第16話 転機

「千歳ー!」

 私を呼ぶ声が次第に近付いて来る。自分の名前と合わさるように、自転車を漕ぐ音が聞こえている。振り返り、閉じられた本堂扉を見つめた。

 「千歳ー! どこだー!」

 耳を澄ませると、その声がはっきりと聞き取れた。姉がこちらに近付いて来ていることを知る。

 「お姉ちゃん!」

 恐怖心を跳ね返すつもりで私も大声を出した。その直後ガシャンと自転車の倒れる音が聞こえ、本堂扉が勢い良く開いた。荒い呼吸を繰り返している姉の髪は汗を浮かべた額や首筋に張り付き、制服も乱れていた。

 「おい、千歳から離れろ!」

 私の腕を掴むカラキさんに向かって姉が叫ぶ。私は安堵して泣きたい気持ちに駆られた。

 (ここで泣く訳にはいかない)

 私はぐっとその気持ちを抑えた。

 姉の手にはどこから拾ってきたのか、角材のようなものが握られていた。姉はその角材を構えると、こちらに向かって来た。

 ふいにカラキさんはは私の腕を離し、姉が振り下ろした角材をすんなりとかわしした。彼の顔には笑みが浮かぶ。

 姉が何歩か後ずさり、私を庇うように前に立つと、カラキさんを睨み付けたまま言った。

 「お前、警察に突き出してやるからな。覚悟しろよ」

 再び角材を持ち直して構えた。

 「あーあ、もう少しだったのになぁ。ねぇ、双葉ちゃんも千歳ちゃんと同じように感じるのかな?」

 「感じるって何をだ? お前には胸糞悪さしか感じねぇよ」

 吐き捨てるように言う姉を見て、カラキさんは更に口角を上げた。楽しくて仕方がないとでもいうように。

 「やっぱり君たちは正反対だね。この香りに反応したのは、千歳ちゃんだけみたいだ」

 その言葉に姉ははっとした顔で、

 「香り……? さっき千歳が言ってたやつか」

 私は呟いた姉の制服の裾を引っ張った。

 「お姉ちゃん。カラキさん、多分人間じゃない」

 消え入りそうな声で必死に訴えたが、姉は振り返るとはっきりとそれを否定した。

 「なに馬鹿なこと言ってんだよ! どう見ても人間じゃん。警察だって今こっちに向かってるんだ。すぐに捕まる」

 「でも、人間じゃないの」

 私の呟く声は聞こえなかったらしく、前にいるカラキさんに視線を戻すと、彼を睨み付けまま私に言った。

 「千歳、瑞来ちゃん起こしてこっちに連れて来て」

 言い終えると、再び彼に向かって駆け出した。

 私はもたつきながら、瑞来ちゃんの傍に駆け寄った。

「瑞来ちゃん! 瑞来ちゃん、起きて」

 瑞来ちゃんの身体を揺すって起こす。

 姉の方に視線を向けると、カラキさんに向かって角材を振り下ろしていたが、一向に当たらない。

 「千歳ちゃん?」

 名前を呼ばれ瑞来ちゃんに顔を向けると、まだ意識がはっきりしないまま、

 「どうしてここにいるの?」と尋ねられた。身体を起こすのを手伝いながら私は、

 「瑞来ちゃん、良かった」

 瑞来ちゃんの身体を抱き締めると、彼女は申し訳なさそうに、「心配かけてごめんね」と小さく呟いた。

 同じように私の身体を抱き締める。

 「ちくしょう、離せ!」

 姉の声のする方を振り返ると、姉はカラキさんに両腕を掴まれ、身動きが取れなくなっていた。足もとに角材が落ちている。

「駄目だよ、そんなもの振り回しちゃ」

 「お姉さん!」

 瑞来ちゃんが駆け寄ろうとするのを、腕を掴んで止めた。

 (どうしよう、何かあれば……。そうだ)

 私は瑞来ちゃんに顔を向けて、

 「瑞来ちゃんお願い、スマホ貸して」

 瑞来ちゃんが頷き、スマートフォンを渡してくれた。私は受け取ったスマートフォンのディスプレイの明かりで辺りを照らし始めた。

 「どうするの?」

 「何か武器になるようなものがないかと思って」

 ディスプレイの明かりに照らされる本堂の床に懸命に目を凝らしていると、角ばった塊が目に入った。

 よく照らしてみると、それは二十センチ程の長さの柱の一部だった。屋根を支えていた柱の一部だろうか、周りには瓦が割れて散らばっていた。

 私はカラキさんに視線を戻す。彼は姉に何か話しかけており、こちらは見ていなかった。

 私はそれを無理やりカバンの中に押し込んでから、立ち上がった。

 

  

 

 

 

 


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