ウナギのジョナサン(寓話?短編)

イベント 第二回「読んだらうなぎへの食欲が減退するナイスな短編で、うなぎを絶滅の危機から救おう!」参加用(『かもめのジョナサン』は読んだはずですが、まったく覚えておりません)


◆初代


 うなぎの名前はジョナサン・リビングストン・イール。世界で一番早く泳ぐウナギになることがうなぎの願いだ。


 ある朝、うなぎは、養育地の仲間うなぎとともに水揚げされた。


 うなぎは蒲焼にされ、人間に食われた。


◆二代目


 省略。


◆三代目


 うなぎの名前は、J・リビングストン・イールズ。


 以下、省略。


◆何代目か


 うなぎの名前は、ジョナサン・リビングストン・イール。世界で一番早く泳ぐために生まれた。


 今日も、天から降ってくる恵みを、心ゆくまで堪能する。体中にたぎるエナジー。今日のうなぎなら、この世界の端から端まで、うなぎよりも早く泳ぐことが出来るに違いない。


「この世界の端から端だって、そんなのはおかしな話さ」


 友達のニールうなぎがひねた口調で言った。


「そうよ、私達うなぎは身体の中に恵みを溜めるためになるべく動かないの、それが努めなのよ」


 彼女のミールうなぎが言った。


 彼女うなぎとは将来を約束した仲だ。将来、と言っても、そんな先のことが分かるわけじゃない。ただ、この世界の片隅で、泥に塗れ、身体と身体を絡み合わせ……。


 気がつくと、ニヤニヤした表情のニールうなぎうなぎを見ていた。


「なあ、おまえうなぎ、またエロいこと考えてただろ」


「もう、不潔」


 腹を立てたミールうなぎがニョロっと遠ざかる。


 ニールうなぎが笑った。


「いい加減にしてくれよ」


「何をだ? この退屈極まりない世界の中で、うなぎに出来るのはお前うなぎを笑うことだけさ」


 皮肉屋のニールうなぎといると頭がおかしくなりそうだ。


 うなぎは目も眩むような速さでもつれ合う仲間うなぎたちから抜け出した。天からの恵みに仲間うなぎが集うこの時間、世界は広々と開放される。その中を存分に泳ぎ回る。


「もっと早く」


 誰かうなぎの声が聞こえた気がした。うなぎの中の誰かうなぎ。まだ、ニールうなぎにもミールうなぎにも教えていない。うなぎだけに聞こえる、この声のこと。



 ◇ ◇ ◇



 外の世界が騒がしくなっていた。夜になる前に訪れる二度目の天の恵みの時間が、今日はまだやって来ない。


「何かを感じるの」


 震えるミールうなぎのなめらかな肌に、そっとやさしく絡みつき、不安をなだめようとする。


「大丈夫だよ」


 強がりだ。うなぎだって不安なのさ。


「おい、深さが変わったぞ」


 ニールうなぎまで変なことを言い出す。


 けれど、確かにうなぎも変化を、水の重さの違いを、頭の奥で感じていた。


「怖い」


 ミールうなぎが強くうなぎに絡みつく。


「大丈夫だよ」


 ミールうなぎの、傷ひとつない、青黒く美しい肌に、前びれで触れる。肌の下の小さな鼓動を感じた。僕らうなぎはみんな生きている。


 次の瞬間、外の世界から聞いたことのない激しい音が聞こえてきた。同時に、世界の表面が、大きく波打つ。世界を満たし僕らうなぎを守ってくれている母なる水が、まるで悪夢のように僕らうなぎを翻弄する。


「助けて!」


「離れるな」


 ミールうなぎを守るのに必死だったうなぎニールうなぎを見失った。けれど、大丈夫。この世界の中にいれば、また出会う。そう、しばしの別れにすぎない。また逢う日まで。


 けれど、うなぎの予想を超える事態が待っていた。


「外の世界が破れた!」


 破滅的な音に続いて、誰かうなぎが叫んだ。


 ずたずたに引き裂かれた外の世界のさらに向こうに、何もかも飲み込むような不気味な暗黒が見える。


「もうダメだ」


 絶望に打ちのめされ、もはや生きる希望を捨てた誰かうなぎの声だった。


 次の瞬間、暗黒から水が降り注いできた。冷たい水が、適温に保たれていた世界を冷やしていく。


「このままでは凍えてしまう」


 為す術は無かった。僕らうなぎはただ、身を寄せ合い、この災厄が終わるのを待つだけだ。


「恐れるな」


 こんな時に。また、うなぎの中の誰かうなぎの声が聞こえる。


 眼の前に、突然、ニールうなぎが現れた。


「心配してたよ!」


 しかし、ニールうなぎは、うなぎの呼びかけには応えず、うつろな目をしている。


「ジョナサン・リビングストン・イール、うなぎは今、お前うなぎの心に直接呼びかけている」


 うなぎの中に響く声は、間違いなく目の前のニールうなぎの声だ。けれど、ニールうなぎは口を開いていない。それどころか、うつろな瞳は、うなぎの姿を捕らえてもいない。


私達うなぎはどこから来たか。そしてどこへ行くのか」


 荒れ狂う水に翻弄されながら、うなぎニールうなぎは、まるで二人うなぎだけの静かな空間に漂っているようですらあった。


私達うなぎはここで生まれたのではない。私達うなぎは、遙か彼方からやってきた」


 ニールうなぎからの声は厳かに続けた。


私達うなぎの記憶はつながっている。ひとつながりワンピースなのだ。私達うなぎは孤独ではない。私達うなぎの存在そのものが、ひとつながりワンピースなのだ」


 裂けた暗闇から落ちてきた水で、世界が溢れ出していた。もはや境界はわからない。


お前うなぎの中にもひとつながりワンピースの記憶はある」


 溢れ出した世界はどこにつながっているというのか。


「探せ。この世の全てをそこにおいてきた」


 天にいかづちとどろき、うなぎは、溢れ出す水とともに、世界養殖池の外へと押し流されていった。



 ◇ ◇ ◇



 うなぎは泥の河で暮らしている。


 ここで暮らし始めてから、長い年月が過ぎた。


 何かを探さなければならないと思いながら生き抜いてきたはずだ。年老いた今、うなぎは、何を探そうとしていたのか、それすら思い出すことができない。何かを探す前に、うなぎには他に生きる目的があった気もする。けれど、それも思い出せない。


 穏やかな泥の河での暮らしは、心地よく、心底、安らぐものだ。これよりも良い暮らしがあったら教えてもらいたい。


「最良のうなぎ生であった」


 うなぎは満足し、もはや望むものなど何もなかった。


 そう、今、この瞬間まで。


お前うなぎの中のひとつながりワンピースの記憶は、どこに行ったのだ」


 うなぎの中から、力強い声が聞こえてきた。


うなぎお前うなぎだ。私達うなぎひとつながりワンピースだ」


 雷に打たれたあの夜の記憶が甦る。あの日、うなぎは溢れ出す水とともに、冷たい水の川まで流された。そこからは無我夢中だった。天からの恵みを失ったうなぎは、生きるためにあらゆるものを食べ、うなぎを捕まえようとする罠や針から逃れ、うなぎを食おうとする敵達をかわし、安住の地を求めた。希望は何度もついえた。そのたびに私はまた、新たな天地へと旅に出る。どれだけそんな旅を繰り返したことだろう。やがて私は素晴らしい場所を見つけた。針を垂れる釣り人はおらず、罠を仕掛ける漁師もいない。天敵の大型魚や鳥たちの姿も見かけない。それでいて、餌は豊富にあり、水の流れは穏やかで豊か。夏の日差しは木々に遮られ、水温の安定した湧水が冬の厳しさから守ってくれる。


 約束の地に、うなぎはたどり着いたのだ。


「この世のすべてがそこにあるのか」


 心の中の声がうなぎに問うていた。


お前うなぎの中のひとつながりワンピースの記憶は、そこを安住の地としているか」


 今の今まで、ひとつながりワンピースの記憶のことなど忘れていた。


お前うなぎの名前はなんだ」


うなぎの名前は、ジョナサン・リビングストン・イール、世界で一番早く泳ぐために生まれた」


 言葉のひとつひとつを噛み締めながら、うなぎは失われた何かを取り戻そうとしていた。


「大丈夫だ。お前うなぎは既に取り戻している」


 うなぎが取るべき道はひとつ。それは、うなぎが生まれた時から決まっていたことだ。


 心の中の声は聞こえなかった。が、何かを成就した安堵の念が、うなぎを満たしていた。


「まだ早い」


 そう、安堵するのはまだ早い。


 うなぎは、身体に馴染んだ寝床からスルリと抜け出した。老いていたはずの身体は若さを取り戻し、力と自信に満ちている。


 まだ見ぬ遙か南の深海、私達うなぎの誕生の海へ。


 うなぎの旅が始まった。


 完

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