第3話 あの姿を目に焼き付けろ

 午後七時五十分、最後まで校庭に残っていた野球部もとうに居なくなり、照明が落とされて久しい校内は、静かに闇を湛えていた。校庭の片隅にぽつんと佇む小さな街灯の明かりに、いくらかの羽虫が踊るように集っている。その街灯の下に人影を認め、早苗は駆け寄った。その姿を目にし、街灯の下から夏樹が声を上げる。


「おー、早苗、こっちこっち!」


「ごめん、待った? 家を抜け出すのに手間取っちゃった」


「ぜーんぜん。今来たとこ」




 二人が揃うと、羽音と共に、闇の中からクロウが姿を現した。


「少し早いが、始めよう。これを指に付けたまえ」


 二人の眼前に、ピンポン玉くらいの小さな光球が現れた。それはゆっくりと降下していく。二人が恐る恐る両手で受け止めると、それは掌の中で銀色の小さな輪となって具象化された。


「指輪……?」


 早苗はそれを抓み上げ、上空のスフィアの光に照らしてみた。指輪は微笑むように、きらりと光った。また、夏樹はそれを手にするや、すぐさま左の人差し指につけ、その指を満足そうに眺めた。


「へぇ、これで魔法使えんの? 意外とシンプルじゃん」


「あ、夏樹ちゃん、人差し指にしたんだ。私はどの指にしよっかなあ……?」


「どれでもいい。好きな指に付けろ。サイズは自動で調節するようになっている」


 早苗は迷いながらも、それを左手の小指につけた。




 二人が指輪をつけたことを確認し、クロウが口を開く。


「では、最初の呪文を教えよう。“スタートアップ”だ」


「え、“スタートアップ”?」


 早苗がそう呟いた瞬間、彼女の左手の指輪が力強く輝いた。そしてその輝きは、瞬く間に彼女の全身を包んでいく。突然の出来事に、夏樹が驚嘆の叫びをあげた。光の中からは、早苗の悲鳴が聞こえてきた。


「うわ、ちょっと、何これ! 服が……、服が……!!」


「うわあ、うわあ、早苗どうなっちゃったんだ? 服って……? やっぱこれ、パンツ見せろとか、そういうヤバい系だったんじゃないのかあ……?」


 夏樹がおろおろしていると、いつしか早苗を包んだ光が収まった。早苗は目を丸くして呆然とそこに佇んでいる。その服装は、これまで纏っていたワンピースではなく、赤を基調としたゴシック調のドレスへと変貌していた。それを見た夏樹が、驚いて声を上げた。


「え、何だそれ!? メイド服!?」


 クロウが説明を入れる。


「それが魔法少女の正装だ。その姿になって初めて他の魔法を使うことが可能だ」


 まだ固まっている早苗の姿を、夏樹が落ち着かない様子で見つめて言った。


「うわあ、なんだそれ、なんだそれ。メイド服着ないと魔法使えないのかよ……」


「……あー! びっくりしたあ!」


 早苗がようやく正気を取り戻して叫んだ。やがて自身の服装が変わったことに気付き、その細部を確認するように、首を捻りながら身体をくるくると回した。短めのスカートがふわりと揺れた。


「かっわいいー。魔法だよ。すごいよ、夏樹ちゃん!」


 簡単に現実を受け入れた早苗を、夏樹は信じられないと言わんばかりの目で見つめ、唖然としていた。クロウが声を掛ける。


「どうした、宇野葉。お前も変身しろ」


「いや、なんかそういうフリフリな服って……、あたし、似合わないしさあ……」


「夏樹ちゃんなら似合うよ。はやくやってみようよ?」


「そ、そう……? ス、“スタートアップ”……だっけ?」


 早苗に促され、夏樹も最初の魔法を発動した。彼女の身体が光に包まれる。やがてそれが収まり、夏樹もまた煌びやかな姿で現れた。青を基調としたゴシック調のドレスだ。早苗が感嘆の声を上げる。


「わあ!」


「うへぇ、着ちゃった……。メイド服……」


「似合う似合う!」


 顔を赤くする夏樹をよそに、早苗が手を叩いて喜ぶ。クロウが口を開いた。


「メイド服ではない。これでお前たちは魔法少女になった。ひとまず、おめでとうと言っておく」


「そいつは、どうも……」


 夏樹は鼻の頭を掻きながら、照れくさそうに礼を言った。




* * *


 同刻――。


 中学校から数キロメートルほど離れた位置にある、“スーパーマーケット天堂”の店内。割烹着を模した緑色の制服に身を包んだ女性――三浦 弥生が、店内主通路沿いの冷蔵ケースの前でぼりぼりと頭を掻いた。


「……あー、もう!」


 一時間の休憩から戻ってくると、彼女の売場は燦燦さんさんたる有様だった。半分以上の商品が欠品し、売場の棚はスカスカである。だが、在庫が無いわけではない。補充すべき商品は、バックルームの冷蔵倉庫に大量にあるのだ。


「売場、ズタズタじゃないのよ。クソ主任、牛乳くらい補充しとけっつの……」


 彼女は「ちっ」と舌打ちをして、早歩きでバックルームへ向かった。彼女の上司である古川主任は、ろくに仕事もしないまま、すでに帰宅してしまっていた。今や彼女がこの日配売場の責任者だ。


「まだ発注も終わってないのに……。また残業だわ。店長に言いつけてやる……」


 彼女はぶちぶちと愚痴を呟きながら歩を進める。すると、ふと何かに気付いて足を止め、宙を見上げて呟いた。


「魔力が二つ……。二匹? いや、二人……? まだ八時なのに、一体、誰……?」



* * *



 天堂中学校の校庭では、クロウによる魔法のチュートリアルが続いていた。ようやく自身の服装に慣れた夏樹が、手を挙げ、疑問を口にする。


「つか、あたしと早苗、服の色が違うんだけど……」


「それは、属性が異なるからだ」


 クロウが答えると、二人は顔を見合わせた。


「属性……?」


「猫耳とか……?」


 早苗の呟きに、夏樹が慌てて自身の頭の上をまさぐる。


「え、猫耳? あたし、そんなの付いてる!?」


 もしも、そんなものが付いていたとしたら、夏樹は恥ずかしさの余り悶死してしまう。幸い、彼女の頭上にはそういった類のものは付いていなかった。


「ああ、ごめん。今のは忘れていいから」


 早苗が僅かに狼狽えた様子で謝る。夏樹が安堵すると、クロウが言葉を添えた。


「魔法の属性のことだ。赤は炎、青は水だ」


「ってことは、私は炎で、夏樹ちゃんは水なのかあ」


「え、あたし、水の魔法しか使えないってこと?」


「それは違う。あくまでも相性の話だ。熟練すれば、あらゆる属性の魔法を使いこなすことが可能だ」


 早苗がうんうんと頷いた。夏樹は、まだよく理解できずに小首を傾げている。クロウはさらに言葉を繋げた。


「だが、最初は己の属性と同じ魔法を使った方がよい。既にカードは補充した。”デッキ=オープン”と唱えたまえ」



 二人がその言葉を唱えると、その眼前に五枚のカードが浮かび上がった。それらてのひら大の煉瓦色のカードは、一メートルほどの高さを保って、少女の身体を中心に、円を描くようにふわふわと浮いている。二人が呆気に取られていると、クロウが口を開いた。


「それが、お前たちの魔法だ」


 夏樹が目の前に浮いたカードの一枚を手に取った。そこには大きな青い円と、楔形の文字が刻まれていた。


「これが魔法……? なんか変な字が書いてある……」


「それぞれの属性のレベル1の魔法を補充した。全て読めるはずだ」


 クロウの言う通りだった。二人には、その文字が何かは分からなかったが、不思議とその意味が頭の中に流れ込んできた。浮いているカードの一枚を見つめ、早苗が口を開く。


「あ、本当だ……。“ファイヤボール”だって」


 それを聞き、夏樹がカードを片手に言った。


「え、あたし違うぞ? ”ウォーターショット”だ」


 すると、夏樹の手元のカードが突然光り輝いた。カードの中から勢いよく水の鞭が飛び出してきた。


「うわ!」


 夏樹が慌ててカードを手放すと、その水の鞭は校庭の地面を数十センチほど抉り取って姿を消した。夏樹の心臓がばくばくと鳴る。


「な、何か出た……」


「説明が後になってしまったが――」


 クロウが口を開く。


「――カードに手を触れ、呪文を唱えることで魔法が発動する」


「さ、先に言えよ!」


「私が説明する前に宇野葉が唱えてしまっただけだ」


 クロウはさらりと夏樹のツッコミを回避した。夏樹が必死に動悸を抑えているうちに、早苗が空中のカードを両手でつかみ取った。そして呪文を読み上げた。


「“ファイヤボール”!」


 すると、カードから直径一メートルほどの火球が飛び出し、数メートルほど進んだ先で着地した。校庭の地面が激しく燃え上がる。その様子に早苗が目を丸くしていると、夏樹が感嘆の声を上げた。


「うおお! すげえ早苗! つか、あたしの魔法より全然強くね!?」


「宇野葉もその気になれば、より強い魔法が使える。今のはカードを両手で触れたので威力が上がったのだ」


「なるほど、そういうもんか……」


 夏樹が空中のカードを手に取った。どんな素材で出来ているかは分からないが、それは触るとひんやりとした感触を彼女に与えた。試しにカードを両手でしっかりと掴んでみると、僅かに光を帯びたように見えた。


 クロウが続ける。


「さらに威力を上げる方法がある。呪文発動前に、カードに刻まれた文章を詠唱するのだ」


 早苗が新たなカードを掴み、それをじっくりと見つめた。カードの下半分に細かな文字が刻まれているのが見えた。


「文章って、これかな……? “――その力、炎となって彼の者を焼き尽くせ”……?」


「それだ。宇野葉、理解できたか?」


 夏樹もまたカードの下半分の文字を読み上げた。


「”それは水。それは力。あらゆる不浄を流しつくし、その地を我がものとせん” だろ? 読めるよ、これくらい」


「よろしい。そのまま魔法を発動することで威力はさらに倍増する」


「へぇ、やってみるかな。”それは水、それは力”――」


 夏樹が両手でカードを持ち、その文面を読み上げようとすると、クロウがすかさず制止した。

「待て。それは後だ。まだ説明することがある」



「手札の数を見たまえ」


 促され、二人は自身の周囲を回るカードの数を確認した。全部で四枚だ。


「あれ、なんか減ってる?」


 早苗が数の違いに気が付いた。


「そうだ。レベル1以上の魔法は、カードを消費する。一日五枚だけ追加することが可能だ」


「じゃあ、今日はあと四回ってこと……?」


「そういうことだ。よく計画し、大事に使わなければならない」


「へぇー」


 夏樹が腕を組んで頷く。

 クロウが次なる魔法を教えるべく口を開いた。


「では、次はレベル0の魔法を――」




 その時だった――。


 上空のスフィアが激しく震え、金属音のような悲鳴を上げた。白い光球は、赤、緑、青、と激しくその色を変化させる。クロウが上空を見上げる。そして校舎の時計を見て呟いた。


「九時か……。今夜は早かったな」


 突然の出来事に、二人の少女が戸惑う。


「何だよこれ、何が起こったんだ?」


 クロウが淡々と答えた。


「――敵が来た。スフィアのけものだ」




* * *



「ちっ」


 “スーパーマーケット天堂”の店内。チーズ売場の品出しをしていた弥生が、天井を見上げて舌打ちをした。制服のポケットから懐中時計を取り出し、その時間を見る。


「九時ちょうど……ね」


 そして彼女はひとつ溜息を吐くと、すたすたとバックルームへ向かって歩き出した。道中、デザート売場を補充している学生バイトの女の子に声を掛ける。


「ごめん、紗季さきちゃん。ちょっと席外す。酪品らくひん、補充しといて」


 売場のスイングドアをくぐり、バックルームへ移動すると、その歩みは駆け足に変わった。制服のポケットから銀色の指輪を取り出し、左手につける。そして、静かに呟いた。


「この魔力……、あの男か……」




* * *


「いつまで逃げ回るつもりだ? ガキはさっさと家に帰るんだな!」


 男の声が校舎内に響いた。黒の革ジャケットを羽織った、金髪の男が気だるそうに廊下を進むと、その腰にぶら下げたウォレットチェーンがジャラジャラと音を立てた。男の背後では、三つ目の魔獣が唸り声をあげている。そのヒグマほどの体格の魔獣は、漆黒の外皮を持ち、体毛は一切生やしていない。口には巨大な牙、四肢には鋭い爪を持つ凶悪な姿を晒しつつも、金髪の男の命を聞きわけ、まるで忠犬のように付き従っていた。


 二人の少女は校舎の廊下を必死で駆け抜けていた。早苗の右腕から赤い血が滴る。件の魔獣の爪に切り裂かれた傷を抑え、彼女は苦悶の表情を浮かべた。夏樹が走りながら、頭上の黒鳥へ問いかける。


「何なんだよ、何なんだよ、あのオッサンは!? それと、あの怪物!」


「あれはスフィアから生まれた魔獣。そして、あの男はいぬい 月比古つきひこだ」


 すると、その声が聞こえたのだろう。二人の背後――廊下の奥から男の声が響いた。


「こら、そこのクソ鳥!! 本名で呼ぶな! 俺の名前はランディ=マルディだ!!」



 夏樹がクロウに叫ぶ。


「よく分かんねぇよ! 誰なんだよ、こいつらは!?」


「敵だ。今はそれだけ理解すればいい」


 早苗が右手の傷を気にしながらクロウに問いかけた。多少の出血はあったが、幸い傷は深くないようだ。


「敵って!? そんなのがいるなんて聞いてないよ!」


「言ってなかったからな。言う前に彼らが来た。それだけのことだ」


「この、クソカラス! だから、そういうことは先に言えっての!!」


「今後、気を付けよう」


 「くそっ」と一声吠えると、夏樹が足を止めて踵を返す。


「やれるか、早苗!? 魔法使ってやっつけるぞ! 今度は両手を使う!!」


「うん!」


 早苗もまた振り返り、二人はカードを手に取った。廊下の奥から男と魔獣が姿を現すと、二人はカードを両手で握りしめて詠唱を始めた。


「“その力、炎となって彼の者を焼き尽くせ。むくろは灰に、灰はむくろに――ファイアボール”!!」


「”それは水、それは力。あらゆる不浄を流しつくし、その地を我がものとせん――ウォーターショット”!!!」



 火球と水の鞭が、唸りを上げて男へ襲い掛かる。だが、男は身じろぎもせず、ただ片手を前に出してそれを迎え入れた。男の前の見えない壁に阻まれ、二人の放った魔法は、なすすべなく消滅した。男は口元に笑みを浮かべて言った。


「オイオイオイ、いくらなんでも弱すぎだろう。詠唱付きでこの程度なのか?」



 この結末に二人は周章した。夏樹の額に汗が浮かぶ。


「な、なんだよ、全然効いてないぞ!?」


防御魔法ガードを使われた。お前たちの魔法では、あれを破る手段は無い」


 クロウが淡々と説明した。男は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。その背後の獣の唸り声は、その距離に反比例するかのように大きくなっていった。




 二人は再び駆け出した。早苗が狼狽してクロウに叫ぶ。


「どうすんだよ!? 両手で触った上に、文章もちゃんと読んだんだぞ!? もっと威力を上げる方法を教えろよ!!」


「まことに残念だ、宇野葉。今のお前たちには、これが最高威力の攻撃だ」


「な、なんだとぉ……?」


「撤退を提案する。お前たちに勝てる要素は無い」


 早苗がきょとんとクロウを見つめた。


「え、逃げちゃっていいの?」


「構わない。お前たちが死んでは意味が無い。まあ、代わりに誰かが犠牲になるかもしれないがな」


「……それ、どういうこと?」


 二人は足を止めた。早苗がクロウを睨みつける。彼女にしては珍しく怒っているようだった。だが、彼はいつものように平然と言葉を紡いだ。


「気にすることはない。あれはランク3の獣だ。街に出たとしても、数時間暴れれば力尽きる。その際、何人かが犠牲になる可能性があるというだけだ」


「私たちが逃げたら、あれが街に出ていくってこと……?」


「それは月比古次第だ。まあ、あの男の性格なら、それをやってもおかしくないな」




 それを聞き、早苗が語気を強めた。


「そんなの、逃げ出せるわけないじゃない」


「おい、早苗……」


「大丈夫か?」と夏樹が聞く前に、早苗がその傷ついた右手でカードを手に取った。


「やるよ、夏樹ちゃん。まだ魔法は残ってる……!」


「ええ!? 逃げようよ! 早苗、ケガしてるし、第一、敵うわけないし!」


「それは駄目! 私たちが逃げることで、誰かが傷つくなら、それは絶対にやっちゃいけないの!!」




 二人は校舎を出て、校庭へ駆け出した。その中ほどまで進むと、振り返り、再びカードを両手で掲げた。夏樹が声を荒げる。


「クッソ……。最後の一枚まで使い切ったら、すぐ逃げるからな!! “それは水、それは力――”」


 早苗もまた、詠唱を始めた。右手の出血は、いつしか止まっていた。


「“その力、炎となって彼の者を焼き尽くせ――”」




「あぁ? まだやる気か? 諦めの悪いガキどもだな」


 校舎を出た男が、溜息を吐き、ぽりぽりと頭を掻く。そして、一度だけ首を鳴らすと、傍らの魔獣に告げた。


「――じゃあ、手加減なしだ。やっちまえ」


 命を受けた魔獣が、少女らを目掛けて勢いよく飛び出した。




「“あらゆる不浄を流しつくし、その地を我がものとせん――ウォーターショットぉ!!!”」


 すかさず夏樹が水の鞭を繰り出した。だが、それは魔獣を一瞬怯ませただけで、その表皮を傷つけるまで至らない。男が余裕の表情を浮かべて笑った。


「はっ、やっぱよえぇな。防御魔法ガードがなくてもこんなもんか」


「くっそ! 全然効かねぇ!! やっぱ逃げるしか……」


 夏樹のカードは残り一枚になっていた。それを手に取り、最後の魔法を唱えようとしたその横で、早苗の詠唱が完了した。

 

「“躯は灰に、灰は躯に――ファイアボール!!!!”」


 火球が飛び出し、魔獣へと向かっていく。それを見た男は、口元に笑みを浮かべた。その威力は先刻見たものに毛が生えた程度だ。それは恐らく、彼の魔獣には火傷一つ負わせられないだろう。




 だが、その時だった――。


 轟音と共に、魔獣の身体が炎に包まれた。巨大な火柱が巻き起こる。悲鳴すら上げることなく、魔獣の姿はその中に灰となって消えた。


 突然の逆転劇に男は笑みを失った。そして驚愕の声を上げた。


「何ィ!!???」


 その火柱は、さらにその威力を高めていく。それは最終的に、三階建ての校舎を超える高さまで到達し、そして静かに消えた。夏樹は、顔にあたる熱風に眉をひそめながらも、その様子を呆然と見守り、思わず呟いた。


「すげえ……」


 火柱の消えた後、そこには黒い焦げ跡が残るのみだった。魔獣はそのむくろすら晒すことなく、短い一生を終えたのだ。


「お、俺の魔獣が……?」


 信じられない光景を目にし、男は膝から崩れ落ちた。また、早苗も驚きを隠せずにへたりこんでいた。


「ふわあ……」


「すげぇ、すげぇよ早苗! 一体何やったらそんなすげぇの撃てるんだよ!?」


 夏樹が歓喜の声を上げて早苗に駆け寄った。すると、クロウが口を開いた。


「今のは、レベル2の“フレイムピラー”だ。上月の魔法ではない」


「え……?」


 夏樹が耳を疑うと、早苗もまた静かに口を開いた。


「うん、今のは私のじゃない……。別の誰かのだよ……」


「別のって……?」


 クロウが校舎を一瞥し、二人に言った。


「屋上を見たまえ」




 二人が校舎の屋上に視線を移すと、そこには一つの影が見えた。その距離が離れていたため、良く見えなかったが、その影もまた二人同様にゴシック調のドレスを身に着けているようだった。上空のスフィアの白光に照らされ、彼女の身体もまた輝いているように見えた。早苗が呟く。


「誰……?」


「三浦だ。先ほどの提案を撤回しよう。彼女が来ればもう撤退の必要はない」


「いや、だから誰だよ、その三浦って?」


 夏樹が問いかける。クロウはまた淡々と答えを返した。


「魔法少女の完成形だ。二人とも、あの姿を目に焼き付けろ」




 屋上の存在に気付いたのは、少女たちだけではなかった。校庭で呆然としていた金髪の男――本名、いぬい 月比古つきひこ、そして“ランディ=マルディ”と名乗った男――もまた、彼女の存在に気付いたのだ。そして、その名を呼んだ。


「み、三浦みうら 弥生やよいっ……!!」


 屋上の女性もまた、彼の名を呼んだ。怒りと、憎しみを込めて。


「……ランディ。やっぱり貴様か……」


 その修羅のごとき表情を見て、男は慌てた。思わず早口になる。


「ち、違う! 違うぞ!! 今夜は、その……、お前が来るとは思ってなくて……」


 そんな彼の言葉に耳を貸すこともなく、彼女は強い口調で問いかけた。


「今は何時だ!? 答えろ、ランディ」


「く、九時です……」


 男が蚊の鳴くような声で答えると、彼女は腕を組み、一度だけ笑顔を見せた。


「そうだなあ。九時だなあ」


 そして、すぐさまその顔から笑みが消えた。さらに語気を強めて男を責める。


「――どういうつもりだ?」



 

「い、いや、忘れてたわけじゃないんだ……」


 いつの間にか、男は正座していた。許しを乞うためには欠かせない姿勢だ。彼女はさらに問いかける。


「あたしの仕事が終わるのは、……何時だったっけ?」


「き、今日は仕事だったのか? 知らなかったんだよ、そう、知らなかったんだ」


 男が早口でまくしたてると、彼女は渾身の怒りと共に叫んだ。


「――何時だったっけ!?」


「じ、十時ですっ!」


 男が上官に怒鳴られた新兵のように、その背中を屹立して答えた。弥生がすかさず解答を伝える。


「違う!!」


「え、十時では……!?」


「今日はあのクソ主任のせいで、そしてアンタのせいで残業確定だ!! 十一時に終わればマシな方だ!!」




 それを聞いて、思わず夏樹が呟いた。


「知らんがな……」


「なんの話だろ? なんか、すごいねー」


 早苗は唖然としながらも、素直に感想を述べた。クロウが二人に語り掛ける。


「今夜は一際機嫌が悪いな。二人とも、少し下がった方がいい」




「前にも言ったはずだよな……? あたしの仕事の邪魔すんなって。せめて十時まで大人しくしてろってなあ……?」


 男の目に涙が浮かぶ。彼にできるのは、目の前の怒れる女に対し、ただひたすら許しを乞うことだけだ。


「ま、待て、それは謝る! すまなかった! ほら、知らない魔力が二つもあったもんだからさ……」


「そんなん、あたしが知るか!!」


 彼女の怒号が飛ぶ。


「ほ、ほら、魔獣も弱いのしか作らなかったし……」


 まだ言い訳を続けるランディを、彼女がぎろりと睨みつけた。


「お前、舐めてるのか?」


「え……?」


「お前、あたしを舐めてるんだろう?」


「ち、違っ! そんなことはない! そんなことはないぞ!」




 ついに男は泣き出した。それを見て、早苗が夏樹に話しかける。


「な、なんかよく分かんないけど、すごいね……」


「こえーよ、マジこえー。何だよ、あのねえちゃん……」


 二人はあんぐりと口を開け、その一部始終を見守った。




 女はひとつ溜息を吐き、その左手を掲げた。無数のカードが彼女の周囲に現れる。その数は数千枚、いや、万を超えるだろうか。そしてその中から、虹色に輝くカードを乱暴に手に取ると、彼女はゆっくりとそれを読み上げ始めた。


「――”は宇宙の始まりなり”」


「げ、それは、まさか……!?」


 数年ぶりに聞いた詠唱文を耳にし、男の額に一筋の汗が流れる。彼女の詠唱はさらに続く。


「“闇を切り裂く輝きは、全てを開き、全てを終わらせる――”」


「ま、待て! 謝る! 謝るから!!」


 男の必死に懇願に対し、彼女は一言だけ返した。 


「もう遅い……。”創造と共にある滅びを、その身に宿せ”――」




 弥生の手元の虹色のカードの輝きが、徐々に強まっていく。クロウは、それを見て口を開いた。


「ふむ、極大魔法レベル5か。上月、宇野葉、運が良かったな。珍しいものが見れるぞ」




 その魔力が最大まで高まると、彼女は冷たい目で男を一瞥し、そして言った。


「――消えろ」


 強い閃光と共に、呪文が解き放たれる。


「――“ノヴァ=ストライク”!!」




 スフィアとはまた異質の、巨大な光球が彼女の頭上に現れる。彼女がその手を振り下ろすと、その恐るべき規模の破壊を内包した超新星の光は、一直線に男に向かって突き進んだ。


「が、防御魔法ガードを……」


 男は防壁を張る。だが、それは彼女の本気の高位魔法を食い止めるには、まるで役に立たないであろうことは明らかだった。眼前に迫る超新星の輝きに、彼は己の辿るであろう運命を悟った。


「――だ、駄目だっ。これは、死ぬ……っ!??」


 そして、彼は叫んだ。


「ミ、ミド! どこにいる!? 俺を助けろ!!」


 直後、彼の身体を光が包んだ。




 閃光と共に、強烈な熱の波が二人の身体を襲った。二人が目を開けると、そこに男の姿は無かった。あったのは、校庭に大きく開いた巨大な穴だけだった。

 直径数十メートルもあろう、そしてその深さは知る由もないほどに黒く深い闇を湛えた穴を目にし、二人は震えた。


「なに、あれ……、魔法なの?」


「こえー、マジこえー。鬼だ、悪魔だ、般若だ、大魔王だ……」


 早苗は腰を抜かして動けない。一方、夏樹は何やら必死に念仏を唱え始めていた。

 そんな二人を他所に、クロウが口を開いた。


「――あれが、三浦 弥生。この地を守る魔法少女だ」

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