第一話 再会

 夏休みが明けた九月一日の朝。

 憂鬱さを押し殺してベッドから這い出た僕は、洗面所で顔を洗い、リビングに向かった。


「おはよう、って、どうしたの? 今日はえらく早起きね?」


 台所で料理をしている母さんが目を丸くした。


「おはよう。母さんこそ寝ぼけてるの? 今日から二学期だよ」

「あら、そうだった?」


 本人は絶対に認めないけど、母さんは天然だ。

 指摘すると面倒くさくなるので「そうだよ」とだけ答えた僕は、ソファに向き直る。


知万里ちまりもおはよう」

「おふぁよう、お兄ちゃん……ふぁあ」


 低血圧のせいか、三つ違いの妹がとても眠たそうにしている。


「お前も今日から学校だろ? 早く準備しなよ」

「あ」


 パジャマのまま寝癖も直さない知万里は、僕の言いつけには返事をせず、テレビを指した。

 奏が、いつも観ている朝の情報番組で、初の全国ツアーの宣伝をしている。


「あら、この子って圭太と一緒にバンドしてた子じゃない? えっと、ほら……あ、カナエちゃん!」


 惜しい。


「奏ちゃんだよ」


 母さんが料理をダイニングテーブルに置くと、知万里ものそのそとテーブルに向かう。


「デビューから一年も経ってないのに、あっという間に売れちゃったよね。すごいね。それに引き替え……」


 席に着いた僕を知万里が隣から覗き込んでくる。


「なんだよ」

「べつにぃ、なんでもありませんよー」


 ムカつく態度の知万里は、手を合わせて朝食を食べ始めた。






 朝食を食べ終え、支度を済ませた僕は家を出た。


 僕が通う時ヶ丘高校へは、バスで一本だ。

 予定時刻を少し過ぎたこともあり、車内はいつも以上に人が溢れている。

 どうにか乗り込んだ僕は、もみくちゃにされながら、地元の催事の車内広告を見つけた。

 そこでも奏のライブが太字で書かれてある。


(本当、凄いよな……)


 いい知れない思いが渦巻くのを感じながら、僕は一年前のことを思い出した。






 僕と奏、秀二、透の四人は、同じクラスになった縁で『ポロロンズ』というバンドを組んだ。


 活動は順調すぎた。たった三度のライブでライブハウスを満員にし、コンテストに出た。

 地元のテレビ局が主催するもので、高校生であればバンドでもユニットでも形態は問わないというものだった。


 結果はぶっちぎりの優勝。レコード会社から声がかかり、詳しい話を聞きに行った。


 ――え? バンドでいきたいの? いいけど、給料は一人分しかだせないよ。


 ――正直、君ら三人は奏ちゃんのお荷物でしかないんだよね。


 彼らが欲しかったのは『ポロロンズ』じゃなくて奏個人だった。

 昔から、バンドよりもソロの方が売り出しやすいというのはセオリーだったけど、音楽業界は衰退している。価値のないメンバーの面倒まで見る余裕は昔以上にないのだ。


 だからこそ、真の逸材にしか声がかからない。

 お眼鏡にかなった奏は凄いと思うし、実際、実力もあった。客も彼女目当てでライブに来ていた。


 それでも僕たちは、奏自身も『ポロロンズ』でやっていきたいと思っていると信じて疑わなかった。

 しかし、奏はレコード会社の申し出を了承した。


 すぐに転校し、三ヶ月後にはデビューした。

 瞬く間にスターダムにのし上がったことはテレビや広告が物語っている。


 一方、残された僕らは『ポロロンズ』を解散し、それぞれの高校生活を始めた。

 連絡は一切取らないまま、学校や外で会っても互いに他人のフリをする。

 それは今でも続いている。






 バスが学校近くの停留所に着き、僕は降りた。

 今日も暑くなりそうな感のある残暑厳しい朝日を避けるように校舎へ駆け込み、自分のクラス――二年三組の教室に入った。


「うちのクラスに転入生が一人くるらしいぜ!」

「マジでっ!?」

「しかも、女子っ!」

「やっべっ! テンション上がる~!」


 クラスの男子たちが盛り上がっているのを尻目に、席に着いた僕は一時限目の現国の準備をして、スマートフォンをいじりながらホームルームまでの時間を潰した。


 そうして予鈴が鳴り、担任が入ってくると、蜘蛛の子を散らしたように、各々が自分の席に着いた。


「えー、知っている者もいるかもしれないが、ホームルームを始める前に転入生を紹介する。入って来なさい」


 歓声が上がると同時に、ガラガラと扉が開き、転入生が入って来た。

 そして教卓の隣に立つと同時に、黒板に名前を書き終えた担任が振り返る。


「今日から二年三組の仲間になる北原梨津さんだ。さ、挨拶を」

「は、はい! 北原梨津です。よろしくお願いします」


 ぺこりとお辞儀した梨津は、唖然とする僕の方を見てにっこりと笑った。


 それが僕と梨津の、実に十年ぶりとなる再会だった。

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