第57回にごたん参加 給湯室の三ツ星シェフ
給湯室の三ツ星シェフ(現代ドラマ短編)
第57回にごたん参加
使ったお題:【サマー・バケーション】【ライブ】【飯テロ】【魔導書】
バリ島と東京の時差は一時間。
給湯室の電子レンジで作った簡単料理の動画をYouTubeに公開しているのが先輩のS子にバレたのは5月の連休明け。それ以来、面白がったS子からのリクエストでT男の作る料理はエスカレートしつつあった。
「センパ~イ、見えてますかア~」
今回は早めの夏季休暇でバリ島に旅行中のS子に向けて給湯室からの初ライブ。作るのは、鶏肉と温野菜のサラダ、トマトスライス塩麹、トマトと豆乳の呉汁風味噌汁。糖質制限のために始めた給湯室料理なので米もパンも使っていない。しかし、三時の休憩についつい菓子パンを食べてしまうのでT男のダイエットは今のところ成功していない。
まな板の上には冷蔵庫から取り出した食材が並んでいた。
「今朝スーパーで買ってきた鶏肉、あ、これ、唐揚げ用に既に切ってあるやつです。これと、冷凍の洋風野菜ミックス」
会社の冷蔵庫に鶏肉とか冷凍野菜とかドン引きぃー、などと言っているS子の声がスマホから聞こえる。それにはまったく応えずにT男は続ける。
「それと、トマト。どうですか、このトマト、会社の屋上のプランターで育てたんですよぉ~、美味しそうでしょ~」
いつの間にそんなものを、スマホからS子の驚く声が聞こえてくる。それにもT男はかまわない。
「で、今日の味付けのポイントはこの塩麹。美味しいですよね、塩麹。本当は鶏肉を漬け込んで照り焼きとかたまらないんですけど、給湯室だとフライパンはちょっとねえ。家では作りますよ、照り焼き。ああ、今夜は照り焼きにしようかなあ」
こっちじゃ照り焼きなんか食えないんだよ、S子が笑っていた。
「トマトはね、スライスした一部はカップに入れて、豆乳とお味噌とこの昆布茶で、お味噌汁にしますね。お楽しみに」
なにがお楽しみにだあー。
「さあ、お皿に洋風野菜ミックスを乗せましょう。こう、バラバラバラーっと結構大胆にね。このね、ブロッコリーとヤングコーンがね、レンジでチンしただけでも美味しいんですよ。ああ、家で作るならマッシュルームも入れるんだけどなあ。マッシュルームスライスして散らすんですよ。あと、パセリ。パセリをたっぷりね。まあ、でも、会社でそこまでは、さすがに、ねえ。で、ここに鶏肉をガンガンと乗せます。で、クレイジーソルトと胡椒を振って、オリーブオイルをたっぷりかけて、軽めにラップをしたらレンジに入れて、500Wで3分。今日のね、メインディッシュなんですけどね、簡単ですよねえ」
なんで会社にクレイジーソルトとかオリーブオイルあるんだぁ―、そして、既にうまそーだー。
「さて、この間に、トマト、スライスしちゃいますね。トントントンっと。ほら、このナイフ、見て見て見て見て、包丁の重さだけですよ、包丁の重さだけでトマトがこんなに、ほらほらほらスライスできちゃう」
おまえは実演販売のオヤジかあー。
「さあ、スライスしたトマトはこのお皿に乗せて。ちょっと斜めに傾けるとオシャレですよね」
シャレオツか―。
「そこに、これ。出ました、塩麹。発酵食品ですよ。最近はこんなパッケージでね、売ってるんですよ。便利ですよね。やさしいお味で何にでも使えるんですよ、塩麹。お肉一時間ぐらい漬け込んで焼くと美味しいですよー」
それはさっき言っただろー。
「でね、フライパンは使えないから、今回はこの塩麹をスライスしたトマトに乗せちゃいます。塩麹の甘みがトマトと合うんですよ。お好みでオリーブオイルもどうぞ。これもパセリ合うんですよ。ああ、今度小さいビンのパセリも買ってこようっと」
会社にパセリも置くのかー。
「と、レンジが終わる前にお味噌汁、準備しますね。トマトスライスの端っこを刻んじゃいます。で、カップに入れて、そこにお味噌と粉末の昆布茶、お水じゃなくて豆乳。あ、豆乳は最初はカップの1/3ぐらいまでにしておいてください。豆乳とお味噌、ダブルでイソフラボンなんで、女性には特にオススメですよー」
おまえはどこをめざしてるんだー。
「ちょうどいいタイミングでレンジが完了。取り出しますねー。熱いから気をつけてください。さ、このチキンと温野菜はラップをしたままで、お味噌汁のカップをレンジに入れましょう。500Wでまず30秒」
早くしろよー。
「そうしたら、レンジからカップを取り出して熱くなった豆乳にお味噌を溶かします。箸でガガッと混ぜてください。さあ、混ぜたらそこにさらに豆乳を投入。すみません、駄洒落です。でも、豆乳、一気に加熱すると表面に膜ができるんですよ。湯葉ですね。で、それを避けるのに、こうして分けて温めるのはけっこう効果的なんですよ。さあ、じゃあ、さらに30秒いっちゃいましょう」
ああー腹減ったぁー。
「さあさあ、呉汁風トマトのお味噌汁、どうでしょう。熱いのがお好みの方はここで様子見ながらもう少し温めてもいいですよ」
熱々がいいー。
「さあ、少し蒸らしておいたチキンもいい感じですね。ラップを取って。これで本日の簡単料理、出来上がりです」
バリ島から拍手ぅー。
T男は三脚に据えたスマホのカメラをオフにしてライブ放送を終えた
「先輩、今日の料理はどうでした?」
「ま、給湯室でならこんなもんじゃないの」
「チキンとトマトでってことだったんでこんな感じにしましたけど」
「んー、トマトは焼いたのも欲しかったかな」
「焼くのは勘弁してくださいよ」
「えー、だって牛タン焼いてたじゃん」
給湯室の料理がS子にバレたのは牛タンを網で焼いた匂いのせいだった。
「もう二度としません」
「あれは確かにね」
S子は笑っていた。
「先輩、バリ島、どうですか」
「タリ・ジャワってわかる?」
「あ、はい、ジャワの民族舞踏ですよね」
「そうそう、ワタシ、学生の頃からやってるんだけど、それの合宿みたいなもんだから」
「そうだったんですか」
若い男を漁りに行ってるのかと思ったとは言えなかった。
「あ、若い男漁りに来てるとか思ってた?」
「いえいえ」
鋭い。
「それより、先輩、来週のコンペの資料なんですけど」
「ああ、あれは魔導書見てよ」
「ですよね」
社内で代々受け継がれるコンペの必勝対策、通称「魔導書」は、新人のT男には残念ながら読み解けなかった。
沈んだ声の調子が伝わったらしい。
「わかった。あとでメール送っとく。て言っても夜中になるけど」
「先輩、あざーす」
電話の向こうでS子が笑っていた。
「T男くん、帰ったらさ、ワタシにもなんか作ってよ」
「あ、いいっすよ。お昼ですよね」
「違うわよ、ワタシん家で」
「先輩、それは」
T男は耳まで赤くなった。
「なに想像してんのよぉ。タリ・ジャワの皆も一緒。皆、このライブ見てたから」
「え?」
「T男くんさん、初めまして。チキンと温野菜、美味しそう。きしめんが絶品らしいってS子に聞いたけど、よろしく」
「T男くんさん、私も初めまして。私はズッキーニとベーコンのサラダ、お願いします。あと、生ハムとマンゴーとクリームチーズのサラダ」
次々と出されるリクエストにT男はハイハイと返事を返すしかなかった。
「じゃ、来週帰るから、よろしくね。メール、忘れてないから安心して」
声がS子に戻った。
「あ、はい。わかりました」
「それと」と言うS子の声がちょっと小さくなった。
「今日のお昼、せっかく作ったのに冷めてない? ごめんね」
「あ、大丈夫です」
「帰ったらご馳走する。そん時はふたりで」
さらに小さい声でS子が言った。
「あ、はい」
T男の耳がますます赤く染まった。
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