第2話 魔法少女を始めよう

 クロウの提案に、早苗と夏樹は目を丸くした。


「えー、と? 魔法?」


「いや、なんか話がよく掴めないんだけど……」


「魔法だ。お前たちに好きに使わせてやると言っているのだ」


 早苗が、目を輝かせて夏樹の手を握った。


「魔法! 魔法だって! 夏樹ちゃん、すごいね!!」


 夏樹はその手を振りほどいて早苗をたしなめた。


「ちょっと待て、冷静になれ早苗」


 夏樹には、まだクロウの存在そのものが信じられなかった。その不信感を叩きつけるように、クロウをビシッと指さして語気を強める。


「契約とか、絶対怪しい! このカラス、絶対何か企んでるってば!!」


「企んでるとは心外だな、宇野葉。それと、クロウだ。」


 彼はその淡々とした語り口を乱すことなく、夏樹の疑念を平然と受け流した。元よりその態度が気に入らない夏樹である。彼女はその黒鳥を睨みつけた。


 睨み合う夏樹とクロウ。――まあ、クロウは夏樹の敵意など何処吹く風で、睨み合ってると思っているのは夏樹だけだったのだが。その険悪な雰囲気に、早苗はただおろおろするばかりだった。




 すると、不意に二人の頭上から声が飛んだ。


「こら!」


 同時に、夏樹の頭にぽんと手が触れた。声の主は、続けて二人を注意した。


「何でこんなところで立ち止まってるの? みんなの邪魔になってるでしょ!?」


 夏樹の頭上の手が、その小さな頭をがっしりと掴んで、そのまま二、三度揺り動かした。突然のことに夏樹は驚き、「わあ、何だ。誰だ。やめろお!」と悲鳴を上げる。

 早苗が振り返ると、そこには薄桜色のスーツに身を包んだ女性が立っていた。その僅かに茶色がかったショートボブの髪がふわりと揺れる。眼鏡越しに早苗と目が合うと、彼女はにこりと微笑んだ。早苗も笑顔で返し、口を開いた。


「あ、渡辺先生。おはようございまーす」


 夏樹も、頭上の手を振り切って背後の人物を確認した。


「ああ、なんだ、先生か。はよございまーす」




 二人の担任でもあるその女性――渡辺わたなべ ふみは、今度は優しく夏樹の頭を撫で、笑顔で挨拶を返した。


「はい、おはようございます」


 そして文が二人に問いかける。


「こんなところで何をしてたの? 貴方たちが校門で立ち止まってたら、みんなが通れないでしょ?」


「い、いやあ、何をしてたと言われても……」 


 まさか「普通の人には見えないカラスと睨み合ってました」なんて言えるわけもなく、何かうまい言い訳はないか、と夏樹が頭をフル回転させていると、そんなことはつゆ知らず、クロウが口を開いた。


「今すぐ答えろとは言うまい。突然契約しろと言われて、戸惑うのは理解できる」


 そう言いながら、クロウがその羽を数度羽ばたかせて飛び上がった。そして、そのまま文の頭の上に飛び乗った。



 早苗と夏樹が「あ」と声を上げる。文はその頭上の存在を気にすることなく、二人を見つめていた。夏樹が問いかける。


「あの、先生、頭の上、どうもないですか?」


「ん? 頭?」


 文が勢いよく頭上を見上げると、クロウが少しバランスを崩してよろけた。文が少し口元を緩めた。


「……どうもないわよ?」


 文が微笑んで答えると、夏樹が早苗の耳元で囁く。


「信じられないけど、あの鳥、やっぱり普通の人には見えてないんだぜ」


「そうなのかなあ……?」


 早苗が首を傾げていると、クロウがその体勢を整えながら、二人に言った。


「校舎の屋上で待っている。夕刻までに返事をくれ」


「屋上で?」


 思わず早苗が呟くと、文がその言葉に反応した。


「屋上? 登りたいの?」


「あ、いや、別にそういうわけじゃあ……」


 夏樹が慌てて両手を振った。文は腰に手を当て、少し強めの語調で言った。


「屋上は立入禁止! 中央階段の一番上までなら行けるけどね」


 それを聞くと、クロウが口を開いた。


「ならば、その中央階段とやらで待っている。検討してくれ」


「あ、はい……」


 早苗が返事をすると、文が二人の背中をぽんと叩いた。


「ほーら、分かったら早く行きなさい! 一時間目は体育でしょ? 早目に着替えないと間に合わないわよ!」


 担任に急かされ、二人は小走りで校舎へと向かう。その中で、早苗は夏樹に声を掛けた。


「ねえ、夏樹ちゃん」


「ん?」


「先生、クロウのこと見えてたんじゃない……?」


「気のせいだろ?」


 走りながら、夏樹がちらりと後を見る。頭上にクロウを乗せたまま、文が二人に手を振った。


「ほら、頭の上に乗られてるのに、全然気にしてないし」


 そして二人は下駄箱のある生徒用の通用口へと入っていった。



* * *



 文は校門に立ったまま、登校する生徒たちと挨拶を交わしていた。彼女の頭上で、不意にクロウが口を開いた。


「彼らは屋上に入れないのだな。教えてくれたことに礼を言う、七村ななむら


 文が生徒たちの様子を見守りながらも、その言葉に小声で応えた。


「スカウトに精が出るのね、クロウ」


 二人が校舎の中に消えたことを確認し、クロウが言葉を続けた。 


「今回は有望だ。二人同時に見つかったのは、三浦と一ノ瀬の時以来だからな」


「私の生徒よ。危ない目に遭わせたら、許さないから」


 笑顔を絶やさずに、しかし静かな怒りを込めて、文が呟いた。クロウが答える。


「それは私が決めることではない」


「……本当、貴方って血も涙もない鳥よね」


「生憎、そのようなものは持ち合わせていない」


 文が頭上の黒鳥に左手を伸ばした。その指先が羽に触れたことを察すると、クロウは飛び上がって校門の門柱へと移動した。文の左手の銀の指輪が冷たく光る。


「そうね。貴方は私たちがどうなろうが、知ったことじゃないものね」


 クロウは少し乱れた羽をついばみ、淡々と言葉を返した。


「心外だな。私は常にお前たちの身を案じている」



* * *



 昼下がり、学校からそう遠くはない場所にあるワンルームマンション。その一室で目覚まし時計が鳴った。布団から手が伸び、そのスイッチに指が触れる。彼女――三浦みうら 弥生やよいは、その文字盤を覗き込んで溜息を吐いた。


「結局、眠れなかったな……」


 そう呟き、彼女はその長い赤髪をかき上げながらベッドから身体を起こした。時刻は午後一時。出勤一時間前だ。


「行きたくないなあ……」


 宙を見上げ、彼女は再び溜息を吐いた。




* * *



「ねえ、どうしようか?」


 夕方の教室。ホームルームが終わるや否や、早苗が夏樹の席に駆け寄って問いかけた。


「あ、何が?」


「……クロウの言ってたこと」


「ああ、あれね」と呟き、夏樹が教室の窓の外を見る。窓の外――校庭には、相変わらず巨大な光球が浮いていた。


「夢だと思いたいけど、まあ、あんなもん見ちゃったらなあ」


 そう言って、夏樹は溜息を吐いた。


「つか、いつまで浮いてるんだよ、あれ」


「ずっとじゃないの? あたしたちの生まれる前からあるんでしょ、あれ」


「ずっとかあ……」


 夏樹は机に突っ伏した。そのまま早苗に愚痴をこぼす。


「今日一日、あれが気になって、気になって、全然授業に身が入らなかったよ」


「あー、それは私も同じかも……。でも、授業はちゃんと聞かなきゃ駄目だよ?」


「早苗は真面目だなあ……」




 夏樹は身体を起こし、両手を上げて一度身体を伸ばした。そして、宙を見上げて呟いた。 


「魔法かあ……」


 早苗が、夏樹の横の席に座って、ゆっくりと語りだした。


「私さあ、幼稚園に通ってたころ、大人になったら魔法が使えるって思ってたことあったんだ」


 夏樹が早苗の顔を見る。早苗は視線を伏したまま、話を続けた。


「誕生日プレゼントでオモチャの魔法ステッキを買ってもらって、それを毎日振れば、いつか魔法が出るんじゃないかって。――そう信じて、毎日ひたすら振り続けてたんだよね」


 そして、早苗は夏樹を見て、恥ずかしそうにはにかんで言った。


「――馬鹿みたいでしょ?」




 夏樹が鼻の頭を掻きながら口を開いた。


「そんなことないよ。私も似たようなことあるし」


 西日が窓から差し込む。夏樹の顔に陽光が当たったせいかもしれないが、彼女の顔は少し紅潮したように見えた。


「弟たちと一緒にヒーロー番組に夢中になってさ。あの頃は、変身ベルトさえあればヒーローになれるって、本気で信じてたなあ。棒切れ振り回して、必殺技とか叫んじゃったりして」


 そこまで言うと、夏樹は照れを隠すように、そのショートヘアの黒髪を指でくるくると絡めとった。そして、いつの間にかしんみりとしてしまった雰囲気を吹き飛ばすように、努めて明るく声を張った。


「でも、魔法かー。本当に使えたらいいよなー」


 すると、早苗がすくっと立ち上がり、夏樹の手を取った。


「よし、夏樹ちゃん、クロウのところに行こう!」




「え、ええっ!?」


 友人の突然の行動に、夏樹は驚愕した。早苗が力強く夏樹の手を引く。


「魔法使いにしてもらうの! 行こうよ!!」


「い、いや、絶対怪しいってば! パンツ見せろとか要求されるんじゃないの!?」


「そうなったら、クロウを魔法でバーンってやっつけちゃえばいいよ!」


「え? え? いや、なんか矛盾してるってば、それ」


 こうなると、早苗を止める術は無い。嫌々ながらも、夏樹は早苗に手を引かれて教室のドアをくぐった。だが、心の中ではどこかでそれを望んでいたのだろう。いつしか夏樹の歩調も駆け足となり、二人は校舎の中央階段へと向かっていった。




 一階の廊下を抜け、中央階段へと差し掛かる。二人は一度だけ顔を見合わせ、そして階段を駆け上がった。すると、二階と三階の間の踊り場で、二人はある女性と鉢合わせた。その女性は、驚いた顔つきで二人を呼び止めた。


「あら、上月さんと宇野葉さん」


「あ、渡辺先生」


 早苗がその女性の名を呼んだ。担任の渡辺 文だ。彼女は軽くおどけて言った。


「屋上かしら? 夕方でも入れないわよ?」


「いやあ、なんか階段を登りたくなっちゃって……」


 夏樹が愛想笑いで誤魔化した。文はにこりと微笑んだ。


「元気ねぇ」


 そう言うと、文の顔から微笑みが消えた。そして、彼女は二人の目をしっかりと見つめて語り掛けた。


「気を付けてね……?」


「は、はい」


 どことなく気圧されたような感じを受けて、二人は何故か済まなそうに頷いた。文は「じゃあね」と一言添えて、階段を降りていった。

 すると、早苗がその背中に声を掛けた。


「あの、先生」


「ん?」


 文が振り返り、小首を傾げる。早苗が問いかけた。


「もしかして、何か見えてませんか……?」


「何かって?」


「んー、例えば、校庭の空とか」


「校庭……?」


 文が腕を組み、考え込むような仕草を見せた。夏樹が小声で早苗を急かすと、早苗は慌てて両手を振った。


「あ、いいんです。忘れてください」


 すると、文はにこりと微笑んで言った。


「そう、あまり遅くまで学校に残っちゃだめよ」


「はい、さようなら、先生」


「ええ、気を付けて帰りなさいね」


 そう言って、踵を返そうとした刹那、文はふと立ち止まり、階段を駆け上がろうとした二人に声を掛けた。




「――上月さん、宇野葉さん」


 名を呼ばれ、立ち止まる二人。文がいつになく真剣な眼差しを向けて、語り掛けた。


「忘れないでね。貴方たちには、誰よりも強い味方がついているわ」


「え?」


 言葉の意味が分からず、戸惑う二人。すると、文はまたにこりと微笑んで、別れの言葉を掛けた。


「何でもないわ。頑張ってね、二人とも」




 中央階段を駆け上がった二人。三階からさらに階段を登った先、屋上へと続く扉の前にクロウは居た。二人がその結論を告げると、クロウはただ淡々と口を開いた。


「よろしい。お前たち二人の意思、受け取った」


 そして、クロウは次なる指示を与えた。


「――今晩八時、校庭まで来たまえ。魔法少女を始めよう」

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