第10話 不安
翌日、私は一人で通学路を歩いていた。いつもなら瑞来ちゃんととっくに合流している頃だが、瑞来ちゃんの姿は見えない。いずれ来るだろうとそのまま歩いていると、丁度カラキさんが車から降りてくるところだった。車は真っ黒なワゴン車だった。
私は顔を伏せ、気付かない振りをして通り過ぎようと考えたが、カラキさんは私に気付いて手を振りながら、
「千歳ちゃん、おはよう。今日は瑞来ちゃん一緒じゃないの?」
声を掛けられた瞬間、私の身体は電池が切れてしまったおもちゃのように動きを止めた。伏せていた顔をなんとかあげると、相変わらずの笑顔が視界に入る。
私は反射的にその笑顔から目を逸らして覇気のない声で、
「今朝はまだ見ていません。もしかしたら、遅れて来るのかも」
そう答えると、カラキさんは納得したように頷いた。
「そうなんだ。じゃあ、気を付けてね」
「カラキさん、昨日スーパーの前であなたに会った時、姉のことを昔見た女の子に似ているって言っていましたよね? その人って女子高に通っていた人じゃないですか? ブレザーの制服の」
聞こうかどうか迷ったが、思い切って訊ねた。カラキさんは少し考えるように黙り込んだ。間を置いてから、
「制服は着ていたと思うんだけど、女子高だったかどうかまでは記憶にないな」
答えは大体予想通りだ。ただでさえ、何人もの女の子(あるいは女の人)に話しかけているのだから、いちいちそんなことまでは覚えていないだろう。
気になったのは、何故彼が高校生の頃の母と接触しているのかだ。当時の母と面識があるのはどう考えてもおかしい。どう見ても二十代にしか見えないカラキさんと、四十代半ばである母とでは年齢が全く合わない。
「そうですか。それでは」
私は考えるのをやめた。いくら考えたところで答えなど出て来ない。気味の悪さが自分を埋め尽くしていくだけのような気がした。
その場を去ろうとすると、カラキさんが急に私を呼び止めた。
「もう一つ聞きたいことがあるんだ」
「どんなことですか?」
私は無表情のまま、カラキさんを振り返った。
「君が話していた甘い香りって今もする?」
「いえ、しませんけど」
「そっか、じゃあ、気を付けて」
彼は笑顔のまま手をあげた。私は無視して歩き出した。背を向けた直後、またあの香りが私の鼻孔を掠めた。
(今までしなかったのに……)
この甘い香りを感じる度に、胸がざわつく。まるで得体の知れない何かが自分を逃すまいとしているような、それに包まれたら一生逃げられないのではないか。そんな感覚を覚えてしまう。
私は恐怖を振り払うように首を横に振った。たった今嗅いだこの香りは、気のせいか、いつもよりきつく感じられた。
学校に着き、教室に入ると、沙織と直美が窓際で何やら話しているのが視界に入った。
私はスクールバッグを自分の机の上に置くと、二人の傍へ駆け寄った。何故だか二人とも不安げな顔をこちらに向けている。
「千歳、瑞来と一緒じゃなかったの?」
沙織が尋ねた。右手にはスマートフォンを握りしめている。私が首を横に振ると、二人は不安そうな顔を見合わせた。
「昨日の夜、瑞来に電話したの。でも繋がらなくて。何回かけても繋がらないの。千歳いつも瑞来と一緒に来るから何か知ってると思ったんだけど」
沙織がスマートフォンの画面に視線を落としながら呟く。続いて、
「私もさっきそれを聞いて、沙織からスマホ借りて電話したんだよ。でも、やっぱり出ないんだよね」
直美も心配そうに話した。
私(と直美)はスマートフォンを持っていない。直美のスマートフォンを借りて瑞来ちゃんへ電話をかける。けれど、瑞来ちゃんのスマートフォンは一向にコール音が鳴っているだけで、出る気配はない。私は仕方なく電話を切った。その時、丁度予冷が鳴った。担任の足音が聞こえてくる。私は自分の席に着いてから、後ろの瑞来ちゃんの席を振り返った。何故だか嫌な予感がして、また胸がざわついた。
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