせ、しっかりと言い聞かせた。


「だから、とにかく今は魔力を上げること! それには、たとえ弱い魔法でも、回数をこなすのが一番いいの! そしたら、あんな口の悪い、性根の腐ったオッサンの防御魔法ガードなんか、簡単に破れるようになるからね!」


 夏樹はまだ不満げにしていたが、やがて言われた通りの練習を渋々と開始した。その様子を見ながら、弥生が呟く。その口元から、思わず笑みが零れた。 


「あいつ、オッサン呼ばわりされてやんの、笑える……」




 二人が校庭の隅で防御魔法ガードの練習に精を出す中、まるで耳元でチェーンソーを全開にしたような、そんな金属音が辺りに鳴り響いた。上空のスフィアの色が、激しく七色に変化していく。


 スフィアの獣が生まれたのだ。空を見上げ、クロウが呟いた。


「――来たか」


 弥生が時計を見た。十一時四十五分だ。日付が変わる前に獣が現れること――それはすなわち、蛇の使徒の襲撃を意味していた。弥生がクロウに問いかける。


「今夜は誰かしら?」


「魔力は感じなかったが……」


「ふうん。じゃあ、あいつだ。久しぶりね……」


 魔力を隠して行動できる蛇の使徒は一人だけだ。侵入者の正体に当たりがつき、彼女は口元に笑みを浮かべた。




 魔法練習の最中だった二人が、その轟音とスフィアの変化に驚いて上空を見上げた。


「おいおい、これってまさか……」


「また敵が来たの?」


 すると、スフィアのちょうど真下にあたる、校庭のど真ん中に、黒い影がどさりと音を立てて落ちてきた。その影は、もぞもぞと蠢いている。

 やがて、音が止み、上空のスフィアの輝きが白く安定してくると、その影の姿が明らかとなった。


 黒い皮膚。四肢に宿した鋭い爪。口元には巨大な牙。そして赤く巨大な目が一つだけ――魔獣が現れたのだ。


 魔獣は、這うようにゆっくりと二人に近づいてくる。二人が身構えていると、いつの間にやら、その傍らに弥生が現れ、余裕の笑みを浮かべて言った。


「あれはランク1ね。久しぶりに見たわ」


「ランク?」


 早苗が問いかけると、弥生がつらつらと答えた。


「魔獣の強さよ。目の数で分かるわ。あれは一つ目だから、ランク1ね」


 それを聞き、夏樹が早口でまくしたてた。


「よく分かんねえよ。そのランク1は強いのかよ。弱いのかよ」


「口の悪い子ね。最弱よ。ランク1は一番弱いタイプ。ちなみに、昨日出てきたのはランク3ね」


 彼女は、また自身のカードの帯を呼び出し、そこから三枚ずつのレベル1魔法を抜き取って二人に手渡した。そして二人の肩を叩いて言った。


「ま、あれならあんたたちでも倒せるわ。ここは任せるわよ」


「え? え?」


 戸惑う早苗と夏樹。弥生が緊張感無く、へらへらと笑いながら手を振った。


「大丈夫よ。ちゃんと両手でカード持って詠唱すれば、簡単に倒せるわ」


 二人が固まっていると、弥生がさらに続ける。


「あと、距離を取って戦うこと。危ないと思ったら、すぐ防御魔法ガード使って逃げるのよ。いいわね?」


「は、はい……」


「じゃ、頑張ってねー」


 そう言って、彼女はレベル3風魔法スパイラル=トルネードを唱えた。すると、一陣の風が吹き、彼女の身体は空高く舞い上がった。



* * *


 ――体育館の屋根の上。そこに腰かけ、煙草を片手に眼下の校庭の様子を観察する一つの影があった。

 その影の背後に、一陣のつむじ風が舞い降りる。その風に乗って現れた魔法少女――弥生が、その人物に言葉を掛けた。




「――メルコレディ。相変わらず、魔力隠すのだけは上手いじゃない」


 その影は、口から紫煙をふーっと吐き出して、ゆっくりと振り返った。ワンレングスに切り揃えられたアッシュグレーの髪が、ゆらりと揺れる。ボーダーのシャツに、チノパンというラフな出で立ちの女性は、弥生の姿を見ると、不敵に笑った。


「あら、弥生じゃないの。三十歳になったんだって?」


「二十八よ」


「二十一じゃなくて?」


 そう言って、メルコレディがクスクスと笑った。弥生が気まずそうに頭を掻いて目をそらす。


「もしかして、最初から見てたの……?」


「あんたの先生っぷり、よーく観察させてもらったわ」


 そう言って、彼女は煙草を咥え、ゆっくりと煙を吸い込んだ。弥生が彼女をしっかりと見据えて口を開く。


「覗きなんて、悪趣味な女ね」


 メルコレディが煙を吐き出す。そして彼女もまた弥生の目を見て、言葉を返した。


「いつまでもここに居座ってる、意固地な女よりはマシよ」


 不敵に笑うメルコレディに、弥生が鋭い視線をぶつける。そしてわざと大声でこう言った。


「あんたも三十路で独身彼氏無しのくせに!」


「……うるさいわよ」


 メルコレディの顔から笑みが消えた。その煙草の先から、灰がポトリと落ちた。




 校庭では、夏樹と早苗が魔獣と接触し、戦いの火蓋が切って落とされた。クロウのアドバイスの下、二人は魔獣と距離を置きながら魔法を詠唱し、撃っては離れるというヒット&アウェー戦法を繰り返していた。


 一方、体育館の屋根の上では、二人の間に不穏な空気が張りつめていた。

 その空気を振り払うかのように、勢いよく紫煙を吐きながら、メルコレディが口を開く。


「よくここに居るのが分かったわね? 魔力は完全に消したつもりだったけど?」


 弥生が彼女の手元の煙草を指さして言った。


「その火が目立つのよ」


「……あら?」


 驚いた顔つきで、メルコレディがその手の煙草を見る。その紙巻きたばこの先端では、小さく赤い火が、静かにちりちりと燃えていた。それを見つめながら、一人呟いた。


「ふうん。やっぱり電子タバコに変えようかしら……? 弥生、どう思う?」




 関係ない話題で話をそらされる前に、弥生がメルコレディに問いかけた。


「つか、何でまた“一つ目”の獣なんて出したのよ? ふざけてんの?」


 メルコレディの魔力であれば、さらに強力な魔獣を呼び出すことも可能である。それを知っている弥生の問いに、彼女は悪びれもせずに答えた。


「別にぃ。ただ遊んであげただけよ? あの子供たちには丁度いいでしょう?」




 その時、校庭では夏樹の魔法が魔獣にクリーンヒットしていた。力尽きた魔獣は地にひれ伏し、やがてその黒い肌が白く変色して、そして細かく砕けていく。その様子に勝利を確信した二人が、歓喜の叫びを上げた。


 それに気づいたメルコレディが、携帯灰皿に煙草を押し込みながら口を開く。


「あら、負けちゃった。意外と早かったわねぇ。“二つ目”でも良かったかしら?」


 そして彼女は、一度さらっと髪をかきあげて弥生に背を向けた。


「じゃあね。また来るわ」


 そう言って、戦いもせず立ち去ろうとする蛇の使徒に、弥生が声を掛ける。その左手の銀の指輪がきらりと光った。


「あたしとは、遊んでかないの?」


 メルコレディは立ち止まり、横目でちらりと弥生を見た。


「嫌よ。だって、あんた、手加減しないから」




 そう言って微笑むと、彼女は右手の金色の指輪を光らせた。すると瞬く間につむじ風が巻き起こり、彼女の身体を上空へと運んでいった。それを見上げ、弥生がつまらなそうに呟いた。


「ほんと、つれない奴……」



* * *


 ――そのつむじ風が舞い降りたのは、学校から一キロメートルほど離れた公園の駐車場だった。メルコレディは、駐車場に停めておいた愛車の横に着地すると、一息ついて新たな煙草に火を付けた。

 彼女がそれを一口二口吸った頃、ふと彼女を呼ぶ声が聞こえた。




「――涼子りょうこ


 見ると、車のボンネットの上に白い蛇が居座っている。その大きさは一メートルほどで、背中には純白の翼を宿していた。その女性――メルコレディこと水科みずしな 涼子りょうこは、白蛇の名を呼んだ。


「あら、ミド。来てたの?」



 その白蛇――ミドが呆れた様子で口を開く。


「どういうつもりなんだい? 困るよ。もっと真面目にやってくれないとさ」


 彼は、最弱の魔獣を呼び出した挙句に、弥生と一戦も交えることなく帰ってきた彼女を責めているのだ。涼子は悪びれた様子も無く、言葉を返した。


「真面目にやったところで、弥生にはどうせ勝てっこないわよ」


「それでも、少しは蛇の使徒として、責任感を持ってほしいなあ」


「そんなの、最初からあったかしら?」


 涼子が自嘲気味に笑った。そして、諭すように語り掛けた。


「ねえ、もう諦めましょうよ? こんなこと、たとえあと十年続けたって、何も変わりはしないわよ」




 そう言い残して、涼子はおもむろに車に乗り込んだ。ミドが慌ててそのボンネットから飛び降りる。やがてエンジンの激しい振動とエギゾースト音と共に、その赤いロードスターは公園から走り去っていった。


 公園に一人取り残されたミドが、首をもたげて言った。


「それは、君たちの努力次第だと思うけどね……」

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