第13話 居場所

 アパートの玄関を開けると、一足ローファーが転がっていた。それを見て、姉が帰って来ているのが分かった。

私はローファーを脱ぎ、もたつく足で居間に向かう。居間の扉を開けると、案の定姉がいて、制服を着たままソファーの上で胡坐をかいてアイスを食べていた。手には何かプリントを持っていて、眉間に皺を寄せたままそれを睨んでいる。

 姉を見た瞬間、何故かとても安心感を覚えて泣きそうになった。そのまま姉を凝視していると、私の視線に気付いたのか、こちらを振り返ると短い悲鳴をあげた。

 「びっくりした! あれ? あんた何で今日早いの?」

 「ちょっと体調悪くて、早退してきた」

 「あんた顔色悪いじゃん。大丈夫? 早く寝た方が良いよ」

 姉はそう言ってプリントを目の前のテーブルの上に置いた。

 「今日、白木先生学校に来なかったの」

 私がぽつりと呟くと、姉は再び驚いた顔をこちらに向けた。何を言うでもなく、黙って私の言葉を待っている。

 「四時間目の授業が終わった後、先生たちが白木先生と連絡が取れないって話しているのを聞いたの。警察の人の話だと、部屋で倒れていた先生を見つけたって。意識はあるけど、病院で診察受けるみたい。部屋も荒らされた形跡は無かったって言ってた」

 「先生って一人暮らし?」

 「うん、先生別の県から赴任して来たから、一人暮らしのはず」

 姉はテーブルの上に置いてあるテレビのリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を入れた。

 丁度ワイドショーの時間帯らしく、猪が再び畑を荒らした出来事をスタジオにいた女性のアナウンサーが伝えているところだった。姉はニュースを少し聞いてはチャンネルを次々に変えていった。だが、どのチャンネルに合わせても白木先生についての事件は取り上げていなかった。

 「やっぱり別れ話で揉めたのかな?」

 姉の背中に声を掛けると、テレビの画面を見たまま姉が、

 「別れ話以外にないだろ、絶対。同じアパートの人気付かなかったのかよ。普通揉めてれば気付くだろ? 物音だってするしさ」

 「うん、そうだね」

 「まあ、殺されなかっただけ良かったよな」と姉は返した。

 私はもう一つ気になっていることを口にした。

 「それから、瑞来ちゃんと連絡が取れないの」

 テレビ画面を凝視していた姉の身体が、びくりと震えた。それからゆっくり私の方を振り返ってから、乾いた声で、

 「いつから電話繋がらないんだよ?」

 呟いた姉の顔は強張っていた。

 「昨日から連絡が取れないって友達が言ってた。担任の先生が腹痛で休むって連絡があったって話していたけど、ぜぅたい腹痛じゃないと思う。私も何度も友達のスマホで電話掛けたけど、繋がらなくて」

 姉は黙ったまま私の話を聴いていた。

 「クラスの女子たちもそうだったけど、瑞来ちゃんもあの人にすごく興味持ってた。あの人何か怖いの。瑞来ちゃん、あの人に関わっているんじゃないかって」

 私の声はいつの間にか涙声になっていた。視界もだんだんぼやけてきて、心配そうにこちらを見つめる姉の顔が次第に歪んでいった。自分の発する声が、嗚咽混じりに弱々しくなっていくのが分かる。

 「それから、カラキさんが傍にいる時、甘い香りがするの。香水でも柔軟剤でもない香り」

 「甘い香り?」

「お姉ちゃん嗅いだことない?」

「いや、あたしはない」

 少しの間沈黙があった。電話の鳴る音で我に返る。電話が鳴っている方に視線を走らせると、家の固定電話が音を響かせている。

 私は慌てて電話に出た。 

 「もしもし、瑞来ちゃん?」

 「やあ、千歳ちゃん。さっきはどうも。今授業中だと思ったんだけど、家に帰ってたんだね?」

 電話越しの声は瑞来ちゃんではなく、カラキさんだった。彼女が私の家の電話番号を知っているので、てっきり瑞来ちゃんなのだと思っていた。何故カラキさんがうちに電話を掛けているのか、何故彼が私の家の電話番号を知っているのか、理解出来なかった。

 横で姉が「電話の相手、瑞来ちゃんか?」と聞いてきたが、、それには答えなかった。私が放心していると、カラキさんは楽しそうに話しを続けた。

 「千歳ちゃん、今話しているのが瑞来ちゃんでじゃなくて、どうして僕なのかって思っているでしょ?」

 図星だ。心の中の頭の中も全てを彼に覗かれているようで、気味が悪かった。

 「あなたは今どこにいるんですか? 瑞来ちゃんもいるんでしょう? 今だって瑞来ちゃんのスマホで電話してるんですよね? 白木先生は……」

 「ちょっと待って。そんなにいっぺんに聞かれても答えられないよ。まず、瑞来ちゃんは僕と一緒にいる。彼女、今眠っているんだ。だから心配ないよ。それから、スマートフォンは勝手に拝借した」

 彼は一旦間を置いてから、呟いた。

「それで僕たちのいる場所なんだけど」

 カラキさんの声を一つも聞き漏らすまいと、困惑する頭を動かし、集中して聞いていると、突然姉が捥ぎ取るようにして私の手から受話器を奪った。電話口に向かって早口で、

 「もしもし、瑞来ちゃん? 今どこにいるの? 電話繋がんないって千歳が言ってて」

 「N寺だよ。ここから一時間はかからないと思うけど」

 「は? 何?」

 「そこにいるよ。瑞来ちゃんも」

 「お前、カラキチカゲか? ふざけんな! ……あいつ、切りやがった」

 姉の持つ受話器からはツーツーという音だけが聞こえていた。スマートフォンを私に返してから、

 「少し距離があるけど警察を呼べば……」

 姉が呟いた言葉を無視して、カバンを掴むと、私は居間を飛び出した。

 

 

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