093

「り……リン! 飛び蹴りだ! 飛んで、ヤツの頭にハイキックをかましてやるんだっ!」


 リンは驚きのあまり一瞬こちらに気を取られかけたが、すぐに我に返って視線を敵に戻す。


「ええっ!? そんな大技、キャプテンに通用するわけないよ!?

 それに、言っちゃったからもうキャプテンにバレちゃってるし!」


「い……いいからやれっ! バレバレでもかまわん! 俺を……俺を信じろっ!」


 俺はすがるような気持ちで叫んだが、上書きするように、


「ホワッ……チャアアアアアアアアアアアア!」


 窓ガラスをビリビリと震わせるほどの声が、耳をつんざいた。


 雄叫びとともに突っ込んでくるリッコ。

 獲物に襲いかかる怪鳥のような、恐ろしい顔で……!


 リンは縮こまることも、逃げることもしなかった。

 むしろ先ほどまでの迷いが消えたように、キュッとスニーカーを鳴らして前方に大きくステップする。


「アァッ……チャアアアアアアアアアアーーーーっ!」


 絹を裂くような声を絞り出し、女子高生の格好をした少年が翔んだ。


 チェックのスカートが、ブラウスに貼り付くように舞いあがり……男が履いているとは思えないほど愛らしい縞パンが露わになる。

 汗で濡れ光る太ももが跳ね上がり、新体操の股割りのように開脚。


 高く上がった右足が、ちょうどダッキングのように屈んでいたリッコの顔面を捉えた……!


 グワッ……シャアアアア!


 潰れるような音とともに、靴のソールが鼻っ柱にめり込む。

 顔面に赤い足跡スタンプをつけられた大女は、たたらを踏むように後ろによろめいた。


 そして……大木が切り倒されるかのようにゆっくりと仰向けに倒れ……ズズズン! と地を揺らす。


 宙を、黒い花びらのようなものが舞う。何かと思ったら、付け眉毛だった。

 ひらひらと顔に降りた眉毛は、偶然にもピッタリと、元あった場所にくっついた。



「……ふふ、はい、どーぞ」


 やたらとニコニコしているリンから、パンツとズボンを受け取る。

 俺は外に出ると失格だから、取ってきてもらったんだ。


「なんがそんなに嬉しいんだよ、って、見んなよ、あっち向いてろ」


 俺が追い払うと、リンはクルッと回転して背を向け、


「ふふ、昔のボクは女の子みたいだっていじめられて、よくパンツとズボンを取られてたんだよね。

 あの時は、いつもわんわん泣いてたなぁ」


 やたらと弾んだ声で悲惨な思い出を語りだした。


「三十郎、その時のこと、覚えてる?」


 俺はパンツに足を通しながら記憶を掘り返してみたが、よく思い出せなかった。


「……そんなことも……あった……かな?」


 でも、リンは昨日のことのように覚えているようだった。


「三十郎がそのいじめっ子をたちを追いかけてって、みーんなやっつけて……。

 取り返してくれたパンツやズボンを、泣いているボクに穿かせてくれたんだ。

 ……それで、ボクは思ったの。

 もし三十郎がパンツを取られるようなことがあったら、絶対にボクが取り返してあげようって……それが夢だったんだよね」


「俺のパンツを取り返すのが夢って……なんだそりゃ」


「ふふ、まさか高校生になって叶うとは思わなかったけどね。

 あ、でも、夢は取り返すだけじゃなくて、穿かせてあげるまでだよ」


 チラッと横目でこちらを伺うような仕草をするリン。


「……穿かせてあげよっか?」


「い、いいよ、もう穿いたから」


 慌ててズボンを引っ張り上げる。


 ……なんで俺、照れてるんだろう。

 気持ち悪さを感じるならともかく、女の子にからかわれてるようなムズ痒さを感じてるのはなぜなんだぜ?


 振り向いたリンはちょっと残念そうにしていたが、何かを思い出したのか「あ」と声をあげた。


「そうだ三十郎、なんで飛び蹴りをしろだなんて言ったの?

 決まったからよかったけど、失敗したらヤバかったんだよ?」


「ああ、それはな、アイツがチラチラお前の太ももを見てたからだ。

 倒れたときなんて、しゃがみこんでスカートの中を覗き込んでたんだぞ」


 俺はベルトを締めながら種明かしを始める。

 リンは「ウソ……」と引き気味だった。


「マジだって。俺は最初、アイツが何を狙ってるのかわからなかった……。

 でも、ずっと観察しているうちに、お前のパンツを見たがってるんじゃないかと推理したんだ。

 だから俺は飛び蹴りを指示した。

 待ちに待ったパンツに、アイツは絶対食いつき、よけるのも忘れて凝視するだろうって考えたんだ。案の定」


「そんなことはない」


 ふてくされたような声が割り込んでくる。


 壁に向かって体育座りをしているリッコだ。

 リンにノックアウトされて茫然自失となっていたが、いつの間にか起き上がってひとりで勝手にスネてるようだ。


 面倒くさいので無視していると、


「パンティーなどという薄布に気を取られていたわけでは断じてない。

 相手の攻撃を全て受け止め、その上で勝利するのがプロレスというものだ」


 などとぬかしやがった。

 テュリスがいたら突っ込んでくれるんだろうが、俺はやらねぇぞ。


「しかし……どんな理由であれ、負けは負けだ」


 リッコはむっくらと起き上がり、首からぶら下げていた鍵の紐を引きちぎる。

 投げてよこされたものを、俺はキャッチした。


 そういえば、ヤツに勝てば鍵くれるって話だったよな。

 この鍵が何の役に立つかは知らねぇが、とりあえず貰っておこう。


「あ……ありがとうございました!」


 リンは深々と頭を下げる。

 ブルース・リーがやってた、相手から目をそらさないお辞儀で。


 貰うものはもらったし、別れの挨拶もすませたことだし、このまま出ていってくれるのかと思ったが……リッコはなんか仲間になりたそうな目で俺を見ていた。

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