第9話 チカゲと白木先生

 姉がスマートフォンの液晶画面で時間を確認する。午後八時を少し過ぎていた。

 スーパーに入ると、クーラーの冷気が暑さで火照った肌に伝わり、心地良い。外は真夏ということもあり、夜になっても蒸し暑さは変わらなかった。

 店内には、まだ数人程買い物をしている客の姿があった。

 「あー、生き返る。ずっとここにいたいな」

 姉が呟いてから、続けて

 「何買うんだっけ?」

 「塩だってば。切らしちゃったんだって」

 どうやら姉の頭の中には、アイスを購入して食べることしかないらしく、先程聞いたことを再び私に尋ねた。

 「じゃあ、塩とアイス買ってさっさと帰るぞ」

 姉と私は調味料が置いてある棚に向かうと、塩が入った袋五グラムを手に取った。

 「千歳もアイス食べる?」

 姉に訪ねられ「うん」と頷くと、アイスコーナーへ向かった。

 私はソーダ味のアイスを選び、姉はソーダ味のアイスと期間限定の夏みかん味のアイスとで迷っているようだったが、結局夏みかん味のアイスをを選んだ。

 会計を済ませてスーパーを出てすぐに、

 「どうせなら今食っていくか。家に着く頃には溶けてるかもしんないし」

 姉は言いながらアイスの入った袋を開けようとしていた。

 「氷貰ったじゃん。それに、そんなにうちまで遠くないでしょ」

 姉を咎めた時、「こんばんは」と穏やかな声が聞こえた。声のした方を振り返ると、カラキさんが目の前に立っていた。私は驚いて一歩後ずさり、「どうも、こんばんは……」とぶっきらぼうに答えた。先程母に見せて貰った写真に写っていた男の人が、脳裏に蘇る。

 「こんな時間に買い物?」

 笑みを浮かべたまま訊ねられ、母親から買い物を頼まれたことを話した。

 「そうなんだ。でも、今は夜で物騒だし、あまり出歩かない方が良いよ」

 「そうですね。あの、カラキさんはこんな時間に何してるんですか?」

 私は固い表情のまま質問を投げかけた。

 「僕は人を待っているんだよ。なんか仕事が忙しいみたいで。そろそろ来ると思うんだけどね。ところで、千歳ちゃんの隣にいる女の子ってもしかしてお姉さん?」

 私は首を縦に振った。姉を横目で見ると、羽織っていた薄手のパーカーに両手を突っ込んだまま、鋭い目つきでカラキさんを睨みつけていた。当のカラキさんは全く気にした様子はなく、話を続ける。

 「へぇ、良いな。僕、兄弟がいないから羨ましいよ。でも、姉妹でも随分と雰囲気が違うんだね」

 彼の言う通りだ。姉と私は似ていない。近所の人たちに始まり、親戚、両親にさえよくそう言われるのだから。見た目だけではなく、性格も違うので、雰囲気以前の話なのではないだろうか、と思う。でも、今はそんなことどうでも良かった。

 ――早く帰りたい——

 そればかりが頭の中を支配していた。

 「すみません、うちの妹と知り合いなんですか?」

 突然姉が口を開いた。あからさまに迷惑そうな口調に、長々と話し続けるカラキさんへの苛立ちが感じられる。

 カラキさんの方へ視線を戻すと、姉の苛立ちなど気にも留めていないように、

 「知り合いっていうよりも顔見知りかな。何度か話してるよ。いつも一緒にいる瑞来ちゃんもね。それはそうとやっぱり似てるね」

 カラキさんの言葉に姉は更に険しい顔つきになり、

 「似てる? あんた、さっきは雰囲気が違うとか言ってなかった?」

 「いや、君達二人は正反対だと思うよ。似てるっていうのは、昔会った女の子に似ているって意味で……」

 私は次の瞬間目を見開いた。先程見たアルバムの写真には、彼にそっくりな男の人の他に制服を来た女の子が三人写っていた。そのうちの一人は姉に顔がそっくりだったのだ。カラキさんの話す女の子とは高校生の頃の母のことだと私は直観した。

 「カラキさん、今日のお昼頃どこにいましたか?」

 私はカラキさんの顔を真っすぐ見据えた。緊張を顔に出さないようになるべく自然な調子を装う。

 「今日のお昼頃? 今日は知り合いの女の子と喫茶店にいたよ。どうして?」

 (やっぱり……)

 その時、「千歳さん?」と、女の人の声で名前を呼ばれた。振り返ると、白木先生がこちらに駆け寄って来るところだった。

 「あっ、白木先生。こんばんは」

 「こんばんは。あら、ごめんなさい。私、邪魔しちゃったかしら?」

 バツの悪そうな顔をする先生に対して、

 「いえ、大丈夫です」と笑顔で答える。タイミング良く現われた先生に心の底から感謝した。

 「どうしたの、こんな時間に? お買い物?」

 先生の視線が、姉の持っていた買い物袋に落とされる。

 「はい。母に買い物を頼まれてしまって」

 姉が手にしていた買い物袋に目をやって答えた。

 「そうだったの。お隣の方は?」

 「私の姉です」

 答えてから先生は、「あら、お姉さん?」と呟いた後短めに挨拶をすると、軽く頭を下げた。姉も、「妹がお世話になっています」と、一言言った後、同じく頭を下げた。

 先生の恰好は、いつものパンツスタイルではなく、ワンピース姿だった。ハイヒールを履き、両耳には小ぶりのイヤリングもしている。

 「千歳、そろそろ帰るよ。お母さんたち心配するから。それでは、失礼します」

 そう言うと姉は再び頭を下げてから、元来た道に向かって歩き出した。

 「ちょっと待って!」

 私は「失礼します」と、頭を下げて慌てて姉の後を追った。帰り際、カラキさんの「気をつけて帰るんだよ」という声を背中で聞いた。

 スーパーからの帰り道、私は確認するように姉に訪ねた。

 「ねぇ、お姉ちゃん。白木先生とカラキさん見てどう思った?」

 「先生お洒落してたじゃん。多分付き合ってんじゃない? そんなのどうでも良いけど。それより、あの人のせいでとっくにアイス溶けてんだよ」

 姉がむっとした顔でレジ袋の中からアイスの入った袋を取り出して見せた。掴んでいる部分が見事に凹み、ほとんど液体になっている。

 「本当だ。早く帰ろう」

 「あーあ、やっぱりあの時食っときゃ良かったな」

 文句を口にしながらアイスをレジ袋にしまった。

 私は歩きながら、放課後白木先生が嬉しそうに電話をしていた姿を思い浮かべた。あの時の電話の相手はカラキさんだったのだろうか。

 姉と私は家に着くまでの間、一言も話さなかった。

 

 

 

 

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