第68回にごたん参加 星の河を超える

星の河を超える(SF短編)

第68回にごたん参加

お題:【100円ショップ】【学園祭】【キャンプファイヤー】【ラーメン】




 この川を渡るのは、十年前の学生の頃以来だ。


「懐かしい」


 助手席のMが言った。彼女は急いで窓を開ける。車内に吹き込んできた風が、しっかりと整えてきた髪をぐちゃぐちゃにする。と、同時に、さっきまで空間を満たしていた上品な香り、高級な香水なんだろう、それを吹き飛ばす。


「気持ちいい」


 全開にした窓からの空気を受けながら、彼女は乱れた髪を掻き上げた。額が出ている。


 そう、そのほうが学生の頃みたいだ。あの頃はずっと短い髪型で、化粧もしていなかった。香水なんかも付けていなかった。


「覚えてる?」


 彼女は窓の外を見ていた。


「学園祭の前の日に、何か足りなくて、皆で100円ショップに買い出しに行ったよね」


 風に負けないよう、彼女の声は大きかった。


「この橋、車で渡って」


「運転してた、オレ」


 忘れるはずがない。


「免許持ってるのキミだけだったよね」


「車もな」


 親が大学進学祝いに買ってくれたクルマ。卒業してすぐに手放した。


「実行委員の皆で」


「ああ、皆で」


 今も忘れない。学園祭の実行委員会、学生時代の一番の思い出かもしれない。


「Sクン、いっつもこの橋の構造の話してたよね。ラーメン構造」


 彼女は小さく笑った。


「Sクン、どうなったか知ってる?」


「ベトナムかどっかでODA絡みの現場にいるんじゃなかったっけ」


「今は、アゼルバイジャンで、インフラの整備」


「そうか」


「メール送ったけど、どうしても来れないって」


 彼女はまた髪の毛を掻き上げた。


「キャンプファイヤーの着火剤を買いに行ったの。Gクンがどうしても要るからって言うから」


「そういえば、そうだった」


「Gクン、言い出すと聞かないから」


「その通りだ」


「そのあと、皆でラーメン食べに行ったよね」


「Sが、ラーメンラーメン言うから」


 返事が無かった。


 横顔の彼女は泣いていた。


「Gクン、最後まで頑張ったんだよね、きっと」


 返事を返せなかった。


 初めて木星に旅立った人類の宇宙飛行は悲劇に終わった。帰還途中の火星でのスイングバイの失敗は、誰も予想していなかったはずだ。クルーは諦めなかった。クルーのひとりであったGも。


 地上のスタッフとクルーは、宇宙船を太陽の周回軌道に乗せることにまで成功した。地球への帰還は叶わない。惑星の軌跡を描きながら、やがて生命維持装置の限界を迎えた宇宙船は沈黙した。


 日本だけではなく、世界中を揺るがせた大ニュースの後、国土交通省で働く彼女からのメールと、大学からのメールが届いた。大学出身の宇宙飛行士であるGの功績を讃えたメモリアル・セレモニーが開催される。


 彼女は鼻をすすった。


「私、Gクンのこと、好きだった」


 そんなこと、みんな知ってた。


「でも、言えなかった」


 だったらなおさら、今さらそんなこと言うな。


 橋が終わる。彼女は窓を締めた。


 そして、髪を整えた。


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