第4話 スフィアの獣と蛇の使徒

「ちっ」


 未だ極大魔法の熱気が残る屋上で、弥生は舌打ちをした。ランディ=マルディの魔力が校外へ移ったのを感じたのだ。そして悔しそうに唇を噛んだ。


「また仕留め損ねた……。ミドの奴……!」


 その背後にクロウが現れ、彼女に声を掛けた。


「ご機嫌斜めだな」


「おかげさまでね」と答え、彼女はまたカードを一枚取り出した。レベル3の風魔法だ。


「悪いけど、すぐに行くわ。仕事が溜まってるの」


 そう言って、彼女はその手に魔力を込めた。レベル3の風魔法スパイラル=トルネードは、本来攻撃用の魔法であるが、うまく力を加減すれば、その風に乗って数キロメートル程度なら高速移動が可能なのだ。クロウが口を開く。


「好きにすればいい。お前の日常生活に干渉はしない」


「へえ、そうだったかしら? その割には、あちこちで存在を感じるんだけど?」


「日中はやることがないからな。お前たちの世界を観察して周っている」


「あっそ」


 弥生が興味なさそうに答えた。魔力の注入が終わり、右手のカードが金色に光り出した。クロウが「ところで――」と付け足した。


「また“主任”とやらが品出しをサボったのだな」


「なーにが、“干渉はしない”よ。しっかり監視してるんじゃないの」


 そう皮肉っぽく笑い、弥生は階下の少女たちを一瞥した。


「あれって、新人?」


「そうだ。上月と宇野葉だ」


「へぇ」


 二人は、弥生の開けた大穴の前に座り込み、呆然としていた。それを見た弥生は、僅かに口元を歪ませ、そしてクロウに伝えた。


「修復はあたしがやるわ。今夜は発注もあるから、十二時には来れると思う」


「修復については、彼らにやらせてみようと思うのだが」


 クロウが言うと、弥生が小さく溜息を吐いた。


「あんた、結構スパルタよね……。あの二人、あたしが来るまでに、かなりやられたんじゃないの?」


 クロウが答えずにいると、弥生がはきはきとした口調で指示を与えた。


「校庭はあたしがやるから残しといて。あの子たちには校舎を。……あと、治癒魔法も教えておきなさい。傷が残らないようにさせるのよ。それが終わったら、もう帰していいわ」


「理解した。そうさせてもらおう」


 クロウの返事を聞くと、彼女は小さく微笑んで風魔法を発動させた。突風が吹き、彼女の姿は瞬く間に上空へと消えていった。




 弥生を見送ると、クロウは校庭に戻ってきた。そして、未だショックの癒えない二人に話しかけた。


「すまなかったな。では、次の魔法を教えよう」


 声を掛けられ、正気に戻った夏樹がクロウを問い詰める。


「ちょ、ちょっと待てクロウ。一体どういうことか説明しろ!」


「そ、そうだよ、あの怪物とおじさんは何なの? あのお姉さんは?」


 夏樹の声に、早苗も気を取り直した。クロウが答える。


「先ほども言ったが、あれは三浦だ」


「いや、名前は分かったからさ。あの、こえー姉ちゃんが何者なのかを説明しろよ」


「魔法少女だ。お前たちの先輩だな」


「あ、てことは、味方なのか」


 夏樹はひとまず胸をなでおろして、校庭に空いた穴をもう一度見つめた。こんな所業をやってのける怪物が相手だったら、命がいくつあっても足りないだろう。


「味方だ。彼女は特に強い力を持っている」


「だよねえ、すごかったもんね」


 早苗が感嘆の声を上げる。夏樹はさらに質問を重ねた。


「で、最初に出てきた怪物と、金髪の口の悪いオッサンは何者なんだよ?」


「敵だ」


「いや、それは分かったから、どういう奴らなのか説明しろよ!」


「――“スフィアの獣”と、“蛇の使徒”だ」


「なんか、訳の分からない単語が出てきたな……。もういいや」


 まるで噛み合わない会話に、夏樹はがっくりと肩を落とした。すると早苗が代わって質問を続けた。


「その、スフィアの獣って何?」


「ふむ。それが知りたかったのか。宇野葉の質問は要領を得ない」


「この、クソカラス……」


 クロウの一方的な物言いに怒りを覚え、夏樹は静かに拳を握りしめた。クロウは言葉を続ける。


「あのスフィアは、この星のエネルギーを日ごとに蓄えている。長年の時を経て、それはすでに飽和状態だ。例えるなら、破裂寸前の風船のような状態だ」


「え、それって結構危ないんじゃないのか?」


「そうだ。それを毎日、その日付が変わると同時に、一定量のエネルギーを魔力として放出する。それがスフィアの獣として具現化するのだ」


 夏樹が呆れて呟いた。


「あんなのが毎晩出てんのか? 物騒極まりねぇな……」


 クロウがさらに続ける。


「それを退治するのが、お前たち魔法少女の役目だ」


「いや、そんな話、聞いてねぇぞ!?」


「言ってなかったからな」


 淡々と言葉を述べるクロウに、夏樹が食って掛かった。


「この……! やっぱ騙してたんじゃねぇか!!」


「騙してはいない。私は、魔法を好きに使わせてやると言っただけだ」


「でも、敵のことを隠してたんだろ!?」


「聞かれなかったからな」


「……このっ」


 彼女は怒りに任せて、クロウの身体にその拳を振りぬいた。だが、それは実体の無い彼の身体に当たることなく、虚しく空を切った。クロウはしれっと言葉を重ねる。


「獣は魔法の練習台としても丁度良い相手だ。魔法を好きに使えたとしても、相手がいないのでは張り合いがなかろう?」




 クロウの説明をずっと黙って聞いていた早苗が、ふと口を開いた。


「日付が変わると同時に出てくるってことは、毎晩十二時に獣が出てくるんだよね?」


 クロウが肯定する。早苗はさらに続けた。


「まだ十時前だよ。何であれが出てきたの?」


「それは、蛇の使徒の仕業だ」


「蛇の使徒って?」


「邪悪な意思を持った蛇に操られ、その力を解放された人間たちだ。通常の魔法に加え、スフィアに働き掛けて獣を生み出す力を持っている。この街には、いぬい 月比古つきひこ水科みずしな 涼子りょうこ桂木かつらぎ 耕一郎こういちろうの三人の存在が確認されている」


 それを聞き、夏樹が頭を掻いた。


「あんなのが、あと二人もいるのかよ……」


「全員が今のお前たちより強い魔力を持っている。しかも、奴らは徒党を組んでいる。手強いぞ」


「じゃあ、私たちは魔法を使って、その人たちと獣をやっつければいいんだね?」


 早苗がそう言うと、クロウは「そうだな」と肯定した。夏樹が驚いて早苗の顔を見る。


「早苗、まさか、やる気かよ……?」


「だって、面白そうじゃない? さっきのお姉さんみたいに、バーンって魔法使えたらカッコいいよ!」


「マジかよ……。恐れを知らねえ子供だな……。勇者か? 勇者なのか?」


 夏樹が目を丸くしていると、早苗がその顔を覗き込んで質問した。


「夏樹ちゃんは、やらないの?」


 早苗の問いにしばらく黙っていた夏樹だったが、ゆっくりとその口を開いた。


「……早苗がやるんだったら、あたしもやるよ。ちょっと怖いけどさ」


 二人が笑顔で顔を見合わせると、クロウが口を開いた。


「質問は終わりか? では、次の魔法を教える」


「え、私たち、もうカード一枚ずつしか無いよ?」


「心配は要らない。これから教えるのはレベル0の魔法だ。カードは不要だ」




 次いで、二人がクロウに教わったのは、治癒魔法キュア修復魔法リペアだった。二つの魔法の効果はほぼ同じで、それは魔法又は魔獣によって破壊されたものを、元の姿に戻すというものだ。異なるのは、その対象が生命を宿すものか否か、という点のみ。これらの魔法はカードを消費せず、手をかざして呪文を唱えるだけで効果が発揮された。クロウの口ぶりでは、同様の魔法は他にもあるようだった。


 夏樹が、教わった通りに早苗に治癒魔法キュアを掛けると、その右手の傷がたちまち塞がっていった。だが、治癒はあくまでも本人と術者の生命力を消費して行われるため、治療後の二人はとてつもない疲労感に襲われた。


 修復魔法リペアには、とてつもない根気が必要だった。二人は、校舎の中で男と魔獣が通ったであろう場所を全て周り、その破壊箇所を一つずつ見つけては修復していった。修復は治癒に比べて非常に時間がかかる魔法で、壁の小さなひび割れを塞ぐだけでも一分以上の時間を要した。割れた窓ガラスに関しては五分以上だ。二人はとにかく時間を掛けながら、少しずつ校舎内の修復を進めていった。


「戦闘後の修復まで含めて、魔法少女の役目だ」とクロウは言った。さらに、「敵に破壊されないうちに始末を付けるのが、賢い戦い方だ」とも。それを聞いた夏樹は、「そういうことは先に言えよな」と不満そうに呟いた。


 そして作業開始から二時間後、ようやく校舎内の修復がすべて終わった。慣れない作業ということもあり、精神と肉体双方を酷使した二人はへとへとになって校舎の外へ出た。その場でへたりこんだ二人に、クロウがねぎらいの言葉と共に声を掛けた。


「今夜はこれで終わりだ。あとは三浦がやると言っている」


 二人は顔を見合わせた。夏樹が口を開く。


「え、もう終わり……? 校庭の大穴は?」


「それも三浦に任せる。そもそも彼女が開けたものだ」


 早苗が時計を気にしながらクロウに問いかけた。時刻は十一時を過ぎている。


「十二時ちょうどに獣が出るんじゃないの? 退治しないと」


「早苗、あたしたち、もうカード一枚ずつしか無いんだってば。出てきても戦えないよ」


「あ、そうか、そうだった。どうしよう……?」


 早苗が不安そうに口に手を当てると、クロウが答えた。


「心配はない。獣は一晩に一匹が限度だ。今夜はすでに生み出されたので、明晩まで何も起こりはしない。例え蛇の使徒であっても、それは変えられないことだ」


 そして、二人は最後にもう一つだけ魔法を教わった。それは変身解除シャット=ダウンの魔法だった。二人は、元の姿に戻り、それぞれ自分の家へと帰っていった。



* * *



 時計の針が午前一時を回る頃、一台のスクーターが校庭に入ってきた。ようやく仕事を終えた弥生がやってきたのだ。彼女はトラックレーンの脇に車体を停めると、ヘルメットを脱いで一息ついた。


 ふと見ると、校庭に開けたはずの大穴が塞がっている。彼女は首を傾げて一人ごちた。


「あれ? もしかして、あの子たち、校庭まで修復しちゃった?」


 どこからともなくクロウが現れ、その言葉に答えた。


「それは違う。言われた通り、あの二人には校舎だけを修復させて家に帰した」


「じゃあ、誰が直したのよ、これ」


 弥生が大穴があった場所を指さして問いかけると、校庭の奥から声が響いた。


「――私よ」


 弥生がその元を見やると、一人の女性が歩み出た。かつての戦友を認識し、弥生が笑顔でその名を呼んだ。


ふみ!」


 その女性――渡辺わたなべ ふみもまた笑顔を返して言った。


「戦いを手伝えなかったから、せめてものお詫びにね」


「何よ、居たの? なら、助けてあげればよかったのに。あの子供たちに先生の威厳を見せる、またとないチャンスだったんじゃないの?」


「そうしようと思ったんだけど、貴方がいきなり出てきて極大魔法ノヴァ=ストライクなんか使っちゃうから、出るタイミング失ったのよ」


 文が口を尖らせて、不満の意を示した。弥生が笑って頭を掻く。久方ぶりに幼馴染と再会し、彼女が普段纏っている険のある空気はどこぞへ吹き飛んでしまっていた。


「あははー。ってことは、お見苦しい所、見せちゃったかな……?」


「でも、貴方が出てきてくれて良かったわ。私が出て行っても、きっとランディは引かなかったでしょうね」


「そうかなあ……?」


「そうよ。貴方、自分が思ってるよりも、ずっと強くなってるわ」


「そりゃあ、もう何年も魔法少女やってればねぇ……」


 そう言って、弥生は感慨深げに上空を見上げた。スフィアは相も変わらず白く輝き続けている。文もまた、それを見上げ、小さく呟いた。


「……あの二人、お願いね」


 弥生がそれに応える。


「大丈夫よ。私が付いてる」




 ――しばしの沈黙。ふと、文は校庭の隅に停められたスクーターに目をやった。


「ところで、校庭は車両乗り入れ禁止よ?」


 弥生が慌てて頭を下げた。


「ああ、ごめんごめん。今度から気をつけます、七村ななむら先生」


「それは旧姓。今は“渡辺先生”よ」


 そして二人は顔を見合わせ、笑いあった。



* * *



 翌朝、待ち合わせ場所の桂木書店の前で、いつものように夏樹が元気よく声を掛けた。


「おっはよー、早苗」


「あ、おはよー、夏樹ちゃん」


「眠れた? なんかあたし、興奮してなかなか寝付けなくってさ、って、……ん?」


 夏樹がふと見ると、また早苗の頭上にクロウが乗っていた。クロウもまた夏樹に挨拶を返す。


「おはよう、宇野葉。寝坊したとはいえ、朝食は食べた方が良いぞ」


「何で朝飯抜いたこと知ってるんだよ……」


 夏樹はまた訝し気な目で、その黒鳥を見つめた。そして問いかけた。


「で、何でまた早苗の頭の上に乗ってるんだ?」


「二人に伝言を伝えに来たのだ」


「伝言?」


「三浦からだ」


 その名を聞き、二人が身構える。


「げ、あの、こえー姉ちゃんか……」


「なななな、何の用だろうねえ……?」


 怯えの色を見せる二人をよそに、クロウが言葉を告げた。


「今晩十時、魔法を教えてやると言っている。遅れずに来い」


 それだけ伝えると、彼はその漆黒の翼をはためかせて、上空へ消えていった。

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