第6話 甘い香り

 翌日、制服に着替えて居間に向かうと、いつもはまだ寝ている姉が先に朝食をとっていた。

 「お姉ちゃん、おはよう。珍しいね、もう起きてたんだ」

 「おう、おはよう。たまにはね」

 言いながら、姉は台所では私の分の朝食の準備をしている母に目をやった。

 テレビのニュース番組では、昨日瑞来ちゃんが話していた行方不明の女子大生について報道していた。

 『行方不明になっているのは、I県I市のE大学に通う鈴木なつきさん(19)で、今月十二日の午後八時にアルバイトを終えた後行方が分からなくなっており、鈴木さんのアルバイト先や交友関係にトラブルがなかったか調べを進める方針で……』

 (午後八時ってそんなに遅い時間じゃないと思うけどなぁ)

 私はふと、テーブルを挟んだ向かい側の壁に視線を向けた。壁に掛けられたカレンダーに目をやる。今日は十五日だ。

 (失踪して今日で三日目なんだ……)

 まだ眠気の残る回らない頭で考える。

 もちろん誰かに連れていかれたのか、自分から失踪したのかは分からないけれど。

 視線をテレビ画面に戻し、再び画面を凝視していると、母が朝食を持って来た。

 ご飯と昨日の夕飯の残りの油揚げと豆腐が入った味噌汁に、ポテトサラダ。

 「ほら、立ってないで早く朝ごはん食べなさい。昨日ぎりぎりだったんでしょ」

 (ばれてた!)

 私は母の問い掛けには答えず、黙って椅子に腰を下ろすともくもくと目の前に出された朝食を食べ始めた。

 今度は私の向かいに座っていた姉に、

 「双葉、あんた今日は早く出なさいよ。いつもぎりぎりにうち出て」

 言われた姉は面倒くさそうに、「はーい」と返事をすると、席を立った。

 「ご馳走様」と一言言うと、洗面所に向かった。

 ほどなくして朝食を終えると、洗面所で歯磨きと洗顔を済ませてアパートを出た。姉は私が出る前に家を出ていた。

 通学路を歩きながら、今日はカラキさんに会えるだろうか、会ったらどんな顔をして話そうか、そんなことをぼんやりと考えていると、昨日と同じように背後から瑞来ちゃんが私の名を呼んだ。

 振り返ると、瑞来ちゃんが少しぎこちない笑顔をこちらに向けている。その笑顔には不安の色が浮かんでいた。

 「おはよう。カラキさん、今日いるかな?」

 「どうだろう、多分会えると思うけど」

 歩きながらそう返すと、昨日姉から聞いた話を思い出し、

 「昨日お姉ちゃんから聞いたんだけど、お姉ちゃんの友達がバイト先でカラキさんに話しかけられたんだって。うちのお姉ちゃんはカラキさんのこと、たらしだって言ってたけど」

 「ふうん、でも私はたらしじゃないと思うけどなぁ。積極的なだけじゃない? 人見知りよりずっと良いよ」

 あっけらかんと笑顔でそう言い切る瑞来ちゃんに私は少し困惑した。

 「確かにそうだけど……」

 それ以外にどんな言葉を返したら良いか分からなかった。

 そのまま二人で歩いていると、いきなり瑞来ちゃんが声をあげた。

 「あっ、カラキさん!」

 その名前にドキリとした。それと同時に昨日話しかけられたことと、一目散に逃げ出したことがセットで私の脳裏を走馬灯のように駆け巡った。

 瑞来ちゃんが視線を向ける方へ目をやると、カラキさんがこちらに向かって歩いて来るところだった。

 瑞来ちゃんを見ると、不安そうな顔で私を見ているので、仕方なく自分から彼に近寄った。

 「おはようございます。あの、昨日はすみませんでした」

 早口になりながらもそう言って頭を下げると、瑞来ちゃんも「すみませんでした」と言うと私と同じように頭を下げた。

 「いや、気にしていないから大丈夫だよ。頭も下げることないし。ほら、二人とももう頭を上げて」

 穏やかな声で促され顔を上げると、昨日見た時と同じ柔和な笑みが目の前にあった。

 その瞬間、またふわりと甘い香りが辺りを漂った。

 「あの、この香り、とても良い香りですね。香水ですか?」

 私がそう訊ねると、カラキさんは一瞬驚いた顔で「え?」と小さく呟いた後、また元の笑顔に戻り、

 「いや、何もつけてないよ。もしかしたら柔軟剤かな?」

 カラキさんは自分の来ている半袖シャツに視線を落とした。

 ちらっと瑞来ちゃんにも視線を向けてみたが、彼女は不思議そうな顔で私を見ている。この香りには気付いていないようだった。

 (私、変なこと言ったかな?)

 自分が口にした言葉に後悔して、

 「あっ、そうですか。それでは、私たちはこれで」

 軽く頭を下げて、瑞来ちゃんの腕を掴んだ。目で行こうと合図すると、瑞来ちゃんも軽く会釈をしてその場を後にした。

 その場から離れる時、

 「うん、気を付けてね」

 カラキさんの声を背中で聞きながらその場を後にした。

 

 

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